秋の
昼下がり
「…ですから、こうやるんです。」
の
だめは掌を僕の方に見せて前へ出した。
「リュカもやってください。」
僕は彼女の真似をして手を前へ出すと、彼女
は僕の掌にパチンと自分の掌を当てた。
秋も深まりつつある日曜日の昼下がり、僕とのだめは公
園の芝生の上にぺたりと座り込んでいた。黄色に染まったイチョウの葉が一面に広がり、ちょっとくすんだ芝分の上を鮮やかに彩る絨毯のようであった。
周りでは子供達の笑い声が響き、皆のんびりと休日を満喫していた。
「いいですか、のだめの歌に合わせてさっき
の通りにやってください。」
のだめは一生懸命に僕に「オチャラカ」という遊びを教えてくれている。日本の手遊び唄だという。
「子
供の頃、よく遊んでいたんですよ。」
子供って聞いてちょっとムッとした気分になる。
「子供の遊びなの?」
「そ
ういう訳ではありませんよ。大人でも遊びます。」
子供扱いにされたような気になって、ちょっと不機嫌な声になってしまった。
「じゃ
あ、チアキともするの?」
「センパイは相手にしてくれません。でも、峰くんはやってくれるんですけどね。」
ミネ
クン?初めて聞く名前。取り敢えずは一度くらいやってみてもいいかな?のだめも一生懸命だし…。
「じゃあ、行きますよ。おちゃらか、おちゃらか〜♪」
手
が合わさる度にパチン、パチンと鳴る。僕の手と彼女の手が合っては離れ、合っては離れ…。
「わかりましたか?もう一度やりましょ
う。」
機嫌よく彼女は笑った。
♪
♪
デートに誘ったのはこれで何回目だっけ?毎回、かわされてばかりなの
で、その気がないものだと思っていた。
今回だって駄目でもともとのつもりだった…。
「チアキ、またイタリアなの?」
「そですよ。先週から行ってます。」
「ふ
〜ん。じゃあ今週末は予定ないの?」
「そうですね。今週はなかったはずです。」
えっ?高鳴る胸を押さえるよう
に、声を落ち着かせて…。
「それなら、僕と日曜日遊ぼうよ。」
のだめは瞳をちょっと上に向けて、しばらく考えて
から口を開いた。
「いいですよ。日曜日、遊びましょう。」
もうその日以来、来るべき日の事を考えると、胸がときめいて落ち着かなく
なっていた。
日曜日の朝はいつもよりかなり早くに目が覚めて、何度もこれからの事を考えていた。午前中のミサだって気持ちが入らず
に、何もかもが上の空で…。
教会から急いで家に帰って、前日の夜に用意した服に着替えた。紅葉の並木道に馴染むようなブラウンやベージュのグラデーションに身を包む。いつもより
ちょっと大人…かな?そして、こんな日の為に用意してあった上質な革靴をクローゼットから取り出した。つい最近、父からプレゼントされたものだ。
待ち合わせの公園の門の前は、柔らかい陽射しに満ち溢れていた。
腕時計を確認する。約束の時間の30分も前に着いてしまった僕は、ぐ
るっと辺りを観察する。
肩寄せあって歩いているカップルとか、ベンチで口付けを交わすカップル…今まで普通の風景にしか感じられな
かった光景が、急に特別なものに見えてきてしまう。僕は少し頬が熱くなって俯いた。
「リュカ〜。お待たせしました。」
声
に気がついて顔を上げると、向こうの方から栗毛色を揺らして走ってくる姿が見えた。
光に照らされていたので余計に眩しく感じる。
「早
かったですね。のだめも早めに着いたつもりだったんですけど…。」
息を弾ませながら彼女は言った。
のだめは、少し青みかかったグレーのワンピースに黒いレースのカーディガン、足元はヒールの低いパンプスを履いていて、小ぶりの可愛らしいカバンを腕に掛
けていた。
「どですか?ちょっとお洒落にしてみたんですけど…。」
そう言って、フレアのスカート部分をふわりと
横に揺らした。
「うん、似合うよ。」
「ありがとうございます。リュカも今日は大人っぽくて、びっくりしました
よ。」
そう言って、のだめはにこっと笑った。僕は心の底から嬉しくなった。
それから、僕たちはサンドウィッチを買って公園のベンチで食べた。そして、ぶらりと公園を回りながら、見えてくる景色の話をした。それから、今日の朝の
話…デートってこういうものなのかな?僕たちもハタから見ると恋人同士に見えるのかな?そんな事を考えると、くすぐったいような気分になる。いつもみたい
に学校の話ではなくて『ふつう』の会話を楽しんでいる僕たち…。
のだめは周りの子供達を見ながら、小さな頃
の話をしてくれた。友達とイタズラした話や大怪我をした話を誇らしげに話していた。その時、公園で石蹴りをしていた子供達が目に入った。
「リュ
カもやってみましょうよ。」
「え〜、いやだよ。子供じゃないんだし…。」
僕の抗議の声に耳も貸さずに、彼女は子
供達に話しかけていった。交渉は成立したらしく、彼女は子供達と一緒に遊び始めた。僕は彼女のカバンを持ちながら、その様子を見守っていた。
どちらが子供なんだか…、呆れたようなため息をつきながらも、無邪気な彼女の笑顔に見とれていた。本当に、彼女はどこでも楽しそうにしているんだな〜って
思いながら…。
♪ ♪
「覚えましたか?」
のだめは僕の顔を覗き込む。
「う
ん、何となく…。」
「じゃあ、一緒に歌ってもう一回…。」
「あのさ、ちょっと寒くなってきたような気がするんだ
けど…。」
気がつけば、もう陽は傾きかけているし、風も冷たくなってきている。
「そうですね。そう言えば、寒く
なってきましたね。」
彼女は身体を縮こませた。
「カフェでお茶しようよ。」
僕は彼女の手首
を握り、そのまま手を繋いだ。
「は、はい、そうしますか。」
彼女は少し驚いた顔をしたけど、すぐに笑顔になっ
た。
何となく、お腹の辺りがふわふわと暖かくなった。握り締めた彼女の手が軽く握り返してくれている。そんな
ささやかな事が僕はとっても嬉しかった。
カフェで暖
かいカフェオレを飲みながら、一番星が出るまでおしゃべりをしていた。
そして、すっかり日が暮れて星が瞬き始めた空の下、家路に向か
う為に一緒に歩いた。
「今日は楽しかったですね。」
ちょっと先を歩くのだめはそう言って、僕の方へ振り返った。
「う
ん。」
僕もそう応えた。
そろそろ別々の道への分かれ道に差し掛かる。
「また、
明日ですね。学校で会いましょうね。」
のだめは立ち止まると、僕の目を見てそう言った。
「のだめ、これ…。」
僕
は後ろに隠した右手を彼女の前に差し出した。
さっき、道端で買った小さなブーケ。今日一日の感謝の意味を込めて、プレゼント…。
「あ
りがとうございます。」
彼女は本当に嬉しそうに笑って、それを受け取った。
「じゃあ、また明日。」
「は
い、また明日ですね。」
僕は彼女の肩にそっと手を置いて、頬をくっつけた。温かで柔らかで…。
そして、優しく頬に唇をあてた…。僕の気持ちを少しだけ乗せて…。
顔を離していく瞬間、僕は彼女の顔を見た。暗くて
はっきりとは見えないけど、顔を赤らめている…そんな気がした。そう言う僕も、顔は真っ赤なはず…。
「じゃあね。おやすみ、のだめ。」
「はい、リュカ、おや
すみなさい。」
最後は少しはにかんだ笑顔でお互い挨拶を交わし、お互いの家路へと向かい別々に歩き出した。
☆
☆ ☆
お
まけの黒木くん
それはまったくの偶然だった。
日曜日、新しい
楽譜を買いに出かけた帰りに、偶然見かけた見慣れた二人。
暖かな秋晴れの陽気の中を、仲良さそうに歩いていた。
…
そうか、千秋くんは今イタリアだっけ…
リュカ、念願かなったんだな。少し照れているような、それでいて嬉しさが込み上げている彼の笑
顔を見ていると、よっぽどの事なんだな〜って思う。
こうやって眺めていると、普通のカップルに見える…かな?
まあ、仲の良い姉弟にも見えてしまうけど…。
学校じゃないこんな場所で二人並んで歩いている姿は、なんか、かわいいな〜って思う。
それにしても若いといっても、さすがパリジャン。女性のエスコートはちゃんと出来ている。千秋君も欧州育ちだけあって、スマートにこなすのだが(僕はよく
感心してしまう)、リュカも一人前だ。日本人ではまずこんな風にはできないんだろうな…。
つい僕はふたりを目
で追っていた。しかし…
「『彼』がこの光景を見たらどう思うかな?」
僕は彼が眉間に皺を寄せている姿をくっきりと思い浮かべてしまうと、笑ってしまった。
まあ、今日のこの光景は僕の胸にしまっておこ
う。そう思いながら、その場を後にして歩き始めた。
♪ ♪ ♪
って、黒木くんが隠していても、のだめちゃんが、さらっと言っちゃいそうなんですけ
どね…^^。