シャーッ とカーテンが引かれ、窓から朝日が入ってくる。
今まで暗かった部屋が急に明るくなって……少し眩しい。

「今 日は、先輩の誕生日ですよネ」

光を浴びながら千秋に笑いかけるのだめは、この朝の寒さにもかかわらず薄いネグリ ジェ姿だ。

「珍しいな……覚えてたのか」
「当たり前デス!!。妻デスから!!」
「去 年も一昨年もスルーだったくせに」
「うっっ……それを言うなら先輩だって……」

お互いに黙 り込む。
なんてったって、世間一般でのイベント事にあまり関心のないのはお互い様だ。

「と、 とにかく……今日は、ちゃんと覚えてましたから!。お祝いしましょう、盛大に♪」
「俺は今日は仕事だぞ」
「ハ イ。だから、先輩が帰ってくるまでに、のだめこの部屋で準備しときます。ね!」


そう言った のだめの笑顔が朝日に負けないくらい眩しくて。

近頃はちょっとふさぎ込みだった彼女の久しぶりの笑顔が嬉しく なって。

千秋はずっと言おうと温めていた言葉を胸の中で繰り返した。


『一 緒に暮らそう』








不 機嫌なマエストロ 第1話








「ヴァ イオリン、もう一度第2小節の頭から……」

千秋は、ルー・マルレ・オーケストラの練習でいつものように指揮台の 上から指示を出す。
次の定期演奏会は、すぐ目の前に迫っている。

しかし、今のところ感触は 悪くない。

千秋がマルレの常任指揮者になって……このオケもずいぶん変わったように思える。
完 璧主義者である千秋の厳しい練習にも耐え、質の良い安定した演奏をするようになり、やめていった定期会員もかなり戻ってきた。
バラバ ラだったオケが一つにまとまり活気が溢れて、そしてそれによって優れた人材も集まるようになった。
まるでシュトレーゼマンの時代のマ ルレオケが戻ってきたようだ……と言う人もいた。

そして千秋自身もこの数年でレベルアップしていた。
才 能のある若手指揮者として少しずつ世界に名を轟かせるようになり、各国から客演依頼が来るようになった。
……移動手段が飛行機を使う のにはいまだ慣れないが(一生慣れないかもしれない)とりあえずは順調にいっているということだろう。

そう、と りあえずは。

「チェロ、そこは抑え気味に……」

ふと、千秋の脳裏に今 朝ののだめの笑顔が蘇る。

………あいつが、誕生日だのなんだのって、そんなこと覚えているなんて珍しいな……。
ど うせ、料理は失敗するだろうから(すでに確定)リハが終わったらそのまま買い物に行って食材を買って……いや、たまにはゆっくり外食するというのも悪くな いな。


そして。


そしてその 時、さりげなくその話を切り出せばいい。







「むー んっっ!!のだめ特製、納豆カレーにチャレンジです!!」

のだめは千秋のキッチンで腕を威勢良く捲り上げると、 うおおおおーっと気合いを入れながら納豆をみじん切りにし始めた。

「先輩の納豆嫌いは、子供の食わず嫌いと同じ なんですよネ。だからこうやって、みじん切りにして形がわからないようにすればきっと……ムキャ♪」

そして大鍋 に他の材料と共にいれ、ぐつぐつ煮込み出すと、なんともいえない独特の臭気がキッチンを包み込んだ。

「先輩が帰 る頃には、スペシャルディナーの出来上がりですネ」

ふふっと笑いながら椅子にと座ると、のだめはテーブルにごろ んと頭をのせた。
そして誰に聞かせる訳でもなく一人呟く。

「しっんいっちくーん………」


大 好きな人。

この世で一番大事な人。


その人の帰り を暖かい部屋の中で待っているというのは……すごく幸せなことだとのだめは思った。


ずっと ずっとこのままでいられたらいいのに。


だけれどもそれとは別に胸の中はずっとずっとざわつ いている。

のだめのコンセルヴァトワールの卒業は目の前に迫っていた。

そ れなのに、いまだに先が見えてこないのだ。
少しずつ、小さなリサイタルや、サロンコンサートなどの単発的な仕事は入ってくるようには なってきたものの、それだけでは食べていけない。
のだめのピアノの評判を聞きつけて、いくつかの音楽事務所からの誘いもあるにはあっ た。
ただ、それはどちらかというと本格的なピアニストというよりは、ルックスがいい東洋人でピアノの弾けるということが売りのタレン ト路線を狙っているものばかりで。

のだめは悩んでいた。
オクレールの考えていることがわか らない。
何故、いまだにコンクールの出場許可が下りないのか。

こんなことをしている間に も、千秋はどんどん世界に出て行っているというのに。

千秋の海外演奏旅行の数が増えて来ているのも、のだめは気 づいていた。
世界が千秋真一という指揮者に注目しはじめたのだ。


それ に比べて。

自分は。


思考がネガティブになりだし たことに気づいたのだめは、ブルブルと頭を振った。

「はうう……いけませんネ。せっかくの先輩の誕生日なんデス から、とびっきりの笑顔でいないと!!」

なんのことはない。
のだめは、いつものようにすっ かり千秋の誕生日を忘れていたのだが、今朝早く気を使った征子からメールが来たのだ。

『今日は真一の誕生日だか ら、お祝いしてあげてね、のだめちゃん』

とびきりの笑顔で、とびきりの料理で、先輩の誕生日をお祝いしてあげよ う。

……とりあえず今日という日だけは、先のことなど考えずに……。


そ の時。

トゥルルルル……トゥルルルル……。

のだめの携帯がなり、慌て て電話に出る。

「………オクレール先生………?」







「た だいま……」

かなり遅くなってしまった…と思いながらも、千秋が自分の部屋のドアを開けたのは、外がもう暗く なった頃。
予想に反して部屋は真っ暗だった。
きっと部屋中を焦げた匂いでいっぱいにさせて「はうう……ごめんな さい、先輩」とのだめのしょんぼりしたような顔が出迎えてくれると思ったのに。

「買い物にでも行ったのか な…?」

部屋は、朝、千秋が出掛けた時のまま、ぐちゃぐちゃに散らかっていた。
そして、 キッチンに入ると、うっと来る臭気。

「……なんだよ……この匂いは……」

千 秋は、顔をしかめながら、仕掛けられた鍋の中を覗いた。
……なんだかよくわからない茶色の粒が無数に浮かんでいる。

……… 見なかったことにしよう……。

そう頷くと、千秋は鍋にそっと蓋をして、テーブルに自分の買って帰った料理の材料 を広げ始めた。
今夜は特別に俺様が腕をふるってやろう。

そう、なんていったって今日は特別 なのだから。





カチ……カ チ……カチ

時計の音だけがこの静寂した部屋に妙に響いていた。
まるでこの部屋には生きてい る人間なんて誰一人としていないかのように。


のだめは帰ってこない。


も う、時計は12時を回ろうとしていた。

千秋は深くため息をつくと、きちんとセッティングされたテーブルの上に置 かれていた赤ワインの蓋をシュボッと開ける。
そして自分のグラスにとくとくと注いだ。
丸い透明なグラスの中で ゆっくりと波立つ赤い液体。
それを千秋は一気に飲み干した。

こんな誕生日を迎えるなんて珍 しいことなんかじゃない。

あいつとつき合いはじめてからも、俺達は音楽以外のことに関しては本当に無関心で、い つも気づけば誕生日は過ぎていた……というような感じだった。
だから、別に、今年も期待してた訳じゃない。
あい つも、俺も、そんなガラじゃない。

………でも、どうして、こんなに胸がはり裂けそうに痛むのだろう。

あ いつが珍しく「お祝いしましょう」なんて、急に雨が降り出しそうなことを言ったからか?。


期 待させられて裏切られることなんていつものことなのに。


千秋は思い出していた。



『…… さん、今日は僕の誕生日だから、早く帰ってきてね!!』



けっして叶え られることのなかった望み。

ああ、そうだ。
この感覚は、幼い頃にあの男を待っていた時の感 じによく似ている。
あの時も、こんな風に時計の音だけが部屋に響いていた。
そして、俺は母親に叱られてベッドに 入れられるまでずっとテーブルの椅子に座って、ただ時計だけを見つめていたんだ。


どうかし てる。


今更そんな記憶が蘇るなんて。


俺 はここにいて、音楽への道も順調に進んでいて、愛する女性もすぐそばにいて、何の不安もない筈なのに。




……… すぐそばに………?。



カチ……カチ……カチ

時 計の音が響く。
千秋はもう一杯飲もうとワインの瓶に手を伸ばした。







「せっっ んぱーーーーーーいっっ!!」

のだめが帰ってきたのは明け方だった。
花が咲き誇ったような 満開の笑顔で千秋の部屋のドアを開け、勢いよく中に飛び込んだ。
部屋は明かりがついているものの、暖房も入っておらず、千秋はテーブ ルの上に突っ伏して眠っていた。

「うわ……酒くさっ……」

のだめはす ぐそこにあったワインの瓶を手に取る。
中は空っぽだった。

「もう……これだから、シンイチ くんはのだめがいないとダメなんですよネ〜」

そうしてのだめは千秋の肩に両手を載せてゆっさゆっさ揺さぶり始め た。

「先輩、先輩、起きてくださいヨ!」
「………う、ん……」
「超! ビッグニュースなんデス!!」

興奮したのだめの突然の揺さぶりに千秋は夢うつつのまま半目を開けた。

「……… のだめ?」
「ハイ!そうデス!!。のだめデスよ〜!シンイチくん、起きてくだサイ〜〜!!」
「ああ……う ん、……起きた……起きたよ」
「聞いてください!先輩!!。のだめ、コンヴァト卒業後の行き先が決まったんですよ!!」


行 き先が決まった……?


千秋はまだ意識が朦朧としていた。
これは夢の続 きだろうか。


「今日、のだめはヨーダにある人に紹介されたんデス!。
  その人は、…………という人で、なんでもヨーダの愛弟子らしいんデス」

その名前を聞いて、千秋はがばっと目が覚 める。
のだめが今、口にした名前は千秋にも聞き覚えのある名前だったからだ。

「ヨーダの口 利きで、のだめは卒業後、その人のところでピアノが勉強できることになりました!!そこは……」
「……オーストリア」
「そ う、オーストリアです!。……あれ?先輩、その人のこと知っているんデスか?」

知っているも何もない。
オー ストリアに活動拠点を置く彼の名前は超一流のピアニストとして世界中に響き渡っている。
……そう、千秋雅之と同じくらいに。

「彼 はヨーダに言われて、のだめのリサイタルを見に来てくれてたらしいんです。そこでのだめは見染められたんですネ。あへ〜〜」

ヨー ダもなんだかんだ言って、のだめのことちゃんと考えていてくれたんですネと嬉しそうに言うのだめ。
千秋の反応はない。

「彼 のピアノも生で聞かせてもらったんですけれども、とってもとっても素晴らしくって!!
 のだめ、アンコール!アンコール!!って何曲 も弾いてもらって……最後にはヨーダに叱られちゃいました」

のだめの脳裏には先ほどまでの演奏がまだ余韻を残し ている。
完璧すぎるまでの美しい流れるような曲の旋律と繊細な指の息づかいが今でも聞こえてきそうで……。
しば らくは頭からその音が離れそうにもなかった。
うっとりと余韻に浸るのだめを、千秋はただじっと無言のまま見つめていた。

「卒 業したら、のだめはその人の弟子になって、演奏旅行に付き添って世界中を回りながら、ピアノのレッスンもしてもらえるんデス!!
 の だめ、最高の環境でこれからもピアノの勉強が出来るんデスよ!!」

興奮するのだめには千秋の表情を伺う余裕はな かった。

「まあ、……オーストリアですから、パリとはちょっと離れてますけどネ。
 のだめ と先輩は深い愛で結ばれているから♪離れていてもきっと大丈夫ですよね!!ゲハ〜ッ愛の遠距離恋愛……なーんて!」

の だめはここ最近ないくらいに生き生きとした表情をしていた。
目がキラキラと輝いて眩しすぎて……千秋はのだめの顔を直視できなかっ た。。

「ただ、デートの場所が問題ですよネ……。
 フランスとオーストリアの間といった ら……スイスくらいですかネ。
 じゃあ、スイスくらいで時々待ち合わせして……先輩?」

そ こでのだめは、初めて千秋の固い表情に気づいた。

「先輩……どうしたんデスか?さっきからずっと黙ったまま で……。アルプス山脈の山登りとか嫌いですか?じゃあ……」
「……のだめ」

不意に千秋が言 葉を投げかけた。感情も何も感じられない無機質な声だった。

「ハイ?」
「昨日は……何の日 だったか、覚えているか……?」
「………昨日?」

そう言われてじっと考え込むのだめ。
し ばらく考えると……ハッとしたかのように千秋を見た。
部屋を見渡すと、綺麗にセッティングされたテーブルには、空の皿やナイフや フォークが綺麗に並べられていて。
のだめのいつもの指定席には空のワイングラスが逆さまに置かれていた。

「……… すみません……先輩のせっかくの誕生日……」

恐縮したようにしゅんと縮こまるのだめ。

「あ の、あの、あの、途中までは準備してたんデスよ!……でも、そこにオクレール先生から電話があって……」
「……わかってる」

わ かってる。
こいつが本気で俺の誕生日を祝ってくれようと料理をしかかっていたことも。

わ かってる。
こいつが音楽のことが絡むと夢中になってしまって、他のことが見えなくなってしまうことも。

わ かってる。
こいつの魂をここに縛り付けておくなんて出来ないってことも。


わ かってる………。


こんな日がいつかはやって来ることも。
ずっと前か ら……わかっていた。



……だけど。



「あ、 あの、先輩、今からのだめ、特製カレー作りマス!!。納豆が入ってておいしい……」

そう言いかけて、あわわと自 分の口を塞いだのだめに、千秋は後ろからいきなり覆い被さった。
そのまま強い力で腕の中に閉じこめる。

い つものぬくもり。いつもの匂い。

……なくしたくない……と本気で思った。

「…… あの……先輩?」
「……のだめ」
「ハ、ハイ」

「………一緒に暮らそ う………」

途端に腕の中ののだめの身体がびくっとして硬直するのがわかった。

「………」
「…… ずっと前から、考えていたんだ……。
 お前はコンセルヴァトワールを卒業したら、あの三善のアパルトマンを出ないといけないってずっ と思ってたんだろう?」
「………」
「それなら……俺と一緒に住めばいい……いずれはそうするつもりだったんだか ら……」

のだめは掠れたような声で呟いた。

「……それと同じようなこ とを言って玉砕した人がどこかにいましたヨ……」
「……その時とは状況が違う……俺は……本気だ……」

の だめは身を固くしたまま言葉を発しようとはしなかった。
多分、今、のだめの頭の中はものすごく混乱しているのだろう。

「…… ピアノの勉強なら、パリにいたって出来るじゃないか。
 今までのように、リサイタルやサロンコンサートの仕事を引き受けて……少しず つ名を上げていけばいいじゃないか……」
「………」
「お前がオーストリアに行ったら……多分俺たちはもう駄目に なると思う」
「そんなこと……っ」

ないデス……と言いかけてのだめは何故か口ごもった。

「現 に、昨日が俺の誕生日だってこともすっかり頭から抜けていたじゃないか。
 ………そういう奴なんだよ、お前は」

音 楽のことになると夢中になってその世界に入り込んでしまい、他のことは二の次、三の次になってしまう。
それがのだめの特徴でもあり、 最大の長所とも言える。
だけど。


そのことには……千秋は……耐えられ なかった。


「でも……これはチャンスなんですヨ。……のだめが先輩とゴールデンペアになる ために進む第一歩で……」


ゴールデンペア。

いつ もは笑って2人でを語り合えていた夢が、今はこんなに暗く重くのしかかる。
千秋はふっと自嘲気味に笑った。


「…… そんなもの……どうだっていいじゃないか」
「!」

のだめの肩がびくっと震える。
多 分、のだめの目が衝撃で大きく見開かれているんだろうな…ということは背中ごしでも伝わってくる。

「ゴールデン ペアにならなくったって……一緒に、音楽はやっていける……」
「……シンイチ……くん……?」


違 う。

こんなことが言いたいんじゃないのに。

ああ、どうしてこんなに頭 がぐるぐるするんだろう。
ワインを飲み過ぎたせいだろうか。


「……彼 がお前みたいな奴を、本気で弟子にする訳ないじゃないか」
「……み、た、い、な……って……?」


や めろ。

それ以上、口にするなと心のどこかで誰かが叫んでいる。

だけど も、千秋の唇は自分自身の意志に反して勝手に動いていた。


「……そうだ。ただ、ルックスが 良くてピアノが弾ける東洋人。……まるで動物園のサルみたいな……」

のだめはゆっくりと顔を後ろに向け、千秋の 眼差しを正面から受け止めた。

「……先輩……それ、本気で言ってるんデスか?」

の だめの目に涙が溜まり潤んで来ているのを、千秋はただじっと見つめていた。

「……ああ。

  お前は動物園のサルだ」


涙がいっぱいになって、今にもこぼれそうになって……。


次 の瞬間。


「……この、酔っぱらいが〜〜〜〜〜っっっ!!」


千 秋は腕を強くひっ張られるのを感じ、そのまま身体がふわっと浮いて空中で回転するのがわかった。

ダンンン ンッッ!!

そしてそのまま背中から壁に叩きつけられる。
のだめが見事な一本背負いを決めた のだ。
すごい衝撃が千秋を襲う。


………いってえ………。


壁 に叩きつけられた衝撃からか、しばらくは痛くて身動きもできない千秋。
そのまま、壁に背中から寄りかかってずるずると座り込む。


……… 信じらんねえ……この女……。


朦朧とした目で、その人物をうっすらと眺めると……のだめは 必死に涙をこらえていた。


「先輩は……先輩は……何もわかってなかとよっ……」
「………」
「の だめが……どんなに、どんなに先輩に追いつきとうて、今まで頑張ってきたか……」
「………」
「着々と名を上げよ る先輩に比べて、少しも進歩せん自分のことをどんなに歯痒う思うとったか……」
「………」
「世界中に認められる ようになって……海外へ演奏旅行に行く、先輩の背中を、のだめがどんな気持ちで見送ってきよったか……」
「………」
「先 輩には……先輩には……けっして、わからんやろうけど……」


違う。


俺 にはわかっているんだ。


置いて行かれる者の……残されていく者の……気持ちが。


だ から、今、また、置いて行かれる恐怖に怯えているんだよ。


でも、千秋はそれを口にすること が出来なかった。


のだめはしばらく俯いていたかと思うと……やがてキッと顔を上げた。

「……… のだめ」
「先輩……これはチャンスなんデスよ。……のだめが先輩のいる所まで追いつけるかどうかの……」
「………」
「だ から……のだめ、行きマス。……もう、決めました」
「………」

のだめはゆっくりと立ち上が ると、無言のまま荷物をまとめ始めた。
千秋はその動作をまるでスローモーションの映像を見ているかのようにただ、呆然と眺めている。
の だめは鞄を肩にかけると、ゆっくりと……でもしっかりとした足どりで部屋の入り口へ向かった。

「………のだめ」
「………」
「…… 行ったら……別れるぞ……」

のだめの肩が一瞬ぷるっと震えたような気がした。
だけど、それ は気のせいだったのかもしれない。

のだめはドアに向かって歩き出した。

「……… のだめ」
「………」
「………行くな!!」

千秋は大声で叫んでいた。

きっ と今の自分は世界中で一番みっともない姿だろう。
だけど、どんなに思われてもよかった。
どんなにみっともない姿 をさらしても、どんなに恥ずかしい台詞を並べても……どんなことをしてでも彼女を引き止めたかった。



頼 む。



俺を一人にしないでくれ。



「の だめ………行くなっ!!」



のだめは一度も振り返らなかった。
そ のままゆっくりとドアを開けて、一度も千秋の方を見ることもなく外に出た。
バタンとドアが閉まる音が妙に大きく響いた。

残 された千秋はただ、膝を抱えて座り込んでいた……。







そ して月日は流れる………。






続 く。(writen by ハギワラ)