おかしい。
龍太郎は首をひねる。
最 近、清良から電話が来ない。
こちらからかけても、着信拒否しているのか冷たく無機質な案内に切り替わるだけだ。
ー オレ、こないだ会ったとき、何かしたっけなー?。
この間は二人で待ち合わせて、食事をしてそのまま帰っただけだし…。
理 由がさっぱりわからない龍太郎であった。



外はもうすっかり暗くなって いた。
清良はレッスンを終えると、足早に自宅へ帰ろうと急いでいた。
ーふと、校門のところに誰かが立っているの が見える。
…龍太郎だ。


「ーよお」


龍 太郎は軽く手をあげる。
清良はそれには視線を向けることなく、カツカツと音を響かせて立ち去ろうとする。


「お い待てよ、清良」


強く腕をつかまれて龍太郎の方を無理矢理向かされる。


「… 最近、連絡しても通じないけど…何かあったのか?ーつうか、オレ、何かお前にした?」
「…」


清 良は無言のままである。


「ーおい、清良」
「………じゃない」


清 良は何かをぼそぼそと呟いた。
龍太郎は良く聞こえなくって、「へ?」と言いながら耳を近づける。


「あ んた…彼女いるんじゃない」
「はあ?なんのことだ?」
「ーとぼけないでよ。私、この間見たの。…あんたが女の子 に指輪をプレゼントしているところ…」
「あ…」


龍太郎は言葉につま る。


「あ、あれはだな…」
「ー別に、言い訳なんかしなくてもいいわ よ。…私達つき合ってる訳でもなんでもないんだし…」


だけど。


「… だけど、…あんたがあんな曖昧な態度とるから…」


好きだなんて言うから。
落 ち込んで子供のように泣いている自分をそっと慰めてくれたから。
優しく包み込むように抱いてくれたから。


「… だから…」


清良の目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちる。


「… こんなに…好きになっちゃったじゃない……」


いつの間にこんなに涙腺がもろくなったのだろ うかと思う。
留学してからもずっと歯をくいしばって一人で何もかもやってきて、涙など流したこともなかったのに。


「ー 清良」


清良は龍太郎に掴まれている片手を強く振り払った。


「ー もう、いいっ!…あんたなんか知らない!!」


清良はそのまま龍太郎に背を向けると、一度も 振り返ることなく全速力で走り去った。
後には、呆然とした表情の龍太郎がポツンと一人残されているだけだった。








清 良は部屋の中でベッドに膝を抱えて座り、ヘッドホンをつけて音楽を聴いていた。
龍太郎はあの後、結局清良の後を追っては来なかった。
そ の後、連絡もない。
ーと、いうことは…多分、そういうことなのだろう。
明日からはまた、新しいオーケストラの練 習が始まる。
コンクールが終わってからは初めての練習だ。
…そこで…また、龍太郎と顔を合わせなくてはならな い…。
清良は膝に顔を埋める。
ーやだな…。もう…顔を見たくないのに…。
その時、トントン と部屋がノックされて、ドアのノブが回されて母親が顔を出した。


「清良。ご飯食べない の?」
「…」


清良は俯いたまま、顔を上げようともしない。
母 親は、ふうとため息をついて、一枚の封書を取り出す。


「…そういえばあなたに手紙来てるか ら電話の所に置いてるわよって何度も言ったんだけど…あなた見向きもしないし。
はい。持ってきてあげたわよ」


そ ういって手紙を差し出す母親。
それでも清良は反応しない。


「峰龍太郎 くんって人からよ……清良のお友達?」
「えっ!?」


清良はがばっと顔 を上げる。








普 段、無愛想な娘のうろたえた姿に、母親は優しく笑った。


「…よく、わからないけど…この手 紙…とても、心がこもっているような気がするわ」
「えっ…」

「こんなに分厚くって…こんな に重たいんですもの。
宛名の字は不格好でお世辞にも上手いとは言えないけど……不思議ね。
触った時に、なんだか とても温かいような気がしたの」

「…」
「今は、携帯やメールがたくさん出回っているから、 手紙を書く人なんて珍しいけど…。
でも、字を書いて想いを伝えようとすることって、とっても大事なことだと思うの。
… 私もウィーンにいるあなたに向けて、たくさんの手紙を書いたでしょう」


そうだ。
母 親から、定期的に葉書や長い手紙が来ていた。
清良は、ざっと用件だけに目を通すと後はポイッとゴミ箱に捨てていたが。

母 親は微笑んで言った。


「手紙を書きながら、きっと清良はこんな母親からの手紙なんか受け 取っても、うざいとかなんとか言って、
ろくに見もしないだろうなー、こんなに書くのやめようかなっては実は思ってたの。
… でも、どうしてもやめられなかったな。
遠く離れた地で一人で頑張っているあなたは、どうしてるんだろうっていつも心配で気になって て…。
手紙を書くことで、少しでもあなたに遠くからパワーを送ってあげられたらいいなって思ってた」
「…」


じゃ あ、お腹が空いたらご飯を食べに来なさいねーと言って清良に手紙を渡し母親はドアを閉めた。

清良は母親が立ち 去ったドアをしばらくじっと眺めていたが、それから手元の手紙に目を落とした。
ずっしりと重くつまったその手紙は、母親の言うとおり 本当に温かいような気がした。
手紙の表には、筆ペンで書かれたみみずののたくったような宛名がある。
東京都 ×××−×××& times; ×××番地 三木清良様。
清良は注意深くゆっくりと封 を開けた。


『拝啓、清良元気か』


手 紙はそんな出だしで始まっていた。


『オレは元気だ。
 
ー ちゃんと、ヴァイオリンの練習もしてるぞ!。
お前が見てないからってってなまけてさぼったりしてないから安心しろ!。

ずっ とうだるように暑いなあ。
オレの部屋はクーラーがないから、夏場なんかもう地獄みたいだぜ。
今の時期はそうめん がうまいよなあ。
シャキンっと冷えた器にガラガラと氷とそうめんのっけて、ツルツルっとつゆにつけて食べる!
最 高だね!。
オヤジは本当は中華料理専門なんだけど、これがまたそうめんのつゆ作りがうまいんだ。
(オヤジの作る 料理はなんだって最高!だけど)
清良にも一度食べさせてやりたいよ。
薬味だってオレはあるだけ突っ込む主義だ よ。
ゆず、ごま、練り梅、ねぎ、もみじおろし、しょうが、のり、みょうが、青じそ、ちりめん、キムチ。
なんでも ござれだ。
清良はそうめんのおいしい作り方をしっているか?』

「…別にどうだっていい わよ…そんなこと」


手紙はその後2枚に渡り、おいしいそうめんの作り方についてえんえんと うんちくを語っていた。
はあっとため息をついて3枚目をめくる。


『そ ういえば最近映画も見てないよな〜。
オレは映画ならなんだって好きなんだが、中でも一番好きなのは【ロッキー】シリーズ!!
シ ルベスター・スタローン最高!
チャラ〜チャ〜チャラ〜チャ〜。
あのテーマ曲聞いただけでも血湧き肉躍るよなあ。
知っ てるか?
1976年のアカデミー作品賞に輝いた映画【ロッキー】は、当時無名だったシルベスタースタローンが書いた脚本を
自 分の主演で映像化した超貧乏作品だったんだぜ』

「…いや、だからそんなのどうでもいいって」


清 良は頭がズキズキしてきた。
その後何枚にも渡って、龍太郎のロッキーに関する熱い思いがえんえんと綴られる。
清 良はそれでもずっと我慢して読み進めていた。


『そういえば、オレ達のやってるオーケスト ラって名前がなくて不便だよなあ。
せっかく今度ヴェルトラウム・ホールみたいな大きい所で演奏会やるっつうのによ〜。
宣 伝だってしないといけないのに名前がないっつうのはまずいだろう。
そこで、オレとオヤジで最近寝ながら考えたんだ。

【ト ワイライト・ムーン・オーケストラ】

って名前はどうだろう』

「ー何そ れ…」

『いい名前だろう?どことなく幻想的で…切ない雰囲気のある』

「だ からなんであんた達がつけるのよ」

『でもなんかちょっと字面が寂しいような気がするんだよな〜。トワイライトと ムーンの間に♪マークをつける
ってのはどうだろう。【トワイライト♪ムーン】みたいな』

「い や、それ以前の問題だから」

『…駄目かな』

「駄目」

『駄 目ならしかたがないな…もうちょっといい奴考えるよ』

「もう考えなくてもいいから!」


清 良はため息をついて次のページをめくる。


『ーそういえばさあ。
昨日、 あまりにも暇だったから耳掃除してたんだよね。
そしたら!。
すっげえ大物が取れてさーっ!!
も う1cmくらいはあるんじゃないかっていうような奴。
捨てるのもったいないからティッシュにとって、大事にとってあるんだ。
今 度清良が来たらー』


清良は…読み続けて行くうちにぷるぷると震えだし…ついに我慢しきれな くなって爆発する。


「だあっっっ!!」


両 手を上げて手紙を後ろに放り投げる。
ひらひらとベッドに舞って落ちる何枚もの手紙。
清良は、はあはあと肩で息を する。


「何、くだらないことばっかり書いてるのよ!…まったく…あいつは…」


唇 を尖らせて、頭をくしゃくしゃとかき回す。
ふと、座っている手の脇に一枚の手紙が落ちているのに気づく。
清良は 少しためらった後…その紙を手に取った。


『ー追伸。

… この間は悪かった。
あの指輪はゲームセンターのUFOキャッチャーで取った、ただのおもちゃだ。
本当はお前にや ろうと思ってたんだけど…お前がそんなのと比べ物にならないような高そうな指輪してたから、
なんとなく渡せなくって、かといってオレ が持っとくのも変だし…友達にやろうと思って。

ー清良。

話がしたいん だ。

25日の土曜日、この間一緒に行った喫茶店で待ってる。

来るまで いつまでも待ってるから

峰龍太郎」


がばっと顔を 上げ、清良は時計を見た。
午後11時…。
確か、あそこの閉店は11時までだ!。
清良は慌て て、バックをひっつかむと部屋を出て、玄関に走り出す。
廊下で母親とすれ違った。


「ー 清良、こんな時間にどこに行くの?」
「ごめん!お母さん。私行かなきゃ!帰ってきてご飯食べる!!」

清 良は走り去りながら、振り向いて言った。

「もしかして友達連れて来るかもしれない!もう寝ててもいいから、一人 分多めに用意しといて!」






清 良が喫茶店に着いたのは12時を過ぎた頃だった。
もう店は明かりを落として真っ暗で、入り口には『本日の営業は終了いたしました』の 札がかかっていた。
近くに…人の気配はない。
ーさすがに…もう、いないわよね…。
清良はじ わっと涙がこみ上げて来そうになるのを必死でこらえた。

ーその時。

ポ ンっと清良の肩に手が置かれた。


「よっ清良」
「ー龍!!」


振 り向いた清良は驚きで目を見開く。


「…なんで…えっ…?ーでも…」
「い や〜。さっきまでずっと店の前で待ってたんだけどさ〜。目の前を歌丸師匠に似た人が通っていったんだよ。
すっげーっっ!!歌丸師匠 だーっ!!っと思ってしばらく後をつけていったら…。
ーただのハゲのおっさんだった」
「あ…あのね…」


… よりにもよってなんで歌丸師匠なのよ…。


「ーなんで、歌丸師匠がこんなとこ通ってるのよ」
「わ からんぞ。その辺の劇場で『笑天』の収録があって、その帰りかもしれないって思うじゃないか!」
「…あんたって…」


清 良はいっぺんに気が抜けてしまって、その場にへなへなと座り込んでしまった。
そんな清良に龍太郎は手を貸して、引っ張り起こしてやっ た。







「ー なんで、待ち合わせとか大事なことを、わざわざ手紙で書いて送ったりするのよ!。あやうく見逃す
ところだったじゃない!メールで送れ ばいいじゃない!!」
「あー。でもな〜。メールじゃ想いが伝わらないような気がしてさ〜」
「…」


も う答える気力もない。

ーそうだった…。こんな奴だったんだ…。

龍太郎 は、呆然とした清良の顔を見つめると、後ろのポケットに手を入れゴソゴソと何かを取り出す。


「ほ い」


そう言って差し出したのは…小さい箱。
清良は龍太郎の顔を思わず 見た。
それから、しばらくためらった後、そうっと箱を開ける。
中にはあの時の指輪が入っていた。
暗 闇の中ではその石の色はよくわからないが、…多分太陽を受けるとキラキラと赤く輝くのだろう。


「こ れ…あの子にあげたんじゃ…」


龍太郎はぽりぽりと後ろ頭を掻く。


「そ れがさー。あいつ、もらえないって言うんだよ」
「えっ…」
「ー初めての指輪は先輩からもらうって決めているん だってさ」
「先輩?」
「あいつの好きな男」
「…」
「ーおもちゃなんだ からそんなことどうだっていいだろって言ったら、『どうでもよくありまセン!。女の子に
とってはすっごく大事なことなんデスよ』って 笑って言うんだよ」
「…」
「ーだから…よくわかんねーけど…指輪っていうのがおもちゃだろうがなんだろうが…女 の子にとって大事な意味を
持つっていうんなら…オレはやっぱり世界中で一番好きな女の子にあげたいと思う。
ーだ からこれ、受け取ってくれよ」


もちろんあいつがもらってくれなかったからじゃねえぞ!と龍 太郎は深く念を押す。


「今回はこんなおもちゃだけど、次回はお金ためて、絶対にもっといい 奴買うから…」


それから龍太郎は清良をまっすぐに見て言った。


「好 きだ。清良」


清良は息を呑む。


「お 前はもしかしてオードリー・ヘプバーンの王女様で、オレはグレゴリー・ベックの三流新聞記者で、確かに
身分違い恋なのかもしれない。
で も、オレはきちんと気持ちを伝えたいと思う。
お前が、世界中で活躍している姿を遠くからでもずっと見守っていたいと思う」


そ う言うと龍太郎は深々と頭を下げた。
ぎゅっと目をつぶる。


「三木清良 さん。どうかオレとつきあってください。ーとりあえずは文通からお願いします!」


清良の反 応がない。
龍太郎は恐る恐る目を開けて清良の顔色をうかがう。


「ーも しかして…駄目?」


清良は泣き笑いのような表情をしていた。
そのまま きゅっと唇を結ぶと龍太郎に駆け寄り飛びついた。


「ーうわ!」


そ の勢いに押されて、龍太郎のからだがぐらっとする。


「ー駄目な訳、ないでしょ!…この…馬 鹿!!」


龍太郎は一瞬驚いたような表情を浮かべて、それからすぐににっこりと笑うと…背中 に手を回して清良を抱きしめた。
清良も、龍太郎の首に回した手にきゅっと力をいれた。


「龍…」
「… なんだ」
「…トワイライト♪ムーン・オーケストラっていうのは、却下だからね」


え 〜なんでだよ〜とぶつぶつ文句を言う恋人の胸の中で清良は幸せそうに笑った。







「せっ んぱ〜い!!」
「だあっ!くっつくんじゃねえ!暑いんだから!!」


数 日後、のだめと千秋はあいかわらずじゃれつきながら大学構内を歩いていた。
ふと、のだめが遠くに誰かと並んで歩いている見知った人物 を見つける。


「あ、先輩、峰くんデス」
「ーああ。隣にいるのは清良だ な」
「清良って…三木清良さんデスか」


二人は顔を見合わせて仲良く話 をしながら笑っていた。
のだめは清良の左手の指に、キラリと光る紅い石の指輪があることに気づく。


「ふ 〜〜〜ん、そういうことだったんデスか」
「?」
「ぷぷぷぷ。峰くんったら」
「ーなんだ?気 持ち悪いぞ、お前」


のだめは千秋の方を見ていたずらっぽい目で笑った。


「の だめもがんばらなくちゃいけないってことデス」
「はあ?」
「先輩はまだ知らなくっていいんデス!!」



ー ここにも現在進行形が一つ。





終 わり。