方向
最
近、のだめの様子がおかしい。
あえてどこが…ていうのではないのだけれど(だいたいいつも
あいつはおかしい)。
しいてあげるとすれば。
例えば風呂はちゃんと自分の家で入るように
なったこととか。
千秋の家に来ても、ご飯を食べたら長居しないですぐに帰るようになったこととか。
昼間はあれだ
けベタベタくっついているのに夜になったら、千秋の半径1m以内
には絶対近寄らなくなったこととか。
い
や、それは当たり前のことなのだけど。
今までがあまりにも無防備すぎただけの話なのだけど。
の
だめの変貌の理由に心当たりがあるだけに千秋としては複雑な気持ちだ。
ー
この間、酔いにまかせてのだめを抱こうとした。
あの時の自分をうまく
思い出せない。
一時的な衝動によるものだったような気もするし、そうでないような気もする。
結
局は冗談にしてごまかしたのだが…。
あれからのだめも何もなかったかのように千秋に普通に接している。
そ
の件はそれで終わった筈である。
しかし。
千秋はため息をついた。
の
だめは大学内をとぼとぼと力無く歩いていた。
担当が谷岡から江藤に替わったこともショックだったが、なによりも
ショックだったのは…。
自分自身の強い拒絶反応。
確かに江藤のやり方
はハリセンで生徒を叩いて言うことを聞かせるなど、乱暴でかつ強引であり、
教師としては行き過ぎているのかもしれない。
そ
れにしてもハリセンを奪い取り床に叩きつけるなど、普段の自分からは考えられない行動だった。
しかも大川弁丸出しで。
暴
力行為に対する封じ込めていた昔の恐怖が蘇っていた。
しかし、無我夢中でやってしまった行為だが、これからも江
藤の授業は続いていくのだ。
仕返しにどんな仕打ちを受けるのだろうか…それを考えると気分が重くなる。
ー
と。
視線の先に千秋が歩いているのを見つけた。
「せ…」
ー
先輩、と声をかけかけてやめる。
千秋に笑いながら近寄ってくる女性がいたからだ。
肩より少
し長めの茶色い髪を風になびかせながら、颯爽と千秋に歩み寄る。
あの人は…確か…三木清良さん…。
千
秋が新しく結成するオーケストラのコンマスだとかなんだとか言ってたっけ。
オケの打ち合わせか何かだろうか。
彼
女の問いかけに二言、三言答える千秋の顔を見て、のだめは愕然とする。
口元には穏やかな笑みを浮かべ、瞳は強くキラキラと輝いてい
た。
自信に満ちあふれ、新しい目標を確実に見据えているのだろう。
やっとやりたいことが出来るという充実感が、
千秋の身体全体から溢れていた。
まさに水を得た何とかという奴だ。
そんな千秋を今までのだ
めは見たことがなかった。
ーそうさせたのは自分ではなく、三木清良という若く才能溢れる女性。
彼
女と千秋はどんなオーケストラを作り上げるのだろうか。
きっとあの情熱のある二人が組めば今までにない素晴らしいオーケストラになる
に違いない。
…彼女は…千秋の指揮でどんなバイオリンを奏でるのだろうか…。
千秋が新しい
オーケストラで指揮が出来るということは、のだめにとってもとても喜ばしいことだ。
もちろん頭ではそうは考えている。
実
際に、千秋の演奏をもう一度見たいと思っている。
ーだけどそれと同じくらい、どこかで見たくない、と思っている自分がいた。
の
だめはくるりと踵を返した。
次
の日。
「いらっしゃーい!…あれ、のだめちゃん」
のだめが大学の裏に
ある中華店『裏軒』ののれんをくぐると、店主である峰の父親 峰龍見が
めざとく常連ののだめを見つけた。
「ど
うしたの?のだめちゃん、昨日は何も食べずに帰っちゃって。龍、のだめちゃんきたよ〜」
店の奧のテーブルで晩ご
飯を食べていた峰が、のだめをみつけて手を振る。
「お〜、のだめこっちこい!親父、のだめになんか食わしてやっ
てくれ」
「あいよ!新作の麻婆煮込みハンバーグでいいかい?」
のだめはそれには、答えずに
ふらふらと店の奧まで歩いていき、峰のテーブルに座る。
身体を前に倒し、頬を固いテーブルにぴったりつける。
「…
のだめ…どうしたんだよ。気分でも悪いのか?」
「別に…悪くないデス」
相変わらずテーブル
にごろんと寝たままぼそっと答えるのだめ。
「腹へってるんだろう!親父、メシ急いでやってくれー!」
「あ
いよ!!」
龍見の弾むような返事にジュッジュッジュと美味しそうな音と匂いが広がる。
「お、
そういえば、報告まだだったよな!俺、今度の試験でAオケに入ったんだぜ!
すっげーだろう!!」
「龍は珍しく
いっぱい練習してたもんね〜」
厨房から龍見も声をかける。
「まあ、A
オケなんて実はどうでもいいんだが…それに合格すれば、千秋の新しい
オケに入れてもらえるようになってたんだ!」
の
だめの肩がぴくりと動く。
「嬉しいよなー!!また千秋と一緒にオケが出来るなんて!!。
昨
日も新しいオケの結成飲み会があったんだけどさー。ほとんどがあの長野音楽祭で集まったメンバーだろ?。
だからみんな能力もそうだろ
うけど、やる気も超一流でさ。なんかーこうすっげーわくわくしてるんだ。
やっぱ、オーケストラっていいよな!!」
「…
峰くんはいいですよネ」
のだめはゆっくりと身体を起こす。
口を尖らせじとっ…と峰を睨み付
ける。
「へ?」
「バイオリンだから…ちゃんと先輩のオケに入っていけるし…一緒に演奏とか
出
来ちゃうし…あの人も…」
「あの人?」
「三木…清良さんとか」
俯いて
ためらいがちに言うのだめに、峰ははたと思い当たる。
「なんだ…お前やきもちやいてんのか?」
「…
ハイ」
素直にのだめはうなずく。
「ーそんなこと言ってもなあ。そもそ
もあいつがいないと新しいオケそのものが設立出来なかったわけだし。
その点では千秋も彼女をすごく頼りにしてると思うぜ」
「そ
れは…もちろんわかってマスけど…。だけど、いいなあって思って…
あんなに綺麗で素敵な人が、バイオリンもコンマスできるくらい才能
があって…
みんなから信頼されて…新しいオケを作るくらいやる気と情熱に溢れてて…」
いい
なあと思う。
うらやましいと思う。
…それに比べて…自分は…。
「ま
あ、確かに才能ある美人ってのは今までの傾向から、千秋のタイプかもしれないよな」
好きだとかなんとか言ってた
し…と言いかけて、じわっと目をうるませてくるのだめに峰は慌てる。
「いや、でも男が皆、あんな才女がタイプだ
という訳じゃないぞ!。俺なんかあそこまで美人で
バイオリンも出来たりするとかえって堅苦しいってゆうかやりにくいっていうか。
…
まあ、確かに音楽の趣味は合うかもしれないが(俺と一緒で派手好きみたいだし)
だけどあんな奴、女だてらにコンマスやってるし、俺、
優等生タイプってゆうのはちょっとなあ〜」
「あれ〜」
龍見が麻婆煮込みハンバーグを皿に盛
りつけながら言う。
「でも、龍が今まで好きになった女の子ってそんなタイプだったよね。
小
学校で委員長していたゆきこちゃんとか、高校で生徒会長をしていたなつみちゃんとか…」
「…え…っそ、そうだったかな…」
慌
てて視線を逸らす峰を、のだめがじとりと睨み付ける。
「…峰くんの裏切り者!!」
怒
鳴りつけられて首をすくめる峰を無視して、のだめは龍見に呼びかける。
「ーお父さんビールください!」
「あ
いよ!」「ビールって…お前飲む気か?麻婆煮込みハンバーグを肴に…?。
それにお前、千秋から外で飲むの止められてるんじゃなかっ
たっけ…」
「ビールくだサイ!それからコップを二つ!」
「へ?」
「峰くんも飲むんです
ヨ!」
「あー…えっと…俺、まだ練習しないといけないんですけど…」
「いいからつき合いなサイ!!」
「…
ハイ…」
千秋は遅めの夕食
を取っていた。
…のだめ…今日は来ないんだな…。
別に来て欲しい訳で
はないし、来なければ来ない方がもちろんいいのだが。
テーブルの上のもう一人分の料理はすっかり冷めていた。
「み、
ねく〜ん!もう一軒行きまショウ〜!!」
ふらふらと千鳥足で歩くのだめ。
裏軒でビールを飲
んだ後、カラオケが歌いたいというのだめに引きずられて、二人は繁華街にやって来ていた。
カラオケでもかなりチューハイをガブガブ飲
んで、のだめはかなり酔っぱらっていた。
「あと一軒って…そんなに酔っぱらっててもう充分だろう…」
「ま
だまだ飲み足りまセン!」
フンっと鼻をならすのだめに峰は頭を抱える。
く
そ〜!いつもならのだめのお守りは俺の役目じゃないのに…。
「あのーのだめサン、僕もまだ練習残っていることで
すし…今日のところはここまでというところで…」
おそるおそる切り出した峰の視線の先には…のだめがいない。
慌
てて、きょろきょろと辺りを見回すと、ある派手なネオンの看板の下で立ち止まっているのだめを見つけた。
「のだ
め!あんまりうろうろするなよな!」
「峰くん、ここはなんですか?」
の
だめが指さした先には……ラブホテル。
「なんだか電気がいっぱいキラキラしていて、とても
綺麗ですヨ」
「いいいいやっ、そ、そこはだなーっ、ほら、疲れた人がゆっくり休憩するところってゆうか…
中には
いってもゲームもカラオケもないから絶対楽しくないぞ!!」
「あー、でものだめ、さんざん歌って疲れちゃいましタ。少し休みまショ
ウ」
そう言って、のだめはスタスタと中に入っていく。
「おい…」
峰
は呆然とその姿を見送っていたが、はじかれたように慌ててのだめの後を追いかけた。
ピ
リリリ。
千秋の携帯がなった。
表示には峰となっており、無視しようかと思いながらも、結局千秋は受話器を耳に当
てる。
「ー千秋か?」
「何か用か」
「あの…さ…ちょっと申し訳ないん
だけど…」
どうしたのだろう、峰にしてはいつもより歯切れが悪い。
どことなくおどおどして
千秋の顔色をうかがっているように思える。
「忙しいんだ。用件をさっさと言え」
「その…の
だめを迎えに来てくれないか?」
「はあ?のだめ?」
意外な名前が出てきて、千秋は困惑す
る。
「いやー…のだめ今日ぐでんぐでんに酔っぱらっちゃってさあ」
千
秋はため息をついた。
「ーあいつに酒を飲ますなと言っただろう。それで、今どこにいるんだ」
「ど
こって…その…ちょっと休んでるってゆうか…その…怒らないで聞けよ」
なかなか要領を得ない峰の話し方に、千秋
はイライラしてくる。
「だから、どこだ!」
「…
のだめ、今寝てるんだよ…ラブホで」
千
秋は夜の街に飛び出した。
ーいったい、何考えてるんだ!あいつは!!。
行きがけの道中、動
揺して考えがぐるぐると回りまとまらない。
いかにもラブホテルですといったような安っぽい派手なネオンの入り口に入る。
指
定された部屋に着き、ばたんとドアを開けると…そこには大きなダブルベットで
がーがーといびきをかいて寝込んでしまってる…のだめの
姿が。
「…よお…」
その横にちょこんと座り込んだ峰がばつが悪そうな
顔で、千秋に手を挙げる。
「…峰…これはいったいどういうことだ…」
ギ
ロリっと鬼の形相で睨み付ける千秋に、ヒイィィと峰はおびえる。
「いや…その…のだめ酔っぱらってなんだか訳わ
からなくなってたみたいで…
あーきれいデスねーとかなんとかいいながら、このホテルにずかずか勝手に入って行って、
部
屋に着くなりそのまま倒れるように寝ちゃったんだよ…」
「あのなあ…お前ら…」
千秋は頭を
抱える。
それから指の間から峰を鋭い視線を浴びせさせる。
「…それで…お前…何かやったの
か?」
何かやってたらぶっ殺す!!というくらいの勢いの千秋に、峰は直立不動のまま答える。
「い
えっ!!何もしてません!!」
「…」
黙り込む千秋がいつもに比べて冷静さを欠いているの
に、峰は内心驚く。
…今まで出来の悪い妹の面倒を見てやってんだな〜人がいいな〜こいつ、くらいにしか思ってな
かったけど…。
こいつ…ひょっとして。
「ー
なんだ?じろじろ見て」
「…いや。なんでもないよ。…本当になんにもしてないぞ。ー俺とのだめだぜ。何もある訳がないだろう」
「…
別に…どうでもいいけど…」
全然どうでもよくなさそうじゃん。
「まー
それはそれとして」
峰はベッドからすくっと立ち上がる。
「実は…俺の
財布スッカラカンでさ〜。ここのホテル代払えないんだよ。悪いけど、お金払っておいてくれる?
まあ、この時間なら結局お泊まり料金だ
し、ゆっくりのだめ寝かせて連れて帰ってやれよ〜」
そういうとドアに向かってスタスタ歩き出した。
「じゃ
あな!頼んだぞ!」
「おい!!」
慌てて止める千秋を無視してばたんっとドアを開けて峰は出
て行った。
峰
が出て行った後の部屋は静まりかえっていた。
のだめの安らかな寝息だけがやけに響く。
騒ぎの張本人は、気持ちよ
さそうによだれまで垂らしている。
「…せん、ぱい…」
なんの夢を見て
いるんだか。むにゃむにゃと幸せそうに寝言を呟く。
千秋はすとんとその傍らに腰を下ろす。
寝ているのだめの頬を
優しくなでる。
「……色気のねー女…」
考えてみれば、こんな女をどう
こうしようとする奴などいる筈がない。
そう考えてみると、あんなに慌てふためいてこんな所までやって来た自分が馬鹿みたいだ。
千
秋はため息をついた。
ーとその気配を感じたのか、のだめがごそごそと動き出した。
「…
ん…」
目をゆっくりと開ける。
ー
ここは…どこでしょう…。
目覚めたのだめは、現在自分がどこにいるのかがわからなかった。
淡いピンクの色調でそ
ろえられた部屋の壁紙や、家具の数々。
やけにスプリングの効いたベッドに寝ていて…ふと隣を見るとそこには千秋の姿があった。
「…
せんぱい?」
「目が覚めたのか」
苦々しげに呟くのは、どう見ても千秋だ。
「ー
先輩…ずいぶん、部屋のインテリア変えましたね…。イメージチェンジですか?」
「ここは俺の部屋じゃねえっ!!」
頭
ごなしに怒鳴られて、のだめは上半身を起こし部屋の中を改めて見回す。
ーどう考えても見覚えがない。
「先
輩…ここはどこですか?」
千秋は深くため息をつく。
「お前…本当に覚
えてないのか…。ここは…その…」
ぼそっと千秋がのだめの耳元で囁く。
「ぼ
へっ!?」
のだめは思わず奇声を発した。
それからはっと気が付いたように、体中を触りきち
んと洋服を着ていることを確認する。
責めるような目つきでじとりと千秋を睨む。
「なんにも
してねえよ!ーていうか、ここにお前と入った相手は俺じゃねえっ!」
「へ?」
「ーお前、峰とここに来たんだろう
が!」
のだめは、しばらく首を傾げて考え込んでいたが、ポンッと手を叩いた。
「ー
ああ、そういえばそうでした。酔っぱらって眠くなったんでしたっけ」
「お前…つくづく恐ろしい女だな…」
「それ
で、峰くんはどこに行ったんデスか?」
「もうとっくに帰った!ーったく、こんなところまで呼び出されてこっちこそいい迷惑だ!」
「はぅ
〜、すみません」
のだめは申し訳なさそうにぺこりと千秋に頭を下げた。
それから改めて辺り
を珍しげに見回す。
「へ〜、ここがラブホテルというところデスか。のだめ生まれて初めてきましタ!」
「…
誰もお前がこんなところの常連だなんて思わねえよ…」
ポツリと呟くと、千秋はのだめをあごで促した。
「ほ
ら、じろじろと見てないでさっさと帰るぞ!こんなとこに長くいられるか」
「まあまあ、そんなこと言わずに。せっかく来たんだから、し
て帰りませんか?」
のだめは千秋を見る。
「ー何を?」
「セッ
クス」
「な……」
千
秋は驚きのあまり言葉にならない。
「…何を……お前…まだ寝ぼけてるのか?」
「のだめ、も
う起きてますヨ」
のだめはじっと千秋を見つめたままだ。
その真っ直ぐな視線に、千秋の方が
視線を逸らせてしまう。
「ーったく…ふざけた冗談言いやがって…」
「冗談じゃありません
ヨ」
のだめは千秋を見据えてきっぱりと言う。
「のだめ、本気デス」
千
秋はためらいがちにのだめの顔を見る。
のだめは、無表情のままで何を考えているのかわからなかった。
こんな顔は
以前に見たことがある。
その瞳はすうっと澄んでいて、それでいて深い色をたたえていて底が知れない。
まるで魔性
の物のようなその妖しさに、千秋は吸い込まれそうになった。
「ー馬鹿なこと言ってないで…早く帰って…寝ろ」
そ
れだけ言うのが精一杯で。
「先輩…」
のだめがポツリと言う。
「ー
よく、わからないんデスけど…もし…それをしたら…、のだめと先輩のお互いが
もっと楽になれるような気が…そんな気がするんデス」
千
秋は息を呑んだ。
のだめは、真っ直ぐに千秋を見据えたまま…目を逸らさない。
そのまま静寂が二人を包み込んだ。
ー
長い沈黙の後、千秋が言った。
「……わかっ
た……しよう」
二人はベッドの上で向かい合って
座った。
照明は落としベッドのライトのみとすると、ぼんやりとシルエットが浮かび上がる。
千秋がのだめの胸元に
手をのばした。
そのまま、のだめの着ているワンピースのボタンを外しにかかる。
「ぼへっ」
の
だめが思わず身をひく。
「ぬ、脱がすんデスか…」
千秋はのだめの思わ
ぬ反応にちょっとだけ手を止める。
「…脱がさなきゃ普通はできないだろう」
「…はあ…そう
いえば、そうですよネ」
納得したように黙り込むのだめのボタンを、千秋は遠慮無く外していく。
普
段なら、「じゃあのだめが先輩の服を脱がします〜」とかなんとか言うところを、
そんな余裕もないようで、のだめはされるがままになっ
ていた。
全部外し終わると、千秋はのだめの胸元をはだけ上半身を露わにする。
ひんやりと冷
たい空気に身を震わせる。
それなのにのだめの頬は火のように熱くほてっていた。
千秋の手がそっと動き、のだめの
胸を優しく包み込んだ。
「ぼへっ!!さ、触った」
奇声をあげ、その手
を掴むのだめを千秋は怪訝そうに見る。
「…触らなきゃ…出来ないんだけど」
「あのっ…で
も…でも」
「ーうるさい。お前、もう黙れ」
あーとかうーとか言って真っ赤になって抵抗しよ
うとしているのだめを抱きしめると、
千秋はそのままベッドに押し倒した。
「うきゃっ!」
覆
い被さる千秋の身体にのだめは激しく動揺する。
体中にのしかかる体重が痛いくらいに重く感じられて、思わずのだめは顔をしかめた。
千
秋の手が、まるで生き物のようにのだめの身体をまさぐる。
露わになった胸元…下腹…そしてスカートの裾から入り込み腿を撫で上げる。
ー
とたんに沸き上がる恐怖。
「先輩…あの…のだめ、やっぱり、やめマス…」
遠
慮がちに訴えかけるも、まるでのだめの声など全く聞こえてないかのように千秋の行為は止まない。
「あ、あの…先
輩…やめて下さい…」
胸を強く押し返そうとするも、どうにもならないことは前回で経験済みだ。
千
秋の手が奧へ進む。
「いやっ!やめてっ!!」
のだめは顔を覆うと目を
固く固く瞑った。
しばらくしておそるおそる目を
開けて見ると、いつの間にか千秋の行為は止んでいた。
そのかわりにのだめに覆い被さる千秋の身体が小刻みに震えている。
「……
先輩……?」
訝しげに声をかけるのだめ。
千秋はくるりと身体を反転させ仰向けになると顔を
押さえ、くつくつと笑う。
「…いや…あまりにも予想通りの反応だったから…つい…」
千
秋の言葉にのだめの顔がばっと赤くなり、がばっと起きあがる。
「ー先輩っ!のだめをからかいましたネ!!」
「ー
当たり前だ」
怒り心頭ののだめに対して、ゆっくりと起きあがると千秋は真顔で言い放つ。
「こ
んなこと…本気でできるか」
「…」
返す言葉がないのだめの額を、千秋は掌で軽く小突いた。
「…
すれば…楽になるなんて…そんなこと言うな…」
「…」
「…俺達の関係が、どっちの方向に流れるかなんて…今は、
まだわからない。
ーだけど、こんなふうに…簡単に決着をつけていいような類のものではないだろう?」
千
秋は責めているような口調ではなかった。
どちらかと言えば、静かにゆっくりとただ淡々と話をしていた。
のだめ
をーそして自分自身を諭すかのように。
のだめは目を瞑った。
千秋の優
しい声が体中に染み渡って行く。
大きな涙の滴ががぼろりっと目の端から流れ落ちる。
「……
ごめんなサイ…」
「ー
そういえば、お前の幽霊化情報はなんだったんだ?」
「へ?」
落ち着いた頃、何故かいきなり
切り出された千秋の言葉にのだめはとまどう。
「ーなんか、裏軒に行っても、飯も食わずにふらふらと帰ったって
奴」
「ああ、…それは」
言いかけて、のだめは口ごもる。
担
任が谷岡からハリセンに替わったこと。
ハリセンに暴力的行為を受けて、思わずぶち切れて反撃してしまったこと。
そ
れに比べて新しいオーケストラに向かって突き進んでいく千秋がとても眩しいこと。
千秋と共にオーケストラで演奏できるメンバー全員に
嫉妬していること。
言いたいこと、聞いて欲しいことは山のようにある。
ー
だけどそれがうまく言えないのがのだめという人間なのだろう。
「別に…何でもないデス」
「ふ
うん…ならいいけど」
千秋はそう言うとすくっとベッドから立ち上がった。
「さ
あ、帰るぞ。ちゃんと服を着ろ」
「ハイ…でもなんだか落ち着いたらお腹空きましたネ…」
慌
てて乱れた服を整えながら、のだめはさっきからお腹の虫がなっていることに気づく。
「お前、そればっかりだ
な…」
呆れたように言いながらも、千秋はどこかほっとする。
食欲はのだめのシグナルが
《青》である証拠だ。
のだめががさごそと枕元にあったルームサービス用のメニューを引っ張り出してきた。
「こ
こにメニューがありますから、何か頼みましょうか。カレーとかありますよ〜」
「ーやめとけ。こんなところのメシは食えたもんじゃない
ぞ」
「…先輩…どうしてそんなこと詳しいんデスか」
じと…と上目遣いに睨み付けるのだめ
に、千秋はうっと言葉につまる。
「やっぱり彩子さんと来てたんデスか…」
「…いや、別に…
彩子はこんな所好きじゃなかったし…」
「先輩……墓穴を掘ってるってわかってマスか?」
終
わり