2011年2月17
日 PM12:00(NY時間)
JFK空港-----
い
よいよ、これがのだめの新しい第一歩なんですね。。
「これからが本当の勝負なんです。」
そ
の瞳には涙はもうない。
少し腫れぼったい目を意識して大きく開いた。
世界がキラキラして見えた。
不
機嫌なマエストロ 最終話4
入国手続きを済ませ、荷物を受け取った。
英語はまだ、あまり得意ではなくて…少し戸惑います。
でも、弱音なんて吐いていられま
せん。
これからは一人で歩いていかなければならないんですから。
ギュッ
と握りこぶしに力を入れた。
ふうと大きく息を吐き、片手には大きなトランク、もう片方
の手には事務所から貰った説明書きを握り締めて目的の場所へと向う。
「出口は間違えないようにしないといけ
ませんよね…。」
案内表示を何度も確認して、ブツブツ呟きながら多くの人が行き交う中を歩いていた。
「え
と、タクシー乗り場は…。」
周りを確認しながら前へ進む。
頭
の上には英語の案内表示。難しい単語はないのですが、注意深く読んでいかないと…。
「あ、ここでいいんです
よね。」
ホッと息をついて、顔を下ろしまっすぐ前を見た。
----…え?
か
なり前方、手擦に寄りかかる人影に目が留まった。
---え?え?
細
長い黒い影…
ううん、長身の黒いコートを着た、黒髪の人。
--
--そんな人は何人も居るのですが…。
あの手摺の寄りかかり方、腕の組み方。足の置く形。
--
-知っている---
自然に歩みが速くなり、いつの間にか小走りになっていた。
--
-のだめは知ってます…。
息を切らせながら、その人の方に走っていった。
そ
の人はこっちに気がついて、視線を向けられた。
「せ…せん…ぱ…
い?」
はあはあと粗い息使いの中で、のだめはこの言葉を発した。
千秋は少し照れた
ように頬を赤らめて、のだめの顔から少し目を逸らして軽く頭を下げた。
夢?!…じゃないですよね…?
「…
どうしてここに…先輩が?…どこでもドア、持っていましたっけ?」
千秋の顔は益々赤くなって、ちょっと不機嫌そうな表情になっ
た。
「違う。ジジイが…。」
「ミルヒー?」
&
nbsp;* * *
のだめは一度も振り返らずに、セキュリティ・チェックをくぐって
いった。
その後姿をじっと見送ってから、デッキにでも上がろうかと思って振り返った。
「あ・・・」
振り返った先には、何故ここにいるのか、シュトレーゼマンの姿があった。
「マ
エストロ・・・」
シュトレーゼマンは俺を見ると、にっと笑った。
「ど
うしてここに?」
「そんなの、のだめちゃんの見送りに決まってるデショ。でもお邪魔しちゃ悪いかな〜ってね。黙って見てれば、情
熱的なキッスでも拝めるかと思ったんですけどね?」
「・・・しませんよ」
軽く溜息
を吐く俺の腕に、シュトレーゼマンはがしっと腕を絡ませてきた。
「一体何のマネですか?」
傷
心を慰める暇も与えないシュトレーゼマンの態度に多少のイラつきを覚えるが、シュトレーゼマンはお構いなしだ。
「んー、
ちょーっと、私に付き合ってもらおうかと思ってね。何、ちょっとした買い物デス。ニューヨークまで」
「はあ?ニューヨークですっ
て!?」
たった今見送った、のだめの目的地じゃないか。
「ミー
ナからヴァレンタインにチョコを貰いましたから。私も愛を込めて薔薇を送りましたが、日本にはホワイトデーがあるじゃないですか。その頃には帰国してます
から、一日も早く愛のお返しをしなくてはいけません。ということで、今からニューヨーク在住のパティシエのスイーツと、新進デザイナーのジュエリーを買い
に行こうかと」
何だかんだとこの人も日本にいたが、やっと帰国するのか。
それにし
ても。
「一人で行ってください。公演も控えてますし、俺は嫌ですよ。第一パスポートだって・・・」
す
るとシュトレーゼマンはスーツの胸ポケットから俺のパスポートを取り出して見せた。
「なっ!?どうして?」
「いえね、ちょーっとエリーゼに頼んだら、ほら、こうしてここに」
「不法侵入ですか!?」
「人
聞きの悪い事言うんじゃありませーん。ちゃーんと家主に断りましたよ?」
しれっと話すシュトレーゼマンに抵
抗する気力も失せた。
もう、どうだっていい・・・。
いや、で
も、行くなら飛行機だよな、やっぱり・・・。
それも多分、プライベートジェット・・・。
ジャ
ンボジェット機と比べて揺れるだろう事が容易に想像できて身震いする俺を、シュトレーゼマンはズルズルと引きずるように歩き出した。
ジ
ジイのお守り役は、毎回毎回、何処に行ってるんだよ。
何で俺ばっかり・・・。
「千
秋。本当にこれでよかったんですか?」
内心で不満を言いながらシュトレーゼマンについて歩いていたら、不意
に真面目な声がした。
立ち止まって顔を上げれば、シュトレーゼマンはどこか懐かしむような、痛ましいような眼差しで俺を見てい
た。
「のだめちゃんを行かせて、本当によかったんですか?」
い
つものようにふざけているのでも、からかっているのでもない、真剣な顔だった。
「・・・よかったも何も、こ
れがのだめにとって一番いいと思ったから・・・」
「のだめちゃんのため、ね・・・。そうやって彼女の背中を押して、そして自分の
気持ちを押し殺すんですか?」
「なっ・・・!」
「本当は、手放したくないくせに」
「あ
なたに何が分かるんですか!」
「分かりますよ」
シュトレーゼマンはそう言うと、寂
しそうに笑った。
「私がそうでしたから・・・」
そして訥々と
話始めた。
「『音楽の絆』があれば、それでいいと・・・たとえ会えない距離に離れてしまっても大丈夫だ
と・・・かつて私も思っていましたから。そしてそれが彼女のためだ、とも」
「マエストロ?」
「今でも、
彼女とは『音楽の絆』があります。それはもう、強固なものです」
「・・・・・・」
「それに不満はありま
せん。でも時々思うんですよ。あの時、彼女を引き止めていれば、手を離さなければ、後を追っていたら、ってね」
こ
れは・・・シュトレーゼマンと理事長の話、なんだろうか・・・?
「そうしたら、今とは違った『絆』が出来てい
たかもしれない・・・」
シュトレーゼマンの瞳に、一瞬だが翳りが見えた。
「格
好悪くても、みっともなくても、無様でも。欲しいものは欲しいと言えばよかったと今でも思う時があります。物分りのいい顔をしていただけで、結局は自分が
可愛かったんですよ・・・。今も、私と彼女の間には『音楽の絆』はあるけれど、それ以外は何もない。全く、何もないんです。それは、今となっては寂しい事
です。まあ、こんな年になってから気付いても、遅いんですけどね」
「マエストロ・・・」
「一緒にいて
も、いなくても、二人の想いが変わらないのであえれば、それがどんな形だって構わないと思いますがね?」
俺
を見るシュトレーゼマンの表情は、普段のこの人からは想像出来ないほど、いや、世界の巨匠と言われるにふさわしい貫禄と・・・そしてまるで父親のような慈
愛に満ちていた。
「まあ、これは老人の独り言です」
シュト
レーゼマンは、この上なく優しく微笑んで、そしてまた、いつもの軽口に戻った。
「さあ、千秋。私の買い物
に、付き合ってくれますか?ついでに可愛い弟子の誕生日も祝ってあげますよ?レッツ・ゴー・ニューヨーク!それにあちらにも、ワン・モア・キッスの支店が
ありますからね〜」
俺に、若かりし頃の自分を重ねているんだろうか?
そして、手を
離した事を後悔していると・・・。
音楽の絆。
それは俺とのだ
めの間に、確かにあるもの。
だけど今のままじゃ、シュトレーゼマンの言うとおり、たとえこの先、何度のだめと出会っても、音楽以
上の絆は望めないと・・・そういう事なんだろうか・・・?
俺は。
俺は・・・。
の
だめと音楽で繋がっていられれば、それで十分だと思ったけど・・・。
心の奥底に無意識に沈めてしまっていた
想いが、ふっと浮き上がってきた。
―――家族。
いつも音楽と
笑顔で溢れている、暖かい場所。
いくら望んでも得られなかった・・・とうの昔に諦めてしまった想い。
の
だめとなら・・・。
本当は、ずっとそう思っていた。
いつの間
にか俺の後を追うことを止めたアイツは、一人でどんどん行ってしまって。
置いていかれるような不安がいつしか付き纏っていた。
だから、傍におきたい、手の届く所にいて欲しいと望んだ。
その結果のだめを傷付けて、
後悔して・・・。
そして再び出会えて、また想いが通じたけれど、俺達は離れてしまった。
俺
が、その背中を押した。
置いていかれる訳じゃない、それがアイツにとって一番いい、そう思ったから。
で
も・・・。
もしかしたら、手を離したのは・・・間違いだったのか・・・?
シュト
レーゼマンはただ、そこに立って俺の返事を待っている。
これはシュトレーゼマンがくれた、やり直せるかもしれないチャンスなんだ
ろうか。
そしてきっと、誰にも正解なんて分からないんだ・・・。
―――
欲しいものを手に入れたかったら、死に物狂いで頑張りなさい―――
俺は、死に物狂いに
なってまで、それに手を伸ばしただろうか?
のだめの笑顔が脳裏に浮かんだ。
そ
の時、ポケットの携帯がメールの着信を告げた。
携帯を開いてみれば、それはリュカから。
何で奴から?
『もうのだめはNYへ旅立った頃かな。
どうせチアキの事だから、格好つけて見送って
るんじゃないの?
だったら、僕にもまだチャンスはあるよね。
僕はのだめの行く所なら、どこだって追
いかけていくよ。
だって彼女を愛してるから。』
まるでタイミングを見計らった
ようなメールだった。
どこだって追いかける、か。
リュカらしい、どこまでもスト
レートな物言いに苦笑するしかない。
これは、もしかしたら彼なりの助言なんだろうか。
追
いかける。
そうだ、置いていかれたくないなら・・・追えばいいんだ・・・。
「あ
の・・・」
「何ですか?急がないと、遅れてしまいます」
シュトレーゼマンは腕時計
を指差した。
「お供、します」
その答えに満足したように微笑
むと、シュトレーゼマンは再び俺の腕を取った。
「それでこそ、私の弟子でーす。なあに、振られても、ジェ
ニーちゃんやルーシーちゃんが慰めてくれますよ」
「・・・・・・」
そしてその数十
分後には、俺は着の身着のままの機上の人となっていたのだった。
* * *
「買い物したいから、付き合えって・・・」
「わ
ざわざ、ニューヨークまでデスか?」
「…それから、可愛い弟子のための誕生日プレゼントだと…。」
「プ
レゼント?」
「お前に、もう一度、会えるようにって…」
「ふおお…。あ、でも、先輩。お仕事は…?定期
公演…近いんじゃなかったんでしたっけ?」
「明後日(日本時間)…。」
「間に合うんですか?」
「……。」
「先輩?」
「…もう一度プロポーズして、それが成功したら…帰りも飛ばしてくれるらしい。」
「さ
すが、お金持ちですねえ…。じゃあ、のだめが断ったら先輩、失業ですか?」
「…そうだな。多分、音楽界には居られなくなる…。」
千秋はそう言って下を向いた。
のだめはそんな彼をじっと見ていた。
そ
して、その表情を和らげた。
「…ならば…。
飛び切りの愛の言葉を言って下さい。」
千秋は、はっと顔を上げた。
のだめの顔には優しい笑みが浮かんで
いた。
「恥ずかしいなら…フランス語でも、英語でもいいですよ。」
唇を尖らせ、小
さな声でそう付け加えた。
「英語の方が恥ずかしい…(ここは英語圏だ)。」
の
だめは千秋をじっと見つめてた。
千秋は俯き、軽く咳払いをした。
そして、のだめの目を真っ直ぐに見つめ
た。
「野田恵さん。僕と結婚してください。」
のだめは黙って、千秋の目を見た。
「…お前以外にこんな事、言う事ないだろうから…。」
「…。」
「世界中、お前がど
こに行こうと構わない。」
「…。」
「お前は好きな所にいけばいい。」
「…。」
「俺は…お前以外には考えられないから…。」
「…先輩…。」
「愛しているよ。のだ
め。」
のだめは目を大きく開いたまま、千秋を見ていた。
「…
のだめは、お金がないので先輩の所には、なかなか行けませんよ。」
「うん。」
「先輩が辛かったり、心細
かったとしても、傍に寄り添ってあげられませんよ…。」
「…そうだろうな。」
「会いたいって言われて
も、会いにいけない事の方が多いですよ。」
「ああ…わかっている。」
「寂しくない
んですか?」
のだめの目は真剣だった。
そんな彼女を見て、千秋は優しく微笑んだ。
「…
それでも、俺はお前がいい。」
のだめの片方の瞳から涙がほろりと零れた。
千
秋は指先でそっと拭った。
「…返事は?」
囁くように優しく尋ねた。
「…
はい。お願いします…。」
目を潤ませて少し震えるような声で…でも笑顔で答えた。
千
秋はそんなのだめの身体を優しく包み込んだ。
のだめは身体を震わせて、千秋の胸の中でホロホロと涙を零した。
「ど
こに行ったとしても、いつでも俺が迎えに行くんだ。そんなの今更…わかり切った事なんだよ…。」
のだめの耳元で優しく囁いた。
「先輩…。」
のだめは顔を上げて、千秋の顔を見つめた。
「千
秋先輩…大好きです。」
涙でくしゃくしゃの笑顔を見て、千秋はふっと笑った。
「うん。」
そ
して、そっと愛しい人の唇に口付けた…
昼の空港は忙しそうに途切れることなく人が行き交う。
窓
から差し込む光は、そこにいる誰もを優しく照らしている----
冬
の並木道。
春の兆しは見えるけどまだ寒々しい。
その中を一緒に手を繋いで歩いていた。
はあと息を吐くと、白く見えた。
大通りから1本中に入っただけなのに、そこは静かだっ
た。
空港からのだめの新居に向って荷物を置いて、その後すぐ事務所に挨拶に行って、今はその帰り道である。
事
務所からのだめの家までの間にはこんな場所が存在した。
「将来有望な
指揮者の存続が掛かってますからね。」
「どういう意味だ…。」
得意気なこいつの言葉に、俺は呆れたよう
な声が出た。
「そういう意味ですよ。のだめは先輩の音楽が聴けなくなるのは嫌ですから…。」
の
だめは少し顔を傾けて俺を見た。
「それだけなの?」
俺は少し不満そうに言った。
の
だめはふふんと笑った。
「のだめは普通の人が聞けるプロポーズの3倍してもらえました。」
「う
ぐっ…(汗)。」
「今度生まれ変わったら、のだめの方からプロポーズしますね。」
俺はこいつの顔を覗き
込んだ。
ほんのりと頬を染めて笑っていた。
「…ああ…。」
繋いだ手に力を込めた。
「そ
だ、先輩も出世して、ミルヒーみたいに自家用ジェット機を持てばいいんですよ。」
「…何年掛かるんだよ。」
「そ
すれば、すぐに会えますよ…。」
「…そんな簡単に言うなよ…。」
笑い声が空に響いた。
「先
輩。」
突然のだめは手を離し、俺の目の前に回りこんできた。
こいつは真面目な顔をして、真っ直ぐに俺の目を
見つめている。
「ん?」
「ありがとうございます。」
「…
え?」
「いろいろと…。もちろんプロポーズも。」
「…あ、ああ…。」
「のだめ
は本当に嬉しかったです。」
「…そうか。」
改めて言われると、照れるものだ…。
す
るとのだめは、俺の身体に抱き付いてきた。
「…しんいちくん。」
「ん?」
「愛
してます。」
こいつは耳元で、そう優しく囁いた。
「…。」
「のだめも…他の人には、言う事はないはずですから…。」
「…ああ。」
「後にも先
にも…。」
腰に回ったのだめの腕にキューっと力が入った。
「うん。」
俺
はその温もりを逃さないようにと、こいつの柔らかい身体を抱き締めた。
プ
アーン。遠くの方から車のクラクションが聞こえてきた…。
「さあ、行こうか。」
「は
い。」
再び俺らは手を繋いで、歩き始めた。
夜
になれば、俺たちはまた別々に過ごさなければならなくなる。
次会えるのも、いつになるのかわからない。
で
も、そんな事は大した事ではない。
そう、俺たちに距離は関係ない。
そ
れに…
俺たちには音楽がある
音楽には距離も時間も場所も関係
がない。
お互い目を合わせ、微笑み合う。
俺の腕に添えられた
こいつ左手の指先には、やっと輝く事のできた小さなダイヤモンドが、
冬の柔らかな日差しを優しく反射させていた。
&
nbsp;終わり(written by 茶々・ハギワラ・びわ・レベッカ)