Strawberry on the Short Cake


  カチャ、カチャ…。

「卵 は泡が均一になる様に泡立てないと、上手く膨らまないぞ…。」
「…。」

休日の静かな昼下が り。
綺麗に整理されたキッチンで、
僕は卵と向かい合っていた。

目の前 には綺麗にデコレーションされたケーキの写真が載った、レシピ本。
---卵を泡立てます。
クールに表記されたそ の工程に、思いの外、苦労させられていた。

横からはさっきから強い視線を感じる。
背の高 い、黒い髪の男がじっと僕の手元を見ていた。


昔はこの男の後姿を
た だ、ただ、遠い存在として眺めるだけだったのだが、


何故だか分からないけど、今は僕の向か いに住む隣人であり、


このキッチンの持ち主である。




僕 は何故だか分からないけど、この男の家の台所でケーキを焼いている。




 ・  ・ ・

「俺の方が訳分からない。何で俺の部屋のキッチンで、リュカがケーキを焼いているのか…。」
「だっ て、チアキのオーブンの方が性能がいいんだもの。それに道具だって揃っているし…。」
「しかも、そのケーキはのだめの為に作ってい るってんだろ。」

そう、僕はのだめの為に今、ケーキを作っている。のだめの恋人の家で…。



… と、言うのも、この前の夜の話。
千秋の家で3人で食事をして、僕がアルバイトでピアノを教えている女の子の誕生日に、チョコレート ムースを作ってあげた話をしていた時の事だ。
「ぎゃぼ、リュカ。お菓子、作るんですか?」
「作るって言っても、 これだけだよ。僕の母親が得意だったんだ。だから、これだけは作れるんだよ。」
「男の子から女の子にお菓子を作るなんて…フランス 人って、そうなんですね〜。」
のだめは感心しながら頷いていた。
「のだめは作ってもらった事ないの?」
「… んーと、お菓子はないですよね。」
そう振り返って、後ろで洗い物をしている千秋に話しかけた。
「食事だけでもあ りがたいだろうが…。」
相変わらず無愛想な声。
「だ、そうです。」
「ふーん。じゃあ、今 度、僕がのだめにお菓子を作ってあげるよ。」
僕はのだめに笑顔で言った。
「ほんとデスか?」
「う ん、楽しみにしていて。」
そう言って、小指と小指を絡め、指きりゲンマをして…。


 ・  ・ ・


「…でも、なんで、ショートケーキなんだ?」
千秋は僕の本を 見ながら言った。
「ん、だって、のだめはそれが一番好きだって言っていたから…。」
そう言うと、千秋は驚いた顔 をした。
「…そうなのか?」
「そうだよ。知らなかったの?」
僕はちょっと得意気になって 言った。
「フランスだと、こういうケーキは余りないからね…。恋しくなるんだって。」
そう話しながら、僕は小麦 粉を振るってその液体の中に入れた。
「あ、そ…。」
千秋はオーブンに火を入れた。


ガ チャン。
予め予熱しておいたオーブンに生地を入れて、タイマーをセットした。
その間千秋はコーヒーメーカをセッ トしてコーヒーを落としていた。
僕はダイニングに腰掛けて、焼きあがるのを待った。

「チア キは作った事あるの?ケーキ。」
「え?」
「だって、さっきから、いろいろ言ってくるから…。」
千 秋は手前の席に腰掛けた。
「ん…そう言えば、昔一度だけあったな。ロールケーキを由衣子…姪っ子に頼まれて作ったんだ…。」
「へー。」
「で も、かなり昔、高校生の時とかだぞ。」
そう言いながら千秋は、僕のレシピ本を手に取り、捲った。
「ふーん。恋人 には作ってあげた事ないんだ。」
「日本では男から手作りって滅多にないからな…。それに、俺自身、甘いものは取らないから…。」
そ う言って立ち上がり、コーヒーを淹れに行った。
「…作ってもらった事は何度か…。」
後ろ姿のまま彼は呟いた。
「ふー ん。」
「…昔な…。」

千秋は白い二つのカップの中に、濃い褐色の液体を注いでいた。
「の だめからは作ってもらわなかったの?」
僕はレシピをパラパラ捲りながら訊いた。
しばらくの沈黙…。
「……… あ…それらしきものは、あったような…。」
……。



特 有の香りを漂わせながら、僕の目の前に淹れたてのコーヒーが置かれた。
千秋も自分の分を手前に置いて、腰掛けた。
「お 前こそ…。あのムースを送った相手は特別なのか?」
千秋はそう言って、コーヒーを啜った。
「え?違うよ。本当に ピアノを教えているだけ。だって、彼女は10歳だよ。僕と10くらい違うし…。」
「別に10歳差なんて関係ないんだろ。お前の場合 は…。」
千秋は下を向きながら、ぼそっと言った。
「そ、そうだけど…。でも、子供は眼中ないって。」
「あ、 そ。」
「チアキ…勘違いしてるかもしれないけど…僕は誰でも構わずって訳じゃないんだから…。」
「…別に、そん な事考えてないぞ…。」
二人同時にコーヒーを啜った。

「ただ、最近出入り激しいって、思っ ただけ…。まあ、余計なお世話だけど。」
千秋は目を逸らせながら呟いた。
「そ、そんな事ないよ。」
「そ うか?」
「それに、いい加減な気持ちがあるわけじゃないし…。」
しばらくの沈黙…。
「その 時、その時は真剣に考えているんだって…。でも、仕事や勉強が面白くなっちゃうと、つい…その…疎かになったりして…。」
千秋はぷっ と吹き出した。
「…で、振られるって訳…。」
「…。」
僕は恥ずかしくなってそっぽを向い た。千秋は声を押し殺して笑っていた。
「…そんなに笑わなくてもいいだろ…。」
「…いや…何か昔を思い出したか ら…。」
「え?」
「そう言えば、あいつ、似てるって言ってたっけ。俺達って…。」
…。


    「似てますよ、二人とも。国籍を超えた兄弟ですよね。」





し ばらくすると、甘くて香ばしい生地が焼ける香りがしてきた。

「のだめはこの上に乗っている苺が好きなんだっ て。」
僕は写真の苺を指差した。
「この苺をいつ食べるのか、人によって違うらしいよ。」
「そ うなの?」
「のだめ曰く、チアキはこの苺を最後に食べるタイプだってさ。」
「はあ?」
「好 きなものは最後に残しておくんでしょう。」
僕がそう尋ねると、千秋は少し考え込むような顔をした。
「場合による けど…。」
「僕は昔まではそうだったよ。最後にゆっくり食べるのが好きなんだ。だけど…。」
「?」
「取っ ておくと取られちゃう事があるからね。最近は先に食べるんだ。」
「へえ。」

僕は千秋の目を 真っ直ぐに見た。
「チアキもあんまり油断しない方がいいんじゃない。」
「ん?」
「僕にとっ てのだめは、今でもやっぱり特別な女性なんだ。」
千秋は真面目な顔で僕を見た。
「よそ見していたら…取っちゃう かもよ…。」
そう言って僕は微笑んだ。
「…。」
「僕とチアキって似ているんでしょう。確か 今の僕くらいの年だよね。二人が出会った時って…。」
「…。」
「…ならば、チャンスありそうじゃない?」
再 び僕がニヤッと笑うと、千秋はため息を吐いた。
そして腕を組んで僕を見つめた。
「わかった。心に留めておく。」
力 強く僕の目を見てそう応え、微笑んだ。




 ・ ・  ・


夜、のだめが仕事を終えて千秋の部屋に帰ってきた。

「ふ おおお、苺のケーキ。」
「どう?」
「す、すごいです。お店のものみたいでよ。」
ダイニング テーブルの真ん中に置かれた生クリームと苺のシンプルなケーキに、のだめは感動していた。
「リュカ、作ったんですか。」
「ん、 まあね。あ、チアキも手伝ってくれたけど…。」
そう言うと、千秋はぷいっと横を向いた。
「さっそく食べましょう よ。」
のだめはケーキに目が釘付けになりながら、そう言った。
「おい、メシが先だろう…。」
呆 れながら千秋が後ろから言った。
「えーでも、美味しそうですよ。ちょっとだけ…。」
そう言いながらのだめは、千 秋の方を向いて手を合わせた。




夕食前だけど、 テーブルにはケーキが小さく切り分けて置かれていた。
結局、のだめの希望通りにケーキが先になった。遠くからコーヒーの香りがしてき た。
のだめはじっとそれを見て、上に乗った丸ごとの苺を摘んだ。
「はい、リュカ。お礼です。」
そ う言って、僕に差し出した。
「えっ?それって、のだめが一番好きな部分なんでしょう。」
「そですよ。一番美味し いんですよ。だから、リュカにあげるんです。」
僕の口元までそれを持ってきて…
食べなきゃいけないの…かな?

の だめは笑顔で僕を見つめた。
僕は少し恥ずかしがりながら、口を開けた…。

瑞々しい苺の甘 酸っぱい香りが口いっぱいに広がり、生クリームのこってりとした甘さもその後に感じた。
「どですか?美味しいですよね。」
そ う言って、彼女はにっこりと笑った。


「でも…のだめの分が無くなっちゃったじゃない。せっ かくのだめの為に作ったのに…。」
そう僕はハンカチで口を拭きながら言った。
するとのだめは笑顔で答えた。
「大 丈夫です。のだめはこう言う時は、誰かが必ずくれますから。」
「え?」
「…。」

の だめは千秋の方を見てエヘヘと笑った。
「…ったく…。意味がわかんねー。」
千秋は頬杖を付いて深いため息を付く と、自分の取り分の上の苺をフォークで刺して、のだめの皿の上に置いた。
「だって、先輩いつもくれるじゃないですか。甘いもの苦手 だって言ってたし…。」
のだめはそう言って、千秋に貰ったそれを一口で頬張った。
千秋は呆れた顔をしつつも、口 元は笑っている。

ふーん…。

僕はこの二人を見ながら小さく笑った。





    「はう〜ん。このクリーム美味しいですね。甘すぎなくて、香りもいいですし…。もっと食べたいです。」
   「メシ食ってからに しろ。せっかく、こっちも作ったんだから。」
   「いいんじゃない。これが夕食でも。」
   「何言ってんだ よ…。」



おしまい