「ーほら、この フレーズはもうちょっと的確に弓を動かして!」
「はい!」

清良の指示に龍太郎が元気よく張 り切って答える。
龍太郎は桃ヶ丘音大の練習室を利用して、約束した通り清良から個人レッスンを受けていた。
…な んで、こんなことしているんだろう。
清良は内心首を傾げる。
押売音楽コンクールの本線も間近に迫っているのだか ら、自分の練習で手一杯で人の指導なんてそんなことしてる余裕なんて
本当はない筈なのに。

「ー あ、また間違えた!」
「くわっ!」
「何度言ったらわかるのよ!そこはこの曲の中で一番重要な部分だって言ったで しょ!」
「…あの〜清良さん。もう2時間くらいぶっ通しなんですが…そろそろ休みませんか…」
「ー下手くそのく せに何甘えたこと言ってるのよ!」
「へっ…下手くそだあ!?」
「そーよ!。あんたはあのオケの中で一番下手くそ なんだから、少しでも練習しておかないと足手まといになるでしょ!!」
「ーお前、言うにことかいて足手まといとはなんだ!!」
「事 実なんだからしょうがないじゃない!」

二人でギャーギャー言い合っていると、自主練習しようと思ってやって来た 真澄が練習室のドアを開ける。
真澄はもみ合っている二人を見て、しばしの沈黙の後口を開く。

「… 二人とも、何をやっているの?」
「真澄〜!聞いてくれよ〜このくそ生意気な女がさ〜」
「…何?その言い方。べ・ つ・に、私はいつでも止めていいのよ、こんな個人レッスンなんて」
「ーすみませんでした!!オレが悪うございました!」

素 直に龍太郎は深々と頭を下げる。

「…別に…わかってればいいけど…」
「ーそんなことより も」

真澄は何を言ってるのかよくわからないと言ったような表情で、それでも口を挟む。

「千 秋様の容態、どうなのかしら…。私すごく心配なのよ」

千秋はこの間のオケの練習で指揮をしている途中いきなり倒 れ、救急車で病院に運ばれていた。

「悪性のノロウィルスだっていうし…代表者だけでもお見舞いに行った方がいい んじゃないかしら(もちろんワタシ)。
ミーハーな看護婦なんかにさせるくらいなら、私がオムツ替えて差し上げたい…」
「…」
「ー そ…それはともかく…そうね。私も気にはなっていたのよ。オケのメンバーが一人も顔を出さないってのもなんだし…」

清 良が心配そうに龍太郎を向く。

「ー私とかお見舞いに行った方がいいんじゃない?あんたは連絡とってるんでしょ う」
「あっ…あー、でも、まだ千秋は面会謝絶…そう、面会謝絶だったような気がするぞ!。うん。ほら、空気感染の恐れもあるし!」
「ー でも、ノロウィルスって空気感染の可能性低いんじゃなかったっけ?」
「…」

龍太郎は額にじ とりと汗を浮かべた。

「あー…きっと新種のウィルスなんだよ。二人の気持ちは千秋にオレから言っておくよ。ーえ 〜と、次はどこの小節からだっけ」
「もう一回、全部やり直し。最初から弾きなさい」

冷たく 言い放つ清良に、龍太郎の抗議の声が練習室に響き渡った。

「わ〜〜ん!!清良の鬼〜〜!!」





そ して数日後、千秋が退院してきてから初めてのオケの練習日が来た。

「ーもっと集中してやれよ!清良」

休 憩時間中に責めるような顔をしながらやって来た龍太郎に、思わず清良の表情はムッとする。
図星をつかれたせいだ。

「ー 集中してるわよ!」
「うそだね!」

負けず嫌いな性格の清良は自分に非があっても、それを素 直に認めることが出来ない。
そんな清良の気持ちを知ってか知らずしてか、龍太郎は追求の手をゆるめない。
彼女の 集中力のなさはコンクールを意識しすぎてオケがなおざりになっているせいなのだと言う。
清良は内心驚きを隠せない。

ー なんで…なんで、そんなことわかるのよ。
このオケのメンバーの中で他に誰一人としてそのことを指摘する人間はいないじゃない。

そ して龍太郎は全員に向かって言った。

「みんなもさーなんか気が入ってないってゆーか…これだったらあの音楽祭の 時の方がよかったんじゃねーの?」

龍太郎の言葉にメンバーはとまどったように顔を見合わせる。

「で も…今はまぁしょうがないんじゃないの?コンクール終わるまで」
「みんな将来がかかってるんだしねー」

や はり、優秀な学生である彼らはほとんどがコンクールの本線に残っている。
あまりにも有名なこのコンクールの結果は、音楽家としての今 後の人生を大きく左右する。
それは彼らの本音であろう、と清良は思った。

「ーオレだってこ のオケに将来をかけてンだよ!」

突然ぎゅっと拳を握りしめて龍太郎が言った。
えっと清良は 驚く。

「そんなー」
「プロオケじゃあるまいし…将来って…ねえ」

ハ ハハとオケ内から失笑されて、かっと来た龍太郎は思わず怒鳴った。

「ーじゃあ、みんなどーゆーつもりでこのオケ やってンだよ!!」

あまりにも真剣な龍太郎の剣幕にとまどいながら、何人かが答える。

「ー どうって…そりゃ…またあの音楽祭の時のよーなオケがやりたくて」
「うん、あの時すっごい刺激があったし」
「オー ケストラもおもしろいなーと思って」

と言ったのはソリスト志望の青年だろうか。

「そ れに…千秋くん。このメンバーで千秋くんとやれたらなんかすごいことができそうな気がして」

千秋が突然自分の名 前を出されてえっ…とした表情でこちらを見ているのがわかった。

「だろ?」

龍 太郎は大きく頷いた。

「プロにも負けないようなすごいことやってやろうって思ってンだよ、オレは!
み んなもそう思うだろ!?」

しんと静まりかえって誰も答えるものはいない。

「人 気が出て客がいつも来るようになれば金だって入るし、ずっと続けられるじゃん!
それはプロと一緒だよ!
オレはこ のオケならそうなれるっておもってるし、それが夢だ!
ー伝説じゃない永遠に続くオーケストラ!」

目 をキラキラと輝かせて熱弁をふるう龍太郎。

「…」

清良は何かを言おう として…出来なかった。
龍太郎のこのオケに対する情熱はよくわかるし、素晴らしい夢だとは思う。
だけどー。


「ー それはとてもいい夢だと思うけど、オレ来年はまたボストンに帰っちゃうよ?」

そう言ったのはチェロ奏者の菊池 亨。
彼もまた音楽祭に参加したメンバーで、将来を有望視されている青年だ。

「えっ!?」
「い ろいろ事情もあって(女関係?)今年はこっちでコンクール受けることにしたからこのオケもやってられるけど。
来年はちょっと…」

悪 気はないのだろうが、ハハハーごめんねと軽く笑って言う菊池に、龍太郎は返す言葉がない。

「オレも来年卒業した らドイツ行くし、まだまだ勉強しないと」
「オレはコンクールの結果次第だな」

菊池の発言を 受けて、他のメンバーも遠慮しがちに自分のこれからのことを語り出す。
清良も、しばらく言葉をためてから言った。

「… 私も…来年はウィーンに帰る予定よ。ー先生も帰るし」

龍太郎の顔が見られない。
視線を避け るようにして、清良は言葉を続ける。

「そりゃ…このオケですごいことしたいけど…将来の夢は向こうを拠点に世界 で活躍することだし…」

千秋くんだってそーでしょう当然、と話を千秋に振った清良が、逃げていなかったのかと言 えば嘘になる。
ただじっと自分を見つめる龍太郎の視線が怖かった。
ー別に、悪いことを言っている訳ではない。
だっ て、最初からわかっていたことでしょう?
このオーケストラのメンバーは、音楽祭にも参加していた優秀なメンバーがほとんどだ。
言っ てみれば、将来の日本のクラシック音楽祭を担う若者達である。
いずれほとんどが世界で活躍するために出て行くのは当然だし、そもそも このオーケストラ自体が期間限定として作られたものである筈だ。
清良自身もウィーン国立音大に在籍中で、たまたま師事しているカイ・ ドゥーンが桃ヶ丘音大で講師をするからという
理由で日本に一時的に帰って来ただけである。
カイ・ドゥーンが帰国 すれば、日本に留まっている意味などない。
ーだけど。

「ー第1楽章。とりあえず通しで」

千 秋が指揮棒を構え、練習が再開された。
清良はヴァイオリンを演奏しながら、そうっと龍太郎の方をうかがい見た。
龍 太郎は唇を噛みしめて俯いたまま、楽譜に向かっている。
ー清良は胸がきゅっと痛んだ。

ー 何、馬鹿なこと言ってるのよ。永遠に続くアマチュアオーケストラなんてある訳がないじゃない。
あんた、頭がおかしいんじゃないの?。

本 当はそう言ってやりたかった。
彼の世間知らずな物言いにビシッと一言、言ってやるつもりだった。


だ けど。


ーどうして甘ちゃんでただの絵空事でしかない彼の夢がこんなにも素晴らしく輝いて聞 こえるのだろう。

ーどうして音楽を目指す上で留学は当たり前だという自分達の言葉が、こんなにも冷たく聞こえる のだろう。

ーどうして彼の傷ついた表情を見るのがこんなにもつらいのだろう。


清 良にはわからなかった。








清 良は自宅の部屋のベッドの上で寝ころんでいた。
あれからいろいろと忙しくて、龍太郎の個人レッスンをしていない。
ち らっと携帯に目をやる。

「清良!昼ご飯食べないの!」

部屋のドアが ノックされ、外から母親が話しかけているのがわかる。

「ーいらない」
「…せっかく日本にい るっていうのに家にはいつかないし…皆と一緒にご飯も食べないし…あなたいったいどういう生活しているの?
この間、朝帰りした理由も 聞いてないわよ!」
「ーうるさいわね!ほっといてよ!」

清良が怒鳴りつけると、母親はしば らく何かをぶつぶつと言っていたが、そのうちにあきらめていなくなったらしい。
実を言うと清良はあまり母親とはうまくいっていなかっ た。
彼女は俗に言う教育ママであり、清良に小さい頃からずっとヴァイオリンを押しつけてきた。
本当は自由にもっ と遊びたかったのに無理矢理に教室に行かされて、自宅に帰ってきてからも深夜まで特訓が続けられた。
泣いてやめたいと訴えかけても絶 対に許してくれなかった。
ーもちろんそんな時代があるからこそ、今の自分があるのだという事実はわかってはいる。
… ただ、その事を素直に認めたくはなかった。
清良は、この年頃にしてはやけに仲の良い峰親子のことを思った。
ーあ いつってなんでもかんでも父親にしてもらってるわよね。ちょっとお父さん過保護すぎない!?。
そうは思いながらも、…少しだけ…うら やましいと思った。


ピリリリリ。


清 良の携帯電話が鳴る。
清良はガバッと飛び起きて、携帯の画面をくいいるように見る。
峰龍太郎という表示に急いで 通話ボタンを押した。

「もしもし!」
『あーオレ。龍太郎だけど』
「… 久しぶり」
『おう!。しばらくオケの練習もないしな〜。オレはずっと暇してるぜ』
「…そう…」
『お 前、調子はどうだよ。コンクールの練習ちゃんとしてるのか?』
「当たり前じゃない。今、最後の調整中よ」

ハ ハハと龍太郎は電話の向こう側で笑う。

『そっか〜。それならいいんだ。いや、ちょっと気になってさ〜。邪魔して 悪かったな!ーじゃあまた』

電話を切ろうとする龍太郎を、清良は慌てて呼び止める。

「… ちょ、ちょっと、待ってよ!」





「い やー、清良からメシに誘われるとは思わなかったな〜」

龍太郎は上機嫌で鼻歌なんぞを歌いながら街を歩いている。
あ れから、電話を切られる寸前に清良は「…暇だったら、ご飯でも食べに行かない?」と龍太郎に声を掛けた。
もちろん時間をもてあまして いる龍太郎に異存がある訳ではなく、二人はそれから最寄りの駅で待ち合わせをした。

「…別に…ただ、単に気分転 換したかったから…」
「ーそうか〜。てっきり清良はオレに会いたがってるんだーって思ってすっげえ嬉しかったんだけどな〜」

ハ ハハッと笑う龍太郎に清良は苦虫を噛みつぶしたような表情になる。
ー別に、黙っていてもそれとなく察してくれとは言わないが、少なく とももうちょっとデリカシーを持ってもらえないんだろうか。
同時にその気楽な言い方から龍太郎が自分がそういった対象として見られて いないのがわかり、清良は複雑な気持ちになる。

「ー何がいいかな〜。中華はいつも食べてるしな。ーおっ清良!こ こ!ここに入ろうぜ!」

そう言って龍太郎が指を差したのは…街の一角にあるゲームセンター。
昼 間だというのに店内にはカラフルな電気がつき、若者でごった返している。

「え…だって…ご飯は?」
「ま だそんなに腹減ってねえし。いいじゃんいいじゃん、ちょっとだけ!」

あいかわらず有無を言わせぬ強引さで、龍太 郎は清良の手をぐいぐいと引っ張って中に入った。





店 内に所狭しと並べられた多数のゲーム機の前には、学校帰りだろうか制服姿の学生の姿もある。
それぞれの機械がピコピコと耳ざわりな音 を出し、無数の音が混ざり合ってどれがどのゲーム機が出している音だかわからない。
それに、煙草の匂い…なのだろうか、空気も悪い。
ー 清良はこんなところは苦手だと思った。

「ーちょっと…早く出ましょうよ」
「待て待て、おっ メダルゲームだ」

龍太郎は一台のゲーム機の前に座り、清良にも横に座るように促した。
横に ついているメダル貸出機に千円札を入れるとチャリン…チャリン…とメダルがバケツ一杯にたまっていく。

「お前も しろよ、清良」
「…」

一枚ずつメダルを入れていったらガラスケースの中に落ち、たまったら 押されて出てくるというそれだけのゲームだ。
龍太郎は隣にいる清良の存在を忘れてしまったかのように、黙々とゲームに打ち込む。

「ね え…こんなことしてて楽しいの…?」

清良は夢中になっている龍太郎の横で呆れたように呟く。
こ んなゲームの何が楽しいのかが、さっぱりわからない。

「いや〜、これがなかなかはまるんだよ。ー見ろよ、清良。 ここの山もうちょっとで崩れそうだぜ!」
「このメダルっていっぱいたまったら何か景品とかがもらえるの?」
「い や?なんにももらえないぞ。その代わりこのゲームがずっとできるじゃん」

どうにもそのゲームのシステム自体の面 白さが理解出来ない。

「ーつまんない…」

あまりにも嫌な声をしていた のだろう、さすがの龍太郎も顔を向ける。

「…じゃ、次行こうか」





「きゃ 〜〜〜っっ!!ゾンビが来る!」
「ほら、何してるんだよ、清良!撃てっ!撃て!撃ちまくれ!!」

そ の次に二人が来たのは、ライフルで画面上のゾンビを撃つというゲーム。
ありとあらゆる所からゾンビが出現してくるのだが、それが結構 リアルで気持ち悪い。

「ーだって、全然当たらないじゃない!」
「ちゃんとねらって撃つんだ よ!ーほら、今度は右から来るぞ!!」
「きゃ〜〜〜!!来ないで、龍〜!!」
「…ゾンビはオレかよ…」




龍 太郎は水を得た魚のように店内をうひょうひょと歩き回ると、一台のUFOキャッチャーの前で足を止めた。

「これ しようぜ!」
「え〜〜〜」

清良はうんざりしたような声を出す。

「ま あまあいいから…まずは左右のボタンを押すんだ。パッと離したら止まるからそしたら前後のボタンを押す。
後は同じだ。タイミングが難 しいんだぞ!」

なんといっても龍太郎が清良に講義できるのはこれくらいしかないときたもんだ。

「… それはいいけど、なに、このぬいぐるみ」
「何?お前知らないの?リロ&スティッチのスティッチ」
「ー知らない。 なんだかこれ、あんまり可愛くないわよ」
「いいからいいから、じゃあやってみるぞ」

そう 言って龍太郎は100円玉を入れる。
ウィーンとクレーンが動き出し、龍太郎が狙っているぬいぐるみをアームがガッと掴んだ。
そ のまま上昇しダクトに向かって動き出したが…そのままポロッと落ちた。

「くわ〜〜〜!惜し〜〜〜!!」
「何 やってるのよ、替わりなさい!」

清良が龍太郎を押しのけるようにして機械に向かう。
ウィー ンと音がする。

「…やっぱり駄目だったじゃないか…」
「…」
「もっか い、オレにやらせろ!!」
「待って待って!今度は絶対に取るから!」
「わ〜順番だ!」




し ばらくして。
呆然と立つ龍太郎と清良の手には、やっとのことで手に入れたぬいぐるみがあった。

「… お金があっという間に消えていったわね…」
「…」
「これなら、最初からお金を出して買った方が安かったんじゃな い?」
「ーこれ、やる!」
「え…いらないわよ。お金をかけたわりにはなんだか安っぽいし…(どう見ても可愛くな い)」
「いいから、持っとけ!」

そう言って龍太郎は清良に無理矢理ぬいぐるみを押しつけ た。






「ー あ、プリクラがある!清良〜、プリクラ撮ろうぜ!」

そういって龍太郎は運良く誰も使用してない一台のプリクラ機 を見つけるとピンク色のカーテンの中に入った。
清良はため息をついて仕方なく中に入る。

「お い、清良、ここのカメラに視線合わせるんだぞ!はい、チーズ」
「…」

カシャ。カシャ。カ シャ。
何枚か続けざまに撮られ、しばらくして目の前の画面上に写真が映し出される。

「おー! 撮れてる撮れてる…なんだ、お前表情固いなあ」
「…だって…なんだかアホくさいじゃない。こんなところでにっこり笑ってポーズ撮るな んて」
「なんだよ、おい。ノリが悪いなあー。よし、オレがちょっと修正してやるよ」

そう言 いながら傍らの台上に置いてあったペンを取る。

「何?これ」
「んー、落書きツール。これで 写真にいろいろ書いたりイラストを貼り付けたり出来るんだ」

そう言いながら龍太郎は写真の清良に金髪のカツラを かぶせる。

「うぉーっ!かっこえーっ!!清良オスカルみたいだー!!」
「ちょっと、なにし てんのよ!」
「オスカルにはやっぱり薔薇だろう!」

そう言いながら背景にたくさん薔薇を飛 ばす。
それからペンで矢印を書き、清良←オスカル、龍太郎←アンドレと書き込む。

「どー だ!完璧だろう!」
「…」

清良は無言で龍太郎からペンを取り上げると、はげオヤジのカツラ を龍太郎の写真にかぶせた。
鼻の下を黒く塗りつぶしちょびひげを書く。
それからアンドレという文字に二重線をか いて消し、その上にバカと書いた。

「うわあ!何をやってるんだよ!」
「うるさいわねえ!あ んたなんかこうよ!」
「くそ〜鬼清良め…お前なんか鬼のつのをはやしてやる!」

そう言いな がら龍太郎は清良の頭から大きなつのを二本にょきっと生やした。

「あー!何書いてるのよ!じゃあ、あんたにだっ て…」

清良は赤い色をつかい龍太郎の左右のほっぺたにぐるぐる巻きを書く。
ついでに唇を赤 く塗り、青いスプレーでアイシャドウとする。

「何だよ!オレおかまみたいじゃねーか!」

そ れからは二人でペンを使って無言で応戦しあった。

 ←や〜い、ファザコンの泣き虫!(by 清良)
 ← うるさい!胸が小さいくせに!(by 龍太郎)
 ←この髪型なあに?ダッサ〜(by 清良)←なんだと!この素敵ヘアに向かって!(by 龍太郎)
 ←下手なんだからもっと練習しなさい!(by 清良)
 ← こいつのレッスン厳しすぎ!(by 龍太郎)

次々と写真を読み込み、二人で黙々と書き込み続ける。
画 面上はもはや子供の落書き帳のように、ぐしゃぐしゃになって収拾がつかなくなっている。
ーその時、龍太郎が大きくペンで文字を書い た。



 ←清良、好きだ!!



龍 太郎が清良の方を見て、ニッと笑った。
清良はいきなりの出来事に、口を大きく開けて顔を真っ赤にしたまま…動けない。
そ れから、何かを書こうとしてペンを取るとー。

ピピッと音がして画面が暗くなった。

「あ 〜時間終了だ。今までの奴全部印刷されるぞ」
「…」

しばらくして外の取り出し口からジーッ と音がしてプリントされる。
おそるおそるプリントされた一枚を手に取って見ると…書き込みだらけでごちゃごちゃとしていて訳がわから ない。

「どうする?はさみで半分こしとこうか」
「ーいらない」
「なん だよ〜せっかくのオレの愛の告白を〜!」
「あのねえ」

清良は龍太郎に向き直り、真っ直ぐに 目を見る。

「告白っていうのはちゃんと顔をみて言葉で言うものでしょう!」
「…」

龍 太郎は清良を見て、口を開き何かを言いかける。
ーしかし、そのまま視線をそらし、ぷいっと横を向いた。

「い や〜、それにしてもなんだかお腹が空いたなあ〜。何食べに行こうか」

そう言うと清良の手を取り、ずんずんと歩き 出す。

…まったく…肝心な所はごまかすんだから…。

それでもこちらに 背を向けた龍太郎の真っ赤になった耳の後ろとか繋がれた大きな手の温かさとかそういうことの
一つ一つが、じんわりと胸にしみいってき て…清良は幸せな気持ちになった。




「…で、結局 ハンバーガーな訳」

清良はため息をつきながらポテトを一つつまむ。
二人はすぐ近くにあった ハンバーガーショップに来て向かい合わせに座っていた。

「…しょうがないだろ…UFOキャッチャーで結構お金 使っちゃったんだから…」
「だから、奢ってくれなくてもいいって言ってるじゃない」
「やだ。女の子に払わせるな んてオレの沽券にかかわる」
「…結構…そういうこと…気にしてたんだ」

清良はセットのアイ スコーヒーを一口飲む。
なんだかしらないけど、さっきから喉がやたらと渇いていたので、安いコーヒーでもおいしい。

「ね え…」
「ん?」
「…こないだは…ごめんなさい」
「こないだって…なんかあったっけ?」

は て?と首を傾げる龍太郎。

「オーケストラの練習に、集中できなくて…」
「なんだ、そのこと か」

龍太郎ははぐっとハンバーガーにかぶりつくとそのままもぐもぐと口を動かす。

「ま 〜、しょうがないよな。みんなコンクールの本選控えてるし。オレもその辺の事情は理解してたつもりなんだけど、
なんだか一人で突っ 走っちゃって」
「…」
「ほら、オレにはあのオケしかないじゃん。みんなみたいに留学して勉強したいとか世界で通 用するプロになりたいとか
そういうのがないからさ〜」

ハハハっと笑う。
清 良はテーブルに視線を落としたまま龍太郎に呼びかけた。

「龍…」
「なんだ?」
「海 外へ留学しようって気はないの?」

龍太郎は驚いたように清良の顔を見る。

「… え?」
「…やっぱり音楽を続けるなら、海外で勉強した方がいいと思うの。せっかくここまでやって来てるんだから…
ー あなたがその気なら、私の師匠のカイ・ドゥーンに掛け合ってもいいわ」
「お、おい、ちょっと待てよ」

龍 太郎が慌てて止める。

「せっかくだけど、オレは日本を出る気はないよ」
「…え…」
「… 一応、オレはあの店の跡取り息子だし。もちろん、オヤジはオレの好きにすればいいって言ってくれるけど、
そういう訳にはいかないだろ う。オヤジを一人残してはいけないよ」

龍太郎はコーラをジュッと飲んだ。
もうあまり残って いなかったのか、空になった容器を上に上げて振る。
ザラザラっと氷の音がした。

「…そう やって…」

清良は俯いたまま呟いた。
それから、不意に顔を上げるとキッと龍太郎を睨み付け る。

「ーそうやって…お父さんを理由にしてるだけじゃないの?」
「…清良」
「ー 本当は自分に自信がなくて、世界に自分の力が通用するかどうかが怖くって逃げてるだけじゃないの?
男だったらもっと大きな夢を持って 世界に飛び出していきなさいよ!ーあんな」

清良は言ってはいけないと思った。
でもどうして も止まらなかった。

「ーあんなアマチュアオケを永遠に続くようなオーケストラにしたいなんて、そんな馬鹿みたい なことばっかり
言ってないで!!」
「…じゃあ、聞くけど」

龍太郎が ゆっくりと言葉を発する。
ーすごく冷たい、ぞっとするような声だった。

「お前は、オレが本 当に海外でやっていける才能があると思ってるのか?」
「ーえ?」
「オレはそのなんとかっていう師匠に指導を受け れるくらいのレベルに達してるのか」
「…」
「どーなんだ。清良」

清良 は答えにつまる。

「…それは…これからの努力しだいで…」
「努力か」

龍 太郎は鼻で笑った。

「いいか…清良。オレはお前や千秋のような才能に溢れた人間じゃないんだよ…。
努 力してもどうしてもたどり着けないところだってある。…それは自分でよくわかってる。
ーお前も言ってたじゃないか。
あ のオケの中で一番下手くそだって。
…当たり前だよな。他のメンバーに比べたら最初から目標としている所が違うんだから」
「龍…」
「ー だけどな…こんなオレにだってなけなしのプライドって奴はあるんだよ。
馬鹿とか言ってるんじゃねえよ!!」

バ ンッとテーブルに両手をついて龍太郎は立ち上がった。
清良がびくっと反応する。
そのまま龍太郎は踵を返すと、一 度も後ろを振り返らないまま店を出て行った。
後には青ざめた表情の清良だけが取り残された。




続 く。