紅い宝石
一番最初に出会った時には、気にもとめなかった。
新しくオーケストラを作るために、まずその『顔』となる人物、千秋真一を説得しに桃ヶ丘音楽大学に
やって来た清良は玄関を入ったところで目的の人物を見つけた。
傍らには、可愛らしい女の子と(千秋の彼女だろうか)帽子を目深にかぶった『彼』がいた。
ただその時は千秋と話をするのが先決だったので、清良は彼らに特に注意を払わなかった。
2回目に会った時は新しいオケの結成飲み会の時。
千秋と一緒にやって来てヴァイオリン奏者として紹介された彼を見て、清良はああ…あの時の…と思い出した。
金髪で派手な格好をしてきた彼に少し引く。
とてもクラッシックのオーケストラをやるタイプには見えなかった。
ニナ・ルッツ音楽祭で一緒だったヴァイオリンの木村智仁とやけに親しそうだったので(何か二人にしか
わからないような暗号を言っていた)、『彼』もあの時の音楽祭に来ていたのだと知る。
ーそれから先のことは…正直覚えていない。
どうも後から聞いた話しによると、清良は酔っぱらって『彼』と曲のことで意気投合したあげくに、二人で抱き合っていたらしい。
(その後で意見が分かれたらしく、彼を殴り飛ばしたという情報もある)
にわかには信じがたい話だ。
あんな、崩れたヤンキーの兄ちゃんのような人物と気が合うということがあるだろうかと思う。
そして新しいオケの練習が始まった。
オーボエ協奏曲の編成は35人。
ヴァイオリンの2ndである『彼』は出番がないのにちゃっかりオケに潜り込んでいて、すぐに千秋に追い出される。
本人はそのことを知らなかったらしくぶーぶーと文句を言い、オケ内から失笑された。
変な人…というのが清良の正直な感想だった。
せっかく優秀な人材を集めたのに、あんなチームワークを乱すような人がいたら困るなあと思った。
千秋は、何故あのような人物をこのオーケストラに入れたのだろう。
何回か練習を重ねた頃であろうか。
「俺を弟子にしてくれ!!」
と、ろくに話した事もない『彼』からの突然の申し出に清良は驚いた。
時間のある時でいいから個人レッスンをしてくれと言う。
「な…なんで…」
と清良はとまどいを隠せない。
「あんたにだって先生くらいいるでしょう!!」
確かに音楽学校の学生なら、師事する先生の一人や二人いておかしくはない。
それでも『彼』ー峰龍太郎はひざまずいて清良の手を取った。
「オレの先生よりおまえのほうがずっとすごい!いや…好きだ!!」
真剣な眼差し。
思わず胸がドキッとする。
「清良のヴァイオリンが……」
…なんだ……、そう……、ヴァイオリンのことなのね……。
そう思いながらも清良は知らず知らずのうちに顔が紅潮していた。
ーこの人、よく見ると結構格好いいじゃん…。(千秋とはまた別のタイプだけど)
「おい…練習始めてもいいか?」
千秋のぼそっとした声に清良は我に返る。
…そうだった…今、練習中だった…。
ピューピューとオケ内から冷やかしの口笛がなり、思わず清良は龍太郎を突き飛ばしてしまった。
そして数日後。
桃ヶ丘音大の院での授業を終え清良が帰宅しようとしていると、校門の前で待っている不審な人物に気づいた。
「よっ、清良♪」
「……」
清良は無視して通り過ぎようとする。
龍太郎は慌てて、清良の前に回り込んだ。
「おいっ!待てよ!!。オレを弟子にしてくれって言っただろう!?」
「私、了承した覚えがないけど」
「ーまあ、そんな固いこと言うなって!」
ハハハハッと龍太郎は豪快に笑った。
「ーとりあえず、今の時間だ。腹減ってるだろう?オレん家、すぐそこで中華料理店やってるんだ!。
ごちそうすっからついて来いよ!!」
そういえばこの人の家は学校の裏で店をやってるって誰かが言ってたっけ。
龍太郎がぐいぐいと強引に腕を引っ張って行こうとするものだから、清良はあっけにとられる。
ーなんだろう、この人の都合も考えない強引さは…。
「本当に、ただなんでしょうね」
「おぉ!もちろん、決まってるぜ!師匠に金なんか払わせられるか!!」
なんだかよくわからないが、ちょうど確かにお腹も空いていたこともあり、清良は素直に付いていくことにした。
「ーおいしい!!」
思わず、清良の口から感嘆の息が漏れる。
目の前には、チャーハンにカニ玉、チンヂャオロースにエビチリと中華のフルコースが並んでいた。
しかも、どれも味が天下一品だ。
「いや〜。気に入ってもらえて良かった〜」
嬉しそうに笑いながらデザートの杏仁豆腐の準備をするのは店の経営者で料理長の、龍太郎の父、龍見。
「何でも、息子の師匠をしていただけるそうで…」
「あの…それは…」
「そうだぜ!オヤジ!清良はオレのヴァイオリンの師匠なんだからな〜。失礼のないようにな!」
この超ハイテンション親子に、清良は言葉をはさむスキが見つからない。
「そういえば、龍が女の子連れて店に来るのって、のだめちゃん以来かな〜」
ーのだめ?。
変な名前だけれども、この人の彼女だろうか(そんな奇特な娘がいるとは思えないけど)。
「そういえば、のだめもピアノ科の担当が変わったらしくってさ〜。忙しいみたいで最近全然会ってないんだよ」
そう言いながら龍太郎はテーブルに肘をついて、清良の方を意味ありげな視線で見つめる。
「…食事が終わったら……お前にいいことしてやるよ…」
「…あ、…はあっ…そこ…いい…」
清良は恍惚の表情を浮かべる。
知らず知らずのうちに息が荒くなるのを止められない。
「…そう」
「…ああん…も、もっと…そっち…」
「ーここ?」
どうやらツボをついたようだ。
がくんと大きく首をのけぞらせる。
「ああーっ!そこ…そこを強く!!」
「清良さん。だいぶ肩こってますねー」
龍見は椅子に座っている清良の後ろで、その肩をほぐし揉みながら言う。
「…やっぱり職業柄(ヴァイオリン)、どうしてもこの辺使っちゃうんで…」
清良はふうっと息をつき、こきこきと首を鳴らす。
だいぶ肩をもみほぐされ、こりも取れて血行も良くなったようだ。
「ーそれにしても、おじ様素晴らしいわ!このテクニシャン!」
「いや〜それほどでも…」
「どうだ!オヤジのマッサージは天下一品だろ!」
龍太郎が誇らしげにえへんと胸をそらす。
「…別に、あんたが威張ることじゃないじゃん。っていうか、あんた何もしてないし」
「まあ、細かいことはいいじゃん。それよりオレの部屋に行ってレッスンしようぜ!」
「じゃ〜〜ん!!ここがオレの部屋で〜す」
成り行き上仕方なく2階の龍太郎の自室に案内された清良は目を見張る。
壁と天井に貼られたロックアーティストのポスターが目に入った。
なんだか辺り一面からじろじろ見られているようで、落ち着かない。
「ーどうだ〜。このポスターなんて、限定版で手に入れるのに苦労したんだぜ〜」
「…こうゆうのに詳しくないから」
「ああ、そうか。そう言われて見ればそういう感じだな」
いったいどういう感じなのだろうか。
クラッシックしか縁のない、いいとこのお嬢様に見られているのだろうかと何故かそんなたわいもないことが気にかかった。
「ーまあ、そんなことはどうでもいいや。レッスンレッスン♪」
「ねえ」
「ーん?」
「あなた千秋くんとは、どういう関係なの?誰かが親友だって言ってたけど、本当なの?」
「ーなんだ、お前、千秋に気があるのか」
「…別に、そういう訳じゃないけど…。まあ、ちょっといいかなっては思うけど…」
千秋真一は不思議な人物だった。
あれだけ才能があり、シュトレーゼマンの弟子という立場もありながら、日本にとどまっているのが清良には不思議でならなかった。
ルックスもいいし、才能もある。
音楽をやっている人間なら惹かれずにはいられない存在だろう(少なくとも目の前の人物よりは)。
「う〜ん」
龍太郎は何故か腕を組んで考え込む。
「千秋か…。あんまりお勧めはしないな〜」
「…何?やきもち?」
「いや、そういうことじゃなくて。ー本人はすごくいい奴なんだけどな。病原菌みたいにへばりついている奴がいるんだ」
「は?」
「そいつがなかなかしぶとくてさ〜。ゴキブリみたいに無駄な生命力があって、千秋から超強力な殺虫剤撒かれて追い払われてる
にも関わらず平然として付きまとってるし」
「…ストーカーなの?」
「いや、あれはストーカーの域を超えてるな」
龍太郎はきっぱりと言う。
「お前が千秋にアタックしたいなら別に止めはしないけど、あいつの存在はなかなか厄介だぜ〜」
「…別に、千秋くんにアタックしようとかそんな事考えてないわよ。
私の目標は、今のオーケストラをこの業界に通用するくらいの完璧なものに仕上げること。
アマチュアの域を超えてね。
ーそんな、メンバー内で恋愛沙汰なんて、面倒くさくてやってられないわ」
「ふうん…」
「ーあら、これは何?」
清良は部屋の片隅に山のように積み上げられたビデオテープに目を止める。
恋愛、サスペンス、ハードボイルドにSF、スリラーとそのジャンルも多種多彩だ。
「ーああ、オヤジがビデオ鑑賞が趣味で集めてるんだ。こないだ友達が来たときにビデオ鑑賞会しようぜ〜ってなった時に、
何本かは見たかな…後は酔っぱらって寝ちゃったけど」
「へえ…」
清良はビデオテープの山にざっと目を通すと、一本のテープを手に取る。
タイトルは…『ローマの休日』。
「ーこれがいい!今からこれ見ようよ」
「え〜。そんな、女の子がパンツ脱がなさそうな作品はやだ」
「ー不朽の名作になんて罰当たりなこと言ってるのよ!この馬鹿馬鹿っ!!」
清良は龍太郎をバシィィン!と殴りつける。
「じゃあ、あんたはいったい何が見たいのよ!!」
「ん〜そうだなあ…。ーこれだ!!」
ごそごそと山をかき分けて龍太郎が取り出したのは…『タイタニック』。
「…………俗っぽ………」
「ーなんだと!お前、この感動のストーリーを見たことがあるのか!!」
「じゃあ、あんたは『ローマの休日』を見たことがある訳?」
「…いや、ないけど…」
「…私も…ないわ」
それから二人ともに黙り込み、それからお互い同時に口を開く。
「…じゃあ…」
「両方、見比べてみようか」
ジャンケンをして、先に見始めたのは『タイタニック』の方だった。
「…ねえ、この人達なんで船の舳先でこんなことしてるの?危ないじゃない」
「ー船に乗ったら誰しも一度はするという、永遠不滅のポーズに対しての感想がそれかよ…」
「この女優さん、なんだかかなり太くない?」
「オレのケイトになんてことを!アカデミー賞にもノミネートされてるんだぞ!!自分が胸が小さいからってひがむなよ!」
「むかっ!胸が小さいですって!」
「…車の中でするくらいなら、さっきヌードをスケッチしてたときにすれば良かったのに」
「…」
「ーわあ、すごい!人がたくさん落ちてる!これどうやって撮ってるんだろう」
「うるさい!!だまれ!」
「すごいよねー。この人。こんな暗闇の中で溺れてる彼女すぐに見つけて、なおかつ漂っている板まで見つけられたんだもの」
「ーおい!」
たまりかねて龍太郎は大声を出す。
「お前は映画を見てるのか?それともアラ探ししてるのか?」
「だって突っ込み所満載なんだもん」
平然と言ってのける清良に龍太郎は言い返す気力もない。
「ーまあ、演奏者達が最後まで船に残って皆のために演奏を続ける場面は良かったわよ。ー私でも同じ事するだろうな」
「そーだろ!!オレもそれをお前に見せたかったんだよ!」
「…」
「ーじゃあ、ま、次『ローマの休日』いってみるか」
ー映画終了後。
目に腕を押し当てておいおいと泣きじゃくる龍太郎の姿があった。
「ー何で、この二人別れなくちゃいけないんだよ〜」
「…別にそんなに感情移入しなくっても…」
「だって…だってさ〜」
目の前にあるテーブルに突っ伏す龍太郎。
清良は思わずその背中をよしよしと撫でてあげながら言う。
「まあ、どうしても身分違いっていうのはあるんじゃない?どう考えても一国の王女様と三流新聞記者とじゃ釣り合わないわ。
『タイタニック』でもそうだったでしょう。身分違いは悲恋で終わるようになってるのよ」
「…お前って案外シビアだな」
「あんたみたいに架空の世界にどっぷりはまり込んで無様に泣くよりはましよ。ーいけない!こんな時間!!」
清良は壁にかかっている時計を見上げて声をあげた。
「…どうしよう。もう終電なくなっちゃったわ…」
「いいじゃん、うちに泊まれば」
清良は思わず龍太郎の顔を見つめる。
ー何も邪心がないような顔をしているが、なんといっても彼だって男なのだからその真意は計り知れない。
清良はしばし考え込む。
…ルックスは悪くないし…性格だって(少々馬鹿だけど)正直なところは好ましい…といえないこともないかもしれない。
もちろん、これが演技で今日の彼の行動が全て下心ゆえの計算ずくのものだったということも充分に考えられる。
ーもしそうだとしても。
…別に…いいかな…とその時の清良は思った。
本当のとこを言うとオケのメンバーと関係を持つというのは清良の主義から言えば少々外れているが。
ー面倒くさくなったら別れちゃえばいいし!。
龍太郎は後を引いていつまでも付きまとうようなタイプには見えなかった。
「…じゃあ、そうするわ。泊まらせて。明日練習見てあげるから」
清良がゆっくりと言葉をためて答えると、龍太郎はにっこり笑った。
「そうか!ーじゃあ、今日は遅いからもう寝ような!(もう朝だし)お前そっちのベッド使えよ。オレはこっちの床で寝るから!」
「…は?」
龍太郎は傍らに置いてあったクッションを引き寄せると頭の下に敷いて、そのまま横になった。
ー直にがーがーといびきが聞こえ始める。
「ーちょっと…」
清良は気が抜けたように、すとんとベッドに腰を下ろして、龍太郎の寝顔を見つめる。
…変な男…。
別に期待をしていた訳じゃないが、こうもあっさりと無視されるとそれはそれでおもしろくない。
…私って…そんなに自分で思ってるほど魅力ないのかな〜。
清良はふうっとため息をついた。
目覚めたとき、清良は自分がどこにいるのかわからなかった。
顔は見たことがあるが名前の知らないロックスターのポスターが、天井から清良を見つめていた。
ーあ、そうだ。昨日はここに泊まったんだった…。
壁にかかった時計を見る。
ー12時半!。
今日のレッスンは13時からだ。
「大変!」
思わず清良が発した声に、龍太郎が反応してムニャムニャと起きる。
「…ん……清良、どうした…」
「どうしたもこうしたもないわよ!レッスンに遅れちゃうから、私行くね!」
「…?ーおい…待てよ!」
慌ててドタドタと階段を駆け下りる清良とその後を追う龍太郎。
「待てーっ!!」
「キャーッ!」
1階の裏軒店内にはちょうど来ていたらしい千秋や木村、その他にも客もいたが二人はそんなことは気にも留めない。
「泊まらせてやったら練習みてくれるって言ったじゃねーか!清良!!」
「寝坊したからそんな時間なくなっちゃったわよ!!」
あっけにとられる客達を尻目に店内を横切る。
「レッスン遅刻しちゃう〜!!」
「タダ飯!タダ泊!タダ肩もみ〜〜〜!!」
「わ〜うそつき清良〜〜」
龍太郎は走り去る清良を懸命に追いかけた。
続く。