保護者の責任





千 秋真一は悩んでいた。

大学の構内のベンチで、譜面を片手にコーヒーを飲む。
千秋の指揮する Sオケは、この間の初公演でとりあえずの成功を収め、
未定ではあるが次の公演へ向けて、新しい曲にとりかかっていた。
と ころが。
オケのメンバーとの波長が合わない。


「なにやっているんだ! お前ら!」

千秋は相変わらず怒鳴っていた。
この日はかなり蒸し暑く、クーラーも入らない練 習室にいるだけでじっとりと汗ばんでくる。
多分そういった、いらつきもあったのだろう。

「ー まったく…やる気あるのか?この落ちこぼれども!」
「…そっそういう言い方は…ないんじゃない…かな…」

ポ ツリとつぶやいたのはホルン奏者の鼻づまり(千秋勝手に命名)。
普段おとなしい彼が鬼指揮者の千秋に楯突くのは今までなかったことな ので、皆目を見張る。

「そっそりゃ…確かにへっ下手くそ…かもしれないけど…一生懸命やっていっるんだから…」

オ ドオドとつっかえながら言う彼もストレスが限界に来ていたのかもしれない。

「…き、君みたいになんでも出来る人 間には…ぼっ僕たちの気持ちなんてわからないよ…」

それは負け犬の言い分だろうと冷たく言い放つつもりが、口に 出来なかった。
メンバーの全員が彼に同調するようなどんよりとした雰囲気を出していた。
結局そのまま練習は終 わった。


オケのメンバーに厳しくしすぎて恨まれるなんていつものことだ。
そ れが珍しくいつまでも気にかかるのは、このじめじめした空気のせいかもしれない。
…俺が完璧を目指し過ぎて…あいつらに過度な期待を し過ぎるのかもしれないな…。
そんなことを考えながら煙草でも吸おうと一本手に取ったその時。


「おっ! ここにいたのか!親友〜」

騒がしくやって来たのは自称「千秋の親友」の峰龍太郎。

「よ かったよかった〜ちょうど探してたんだよな〜」

どかっと千秋の隣に座り持参していたペットボトルのお茶をごくご くと飲む。

「おい…誰が隣に座っていいと言った…」
「いいじゃんいいじゃん。それにしても 今日は暑いよな〜」
「お前がいると暑さが倍増する。どっか行け」
「冷てえなー。そういう言い方するから金井が反 発するんだよ」
「金井?」
「ホルンの」
「ああ鼻づまり。あいつ金井って名前だったのか」
「鼻 づまりって…。ー千秋さ」

峰は真面目な顔で千秋に向き直る。


「俺、 前々から思ってたんだけどさ。お前のそういう所どうかと思うよ」
「何の話だ」
「仮にも自分の指揮するオケのメン バーの本名すら知らないってどうよ」
「…」
「結成してからもう何ヶ月もたってるんだぜ」
「… 別に練習はパート名で指示するから不都合はないだろう」
「そういうこと言いたいんじゃねえよ。だいたいお前は基本的な人間づきあいが なってないんだよな」


「私もそう思いマスね」

急 に後ろから声がした。


立っていたのはフランツ・フォン・シュトレーゼマン。
世 界の巨匠であり千秋の師匠だ。

「千秋には指揮者として決定的に足りない物があります」
「… 何ですかいきなり…」
「ーそれは『愛』デス!!」

シュトレーゼマンはゆっくりと両手を大き く広げた。

「…」
「…(なにをとちくるったこと言いだすんだこのジジイと思っている)」
「も ちろん千秋の音楽に対する溢れるばかりの愛と情熱は知っています。
…でもそれだけでは曲を奏でるのに充分ではありません。
オー ケストラの奏者一人一人に愛情をそそいで全員の力が一つになってこそ、素晴らしい演奏をすることが出来るのです。
自分のオケとの信頼 関係が築けない指揮者は…はっきり言って駄目デス」
「…」
「さっきの練習見てましたよ…千秋…無様ですネ」
「…」

痛 いところをつかれて返す言葉もない。

「あなたは音楽の勉強だけでなく、人間関係についてもっと学んだ方がいいデ ス」
「マエストロ!それについては俺に名案があります!」

突然、峰が割り込んできた。

「お お、峰クン。名案とはいったいなんデスか?」
「実は友達から今日の合コンのメンバーに欠員が出来たから探して欲しいと頼まれてまし て」
「合コン?」

キラリ〜ンとシュトレーゼマンの目が輝いた(←合コン好き)。

「千 秋を連れて行こうと思って探してたんですよ」
「断る」
「なんでだよ〜相手は花園女子短大だぜ〜。お嬢様ズだぞ」
「俺 は忙しいんだ。そんなもの行ってる暇はない」
「いいじゃん。手っ取り早く人生勉強できるぜ」
「知るか!」
「あ の〜峰クン」

シュトレーゼマンが指をくわえて峰をじっと見つめる。

「合 コンなら私が参加しますヨ〜」
「…申し訳ありません、マエストロ。年齢制限がありまして…」
「20歳で通用しま せんかネ」
「無理です」

さくっと言われてシュトレーゼマンはかなりショックを受けたらし い。
よろよろとベンチに倒れるように座り込むとそのままどんよりと頭を抱えていたが、やがてすくっと立ち上がる。

「… わかりました。せっかくのお嬢様達との楽しい宴ですが、ここは涙をのんで千秋に譲ることにします」
「ー譲らなくてもいいです。俺は行 きません」
「師匠に逆らうんじゃありまセン!!」

シュトレーゼマンは(普段出さない)最大 級の威厳を持って上から千秋を威圧する。

「師匠の言うことは絶対デス!…千秋が言うことを聞かないなら私は母国 へ帰ります」
「…あなたはまたそんなことを…」

千秋は大きくため息をつく。
よ うするに自分が合コンへ行けない腹いせに千秋に八つ当たりをしたいのだろう。

「合コンへ行って、友好的な人間関 係について深く勉強して来なさい。
ーそれからあなたがちゃんと学べたかどうかのテストをします」
「は?」
「今 日のメンバーの中で一番可愛くてセクシーな女の子をお持ち帰りするように…。
私はいつものクラブ One more kissで待ってますからネ。必ず連れて来なさいヨ 」
「なんで…俺がそんなこと」
「これは命令デス!峰クン、 しっかり監視してきてくださいネ」
「ラジャー!!」

にこやかにぐっと右手の親指をあげる峰 に、千秋は頭がくらくらしてきた。
…なんでお前ら結託してんだ…。


「い や〜合コンって久しぶりだよな〜」

峰はとても嬉しそうに言った。
千秋と峰の二人は合コン会 場である洋風居酒屋に来ていた。
同じような目的の人間が多いらしく、店は若者でごった返していた。

「最 近練習、練習ばっかだったもんな〜。たまにはこんな息抜きもなくっちゃな!
ーん?どうした千秋、浮かない顔をして」

浮 かれている峰とは対照的に、来る道中ずっと無言だった千秋を振り返る。

「ーなんで俺がこんなとこに来なきゃいけ ないんだ…」

千秋は憮然として呟く。

「合コンなんて要するにもてない 奴らが相手を作ろうとする集まりだろう。
…なんで俺がそんなくだらないものに参加しなきゃならない…」
「はっき り言うよな…。お前だって彼女欲しいだろう」
「いらない」
「ーあ、そうか」

何 故か峰はニヤリと笑った。

「お前にはのだめがいるもんな」
「…なっ…」
「そー かそーか。合コンに来てるなんてのだめに知れたら一大事だもんな〜。あいつ烈火のように怒るだろうし」
「なんでそこであいつの名前が 出てくるんだ」
「大丈夫だって!このことはのだめには絶対に秘密にしてやるから!」

峰は ハッハッハと豪快に笑うと千秋の背中をバシバシと叩いた。

「俺に任せておけ、親友!」

千 秋はこの日何度目になるのだろう、ため息をついた。


『桜井』というのが峰の友達で今日の合 コンの主催者らしい。
予約しているというテーブルに案内され行ってみたところ、まだ誰も来ていなかった。

「あ れ〜みんな遅いなあ。俺たち気合い入りまくりみたいだよな〜」
「…」

とりあえず奥の席につ く。
しばらくするとバタバタと近づいてくる足音が聞こえた。

「ーねえ、この服センス悪くな いと?」
「そんなことなかよ。真由ちゃんはいつも小綺麗にしとるばい」

何か方言のような言 葉で話しながら二人の女の子がやって来た。
一人はいかにも今どきのスタイルといった感じで化粧もばっちり決めている。
も う一人のふわっとした白いワンピースを着ているのは…。

「… … …のだめ…?」
「…ち、 あき先輩…え?…どうしてここに?」
「あれ〜のだめじゃんかー!お前なんでここにいるんだ?」

峰 が驚いたように声をかける。

「峰くんこそどうしたんですか?こんなところで二人そろって」
「あ あ、俺たちは合コンで…おっとっと」

慌てて口を押さえたがもう遅い。
のだめがごごご…と後 ろに怒りのオーラを漂わせながら千秋をじとっと睨み付ける。

「…ご・う・こ・ん…?のだめに黙って、女遊びしよ うとしてるんデスか…」
「…女遊びって…いや…俺は別に…」

ーなんで俺が責められなきゃい けないんだ!?
あせる理由は無いはずなのに、何故かうろたえる千秋に思わず峰がフォローを入れる。

「い や、のだめ、これにはいろいろと理由があって…」
「峰くんは黙っててくだサイ!夫婦の問題デス!」

の だめはくわっと目を見開く。

「妻のいない間に、何こそこそ合コンとかしてるんデスか!!」
「妻 じゃねえ!お前こそ、こんなところで何やってるんだよ」

とたんに、のだめが目を逸らす。

「… あ、…えーと…そのですネ」
「あー話の途中みたいだけどいいかな?」

割って入ってきたの は、のだめと一緒に来たもう一人の女性。

「はじめまして。花園女子短大の青木真由です。もしかして、桜井くんの 友達?」

その声に救われたかのようにほっとして峰が口を開く。

「あ、 そうそう。桃ヶ丘音大の峰龍太郎です。よろしく!」
「えっ?桃ヶ丘音大ってのだめと一緒じゃん。あーそれで知り合いなんだ」
「そ んでもってこっちが千秋真一」
「千秋?千秋って、あーあの、千秋先輩!」
「へ?」

い きなり先輩よばわりされて千秋はとまどった。

「いや、のだめが、彼氏が出来たと〜っていつも嬉しそうに名前が出 てくるのが千秋先輩だから」
「お前…余所でも妄想を吹聴してまわってるのか!」


「ー そういう訳で俺達はシュトレーゼマンの命令で更なる人間的成長のためにあえて人生修行に来たんだよ。
どれもこれもみんなSオケの発展 のためなんだ。な、千秋」
「…」
「ふおぉ…こんなことも勉強しないといけないなんて大変ですネ…」

峰 のちゃらんぽらんな説明に何故のだめが納得できてるのかはわからないが、これ以上波風を立てないように
あえて千秋は無言を通した。

「そ れでのだめは?」
「あーのだめはですネ、真由ちゃんとは高校の同級生なんデスよ。この間、一緒にご飯食べに行った時に
の だめお金持って無くておごってもらったんデス」
「普通、30円しか持って無くて食事に行く?」
「お前…相変わら ずあちこちでたかりまくってるな…」

峰が呆れた顔で言う。

「今日の、 メンバーの子が風邪を引いちゃったから、のだめにあの時の借りを返してもらおうと思って呼んだのよ」
「なんだ、結局お前も合コンに来 たんじゃないか」
「うっ…」

峰に突っ込まれてさすがののだめも言葉につまった。
千 秋が俺にはさんざん言っておきながら…というような目でのだめを見る。

「いや…でも…のだめは浮気はしません ヨ…」

それを見て真由が顔をしかめた。

「やーねー、あんた達」
「何 が?」
「ぜっかくの合コンなのにメンバーの二人がつき合ってるなんてなんか場がしらけちゃうわ」
「いや、別につ き合ってないから!」

強く否定する千秋だが、その声は無視される。

「合 コンでいちゃつくカップルほど嫌なもんはないわよ」

不機嫌そうに言う真由は、女性側の段取りを組んだらしい。合 コンにかける意気込みが感じられる。

「確かになー興ざめだよなー」

峰 は彼女と似たところがあるのだろう、深くうなずいてそれから思いついたように言った。

「…そうだ、のだめ。俺 達、全然無関係の赤の他人ってことにしねえ?」
「へ?」
「は?」

千秋 とのだめが同時に答える。

「いや、だからさ、俺らはそれぞれ友達に呼ばれて合コンに来て、初めてここで出会っ たってことにすりゃいいじゃん。
その方が面白いし場も盛り上がる」
「あ、それ良いわねえ」
「… なんでそんな面倒くさいこと…」
「えーっ…どうしてそんな嘘つかないといけないんデスか〜」

あ きらかに不機嫌そうなのだめに峰は熱心に勧める。

「いいじゃん、お前の好きな…ほら、なんとかプレイだよ!」

と たんにのだめの表情が変わる。目がキラキラと輝く。

「ふおぉ…なるほど…愛しあっているのに話すことができない 二人…それいいですネ…」
「…この変態…」



「か んぱ〜い!!」

なみなみと溢れんばかりにつがれたビールのジョッキが合わさり音を立てる。
今 日のメンバーは、それぞれに男女7名ずつだ。
男性陣は、峰の高校時代の友人である桜井大紀が集めたそれぞれ別々の大学のメンバーで、
女 性陣は、のだめ以外は全員花園女子短大生である。
どうやら二人はバイト先が一緒らしい。
当然というか、女の子の 視線は皆、千秋に集中する。

「千秋さん、おつまみ何頼みます?」
「あ、ジョッキ空になりま したね。次もビールでいいですか?」
「千秋さんってお酒強いんですね〜」

むすうっとのだめ が不機嫌そうな顔でそれを見ながらビールを飲む。
ハーレム状態の千秋を見て、桜井が峰にこっそりと囁く。

「… おい…峰…なんであんな奴連れて来たんだよ」
「ん?千秋?いいじゃん、女の子みんな喜んでるし」

峰 はいつものことだからあまり気にしないらしい。

「喜び過ぎだよ!このままじゃ俺らみんな女の子と話せないじゃな いか!!」
「んーまあ、確かに千秋ばかりがいい目に合うっていうのもなー」



「はー い、皆さん、注目してください!!」

峰がパンパンっと手を叩く。

「宴 もたけなわになってきたところですが、これからお互いの親睦をより深めるために
ゴールデンタイムを設けたいと思います!」
「… ゴールデンタイムって?」
「今からくじ引きを行います。同じ番号がかかれた男女がペアとなって隣同士に座り、
し ばらくの間その相手とだけ話すようにしてください!。
誰に当たるかはくじを引いてのお楽しみっつうことで!よろしく!」

い つの間に作ったのか、峰の手には割り箸の紙で作られた14個のくじがあった。

「キャーッ」
「千 秋さんとなりたーいっ」

一気に盛り上がるメンバー(主に女性陣)。
千秋は、どうして峰はこ んなにくだらないことばかり思いつくのだろうとうんざりしながら、勧められるままに
くじを引いた。

「千 秋、何番だった?」
「…6番…」
「おーい!千秋6番だってよー!6番の女の子誰だーっ!!」

えーっ、 うそーっ、私違うじゃーんとがっかりする女の子達の中で…

「ハイ…」

と のだめが、遠慮しがちに手を挙げた。



なんだろう…この気まずさは…。
席 が入れ替わり、同じ6番のくじを引いた千秋とのだめは隣同士になった。

「…はじめまして、のだめ…野田恵デ ス…」
「…千秋真一です…」

とりあえず自己紹介はしてみたものの、その後まったく会話が続 かない。
ーお互い初対面と決めた手前、どうもいつもとは勝手が違うようだ。
最初は千秋との番号にはずれて文句を 言っていた女の子達も、じきにそれぞれの相手との会話に盛り上がり出す。
峰は、青木真由と最近見た映画の話に夢中になっているよう だ。

「あの…」
「えっと…」

お互いに話しかけ て、声が重なる。

「あ…どうぞ…」
「いや…そちらこそどうぞ」

別 にのだめと話をしなければしなくてもかまわないのだが、このまま二人で黙って飲んでいる訳にもいかないだろう。

「… あー、野田…さんって趣味とかありますか?」
「えーと…」

のだめがちょっと考え込む。

「あー 料理が趣味デス」

違うだろうと心の中でつっこみ100万回。

「…ちな みにどんな料理が得意なんですか?」
「えっと…ゆで卵と卵焼きと炒り卵と玉子かけご飯…」

卵 料理ばかりじゃないか。

「千秋…さんは何が趣味デスか…?」
「いや…別に特には」
「そ うデスか…」

また沈黙が訪れる。
どうにもいごこちが悪い。
それはのだ めも同じ気持らしくて体をもじもじとさせている。
話すことがないのでお互い酒ばかりが進む。
千秋はふと、いつも 疑問に思っていたことを聞いてみることにした。

「野田さんって…なんで自分のことをのだめって呼んでいるんです か?」
「あーえっと、中学の時に同じクラスに恵って名前の子が3人いたんです」
「へー」
「名 前で呼んでも誰のことかわからないんで、それぞれ名字の2文字とって『め』をつけて区別を
つけるようにしたんです。例えば古賀恵なら こがめちゃん、辻恵ならつじめちゃんっていうように」
「ぷっ…」
「それで野田恵だからのだめなんですヨ」
「… そしたら、もし岡田恵さんっていたら…」
「おかめちゃんになっちゃいますネ」

あははっとの だめが笑う。ようやく気持ちがほぐれてきたようだ。

「…千秋さんでもそんな冗談言うんですね。もっとお固い人間 かと思っていましタ」

ふわりと笑うのだめを見て、何故か千秋はドキリとした。
こいつのまつ げはこんなに長かっただろうか。
うなじがこんなに透き通るほど白かっただろうか。
普段目にしない口紅の赤い色が どうにも目に眩しい。
…なんだかのだめが普通の女の子に見えてどうにも直視できない…。

「あ の…」

不意にのだめが話しかけた。

「千秋さんって…かっこいいからも てるでしょう」
「は?」
「大学でも憧れている女の子いっぱいいるんじゃないデスか…?」
「… いや…別に」
「…中にはすごく積極的な子とかも…いたりして…」
「…?」
「た、例えば家に 押しかけたりとか…」
「あーいますね」
「…」
「毎日家にやってきてメシたかりにきたりとか するずうずうしい奴がいます」
「…そういう子って、ど、ど、どう思いマスか…?」

なんだか のだめの意図がよくわからない。
あれだけやりたい放題やっていて今更、何を言い出すのか。
のだめが何を言いたい のかよく理解できないまま、とりあえず千秋は答える。

「迷惑っていったら迷惑ですね」
「…」
「で もそんな奴って、好きだ好きだって言いながら、あんまり本気には見えないんですよね。
普通本気で好きな相手には、家に押しかけたりめ しをたかったりって、そんな寄生虫みたいな態度とれないじゃないですか。
だから、まあそのうち冷めるんじゃないかなとか軽く考えてま すけど」

のだめの目が大きく見開いた。唇をきゅっと結ぶ。
さすがに言い過ぎたかと千秋が 思っていると。

「そんな…コト…ないんじゃないでしょうか?」

のだめ が口を開いた。
「え?」
「そのコは…多分…本当に千秋さんのコトが好きなんだと…思いマス」
「…」
「… ただ、そのコにとって…そんな気持ちは初めてで…どうしたらいいのかきっとわからないんデスよ…
振り向いて欲しいんだけど…駆け引き とかそんな難しいこと出来ないし…」
「…」

「ただ、そのコは千秋さんのそばにいたいだけな んだと思いマス」

そう言うとのだめはへにゃりと弱々しく笑った。

「おー い、そろそろ席、入れ替わるぞーっ!!」

峰が部屋の奥から叫んだ



そ れから席を入れ替わり、また改めて飲み始めた。

「千秋さ〜ん」
「一緒に写真撮って〜☆」

千 秋の周りには相変わらず女の子が絶えることはない。
そこへ峰が千秋〜とビールを注ぐふりをして無理矢理隣に座り込んだ。

「千 秋〜飲んでるかー」
「峰…お前楽しそうだな」

峰も結構飲んだのだろう、顔を真っ赤にさせな がらはっはっはと笑う。

「あそこにクリーム色のキャミソール着た女の子いるだろう。クミちゃんっていうんだ。
な んだか気が合っちゃってさー。アドレス交換したんだぜ」
「ふーん」
「そんなことよりさ…千秋」

真 面目な顔になる。

「お前、シュトレーゼマンとの約束どうすんの?」
「げっ」

… すっかり忘れていた。

「適当にみつくろって帰らないと、そろそろ宴もお開きの時間だぜ。二次会とか行くのか?」
「絶 対行かない」
「じゃあここで決めとかないとなー。いいじゃんお前が誘えば誰でもついてくるって!
ーいーなー千 秋、よりどりみどりで」

そういいながら峰はあの子がいいかなーそれともこっちかなーと頼まれもしないのに勝手に 人選を始めている。

「のだめ」
「えっ」

急に峰が のだめの名前をだしたので、千秋は思わず動揺する。
先ほどの会話から、のだめは遠くの席へ座ったきり一度も千秋の方を見ない。

「の だめをどっかで巻いて帰らないと面倒なことになるよなー。そのままそうっと二次会に押し込むか。…それにしても」
「…なんだ」
「の だめってさあ、こうやって離れたところから見ると結構美人だよなー」
「…」

それは先ほどか ら千秋も思っていた。
のだめは隣の男性の話をうなずきながら聞いていて、盛り上がってるのだろう、時々ころころと笑っている。
い つもみたいな、うきゃーとかふおぉーとかいう奇声は聞こえてこない。
顔はほんのりと桜色に染まっていて…柔らかい笑みを口元に浮かべ たまま相手の話に聞き入っている。

「こうして見るとしっかりお嬢様に見えるし…今回の女性メンバーの中で一番い けてんじゃねえ?」

それもなんだかおもしろくない。
千秋は黙って酒を飲む。

「あ いつもしゃべらなきゃいいんだよ。変態なとこさえ隠しとけば普通に女として見られるのに」

…もし、あんなごみた めの中での最悪の出会ではなく、別の出会い方をしてたらどうなってたのだろうか。
そんな考えがちらりと千秋の頭をよぎった。
も しもこんな場で二人が初めて出会っていたのならば。
他の人間みたいに普通に飲んで…普通に話して、普通に笑って…普通に…。

「あ」

急 に峰が声を出す。

「あーあ、のだめの奴…つぶれてるよ」

のだめの方に 目をやると、酒を飲み過ぎて眠くなったのだろう、テーブルに頭をのせてうっぷしていた。



「恵 ちゃん…恵ちゃん…大丈夫?」

隣の席の橘茂夫が言う。
何て行ったってついさっきまで普通に 話していたのに、急にテーブルに倒れ込んだのだ。

「あー…うん…眠いデス」
「…もうお開き になるし、良かったら俺、家まで送って行こうか?」

橘がそう言うと、何故か周囲の男どもが騒ぎ出す。

「お おーっいいぞーっ!がんばれ、橘」
「気合いいれろよーっ!」

なんだかよくわからないような 応援をされながら橘はとまどう。
案外人が良く純情青年である橘としては、別にそんな下心とかはないのに…まあ、ちょっと可愛い女の子 だなとは思うけど。

「ほら…タクシー呼ぶから…」

とのだめを揺り起こ そうとするその手を…誰かが止める。

「え?」

見上げると今日のメン バーの千秋真一。本日一番女の子にもてていた人物だ。

「悪い。迷惑かけた。こっちで引き取るよ」
「えっ…」

何 がなんだかわからない様子の橘を無視して、千秋はしゃがみ込んでのだめに話しかける。

「…のだめ…のだめ、帰る ぞ」
「…んー…」
「立てるか」
「…無理…デス」
「しょうがねえな…お んぶしてやるから…そのままおぶされ」
「…ん」

背中を向けた千秋に、素直にもたれかかり首 に手を回すのだめ。
周りの人間は、皆唖然としていた。

「…じゃ、悪いけど先に帰るから」

軽 々とのだめを背負ったまま言うと、千秋は背中を向けてすたすたと店の出口に向かって歩き出した。

「あー、じゃ あ、俺も帰るわ!またな桜井!お金は後日な!」

しょうがないなーという顔をしながら峰も片手をすちゃっと挙げ て、千秋の後を追った。



しばらく歩いた所で、ちょうどトイレから帰っ て来たらしい青木真由と会う。

「あれ?」
「あー」

千 秋は言いにくそうに言う。

「ごめん、こいつつぶれたから帰る」
「ーまったく、のだめ相変わ らず酒に弱いわねえ」

真由はため息をついた。

「のだめに言っておいて よね。借りはまだ返してもらってないって」
「…それは…また合コンにつき合わせるってこと?」

お そるおそる聞く千秋に、真由が屈託無くあははと笑う。

「…心配しなくっても、彼氏のいる人間もう合コンに呼んだ りしないわよ!」

彼氏じゃねえ!と言いたいのを千秋はぐっとこらえる。



「… 結局、お持ち帰りはのだめかー」

夜の繁華街を、もくもくとのだめを背負い歩く千秋の後ろを歩きながら峰が言う。
の だめはすーすーと寝息を立てていた。

「なーんかつまらんオチだよなー。千秋って、もてるわりにはそういうところ が爪が甘いんだよな。
シュトレーゼマンとの約束はどーすんだよー」
「…さっきからうるさいな…お前も俺に付いて こないでクミちゃんとかいうのと帰れ」
「あークミちゃん」

とすっかり忘れていたかのように 峰が言う。

「クミちゃんは話しててすっげー楽しかったし、友達にもなれたから良かったけど…そういうんじゃねえ な」
「は?」

峰はにっと笑う。

「クミちゃんは俺 の運命の相手じゃないんだろうなあってこと」
「…何の話だ?」

しんそこ峰の言っていること がわからないといった風の千秋に向かって、峰がししっと笑いながら話す。

「千秋は馬鹿にするかもしれないけど、 俺はねえ、けっこう運命の相手は決まってるって信じてる男なんだよ。
それは俺が生涯かけて愛する相手で、今この瞬間は会えないけどい つかどこかで絶対巡り会うってい奴」
「…なんだその見かけによらない、反吐を吐きそうな電波な思想は…」
「運命 の相手に出会ったらなんかガガーンとかドドーンとか効果音がオーケストラで鳴り響いて知らせるらしいぜ」
「普段の生活でそれはないだ ろう…」
「いや、でも最初にのだめに会ったときファンファーレが鳴り響いたぞ。ぱんぱかぱーんって。
ーだから確 信したんだ。こいつは俺にとって運命の相手だって」

がくっと千秋がよろける。

「お おーっあぶねえなあ、千秋。のだめ落とすなよー。」
「…石につまずいただけだ」
「ーまあ結局こいつは千秋千秋っ てばっか言ってるし、俺も恋愛感情には至るほどじゃなかったけど。
でも俺の大事なソウルメイトで運命の相手だ」
「…」
「だ からさー」
「…」
「必ずどこかにいるんだよ。俺の恋人になる運命の相手」
「…」
「多 分、誰よりも美人で知的で品が良くて…まるで宝石のように輝いている女なんだろうな…」
「…まあ、夢を見るのは自由だから…」

上 を見上げればビルの間から月が見える。今日は満月のようだ。



「金井っ てさー」

不意に峰が切り出す。

「…ホルンの金井…?」
「お 父さんが今、入院してるらしいぜ」
「…」

何も言えない千秋に、峰が言葉を続ける。

「ー だからってそれを音楽に持ち込むのもどうかっていうのはあるんだけど、俺たちまだプロじゃないじゃん。
気楽な学生の身分ではあるけ ど、まあそれぞれ結構いろんなこと抱えてたりするんだぜ」
「…」
「もちろん千秋が個人の事情に深く突っ込む必要 はないさ。
世界的な指揮者っていうのは各国のオーケストラと初対面で演奏しなければならないんだろう?」
「…」
「た だ、知っているのと知ってないっていうのは違うような気もするし」
「…」
「だからこそ俺というコンマスの存在が いるんだろうなーっていうか。
ーまあ、あんまりあんまり当てにならないだろうけどよ」
「…」
「自 分でも何言ってるのかわかんなくなってきたけど…なんだか…支離滅裂になってきちゃったな。
…とにかく、頑張るからさー」
「…」
「頼 りにしてろよ!」

ハッハッハと大声で峰が笑った。つられて千秋も少しだけ笑う。

「… まあ、それなりにはな、」
「おおーっ!任しとけ!」



「ー そういえばお前、なんでのだめを連れて帰ったりしたんだ?」

千秋の背中の上で完全に眠りこけてるのだめを見上げ ながら峰が言う。

「え?」
「確かにのだめこんな状態だから危なっかしくてほっとけないのは わかるけど、あの橘って男、そんなに送り狼
になりそうな悪い男には見えなかったぜ。
案外、それがきっかけで二人 がつき合い始めでもしたら、お前のだめから解放されたのに〜」

馬鹿だな、お前〜と笑う。

「… 保護者の責任だ…」
「…保護者…ねえ」

苦笑しながら、峰はふと思いついたように千秋に聞 く。

「じゃあ、聞くけど保護者の立場からしてのだめの彼氏ってどんな奴なら合格ラインなんだ?」
「… 別にこいつがどんな奴とつき合おうと俺は知ったことじゃない」
「まあ、でも、こんな奴なら、のだめを任せてもいいかな〜とかそんなん あるだろう」

興味津々の目つきで聞いてくる峰に、千秋は軽くため息をついた。

「… 何よりもまずこんな変態女とつき合おうとか言う奇特な奴がいるかどうか」
「ぷっそれは言える」
「外見だけで判断 するような男は、こいつについて行けないだろう」
「まあ確かになー」
「自分で料理が出来ないんだから、メシの世 話をしてくれる人間が必要だろう…でないと餓死する」
「ーそうすると、俺のオヤジみたいなタイプか」
「部屋はゴ ミためのようだし。清潔好きで、こまめに掃除できる奴でないと困る」
「…」
「ーそれから、ピアノはこいつのただ 一つの取り柄なんだから、その才能をつぶすような奴じゃ駄目だな。
こいつの音楽を認めて、伸ばし、上に引っ張り上げてくれるような奴 じゃないと」

峰はこらえきれず吹き出した。
そのままゲラゲラと笑い出す。

「… 何笑ってるんだ…」
「…いや…別に…ほら見ろよ、千秋。月がとっても綺麗だぜ」



「な んだかそんなことになりそうな予感がしてたんデスよね」

おかしそうに笑いながらシュトレーゼマンが言う。

「峰 クンから中間報告で、のだめちゃんが来ているってメールがあったんですよ」
「…」

あれから 峰と別れ、よせばいいのに律儀な千秋は結局のだめを背負ったままOne more kissにやって来ていた。
寝ているのだめをソ ファーに下ろすと

「きゃー、のだめちゃん、かっわいい〜」

とホステス のお姉様達が群がる。
どうやら意識のないのだめに化粧をしたりして遊んでいるようだ。

「… どうも、すみませんでした」

謝る必要はない、必要はないと思いつつもとりあえず頭を下げる千秋。

「な んで?千秋は私の課題をクリアしてますヨ」
「え?」
「今日のメンバーの中で一番可愛くてセクシーな女の子をお持 ち帰りするように…ってことだったでショ」
「はあ?」

千秋はものすごく意外そうな顔をし た。

「…全然違うじゃないですか。…だいたいこいつ女の子ですらないし…」

シュ トレーゼマンはまた笑った。
ひどく愉快そうに。

「そんなこと言ってるのはあなただけです ヨ、千秋」







終 わり。