…… せんぱい。


せんぱい。


先 輩ったら。ちゃんと聞いてますか?。




なんだよ。 聞こえてるよ。




どうして、のだめがこんな風に小 さくなったか知ってますか?。




……そういえば、 聞いたことないな……。




のだめ。

い つもいつも、どんな時も。

先輩と一緒にいたくていたくて。


神 様に一生懸命にお願いしたんデスよ。

そうしたら、白いヒゲを生やしたおじいさんが出てきて、のだめにこう言った んデス。




お前の望みを叶えてやろう。



た だし、期限内に、お前が愛する者の心をとらえることが出来なかった時には、お前はこの世から消えてしまう。



そ れでもいいか?。





のだめ、 ハイって言いました。




そしたらそのおじいさんは 杖のようなものをエイっとのだめの上に振りかざしてこう言いました。



お 前の望みは叶えられた。



このことは絶対に誰にもしゃべってはなら ぬ……。




ね、不思議でしょう。





………………………。




……っ ていうか、お前、それを俺にもうしゃべってるじゃん。




………………………。



ムッ キャーーーーーーッ!!

先輩、どうしましょう、どうしましょう!!。



知 るか。ただの夢だろうが。アホらしい……。










そ こで俺は目が覚めた。
窓の外に流れる景色が、ここが車中であることを物語っていた。



な んだったんだろう。

今の夢は。

いつだったか……ミニのだめとしたアホ な会話をどうやら夢で見ていたらしい。


イタリアでの客演旅行を終え、フランスに戻るために 特急に乗り込んだところで眠ってしまっていたらしい。

いつもなら、のだめはなんだかよくわからないけれども不思 議な力で小さくなって、俺の胸ポケットに当然のようにすっぽりと入って
どんな国に行こうがついて来ていたのだが、今回は違った。
あ のドジめ。
時間を間違えたらしい。
どんなに待っても待ち合わせの時間に来ないものだから、気にはなったが仕事な のでキャンセルする訳にもいかず、そのまま(特急で)イタリアに旅立った。

妙な電話がかかってきたのはその日の 夜だった。
携帯の表示はのだめだった。
俺は飛びつくようにして携帯を取って耳に押し当てた。

「ア ロー、のだめか?」
『………』
「……のだめだろ?」
『アロー、先輩、のだめデス』
「の だめ、俺はもうイタリアに着いたぞ。お前いったいどうしたんだ。携帯にも全く出ないし」
『先輩、のだめデスよ〜』
「い や、それはわかってるから」
『先輩、今どこにいるんデスか?』
「……イタリアだって今言っただろうが」

ど うにも会話が噛み合わない。
テンポがずれている。
怒鳴りつけたくなるのをぐっと堪えながら、よくよく話を聞いて みると、なんとのだめは今、小さいサイズになっているらしい。
携帯電話の受話部と通話部を小さな身体で行ったり来たりしているので、 どうも会話が掴めないらしいのだ。
……じゃあ、今日、俺との待ち合わせ時間にはもうミニサイズでいたっていうのか?。
俺 がいないのに?
あんな路頭で?
とんでもない事実に思わず顔が青ざめていると、のだめはのほほんとした声で言っ た。

『それがデスね〜。運がいいことに、のだめがどうしようかと泣きそうになってたらちょうどそこにリュカが通 りかかったんデスよ!』
「……リュカって……あのガキか?」
『ガキで悪かったね』

受 話器の向こう側の声が変わった。

『千秋?リュカだけど』
「……どうも……」
『の だめに話させてたらいつまでたっても終わらなさそうだから、僕が用件を手短に言うね』
「へ?」
『なんだか、のだ めは10日間くらい身体が元に戻らないらしいから、その間僕が預かることにしたから』
「お、おい!」
『大丈夫。 ちゃんと面倒見るから』
「そうじゃなくて!」
『じゃあね』

ツー、 ツー、ツー。

電話が切れた。

「くそっっ!!」

俺 は思わず携帯を床に叩きつけた。





そ れから10日間。
のだめの携帯を何度も鳴らすものの、電源が切られているのか全然つながらない。
俺は悶々とした 気持ちでどうにかこうにか客演を終え、打ち上げもそこそこにその足で特急に飛び乗った。
……本当は飛行機で……とも思ったが、のだめ がいない今、一人きりで飛行機に乗れる自信がなかった。
長い車中でも考えるのは……のだめのこと。

あ の、リュカというガキ。
どうやらのだめのことが好きらしいじゃないか(のだめは気づいてないが)。
そんな奴の所 に小さい姿のままいるなんて……。

いったい何をされるかわかったもんじゃない。

待 てよ。

……そういえば、のだめは1日に2時間だけ元のサイズに戻れるんだったな。

も しあいつが夜中にベッドの横で無防備に横たわってる等身大ののだめの寝姿を見たら……。

「ぐわあああ あっっっ!!」

俺は頭を掻きむしった。
乗り合わせた周囲の乗客は、変人を見るような目つき で俺に一斉に注目をする。
周囲の冷たい視線が気になって、思わず身を縮めながらも、何故か不安が胸をよぎる。



そ う。


なんだってあんな夢を見たんだ。




あ んなの、いつものあいつのホラ話に決まってるじゃないか。


でも何故だかわからないが…… さっきから胸の鼓動が収まらない。





あ いつがどこか遠くへ行ってしまうんじゃないか。



もう二度と会うことが 出来ないんじゃないか。





そ んな不安が胸から離れなかった。






パ リの駅に着いた頃、携帯が鳴った。
たくさんの乗客が行き交うざわめきの中、着信画面を見るとのだめだった。

「の だめか!!」
『……千秋……』

この間と同じくリュカの声がした。

「…… なんだ、お前か……。のだめを出せ」
『千秋……。落ち着いて、よく聞いて。……のだめが大変なんだ!!』
「!!」






の だめが教会の祭壇から落ちて、さっきからピクリとも動かないんだ。





タ クシーの運転手が釣りを渡そうをするのも構わずに俺は車から飛び降りた。

夜の暗闇に包まれ燦然とそびえ立ってい る教会の正面の扉への小道を全力で走る。
足下でジャッジャッと小石が鳴った。

扉をバンッと 大きく開け放ち聖堂の中へ駆け込む。
ゴシック様式の教会堂は尖頭アーチの高い天井。
もし昼間であれば一面のステ ンドグラスから神秘的な光が満ちあふれていたであろう。
無数に並んだ椅子の一番奥に祭壇があり、そこだけが何か神聖な空間であるかの ように淡い光が灯っていた。

そこには一人の少年が立っていた。

俺は息 を切らせながら彼の元に駆け寄ると、声をかけた。

「リュカ……のだめは……」

リュ カはゆっくりと振り返った。
そして、その両手に包まれるようにして乗っていたものに俺は目を見張った。


の だめだった。


「の……」


お 前、身体は大丈夫なのか。

高いところから落ちて怪我をしたんじゃないのか。


言 おうと思っていたことが声にならなかった。


ミニのだめは何故か純白のウェディングドレスを 着て……はにかむように微笑んでいた。
ふわっとした柔らかな白いレースがふんわりと広がるプリンセスラインのドレス。
淡 い光に照らし出されて、白いベールに包まれたのだめはどこか絵本の世界から抜け出して来たお姫様のようだった。


「…… はい」

リュカがむすっとした顔で差し出すものだから、思わずドレス姿ののだめをそっと受け取る。
俺 の掌の上で、のだめはキラキラと輝く瞳で俺を見上げていた。

リュカは相変わらず口をへの字に歪めて不機嫌さを隠 そうともしないで、それでも、こほっと咳払いを一つした。


「千秋真一。汝は野田恵を生涯の 妻と定め、その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、
 これを愛し、これを 敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

「…………へ?」


いっ たい……こいつは何を言ってるんだ。

何の話をしてるんだ……。

これ じゃ……これじゃ……まるで……。


お前らガキのごっこ遊びにつき合うほど俺はヒマじゃね え!!


……と思わず口にしかかるもその言葉は出てこずに、代わりに口について出てきたの は……何故か、別の言葉だった。


「……誓います」


リュ カは今度はのだめに向き直ると言った。


「野田恵。汝は千秋真一を生涯の夫と定め、その健や かなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、
 これを愛し、これを敬い、これを慰め、 これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

「ハイ。誓いマス!」

の だめは……嬉しそうな顔で答えた。
すると、リュカはもうこれ以上にないくらい不機嫌そうな顔をしてものすごく嫌そうに言った。


「じゃ あ、誓いのキスを」


俺はのだめを見つめた。
透明なその瞳にふらふらと 吸い寄せられるように……まるで夢に浮かされたかのように俺はそっとのだめの乗った掌を顔に近づけた。

唇に…… 何か柔らかい小さいものがちょこんと触れた。



「先輩……」



初 めてのだめが口を開いた。

のだめの瞳が今にもこぼれ落ちそうなくらい潤んでいるのがわかる。



「先 輩……のだめ、幸せです。」



その瞬間、ぽろっと真珠のような涙が落ち た。
後から後から溢れ出すように涙は止まらなかった。



「先 輩に会えて……ずっとずっと一緒にいれて……のだめ、本当に幸せでした」



ぼ ろぼろと真珠の涙を惜しげもなく流しながら、のだめはふわっと幸せそうに笑った。

その泣き笑いの表情を、俺は、 今まで見た中で一番綺麗だと思った。



「本当に……本当に……ありがと うございました……」




次の瞬間。




の だめはふっと崩れ落ちた。


まるで今まで持ちこたえていたものが、ガラガラと崩れ落ちてしま うみたいに……。





「のだ めっ!!」




俺は叫んだ。
















「……… は、………は、………腹が痛かっただーーーーっっ!!!」

こめかみに青筋をたてて怒鳴りつける俺を気にもせず に、のだめはようやく腹痛が落ち着いたのか、ほうっとため息をついた。

「はうう……お腹痛かったデス……」
「だ から言っただろ。あれは食べ過ぎだって」

リュカが呆れたようにため息をつく。

「だっ て、ホールサイズのケーキ食べ切れたら、ショーウィンドウに飾ってある人形のウェディングドレス買ってくれるって言ったのリュカじゃないデスか」
「あ…… あれは、まさか……本当にのだめが食べきれると思わなかったから……」
「食べた時は楽勝だったんデスよ。だけどお腹がパンパンでドレ スがきつすぎて、よろよろしてたら祭壇から落っこちちゃったんデスよね〜」
「あの時は本当にびっくりしたよ。のだめ本当に死んじゃっ たかと思ったもの」
「………………」



もう、呆れ て言葉も出ない。

なんなんだ、こいつら。

………ていうか、もう疲れ た。



俺がぐったりとして椅子に寄りかかっていると、元気になったのだ めがぴょんっと膝に飛び乗った。

「でも、まさか、先輩が結婚式ごっこにのってくれるとは思っていませんでし た……。はうう……先輩の『誓います』って台詞が耳から離れまセン……」
「……言うな……頼むから、忘れてくれ……」



な んだか魔法にでもかかっていたとしか思えない。



「……じゃあ、千秋も 帰ってきたことだし、僕は家に帰るね」

リュカが鞄を持つと椅子から立ち上がった。

「ハ イ!。リュカ、10日間どうもお世話になりました!。また学校で会いましょうネ!!」
「うん……」

リュ カはぐったりと疲れ切った顔で答えた。
当たり前だろう。
好きな女の茶番劇につき合わされたのだ。
一 瞬、こいつに同情の念が沸いたのもつかの間、リュカはギロリと俺を睨んだ。

「じゃあ、千秋。
  僕ものだめが小さくなるっていう秘密は知ってしまったことだし。
 い・つ・で・も、小さいのだめの世話はするから、遠慮無く言ってよ ね」



……まったくこいつはしぶといな……。







帰 り道、いつものように俺の胸ポケットにすっぽりと収まったのだめは、ぬくぬく幸せそうな顔をしながら、ふと気が付いたように言った。


「先 輩……」
「ん?」

「もし……白髭のおじいさんの言った通りに……のだめがこの世から消えて しまったら……どうしますか……」

「………」


俺 ははあっと息を吐いた。
キンと冷え切った空気の中では吐いた息が白く曇る。


「お 前は消えないよ」

「………先輩?」

「……お前は……もうすでに……俺 の心をとらえてしまってるだろ?」


胸ポケットの中ののだめがすくっと立ち上がった。

「先 輩、それって……それって……」

「………」

「……先輩は……のだめの ことが……」

「………」

「先輩、何、黙ってるんデスか?……なんだか 顔が赤くなってまセン?」

「うるせえっっ!!」




ぎゃ あぎゃあ言いながら二人で帰る夜道は、凍り付くような寒さなのに何故かほのかに暖かかった。






終 わり。








追 記。


「そういえば、お前リュカの家にいた時、2時間、元のサイズに戻ってる間はどうしてた んだ?」
「あ、ハイ。リュカは寝相がいいので一緒にベッドに寝てたんデスけど……」
「なっ……」
「の だめが夜中に隣で大きくなっても、小さくなってもリュカはぐっすり眠っていて気が付きませんでした!!」
「………」


……… 哀れな奴。