ポー ン・・・


部屋に静かに響き渡る、一音。


ポー ン・・・


ピアノチェアに腰掛けて、鍵盤をじっと見つめる。

目 を閉じて。
息を吸って。
そしてゆっくりと息を吐き出して。

瞼に映るの は、少し照れくさそうに微笑む、愛しい、愛しい人。

そっと目を開けると、愛しい人の姿は幻と消えて。
ど うしようもない、切ない気持ちと哀しい気持ちで胸が一杯になる。

それでも、愛しい。
愛する 事を、止められない。

だから私は想いを込める。

この曲に・・・。





『不 機嫌なマエストロ 第7話』





パ チパチパチ・・・。

ありったけの想いを乗せて一心不乱に弾き終えた時、背後から歩み寄る人の気配がして振り返る と、そこには先生が立っていた。

「バートン先生・・・」
「ノダメ、その曲は自作かい?」
「あ、 ハイ・・・」

柔和な笑みを湛えてバートン先生は私の隣までやって来ると、私の肩に手を置いた。

「い い曲だ。君の想いが詰まっているね。でも、まだまだ荒削りで未完成だ。そうだな・・・今度作曲のスキルも教えてあげよう」
「・・・ハ イ!」

今日の先生は、いつもより体調がいいみたいで顔色も悪くない。
時々精神的に不安定に なる時があって、部屋に誰も近寄らせず、引きこもってしまう時もあるけれど。
それでも、演奏家としての表現力・技術力は素晴らしく、 また作曲家としても類まれなる才能を持ち合わせていた。

真面目で几帳面な人だから、ちょっと自分とは性格的に合 わない部分もない訳ではないのだが、それもお互いに良い刺激となっていたりもして。
それなりに良好な師弟関係を築いていた。

教 えられ、導かれ。
時に反発しあいながらも、音楽家としてお互い妥協を許さず、納得のいくものを求めて。
そしてそ れが得られた時の達成感は何にも代えがたく。

充実した日々は、そうしてあっという間に過ぎていった。
先 生が療養生活に入る事になり、師弟関係を解消するまで・・・。





**********





8 月 新東京交響楽団 第571回 定期演奏会


常任指揮者として就任した俺の、今夜が初舞 台。

必ず、成功させる。

大丈夫。

オ ケは高梨さんが俺に声を掛けてくれた日を境に、雰囲気がぐっと良くなった。
リハもゲネプロも、自分が思い描く通りに仕上がった。
後 は今夜の本番のみ。

控え室で燕尾に袖を通し、ケースから指揮棒を取り出す。
そのケースに は、古びた人形。
いつか、のだめがお守りだと言ってよこした・・・カズオの指人形。
どうしても捨てる事が出来 ず、今もバカみたいに後生大事に持っているなんて、のだめが知ったらなんて言うか。

彩子との将来を考える。
の だめとのことは・・・時間が解決してくれる。
そう決めて、迷いや雑念を追い払って、そして上手くいきだしたオケ。

の だめの身に起こった事、それを思えば、どうしても心は、想いはのだめへと飛んでいってしまいそうになった。
だけどのだめの傍には、 ちゃんと支えてくれる奴がいる。

集中しなくては。

それに俺にだって、 俺を無条件に信じて、支えてくれる女(ひと)がいる。
何も言わない俺を、ただ見守っている。
言葉通り、母親のよ うに。

どんなに言葉を尽くしても、感謝しきれない。
それくらい大きなものを、俺は彩子から 貰っている。

そんな俺が彩子にしてやれること。
それは今夜の公演を絶対に成功させること。
そ れが彩子に対する、俺の精一杯の誠意。

・・・でもやっぱり・・・本当はそれだけじゃなくて・・・。

今 もこの人形が手元にあるように。
心の奥底で、のだめの期待に応えたいと思っている自分も、まだ・・・いる。

コ ンコン。
控え目なノックの後、スタッフが声を掛ける。

「千秋さん、そろそろスタンバイお願 いします」
「はい」

ケースのカズオと目が合った。

迷 いは捨てたはずなのに、俺は未だに迷ってばかりだ。
そろそろ・・・お前とも、潮時なのかもな・・・。

そ のふてぶてしい顔を、指先で弾く。

「千秋さん?」
「今、行く」

再 度の呼びかけに、俺は控え室を出た。

舞台が幕を開ける。
全ては俺の手に委ねられている。

新 生・新東京交響楽団が、今夜誕生する。










ド ビュッシー 牧神の午後への前奏曲

詩人マラルメの相聞牧歌「半獣神(牧神)の午後」に寄せて書かれた曲。
詩 の内容は「暑い夏の午後、岸辺の木陰で眠っていた牧神は、まだ醒めやらぬ夢見心地で葦笛を吹き始める。やがて沐浴する水の精の幻影を追い、さらに愛の女神 ヴィーナスを抱く幻想に身を委ねる。しかし幻想は彼の腕からすり抜け、牧神は再び夢現のまどろみに落ちていく」というもの。
ピエー ル・ブーレーズに「現代音楽はこの曲とともに目覚めた」と言わしめた、ドビュッシーの名を不朽にした傑作。
調性から解き放たれた旋 律、繊細・透明・敏感で色彩豊かな和声法、拍節に囚われない自在なリズム法。
俗に印象主義と呼ばれる語法の先駆けともなった作品。
冒 頭、牧神を表すフルートの独奏が幻想的で官能的な半音階の旋律の主題を呈示して、その後滑らかにホルンが入り、ハープのグリッサンドが背後で響く。
全 体的に幻想的で官能的な気だるい雰囲気が漂い、鮮やかな音色が広がる。
最後はサンバルアンティークの清冽な響きとコントラバスのピッ ツィカートで結ぶ。
それが無限の余韻を残して、まるで聴く者を夢の中へと引き込んでいくようでもある。






メ ンデルスゾーン バイオリン協奏曲ホ短調 Op.64

ベートーヴェン、ブラームスのヴァイオリン協奏曲と並んで 「三大バイオリン協奏曲」と称される、華麗な技巧と、柔らかく美しい旋律が全曲に渡って流れる名曲。
三つの楽章からなっているが、全 ての楽章を続けて演奏するように指示されている。

第1楽章 Allegro molto appassionato(アレグロ・モルト・アパッシオナート)
独奏ヴァイオリンの奏でる優美な第1主題は非常に有名な旋律。
ア ルペッジョの多用された華々しいカデンツァが展開部の終わりに置かれており、全て作曲者が作曲していることは当時としては珍しい。
独 奏ヴァイオリンが華やかで技巧的な音楽を繰り広げ、最後は情熱的なフラジオレットで結ぶ。

第2楽章  Andante(アンダンテ)
抒情的で甘美な楽章。
第1楽章と第2楽章の間はファゴットの持続音によって途切れ ることなく繋がっている。
途中、独奏バイオリンが重音で旋律と細かい伴奏音型を同時に演奏する箇所は技巧の見せ所。

第 3楽章  Allegro non troppo - Allegro molto vivace(アレグレット・ノン・トロッポ−アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ)
冒頭に序奏が置かれ、続く管楽器のファンファーレ で目覚めたように快活な音楽が展開される。
独奏ヴァイオリンが軽快で華やかな主題を繰り返し、最後に華々しいコーダが置かれ全曲の幕 を閉じる。






こ こでソリストが一度退場したが鳴り止まない拍手喝采に応え再び登場、そしてクライスラーの「愛の喜び」をアンコールとして演奏した。
ウィー ンの古い民謡をもとにして作られた小作品で、ウィンナ・ワルツ風のリズムに乗せて奏でられるメロディは軽やかで美しい。
盛大な拍手を 浴びてソリストが再び退場し、しばしの休憩に入る。






ベー トーヴェン 交響曲第5番ハ短調 Op.67 「運命」

この交響曲は日本では「運命」と呼ばれる事が多く、ドイ ツあたりではSchicksalssymphonie(運命交響曲)という呼び方もあるが世界的にはあまり一般的ではない。
「運命」 という呼び名は、この曲の冒頭の有名な4つの音の動機を指して、ベートーヴェンが「運命はこのように扉を叩くのだ」と弟子のシンドラーに語ったと伝えられ ている事に由来する。
この曲はだからといって標題音楽ではないが、しかしそこに「闘争から勝利」「暗から明」というベートーヴェンが 中期以後に好んだ音楽の方向性があることは否めない。
またこの曲は特に緊密な構成をとっており少しの無駄もなく、冒頭の4つの音の動 機は「運命の動機」と呼ばれ、各楽章に姿を変えてあらわれ、全体を統一している。

第1楽章 Allegro con brio(アレグロ・コン・ブリオ)
有名な「運命の動機」で始まり、互いに著しく対比する2つの主題をもとに、交響曲史上ま れにみる激烈さをもつ集約された楽章。

第2楽章 Andante con moto(アンダンテ・コン・モート)
2つの主題を用いた変奏曲の緩徐楽章。
第1楽章のような激烈さはなく、柔 和で安らぎに満ちているが、時として暗くなる。

第3楽章 Allegro(アレグロ)
スケ ルツォ。
底から湧き出るような低弦の主題で始まり、中間のトリオではフガートが展開する。
やがて不気味にうごめ きながらコーダからアタッカで途切れることなく第4楽章へと続く。

第4楽章 Allegro(アレグロ)
第 3楽章から続けて演奏される。
力強く喜ばしい全合奏の大凱歌がはじまり、「苦悩を通じての歓喜」が具現する。
ク ライマックスで第三楽章のスケルツォを回想するが、第1主題が再現し、最後は息をもつかせぬ勢いで進み曲は力強く華やかに結ばれる。






繰 り返される「運命の動機」。
その音の中で思うこと。

俺の「運命」はどう扉を叩くのだろう?

・・・ いや、俺の「運命」は、ずっと昔にもう扉を叩いていた。
そして硬く閉ざされていたはずの扉を、いとも容易く開け放った。

あ あ、だけど。
俺の「運命」は、この手から零れ落ちた。

誰のせいでもない、自らのせいで。

苦 悩から歓喜へ身を任せれば、思い浮かぶのはただ一人。

胸の内のこの苦しみは、いつか喜びに変わるのだろうか?
消 す事の出来ないこの想いは、いつか浄化して音楽の絆だけが残るのだろうか?

未来は見えないけれど、そう信じた い。

今夜、彼の人は聴いているだろうか?
願わくばどうか、この音楽が届いていますように。

二 人の間に許されているのはきっともう、今は音楽だけだから・・・。










全 ての演奏が終わり、訪れる静寂。
握り締めた拳が掴み取ったものは一体何なんだろう?

終わっ た。

眩しいばかりのステージ上、疲労を感じさせながらも達成感に満ちたたくさんの顔が俺を見つめている。

仄 暗い客席へと身体を反転した。
荒い息遣いを軽く整え、客席をぐるりと見渡す。

個々の顔まで は判別できないけれど、皆の視線を全身で感じる。

俺はコンマスと一度視線を交わすと、客席に向かって一礼した。





**********





マ ンションのドアを開けた。
部屋に籠もった熱気が俺を迎えてくれるが、今夜は不思議と不快感はない。
身体は疲れて いるが、何とも言えない高揚感が俺を包み込んでいるせいかもしれない。

今夜の演奏は自分自身納得のいく出来で、 それは観客や団員の反応でより確かなものとなった。
津波のように押し寄せる拍手、団員達の地鳴りのような足踏み。
ま だ、耳に残っている。

公演後の打ち上げで、

「君 の要求はなかなかに厳しいが、その音楽的解釈はきちんとした知識の裏打ちが感じられるし、僕は嫌いじゃないよ。まあ、メンバーの中には色々言う人もいるだ ろうけどね。今夜の成果でそれも少し変わるだろうし。常任指揮者として、これからもウチのオケをよろしく頼みますよ」

高 梨さんがそう言うのを見計らったかのようにオケのメンバー達が集まりだして、今までの不平不満を面白おかしく並べ立て始め、そして最後には、今夜の成功を 称えあった。

今夜のプログラムは全て有名どころで、当然数多の指揮者やオケが名演奏をこれまでに数え切れないく らいしているし、「若造に何が出来る」とOB達や古株からの無言のプレッシャーだってあった。

全てを跳ね除けた とは言わないが、でも、ようやく。
このオケと、上手くやっていけそうだ。
今夜、やっとそう思うことが出来た。

新 生・新東京交響楽団。
その言葉を恥ずかしくも嬉しく思う。

これで少しは俺を支えてくれた周 囲の人達に報いる事が出来ただろうか。

彩子も今夜の打ち上げに、スポンサーの役員として顔を出していた。
仕 事として来ていたので一言二言言葉を交わすくらいで今夜は別れたが、彩子の顔は始終嬉しそうで、肩の力が抜ける思いがした。

ふ うっと息を吐いてジャケットを脱ぎ椅子に掛けると、ミネラルウォーターを飲もうと冷蔵庫に手を伸ばしかけて・・・テーブルの上の封筒に目が行った。
先 日佐久間さんから受け取った封筒だ。



―――この度、クリストファー・ バートン氏の新曲が一部関係者にのみ発表された。
      繊細で情緒豊かと評される彼らしい、センチメンタリズムと深い愛情を感じさせる一曲であるとの事。
      この曲を幸運にも聴くことの出来た者が羨ましいものである。
      ところで、それに少し遅れて、バートン氏の最後の弟子と言われている東洋人女性のコンサートが催された。
      そのコンサートのアンコールでこの新曲と大変似通った曲が彼女のオリジナルとして演奏されたらしい。
      師匠へのオマージュなのか、それとも盗作なのか・・・。
      バートン氏からも彼女からも何のコメントもないため、真偽の程は分からないが・・・機会があれば是非とも聴いてみたい一曲である。―――



何 度も読み返したため、もう記事を暗記してしまった。
東洋人女性とは、間違いなくのだめのことだろう。
公演前は極 力頭から追い払っていたが、無事済んでしまえば、また頭の中をゆっくりと占拠し始める。

盗作。

の だめが盗作だなんて・・・俺には考えられない。

共に過ごしてきた師匠だから、作品が似通ってしまうこともあるの かもしれないが。
それでも、盗作、とまで言われるくらい、似通っているなんてあるんだろうか。

佐 久間さんに記事のことを尋ねてみたが、彼も詳しくは知らないらしい。

「実際はどうなのか、当人同士が何も言わな いから分からないんだ。バートン氏の熱狂的なファンの間では、彼女かなり批判されたようだけど・・・。僕は愛(ポエム)のない批評は嫌いだ」

音 楽事情に長けている佐久間さんでさえ事実を知らないとなると、これはもう本当に当人へ聞くしか事実は明るみに出ないんだろうか。

オ リジナル曲、という言葉に異常に反応していたのだめ。
あの反応は尋常じゃない。
俺の勝手な推測だが・・・盗作し たのはむしろ師であるバートン氏のほうなんじゃ・・・?

だけど、真実は闇の中、だ。

俺 がいくら考えたところで真実は分からないし・・・結局は部外者、だ。

のだめの傍にはリュカがいる。
誰 よりものだめを愛していると公言して憚らないリュカが。
のだめの事は、きっとリュカが守ってくれるはず。

俺 に、何が出来る・・・?
部外者の俺に、出来る事なんてないだろう?

そしてあの時のリュカの 鋭い視線を思い出す。
リュカは多分、全てを知っているのだろう・・・。

携帯を封筒の上に放 り投げ、ミネラルウォーターを呷ろうとして、そこでメール着信を知らせるランプが点灯している事に気が付いた。

メー ルを開くと、そこには。

――― 先輩、今夜はとっても素晴らしかったです。おめでとうございます。 ―――

短 い、とても短いメール。
だけどその一言にほっとする。

のだめ・・・来てたのか・・・。

出 来ればメールなんかじゃなく、直接聞きたかったと思うのは俺の我侭なんだろう。

あの雨の日、あんな事をしておい て。
今は彩子との将来を考えている俺には、のだめに合わせる顔なんか無いのに。

会えば必要 も無いのに傷付けてしまう・・・そう、思うから。
この間からのだめには会っていなかったし、のだめからもこのメールが来るまでは連絡 はなかった。

だけど俺達はまだ、音楽で繋がっている。
このメールで改めて思う。

の だめ・・・。
俺じゃなくても、お前を守ってくれる奴は傍にいるんだよな・・・?

メール画面 のバックライトが消えるまで、俺はじっとその文を見つめ続けた。





**********





俺 の新東響の定期公演も終わり、俺の身辺もそれなりに落ち着きだした。
といっても客演はいくつか入っているし、やる事は山積みだ。
ま だまだ駆け出しに毛が生えたくらいの指揮者にとっては、何ともありがたい事だが。

「遅くなったけど、公演成功お めでとう」

今日は公演後初めて休日が重なって、彩子がどうしても祝いたいというから彩子お勧めの結構評判のレス トランに二人で来ていた。
彩子が太鼓判を押すだけあって確かに料理は美味かった。

「改まる と照れるな」
「何言ってるの」

美味い料理と、美味い酒。
目の前には文 句の付け所のない恋人。

仕事もプライベートも、何の問題も無い。

だけ ど俺の心は、何故か晴れない。
その理由は、自分が一番良く知っていた。

このレストランの窓 際の席は夜景が綺麗に見えることでも有名らしく、彩子は窓際の席を運良く予約できたと嬉しそうに外を眺めてはワインを口にしている。
俺 もつられて窓の外に目をやる。

あ・・・。

俺の目に飛び込んで来たのは きらきらと輝く夜景ではなくて、レストランとは反対側に立っているビルの屋上にあるライトアップされた看板だった。


      ――― 奇跡のデュオ『zephyr』
          CDリリース決定!―――


柔 らかく微笑むのだめと、そんなのだめを優しく見つめるリュカの姿に胸がちくりと痛む。

そんな俺を彩子が見ていた なんて、俺は全く気付いていなかった。





そ れからまた数週間後。
ある話題がマスコミの話題に上った。

『zephyr』は今、その音楽 性と共にルックスでも話題沸騰中の人気デュオになっていた。
そしてのだめに関してはプロフィールを一切公表していなかったのだが、こ こは日本だし、のだめは日本人で当然友人知人顔見知りはいる訳で、そう時間も掛からずにのだめのプロフィールは公のものとなっていた。

そ れは出身地や出身校、留学先や師事した師に関してで、取り立てて目くじらを立てるようなものではなかった。
しかしそのせいで、のだめ を苦しめていると思われる事件が、ここ日本でもついに公になってしまった。

のだめのプロフィールを追っている内 に見つけたのだろう三流のゴシップ紙が、面白おかしく書き立てたのだ。


―――師匠の曲を平 然と盗作し発表した弟子
―――のうのうと音楽界で活躍


事実はまったく 分からないというのに、興味本位でのだめをさも悪者のように仕立てて。
三流紙だけあってさほど大きな騒ぎにはならなかったようだった が、それでも疑惑の波紋は広がった。

どうやらのだめはその記事のせいで塞ぎこんでしまったという噂だ。
直 接確かめる事はしていないが、あの時の反応を思えば、きっと噂は本当なのかもしれない。

大丈夫かどうかくらい、 電話してもおかしくないよな?
先輩後輩の仲なんだし。

そう思いながら携帯を持っても、結局 はダイヤルを押せず。
心配なくせに何も行動できない自分は何とも不甲斐なかった。

「真 一・・・?」
「あ、何?」
「ご飯、出来たけど」
「サンキュ」

そ うだ、今日は彩子が部屋に来ていたんだった。
手にしていた携帯と雑誌をテーブルに投げ捨てるように置いてダイニングの席に着く。

「真 一」
「ん?」
「・・・ううん、何でもない。さ、食べましょ」

彩子は何 かを言いかけて止めた。
それをさほど気にしなかった俺は、後になって思えば馬鹿だったと思う。





そ してその数日後。
のだめに関してのゴシップは静まったかに思えたが・・・。
マスコミではなく、一部のインター ネット上で色々と話題が持ちきりらしいと峰が親切にも俺に教えてくれた。

ソウルメイトの一大事だ!と息巻いて、 俺にも何とかしろ、と言ってきた訳だが。

早速そのネット上の話題とやらを見てみると、驚く事ばかりというか、も う事実なんてそっちのけで、あることないこと勝手に書き捨てられているといった状態だった。



――― 本当は師匠とデキてたんだよ、アイツ。

―――不倫、修羅場、挙句に盗作。で、日本に逃げ帰った。

――― 純粋なリュカを手玉にとって、出世しようとしてる女。

―――見た目に騙されると、痛い目に遭うぞ。



何 なんだ、これは。
読んでいるうちに眩暈がしてきた。

とてもじゃないが、全てを読む事なんて 出来そうにない。

まさかとは思うが、これものだめの耳に入っているのか・・・?

胸 の奥が、痛いというにはあまりにも度を越して、重苦しく感じる。


どうにかしてやれないか。


い や、どうにかしてやりたい。


でも、俺に何が出来る?


そ れでも、力になりたい。


のだめの曲が盗作ではないとすると、オリジナルだと証明しなければ ならない。


そんなこと、俺に出来るのか?


俺 じゃなくても、それをしてくれる奴が傍にいるじゃないか。


だけどそんなことは関係なく、俺 が、何かをしてやりたい。


そんな考えが、ここ最近ずっと頭で堂々巡りしている。






「ね え、真一。真一ってば、聞いてるの?」
「え、ああ、ごめん・・・」

考えに没頭していて、彩 子が呼び掛けているのに全く気付かなかった。
珍しく休日が重なり、久しぶりに外でゆっくり会っているというのに。

「で、 どうするの?」
「は?何を?」
「聞いてなかったのね・・・」

彩子はス トローでアイスコーヒーに浮かぶ氷を突いた。

「ごめん・・・」

彩子は そんな俺を黙って見ていたが、ふっと溜息を漏らした。

「真一・・・私、ちょっと話したい事があるの。話してもい い?」

そう言った彩子は、真剣な表情をしていた。

「あ、ああ・・・」

そ の気迫に押されて俺は頷いた。

「ありがとう」

にっこりと笑うと、彩子 はきっぱりと言った。

「私と別れて」

一瞬何を言われたか分からなかっ た。

「終わりにしましょう?」
「急に、何で・・・?」

予 想外の言葉に、思考が止まりかける。
何だって急にそんな事・・・。
今日だって、こうやってデートしてるし、俺達 は今まで通りで・・・。

「本当はね、ずっと思ってたの。言ったでしょう?私は真一のお母さん役なのよ・・・」
「彩 子?」
「お母さんはね、何でも知ってるものなのよ?最近の真一が今何を考えているのか、そして本当に求めているものが何か、もね」

彩 子は寂しそうに笑った。

「真一の言葉、嬉しかった。でもね、もういいの。私は私を一番に愛してくれない男なんて 要らないの」
「そんな事は・・・」
「素直になりなさいよ、真一。欲しいものを欲しいと言うのは、悪い事じゃない のよ?誰に遠慮する事でもないわ。心は縛れないものよ?」
「俺は・・・」

俺の欲しいもの。
求 めているもの。

それは。
だけど。

「本当にバカ ね。傷付くのを怖がっていたら、何にも手に入らないわよ?」
「・・・・・・」
「昔に何があったかは知らないけ ど、ね・・・」

彩子は俺とのだめの事を言っているんだろう。
だけど俺とのだめの事は、も う、終わった事だ。

「本当に欲しいものを手に入れたかったら、死に物狂いで頑張りなさいよ。いつまでもお母さん に甘えていてばかりじゃ駄目なのよ?」

彩子は俺を見て困ったように笑った。
どうしようもな い息子を見る母親のような顔で。

彩子は俺の手を離そうとしている。
けれど俺は今、彩子の手 を離していいのか?
俺をこんなに分かってくれて、支えてくれた彩子の手を。
ついこの間、将来の事まで考えた相手 の手を。

「真一って、案外情けないわよね。うだうだ考え込むタイプだし。何て言えばいいの?ヘタレ?カッコばっ かりつけちゃって、肝心な事は言えないし。なーんでこんな人に二度もひっかかったのかしらね、私」

アイスコー ヒーを口にしながら、今度は彩子はぼやき始めた。

「見た目はいいし、音楽の才能だってあるけど。男としてはどう かしら?今頃になって気付くなんて私もバカだけど、手遅れにならなくて良かったわ」
「彩子・・・」

何 だか言いたい放題だが、妙に迫力があって言い返せない。
誰かに似ている気がした。

「あら? 本当の事じゃない。悔しかったら、自分の本当に欲しいものを手に入れてみなさいよね」

しらっとした顔でアイス コーヒーを飲み干す。

ああ、俺の母親に。
本当の母親に似てるんだ。

そ う気が付いて、複雑な気分になる。

「私だってまだまだ声はたくさん掛かるのよ?真一なんかより、ずっと素敵な人 を見つけてみせるわ」

彩子はそう言うと、今まで見たこともないような、一番いい笑顔を俺に見せた。
そ れは寂しそうでも、母親のようでもなかった。

「あ、別れるけど、ビジネス上ではまだまだ付き合ってもらうわよ。 しっかり働いてもらいますからね。なんてったって、我が多賀谷楽器が出資するオケの常任指揮者様なんですから」
「・・・ああ」

デー トのはずが、一方的に別れを切り出されるはめになっているのは・・・俺がここ数日のだめの盗作事件で頭が一杯になっているからで。
そ れを否定できない俺は、彩子の突然の申し出を断る事が出来なかった。

思い上がりかもしれないが、ここで「別れな い」と言う事がさらに彩子を傷付けるような気がした。
彩子なりの俺に対する想いを感じるからこそ・・・受け入れるしかなかった。

「今 日の予定はキャンセルでいいわよね」
「ああ・・・」
「それじゃ、私もう行くわね」
「・・・ 今まで色々・・・ありがとうな・・・」
「そうね、感謝されて当然だわ」

最後に彩子らしくそ う言って笑うと、彩子は一人店を出て行った。
その後姿は颯爽としていて、俺が責任を持たなくては、なんて思っていた事自体が
傲 慢だったのだと気が付いた。

――― 女って男より逞しいのかもな。

スーツを着こなして、仕事をバリバリとこなす彩子は誰かを彷彿させた。

そ うだ、エリーゼ・・・。
有能な彼女なら、音楽業界で何があったのか、バートン氏についても何か知っているかもしれない。
一 度連絡を取ってみるか。

カラン、とグラスの中の氷が音を立てた。

俺は 一人残されたカフェで、のだめと再会してからの自分を振り返った。

迷いを捨てたつもりで、実は迷ってばかりい た。
周りに支えられてばかりだった。
いい歳をして、いつまでも子供じみた思いに捕らわれ続けていた。

だ けど、どんなに迷っても、周りに目を向けても、結局は同じところに戻って来てしまっていたようだ。

彩子は何でも お見通しだったって訳か・・・。


―――のだめ・・・


の だめとは、今はまだ無理でも、いつか穏やかな関係に、音楽を介しての関係になっていけるはず。
そうしよう、そうするのだと決めたの に。

まるでそれを嘲笑うかのように、のだめの姿を見ることも、声すら聞くこともなくても、その存在は俺の周りか ら消えてくれなくて。

それはテレビのプロモーションだったり。
街中のポスターだったり。
今 回のような、マスコミだったり。

アイツがピアニストとしての地位を確立していけばいく程、間接的な接点が増え続 ける。
黙って見ているしか出来ない俺を追い立てるように。


―――のだ め・・・


音楽も、生きる事も、全ての喜びも、悲しみも。
のだめがいた から俺にとってより意味があり価値があるものになっていた、あの頃を思い出す。

お前と共にありたい。
心 はどうしてもお前を求めてしまう。

たとえお前と一緒にいる事が出来なくても。
想いだけは傍 に寄り添っていたい。

多分、いいや、きっと。
のだめは、俺の全て。

情 けないが彩子に背中を押されてやっと認めることが出来た、それが今の俺の、素直な想い。

今更何だ、と切り捨てら れても構わない。
ただもう、自分の想いから目を逸らしたくはない。

相手を傷付けたくないな んて偽善で、本当は自分が傷付きたくなかった。
色々な状況を考えて最善を選んでいた。
それがベストだと信じてい た。
だけど、結果それも他人を傷付けた。

だったらもう、どうすればいいのかなんて決まって いる。

この想いがお前を傷付けると言うなら、一生報われなくてもいい。
黙っていたってい い。

ただ、今はそれよりも。
お前を救いたい。

何 にそんなに怯えているのか。
どうしたらそこから救ってやれるのか。

俺に出来る全てで、お前 を必ず救い出してやる・・・。





**********





「そ れじゃ、リュカさん。今日はありがとうございました」
「いえ、こちらこそ」

今度出すCDの 宣伝も兼ねて、僕は「クラシック・ライフ」の取材を受けていた。
場所は事務所が借りているスタジオの一室。
前回 は佐久間さんという一風変わった人物が僕とのだめを取材したけど、今回来た河野けえ子という記者も、何て言うか・・・違った意味で変わっていた。
僕 の事、青い瞳の貴公子、とか何とか、ぶつぶつ言ってたし・・・。

「やれやれ」

ひ とつ仕事を片付け終わって、ゆっくりと肩を解した。

『zephyr』の初コンサートが大盛況で幕を閉じてから、 僕とのだめは以前にも増して多忙な日々を送っていた。
のだめはソロコンサートが入っているし、僕はCDを出すし、それにデュオコン サートもまだ残っている。

そしてプロフィールを公表していなかったのだめだが、やはり話題の人物ともなると色々 と報道陣やらが押寄せて来て。
どこでどうやって調べるのか、のだめの大まかなプロフィールは週刊誌にスクープされ、仕方がないので事 務所側から正式なプロフィールを発表する事になった。
それでも、公表されたプロフィールはかなり簡略化したものだった。
だ がそのプロフィールを追って三流のゴシップ紙が事実も知らずにあの事件を騒ぎ立てた。

相手が世界的ピアニストで あり、事件の実際の所はまったく謎に包まれていたため騒ぎはすぐに収まったけれど、のだめに対する視線が好意的なものからやや厳しいものに変わったと思 う。

そしてのだめも、元気に振舞ってはいるが疲れが色濃く見え始めていた。
ピアノはそれで も技術的には問題なく弾いてはいる。
弾いてはいるが、どこか萎縮していてのだめらしさがなりを潜めてしまっていた。

今 日も練習に借りているスタジオの外に、カメラマンやらが数人待機しているのが見えて僕は溜息を吐いた。

「どうし たんデス?取材は終わりマシタか?」

のだめがそれに気付いて、僕に声を掛けてきた。

「い や、毎日飽きないのかなって思ってさ」

窓の外を指すと、のだめも苦笑した。

「ま あ、あの人達はあれが仕事デスし。じゃ、のだめは帰りマスね」

今日の練習を終えたらしいのだめは、もう帰ってし まう。
僕はCDに録音する曲の練習がしたいから、まだスタジオに残る。

「うん。気を付けて ね」
「ハイ、また明日」

そのまま帰ろうとするのだめの腕を取って、僕は両頬にビズをした。

「ま た明日」

のだめは照れ臭そうに笑うと、手を振って出て行った。
表はカメラマンがいるから、 きっと裏口からタクシーを呼んでもらって帰るのだろう。

一緒にいる時は笑顔を見せてはくれるが、それが空元気だ と分かる分辛い。
どうしたら、彼女の笑顔を取り戻せるんだろう。

僕はピアノチェアに腰掛け た。
弾くのはCDに録音する曲ではなかった。





弾 き終えるのを見計らってか、スタジオのスタッフが扉をノックした。

「どうぞ」
「あの、新東 響の千秋さんという方が訪ねていらっしゃってるんですが・・・」
「チアキが?のだめじゃなくて、僕に?」
「は い、リュカさんにです。どうします?お会いになりますか?お忙しければお断りしますが」

僕はしばらく考えて、練 習室まで通してくれるように頼んだ。
のだめが帰った後でよかったと思う。
嫉妬だと分かっていても、どうしてもの だめをチアキには会わせたくなかった。

間もなくスタッフに案内されて、チアキが現れた。

「チ アキ、一体何の用?」
「悪いな、こんな所まで押しかけて・・・。ちょっと確かめたい事があって」
「何?」
「あ の・・・のだめは?」
「もう帰ったよ」
「そうか」

チアキはほっとした ように息を吐いた。
のだめには聞かせたくない話?
だとしたら・・・。

「君 は・・・のだめがオーストリアにいた頃を知ってるんだよな」
「僕はコンヴァトを卒業した後、オーストリアに留学していたからね。のだ めの事は、チアキより知ってるさ」

言外にチクリと皮肉を込める。
チアキの眉間にシワが寄る けど、それも一瞬だった。

「だったらのだめの師匠の事も知ってる?」
「もちろん。有名なピ アニストだからね」

チアキが僕に何を聞きに来たのか。
もしかしたら来るんじゃないかとは 思っていたが、本当に来るとはね。

「君は真実を知ってる?」

そう言う と、手にしていた封筒から小さな記事の切り抜きのようなものを取り出して僕に見せた。
英語で書かれた、短い記事。

「こ れは・・・」

それは、最近スクープされた三流紙のものではなかった。
のだめが師匠から独立 してすぐの頃の記事。
しかもそう簡単に手に入るようなものではない、イギリスの小さな地方誌の切り抜き。

ど うしてこれをチアキが?
調べたのか?

のだめの心に今も深く突き刺さって、彼女を苦しめてい る闇。

自分の曲を、想いのたくさん詰まった大切な曲を・・・あろうことが自分の師匠が・・・。
否 定も肯定もしないまま、もしくは出来なかったのか、今では分からないが、バートン氏は療養生活に入ってしまった。

世 間は冷たいもので、いくらのだめのオリジナルと言ったところでバートン氏のネームバリューには勝てず。
事実は曖昧になったまま、概ね 師匠に対するオマージュ、という事で片付けられた一件。

のだめもバートン氏を信じていたから・・・一切何も説明 する事はなかった。
ただ自分の身の内に、闇を抱え込んで。

「君は知ってるよね」

チ アキは僕の目をじっと見た。
必死で何かを知ろうとしている。
のだめを闇から救い出そうとしているのだと分かる。

何 を今頃になって。
のだめをあんなに傷付けたくせに。
そして傷付いたのだめが、更に傷付いた時に傍にもいなかった くせに。

何を今頃!

僕は黙って記事をチアキに突き返すと、ピアノチェ アに座った。

「リュカ・・・?」

僕はさっきも弾いていた曲を、チアキ に聴かせるために弾いた。
横目で見たチアキは少し青ざめた顔をして、それでも黙って聴いていた。
この曲がその問 題の曲だと、知っている顔だった。
そこまで調べたって事か・・・。

弾き終わってチアキを振 り返ると、

「この曲・・・」
「そうだよ。その記事の曲だよ」
「どうし て君がその曲を?」

一部関係者のみに発表された曲だけど。
のだめのコンサートのアンコール で弾かれた曲でもある。

僕が知っていてもおかしくはないだろう?
チアキだって知ってるん だ。
それとも僕が楽譜も無しで弾ける事に驚いているんだろうか。

だってこの曲は、僕にもあ る意味特別な曲だから。

「この曲を聴いて、チアキは何も感じないの?」
「え?何もっ て・・・凄く、いい曲だと思うけど・・・」

チアキの答えは、事情を知らないといっても僕をイラつかせるには充分 だった。

「この曲は間違いなくのだめが作った曲だ。盗作なんてありえない。僕はこの曲をずっと聴いてきたか ら・・・のだめがチアキと別れてから、ずっと。ずっとだ!」
「え・・・?」

チアキのあまり に間抜けな反応に、つい声を荒げてピアノを思い切り叩きつけてしまい、バーンと大きな不協和音が室内に響き渡った。

「こ の曲は・・・のだめがチアキを想って作った曲なんだよ!」
「!!」
「思い出が詰まった曲だって、いつものだめは 言ってた。練習の合い間に、よく・・・弾いてた」

寂しそうに、でも愛おしそうに。
大事な大 事な宝物のように、この曲を弾いていたのだめ。

「バートン先生とこの曲をきちんとした形にしようとしてたみたい だったけど・・・僕にも何があってこんな事になったのかは分からないけど・・・とにかくこの曲はのだめの曲だ」

「の だめは今も苦しんでる。想いが強かった分、余計に」

「でも僕は絶対にのだめを救ってみせる。僕の全身全霊を懸け て」

チアキは僕の言葉を黙って聞いていた。

「分かった。でも・・・俺 もアイツを救いたい」

チアキは僕に挑みかかるような視線を向けてきた。
僕も負けずに睨み返 す。

「無理だよ。チアキはのだめを苦しめるだけだ」

のだめは恐れてい る。
盗作というレッテルを貼られた事が、チアキを巻き込んで傷付ける事にならないか、という事を。

「そ れでも、アイツを救いたい」

チアキは僕から目を逸らさなかった。
一歩も引かないと、その目 は言っている。

「好きにすればいい。でものだめを救うのは僕だ」

しば らく無言で睨み合っていたが。

「・・・・・・練習の邪魔をして悪かった」

そ れだけ言うと、チアキは出て行った。
その背中を睨みつける。

何だよ、今頃。
遅 いんだよ。

だけどチアキが本気だということは、嫌でも感じたから。

負 けていられない。
僕が絶対にのだめを救うんだ。
そして幸せにする、チアキよりも。

だ けど僕はどうしたらいい?
どうしたらのだめを救える?

答えが出ないまま、毎日がだた過ぎて いった。





**********





成 田空港。
何故か俺は今、ここにいる。

「千秋、出迎えご苦労様デース」

俺 はエリーゼと連絡を取りはしたが・・・何故こうなってしまったんだ?

数日前に届いたメールを思い返す。


――― チアキ

ちょうど良かった。
私も連絡しようと思っていたの。
シュトレー ゼマンが日本にどうしても行きたいと言うから、まあ、休暇も必要だし、しばらくそちらへ行かせるから。
という事で、滞在中の世話をよ ろしくね♪

                                                       エリーゼ―――


何なんだよ、一体・・・。
俺の用件を話 す前に、ジジイをこっちに送りつけてくるなんて・・・。

「久しぶりにミーナに会いたくなってね。それからのだめ ちゃん。彼女も今日本にいるんデショ?」

ジジイ・・・シュトレーゼマンは俺を見るとそう言った。
の だめとの間の事は特に説明も何もしていないが大体の事は知っているらしく、シュトレーゼマンなりに心配はしてくれていたのだろう。
な にせのだめを孫のように可愛がっていたから。

「ええ、いますよ」
「早く会いたいデス」
「そ うですね」

俺がそう答えると、少しだけ寂しそうにシュトレーゼマンが笑った。

何 となく気まずい空気が流れたが、それはシュトレーゼマンの発言で一気に吹き飛ばされた。

「ま、今日はまずワン・ モア・キスのママに挨拶にいかなくちゃネ。お土産もあるしー」
「げ、それ全部ですか?」
「そーでーす」

シュ トレーゼマンの傍らには、スーツケースの他に大きな大きな鞄が二つ。
俺以外にもお付きの人がいるはずなのに、その人達は一向に姿を見 せない。

全く、世界の巨匠を俺一人に預けるつもりなのか?



だ がこのタイミングでシュトレーゼマンが現れた事が、この後意外な展開をもたらすとは思いも寄らなかった。



続 く。(written by びわ)