ハンバーガー
注:○○○の中には自分
の名前をお入れください。
携帯がアラームを打つ
前にピッとボタンを押して止める。
実はさっきから起きていた。
寒いしなんとなく面倒くさくてベッドの中でもぞも
ぞしていたかっただけだ。
ふうっと息を吸い込むとはずみをつけてベッドの上に起きあがる。
また新しい朝の始まり
だ。
朝ご飯の用意を済ませると、きちんとテーブルについて手を合わせる。
昔からの習慣で朝
ご飯はしっかりと食べる。。
今日の朝食メニューは、玄米ごはん、大根とえのきのおみそ汁、納豆。
あじの開きでも
つけたいところだけど、ここはパリだしあまり贅沢はいえない。
お米の御飯が毎日食べられるだけでも感謝しないと。
御
飯を食べたらコートを着てマフラーを巻き付けて外に出る。
風がびゅうっと冷たい。
昨日の晩はノエルなので、まだ
祭りの後のようなけだるさが街全体に残っている。
私は留学したてなので友達もいないし、クリスチャンでもないので
な
んとなく昨日は一人でわびしく過ごしてしまった。
その辺が私の弾くピアノにも現れている「積極性のなさ」っていうことなのかな。
私
の名前は「○○○」。
パリのコンセルヴァトワールのピアノ科の日本人留学生。
当たり前なんだけど、右も左も外国
人…。
あまり社交的じゃないから、パリに住みはじめてから半年が過ぎようというのにまだ友達がいない。
でも、そ
んな私によく話しかけてきてくれる少年がいる。
リュカ・ボドリーっていう男の子で12,3歳くらい?。
その年で
コンセルヴァトワールに入学できるくらいだからかなりの才能を持っているらしい。
天才少年と思いきや、案外屈託の無い子で私の姿を見
つけると遠くからでも駆け寄ってきてにこにこと話しかけてくれる。
日本人が好きなの?と聞いてみたら、うん、日本人の友達がいるん
だって笑って答えてた。
その笑顔を見るたびにほこほこって胸の中があったかくなるような気がする。
だ
けど、今日のリュカはいつもと違っていた。
ピアノの担当教諭が同じだから授業の時はよく顔を見かけるんだけど…なんだか表情が暗い。
ど
んよりとしていて少し目が赤い。
なんだか泣き疲れた次の日の顔みたいだ。
「リュカ、おはよ
う」
私が声をかけるとリュカはうつろな目つきでこちらを見る。
「あ
あ…○○○、おはよう」
「なんだか元気ないね…どうかしたの?」
「………。ーううん、なんでもない」
か
ぶりを振って否定するけど、やっぱり声にも覇気がない。
どうしたんだろう。
すごく気になる。
そ
う思って悶々としていたら、昼休みに学校内のカフェで偶然リュカの姿を見かけた。
声をかけようと近くに寄ったら、先にリュカに話しか
けた人がいた。
「リュカ!。昨日はごちそうさま」
「ヤス…」
ヤ
スと呼ばれた人は、黒髪の東洋人だった。
すっきりとした顔立ちをしていてそれでいて芯の強そうな…まるで日本の武士みたいな人だ。
「大
丈夫?」
「ー大丈夫って、何が?」
「……何がって……」
「ー別に、ヤスに心配してもらうこ
とじゃないよ!!」
そう怒鳴ると、リュカは口をぎゅっと結んでばたばたと走り去ってしまった。
ヤ
スという人は後ろ姿を見送りながらぽりぽりと後ろ頭を掻く。
「ーよっぽど、ショックだったんだろうな…」
ー
あれ?
今の独り言、日本語じゃなかった?。
じゃあこの人は日本人?。
そう思ったらいても
たってもいられなくて、気がつくと私にしては珍しく自分から話しかけていた。
「ーあの…こんにちは」
急
に後ろから日本語で話しかけられたせいか、その人はびっくりした顔で振り向いた。
「…こんにちは…。君、日本
人?」
「あ、はい。ピアノ科の○○○っていいます。リュカと同じ担当教諭の…」
「ああ、そうなの」
そ
の人は納得したようににっこりと笑った。
笑うと印象が変わるんだ…爽やかでちょっといい感じかも…。
「僕
はオーボエ科の黒木泰則っていいます。ピアノ科っていったら野田恵ちゃんと一緒だね」
「あ、野田さん知ってます」
日
本人同士でありながら、話をしたことはないけれど、いつもリュカと一緒にいるところは見かける。
可愛くて元気で明るくて…私とは正反
対の人。
「あの…リュカ、どうかしたんですか?…なんだか…元気がないみたいだから…」
思
い切って気になることを聞いてみることにした。
「あー…その…リュカはその…なんていったらいいのかな…。昨
日、ちょっとショックな出来事があって…」
「昨日ってノエルの日に?」
「うん…」
黒
木くんという人はあまり多くを語らなかった。
私もそれ以上は深く追求が出来なくて…次の授業の時間になったのでそのまま別れてしまっ
た。
でも、別れ際に「同じ日本人同士、今度室内楽とかで一緒になれればいいね」と言われたのがすごく嬉しかった。
も
ちろん、社交辞令かもしれないけど。
ーなんてったって日本人だからなあ。
授
業が終わり、帰ろうと思って学校の入り口をでようとした時、またリュカにばったり会った。
目の腫れはいくらかひいたものの、まだ口を
への字に結んで複雑な表情をしている。
「○○○。……今日、ヒマ?」
「あー、うん。バイト
もないけど」
「だったらその辺でお茶でもしない?」
いくら子供とはいえ、こんなふうにさり
げなく女性をお茶に誘えるのはやはりフランス人だなあ…と感心してしまった。
行ったところはマクドナルドだったけど。
な
んとなく小腹が空いてたので、フィッシュバーガーを食べながら目の前のリュカをちらっと見る。
さっきからずっと俯いたままテーブルに
置かれたチーズバーガーにも見向きもしない。
私はため息をついて話しかける。
「リュカ……
どうしたの?」
リュカが私の声に反応して顔を上げる。
その拍子に、大きな青い瞳からぽろぽ
ろと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「ひ……ひっく……のだ…、のだめが……」
「のだめ…野田さ
ん?彼女がどうしたの?」
しゃくり上げながら途切れ途切れに話すリュカの話を要約するとこういうことらしい。
リュ
カはどうやらのだめー野田恵さんに、ずっと淡い恋心のようなものを抱いていたようだ。
昨日のノエル、教会の劇に欠員が出来たのをチャ
ンスとばかりに代役を頼んだ。
劇は大成功のうちに幕を閉じたらしい。
その後でひそかにリュカは野田さんを自宅に
招待しようと思っていたそうだ。
そしてあわよくばツリーの下で告白…などと考えていたようだ。
ところがその誘い
はあっさりと断られ、リュカは秒殺される。
「う……う……それで、のだめったら……ひく……会いたい人がい
る……って……」
まあそうだろうと思う。
こちらでは家族と過ごすのが通例だが、日本ではク
リスマスというのは恋人達の一大イベントだ。
それにリュカはかなり誤解しているようだけど、野田さんはリュカより…かなり年上じゃな
かったかなあ。
あんなに可愛いんだから恋人くらいいるだろう。
「…ヤスに……聞いたら、若
手の指揮者だって……。うっうっ…そんな、先もわからないような男選ばなくっても……。
シュトレーゼマンとかじゃあるまいし…。あの
世界でやっていくのは…すごく大変なんだよ……」
リュカはこんな風に時々オヤジくさいことを言う。
「ひ、
ひっく……それにひきかえ、ボクは才能豊かだしさ……親や学校の先生からも絶対にこの子は一流の
ピアニストになるって言われてるの
に……ううっ」
耐えきれなくなったのかリュカはテーブルに打っ伏してわんわん泣き出した。
私
は顔をしかめる。
昔から子供に泣かれるのは苦手だ。
好きな男の子ならなおさらだ。
私はもう
一度ため息をついて立ち上がると、カウンターへ行きダブルバーガーとテリヤキバーガーとチキンバーガーと
ポテトとアップルパイと…思
いつく限りのありとあらゆるものを注文した。
山盛りになったトレイを抱えて席に戻る私を、リュカが涙を拭うことも忘れてぽかんとした
表情で見る。
「○○○。……それ、全部食べるの?」
「何言ってるの。食べるのはあなたよ、
リュカ」
私はリュカの目の前にトレイをどんっと置くと言った。
「ーそ
んなふうに泣いているヒマがあったら、もっとたくさん食べて早く大きくなりなさい。
手だってもっと大きくならないと、弾ける曲が限定
されちゃうでしょう?
早く成長して、大きな手でピアノを奏でる一流のピアニストにならないと、その若手指揮者とやらには一生かかって
も追いつけないわよ」
一気にまくしたてた。
こんなにはっきりと自分の意見を言ったのは…パ
リに来てから初めてかもしれない。
リュカは普段おとなしい私がきっぱりとした口調で言うので、すごく驚いたみたいだ。
し
ばらく黙っていたが、やがてハンバーガーを一つ手に取ると包みを開いてパクッと一口かぶりついた。
一口食べては涙を片手で拭い、一口
食べては鼻をすすった。
そうして3つくらい食べあげた頃だろうか。
「ーダメだ…もうお腹
いっぱい…もう何も入らない」
と言って少しだけ笑った。
終
わり。