蝉
の命
「は〜〜〜、咽からから〜〜〜〜〜」
ムッと
する熱気の篭った小さなライブハウスから外に出ると、マキは伸び上がりながら言った。
熱帯夜に相応しい生暖かい風が通り抜ける。
「マ
キちゃん、すっごい叫んでたもんね〜、ホントすっごい熱気だったね」
実際に隣にいるレイナの鼓膜に響くほどの嬌声をあげていた。
と、
言ってももそれはマキだけではなく、狭い会場にすし詰めの客皆がそうだったのだが。
案の定、マキは直ぐに言い返してきた。
「レ
イナだって、声嗄れてるよ!あ〜〜〜〜、もう少し楽しみたかった!!」
「ごめんね。最後まで居られなくって」
「あっ、
そうじゃなくって!私だって、こんな所に一人でいられないし。
たとえ二人でも、やっぱり怖いしね。気にしないでよ。
ただ、時間が立つのが早いな〜って。」
実家暮らしのレイナは、今日のライブに行く条件がちゃんと家に帰ってくる
事だったのだ。
ちょっと堅いレイナの両親に今日のチケットが見つかってしまった事が本当に悔やまれる。
「ご
めんね〜、本当に。チケット机に放置しておくなんて失敗しちゃったせいで」
「だから、違うって。店でる予定の時間より遅いのに、あっ
という間だったな〜って思っただけ」
そうなのだ。
本当は1部休憩の11時にはライブハウス
を出るはずだったのに、現在11時25分。
11時45分の終バスには間に合わないかもしれない。
電車を使えばも
う少し遅くまで大丈夫だけれども、
最寄り駅からレイナ宅までの道のりに最近変質者の噂がたえないのだ。
「駅っ
てあっちだよね?大通りだとかなり遠回りだから、近道しない?時間もないし」
「えー、でもちょっと暗くない?」
マ
キの言うとおり、近道のようだがなんとなく薄暗い通りでちょっと躊躇してしまう。
「ゲッ、もう11時32分だ
よ!後15分切った!! 早足なら平気でしょ。あっち行こう」
「マキちゃん!!」
レイナはさっさと横道にそれて
いくマキの後を慌ててついていく。
確かに時間もないし、人通りが少ないとはいえ、皆無ではないのでそのまま突き進む事にした。
そ
んな二人のを見つめる人影がある事も知らずに・・・
−−−−−−
−コ
ツ、コツ、コツ
−コツ、コツ、コツ
−コツッ、コツ
「で
も、ホント!今日のライブ凄かったねぇ〜」
「うんうん、ギターもすごかったけど、あのキーボード!!」
「そうそ
う!!パンクも捨てたもんじゃないでしょう??」
そうなのだ。二人は今日はパンクロックのライブに出かけていた。
従
兄弟にライブに連れて行ってもらって以来、すっかりパンクに嵌ったマキがレイナを誘ったのだ。
正直全然乗り気ではなかったレイナも今
日のライブで自分がいかに狭い価値観に縛られていたかに気づかされた。
ただの付き合いのつもりだったので、両親とも帰宅する約束をし
たのである。
−コツ、コツ、コツ
−コツ、コツ、コツ
−コツッ、コツ
「本当に、こんなに凄いライブなら、家に帰るなんて約束しなければ良かった〜」
人
通りもまばらな少し薄暗い通りに二人の足音が響く。
「まあまあ。今度は私の家に泊まるって事にしてまた行こう
よ。今度はのだめも連れて」
恐怖心を紛らわせるためか、二人は少し大きな声で今日の興奮したライブの話に興じて
いる。
「そうだね〜、あの子も結構好きそうだよね。でもチケット買えるのかな?」
レ
イナの気のせいか、先ほどから二人の足音にこだまするような足音が付いて着ているような気がする。
大通りからは大して離れていないは
ずだが、既に足音が反響するほど静かだ。
−コツ、コツ、コツ
−コツ、コツ、コツ
−コツッ、コツ
「はははっ。本当に。いっつもお金ないもんね、のだめ」
「チ
ケット代まで奢ってあげるの?マキちゃん」
「エッー、冗だ・・・「かーのじょたち 」 キャッ!!」
突
然、後ろからいかにもパンクっぽい真っ黒な二人組みの男性に肩をたたかれる。
驚きのあまり、立ち止まってしまった。
「あー、
そんなにびっくりしないでよ。俺たちもキミらと同じライブハウスに居たんだよね。
声かけようとしたら、さっさと帰っちゃうからさ
〜〜。おっかけて来たんだ」
「ねぇ、俺たちに付き合わない?さっきのライブよりもっとハジケタ所連れてってあげ
るから」
「いえ、私達もう帰る所なので」
びっくりしている間にマキは
ちょっと小太りの尖がりブーツの男に、レイナはスダレ髪の男に手をとられていた。
「そう言わずにさ。絶対楽しい
から」
「いえ、本当に帰らなくちゃいけないから、離してください」
レイナの言葉にもまった
く怯まず、ずうずうしくも肩を抱いてくる。
「あー、邪魔!!急いでるんだから離してよ!」
衝
撃から復活したマキは小太りの男の足を踏みつけ、レイナの手をとり走り出したが、
スダレ男はレイナをしっかり掴んでいるため引き戻さ
れた。
「何すんだよ!」
足を踏まれたブーツ男はマキに掴みかかり手を振り上げた。
・・・
打たれる!
とっさにぎゅっと目をつぶったマキだったが、結局衝撃は来なかった。
「何
だよ!お前!!」
「邪魔スンナ!」
男達の怒った声に恐る恐る目を開けると、そこには学園の王子様が不機嫌な顔で
ブーツ男の振り上げた手を掴んでいた。
「「・・・ッ!!」」
マキとレイナは驚きで声もで
なかった。
「どこ行ってたんだよ、二人とも探したぞ」
千秋は、黙ったままブーツ男の腕をね
じ上げ蹴り飛ばしながら言った。
「おい、いきなり何しやがる!」
殴りかかるスダレ男を軽く
かわした千秋は、すれ違い様に足をかけた。
「連れに何か用か?」
「「ヒッ!」」
真っ
黒なオーラを放つ千秋の雰囲気に飲まれたのか、微かな悲鳴を上げた二人はぶつぶつと捨て台詞を呟きながら去っていった。
状
況を把握できていないマキとレイナが呆然と見つめていると千秋は不機嫌そうに言った。
「女二人で、こんな所で何やってんだよ。」
「あ、
あの。ありがとうございます。千秋様。いえ、駅への近道のつもりだっ・・・・・あっ!!」
「レイナ、もう11時42分だよ!!」
先
に立ち直ったレイナが千秋に礼を言いつつ、事情を説明しているところで自分達には時間が無かった事を思い出した。
そんな二人に千秋が
声をかける。
「とにかく、さっさとこんな薄暗い道から出るぞ!渋谷でいいの?」
「「は、ハ
イ!」」
三人は黙って早足で暗い裏路地を抜け、明るい大通りに出た。
駅
の大時計は既に11時48分を示し終バスは出発した事を物語っている。
レイナは深くため息をついた。
近道のつも
りが結果として大回りになってしまった。
「こっからどうやって帰るんだ?時間間に合った?」
「あっ、
私は大学から先に2駅なのでまだ大丈夫なんですが、レイナが・・・」
「私も電車ありますから、大丈夫です」
「で
も、電車だと帰り道変質者が出るって・・・」
「マキちゃん!大丈夫だから」
「何?本当はバ
スかなんかに乗るつもりだったわけ?」
二人のやり取りを聞いていた千秋の質問に答えたのはマキだった。
「そ
うなんです。近所で最近変質者が出るらしくって。
渋谷からのバスだと家に近いんだけど、駅からだと少し歩くから」
「ふー
ん。あっ、ちょっと失礼」
ふいにベートーベンが流れ出した。どうやら千秋の着メロらしい。
「は
い・・・なんだ峰か・・・
・・・ちょうど良いや、お前すぐ渋谷駅来い!そっからなら10分くらいで着くだろ?
・・・・
は? いいからさっさと来い!」
千秋は峰という人物と話しているらしい。
―
峰さん、誰だろう? どこかで聞いた事があるような??
―ところで、私達、待っていていいのかしら?
レイナは
思った。
「ねぇ、レイナ。どうする?今日は家泊まる?」
「あー、でも帰る約束だから。大丈
夫だよ。マキちゃんありがと」
電話中の千秋のそばでこそこそと二人が話していると、電話を終えた千秋が話しかけてきた。
「電
車、まだ大丈夫?」
「「は、はい」」
「じゃ、後10分くらい待ってもらえる?」
そう言う
と、千秋はポケットからタバコを取り出した。
待てと言われてしまったため、二人は大人しく千秋のタバコを吸う一
連の動作を眺めていた。
ーそれにしても
ー本当に、タバコを吸う動作すらカッコいい・・・ほ
んとに、王子様だわ。
―あれ?でも、なんで千秋さま、私達を助けてくれたんだろう?
ふいに疑問に思ったレイナは
隣で同じように惚けたように千秋を見つめているマキに問いかけようとした。
「ねぇ、千秋様、何で助けてくれたん
だろう?私達の事」
「えっ?」
「だって、私達の事知ってるとは思えないし。レイナは知り合い・・・じゃないよ
ね?もちろん」
「・・・そりゃもちろん、知り合いじゃないわよ。マキちゃんもでしょ?」
「うん」
そ
んな事を小声でやりとりしているのが聞こえていないのか、相変わらず黙ってタバコをふかしている。
フッと千秋が
顔を上げた。
マキとレイナも千秋の目線の先を追う。
「ちあき〜〜〜〜〜」
「あ
の、バカっ。恥ずかしい」
そんな事を言いながら、駆けて来る金髪の男に軽く手を挙げ合図する。
「あっ、
Sオケのコンマス!」
隣のマキちゃんが小さく叫んだ。それを聞いてレイナもやっと峰という名を思い出す。
そんな
二人をよそに、新たな闖入者峰と千秋は話始めた。
「千秋!突然居なくなって、いきなり渋谷来いは無いだろ!」
「どー
せ、お前だってこっから帰るんだろうが」
「っーか、本当なんで突然いなく・・・ あれ?この子ら・・・」
「あ
あ、こっちの子、お前送って帰れ。俺はこっちの子送ってくるから」
「はぁ?「えぇーーー」
黙っ
て聞いていた二人だが、突然の千秋の言葉に思わず声をあげた。
「いえ、でもご迷惑ですから」
「つ
いでだから。ここで放り出してなんかあっても困るし」
レイナの断りに千秋があっさりと返すのをさえぎるように峰が叫んだ。
「お
い!オレにもわかるように説明しろよ。どこに送ればいいんだよ!」
「こっちの子、大学から2駅らしいからお前送ってけよ。
さっき、変なのに絡まれたから。で、君はどの辺なの?」
「C市ですけど・・・あの、本当に大丈夫ですから。」
「そー
ゆーわけにもいかないし。ほら、電車無くなる」
そう言うと千秋はさっさと駅の構内に向かって歩き出した。
「っ
たく、まあいいか。じゃ行こう?えっと、名前は〜?あ、オレ峰。峰龍太郎☆」
「あ、はい。Sオケのコンマスですよね。私はマキで、
こっちはレイナです」
「お!オレの事知ってるの?いやー、嬉しいな。じゃ、よろしくね。マキちゃん」
「は、は
い!」
峰と一緒に歩きだしながら自己紹介をする。
「レイナちゃん?気にしないで千秋に送ら
せろって。大丈夫。
そのまま帰られるほうが心配なんだからさ。あー、あいつのむすっとした顔はいつもの事だから
別
に怒ってるわけじゃないから、気にするな!」
レイナの困惑を読むように、峰が言う。
「どこ
まで切符買えばいい?」
千秋が聞く。返事を出来ないでいるレイナに峰がもう一度聞いてきたので、レイナはC駅と答えた。
「C
駅だってさー、ついでにオレとマキちゃんの分も買って来いよ!」
峰さんが券売機の前の千秋に向かって叫んだ。
結
局、レイナは千秋に送ってもらう事となった。
電車の中でも降りてからも、千秋は必要最低限しか口をきかない。
―
本当に怒っていないのかしら・・・
あまりの無口さにレイナは不安になる。しかし、そんなムッとした状態でも本当に千秋はかっこいい。
―
どんな状態でもカッコいい人っているんだなー、でも本当になんで私千秋様と歩いているんだろう?
レイナは不思議でならなかった。
「右、
左?」
突然の千秋の問いにレイナはとっさに返事ができなかった。
返事が無い事をいぶかしんだ千秋が振り返ってき
て、「ん?」とちょっと首を傾げながら問いかけてくる。
「あっ、左です。そこから5軒目が私の家です」
「あ、
あの。本当にありがとうございました。ご迷惑をお掛けしてすみません」
家の前について始めてレイナは自分から千秋に話しかけた。
「い
や、まあ、何もなくて良かったよ」
レイナの謝意にちょっとはにかんだ様な微笑みを微かに浮かべ、千秋は答えた。
「じゃ、
おやすみ。早く家入れ」
軽く手を上げて千秋は元来た道を戻っていく。
レイナはその微笑を真
正面から受けてぼーぜんと立ち尽くしていた。
−−−−−−−−−−
「はぁー・・・」
あ
のライブから既に一週間が立っていた。
あれから、ウィークデイは毎日大学に通っている。
夏休み中の構内は、やは
り普段よりは閑散としているが、それでも何かのサークルに来ている人や
コンクールの準備か、熱心に練習している人達がいる。
―
一言、お礼くらい言いたいのに・・・
特にサークルにも参加していないレイナは、今日もレッスン室に篭ってい
た。
実際の所、大学に来ても昼食以外外に出ないようでは、千秋に会える可能性は低いのは分かってはいるのだが、
積
極的に構内を探してみる事ができないでいる。
マキを送っていた峰の実家である裏軒に行けばもしかしたら会えるかもしれないのに、
結
局今日も大学内のカフェテリアで昼食をとってしまった。
しかし、今日はそんな行動が幸いし、千秋が大学に来ているらしい噂を掴む事が
できた。
実際の所、千秋は学園のアイドルだ。
どこかで姿を見かけても声をかけられないよう
な気がする。
ただ礼を言う、それだけの事なのに。
理由もあるのに探す事すらできない自分が情けない。
―
本当に、なんて素敵な人なんだろう・・・
「はぁー」
レイナはあの夜の最後の微笑みを思いだし、一人頬を染めて
苦しそうな、それでいて幸せそうにため息をつく。
ガラッ!
「やっ
ほー、レイナちゃん!夏休みに会えるなんて!!何してるんですか〜?」
「きゃぁ!!」
「ぎゃぼ?」
突
然の闖入者にレイナは軽く悲鳴を上げてしまった。
「・・・のだめ・・・ もう!びっくりさせないでよ・・・」
「はぅ
う。すみません。でも、レイナちゃん?今日はどうしたんですか?あ、まさか補習?」
「もう、それはのだめでしょ!一緒にしないでよ。
ちゃんと終わったの」
「はい!ばっちりですw」
「もー、どうだか」
の
だめは前期のドイツ語の試験で赤点となり、夏休みの補習を受けている。
確か、今日から初日のはずだ。
「で、
レイナちゃんは何していたんですか?」
「えっ、別に・・・ちょっと秋の試験の課題曲の練習に来たの。やっぱり大学のほうがピアノが良
いし」
「そうでしたか。終わりにするなら、一緒に帰りましょう?」
「ん〜、ごめん。もう少し練習してから帰る
ね。」
「そうですか?あっ、練習中お邪魔してすみません。じゃ、また!」
「うん、またね」
バ
ン!
のだめは来たとき同様嵐のように去っていった。
―はー、本当にも
う。騒々しい子なんだから・・・
しかし、先ほどまでの疲労感を伴うような情けなさは一掃され、爽やかな風が通
り抜けていったようだ。
―よし。今日は課題曲じゃないけど、一曲を引いてから帰ろう!
-----
結
局、その後課題曲も一時間ほど練習し、レイナが帰途についたのは午後4時を少し回った頃だった。
外に出るとむっとする暑さに一気に汗
が噴出す感じがする。
―そういえば、のだめも千秋様についての妄想、よくしてるな・・・
―
きっと、のだめも私のように千秋様の優しさを垣間見た事があるのかもしれない。
ほんの一年前はマキやピアノ科の他の女子が騒いでいて
も全く興味を示さなかったのに
あのベルト事件を堺に急に千秋を認識したのだから。
―まあ、
私はのだめみたいな変な妄想してないし、お礼を言いたいだけなんだけどね。
そんな事につらつらと思いを馳せてい
ると前方からバキバキッと大きな音がした。
「・・・うわぁ!」
見ると
角の大きな木の太い枝が大きく揺れていて、その先に風船が絡み付いている。
木の幹を辿ると5歳くらいの男の子が泣きべそをかきながら
塀の陰に隠れた誰かに必死に訴えている。
男の子の周りには木の葉や小枝が散乱している。
「ヒッ
ク、お、おね・・・だい・・?」
「・・・ぶです・・・めんね・・・」
少し距離があるため声
は途切れ途切れにしか聞こえてこないが、どうやら男の子の風船を
取ろうと木に登った誰かが落ちたようだ。
しか
し、あの木に登ろうとは。なかなか勇気のある女性だ。
と、男の子の頭に手を置きなだめるようにする男性の陰がちらっと見えた。
「あっ!」
レ
イナは驚きのあまり上げた声を押し殺すため慌てて自分の口を塞いだ。
千秋だ!
一瞬見えたそ
の手の持ち主は直ぐに塀の向こうに消えてしまったが、間違いない。
この所ずっと探していた人を間違えるはずがない。
驚
きのまま行方を見守っていると、ふと塀の上に男性の影が見える。
やはり、千秋だ。
千秋は太い木の枝に移動し、頭
上の枝で体を支えながら徐々に先端に移動していく。
細く枝分かれした所まで来たところから必死に手を伸ばすが後少し届かない。
―
あっ、落ちる!!
ガサガサ、ドスン!!
「先輩!!」
レイナは咄嗟に閉
じた目を恐る恐る開けると、そこには何事も無かったように風船を手に持つ千秋がいた。
同じように目をぎゅっと閉じた男の子の頭にポン
と手を載せ、目線を合わせるようにしゃがみこんだ。
おっかなびっくり目をあける子供にふっとはにかんだような微笑をみせ、
木
から取り戻した風船を男の子の手に縛り付けようとしていた。
-----
レ
イナは先ほど大学から来た道を慌てて戻っていた。
―あの微笑・・・あれは、あの夜私が見た千秋様と同じ・・・
「あ
れ?レイナ!今頃学校?」
「・・・マキちゃん・・・」
マキに声をかけられ、レイナはそこが
大学の正門である事に始めて気が付いた。
気づかぬうちに大学までもどってきていたようだ。
「えっ、
レイナ?どうしたの?」
「何?・・・私、どっか変かな?」
「・・・レイナ・・・」
マ
キは何も言わずハンカチを取り出すとそっとレイナの頬にあてた。
その時、レイナは初めて自分が泣いている事に気が付いた。
い
や、泣いてなどいない。ただ、涙が一粒二粒零れ落ちただけだ。
これは哀しくて出た涙ではない。ちょっと驚いただけ・・・
「・・・
マキちゃん・・・何でもない。ちょっとびっくりしただけ・・・」
「えっ、何?変質者でも出た?」
「ううん、本当
にたいした事じゃないの。うん、マキちゃん帰ろう!」
「でも今学校来たんじゃ?」
「いいから、帰ろう」
そ
れから、駅までの道のり。マキと最新のスイーツの話をしながら帰った。
何も聞かず、いつも通り接してくれるマキがありがたかった。
レ
イナには何故涙が出たのか、まだ自分でも理解できないのだから。
先ほどと同じ通りに差し掛かったがそこには、小枝や葉が舞い散ってい
るだけだった。
------
ゆっくりと湯船に浸
かりながら、レイナは今日もあの晩の千秋の微笑みを反芻していた。
でも、今日は夕方見た男の子への笑顔が鮮明に浮かぶ。
と
てもよく似た微笑。つまり、そうゆう事なのだ。
何もレイナだからあの日、助けてくれたわけではない。
誰であって
も困っていたら手助けしてしまう。そんな人だったのだ。
自分は特別ではない。
最初から解っ
ていたのだ。
後から後から流れ出す涙。
みんな湯船の水で隠してしまおう。
こ
れは確かに恋だった。
ただお礼を言いたい、それだけ。そんな事は無かったのだ。
あの日、レイナは確かに千秋に恋
していたのだ。
夏の盛りに始まった恋は、秋の声を聞く前に散っていった。
たった一週間。
そ
れでも確かに恋だった。
おわり