僕と彼女の間と、彼と彼女の間。
何の違いがあるっていうの?
 
 
 
『二人の距離』
 
 
 
「こっちこっち!」
「リュカ、遅れてごめんなさいデス」
 
のだめのアパルトマン近くのカフェ。
待ち合わせに少し遅れてきたのだめは、手 を挙げた僕に申し訳なさそうに言った。
のだめを待っている時間が結構好きだった りするから、僕は待たされるのなんて全然苦にならない。
 
「いいよ、気にしないで」
 
そう言うとのだめはふわっと笑顔になっ て、席に着くとショコラを注文した。
 
コンヴァトを卒業して3年。
僕は、今はもうのだめの背を追い越した し、声も低くなって少しは大人になったと思う。
のだめは相変わらす年齢の分からない容 姿。
それでも少女らしさを残しつつ歳相応の女 性らしさというか、僕と同年代の女の子たちにはない色香があって、出会った頃よりも僕を惹きつけて止まない。
 
「最近何か変わった事とかあった?」
 
会うたび綺麗になっていくのだめに僕はい つもドキドキして、それが抑えられなくて。
のだめに悟られないように平静を装うの に、本当に苦労する。
 
「特にありマセンよ?あ、今度小さいです けどコンサトやりマス!」
 
嬉しそうに話すのだめはすごく可愛くて、 カフェの男性客から注目を集めてるんだけど本人は気付いてないみたいだ。
僕のなんだから、と周りをひと睨み、なん てね。
 
「へえ。絶対聴きに行くよ」
「ありがとデス」
 
僕たちは卒業後、お互い少しずつだけどコ ンサートやオケとの協演をこなしていて、若手として少しは知名度が上がり始めている。
だからそれぞれ忙しいには忙しい身なんだ けど、僕は積極的に連絡を取って、こうやってのだめと会う機会を作っている。
 
それには理由があって。
 
「そういえば、チアキは?」
 
とたんに少し暗い顔になるのだめ。
 
チアキは10ヶ月程前からイタリアに行っ ている。
指揮者として、仕事でパリを空けることは しょっちゅうで。
今回もそう。
そしていつもと違うのは、今回は勉強もし たいと言うチアキの希望で、彼の師匠であるというヴィエラ氏の下に長期滞しているという事。
 
始めのうちは変わらない様子だったけど、 半年を過ぎた頃から、特に最近ののだめは元気に振舞っていてもどこか寂しそうで。
チアキが当初の予定の半年を過ぎても帰っ てこないのがその理由だと僕は知っているけど、敢えて聞く事はしない。
 
卑怯かもしれないけど、今がのだめを口説 くチャンスかもしれないと僕は思っているからだ。
 
のだめには悪いけど僕には好都合。
だから理由を付けては誘い出している。
のだめも今は友人として、僕の誘いにのっ てくれている。
 
「最近忙しいみたいで、連絡が取れないん デス・・・」
「そうなんだ」
「そろそろ帰るって前に言ってたんデスけ どね」
 
寂しげに笑うのだめは彼女らしくなくて、 今にも消えてしまいそうなくらい小さくて、儚く見えた。
 
それが切なかったけど、僕が寂しさなんて 忘れさせてあげるんだ。
 
 
 
それから僕たちはカフェを出て、二人で公 園を散歩したり、楽譜を見に行ったり。
たくさん話をして、ちょっと早い夕食を一 緒にとった。
 
今日の僕たちは、どこからどう見ても恋人 同士のはずだ。
のだめもずっと楽しそうにしていたし。
のだめをアパルトマンまで送りながら、僕 はご機嫌だった。
 
 
のだめの携帯が鳴るまでは。
 
 
突然鳴り出した携帯の相手はチアキだ。
のだめは携帯の向こうのチアキに、嬉しそ うな顔をして話している。
短い会話は終わって、のだめはこれ以上は ないって程の極上の笑みを僕に見せた。
 
「先輩、来月帰って来るって!」
 
その言葉は予想できたけど、予想以上の ショックで。
僕の中の何かのスイッチが入ったと思っ た。
 
「今日は楽しかったデス、リュカ。また今 度、会いましょうネ」
 
そう言うのだめを、僕は強引に腕の中に引 き寄せた。
そんな事、今まで一度もしたことはない。
 
簡単に僕の腕の中にすっぽりと収まるのだ め。
びっくりした顔で僕を見上げるのだめを じっと見つめた。
 
「ぎゃぼっ?!リュ、リュカ?」
 
軽く身動ぎするのを更に力を込めて抱き締 める事で遮る。
 
「僕、のだめが好きだよ」
 
いくら僕が言っても、いつも本気に取って もらえなかった言葉。
 
「・・・のだめも好きデスよ?」
「僕の『好き』は特別の『好き』で、のだ めのとは違うよ」
 
のだめの耳元で囁いた。
 
「・・・のだめの特別は、先輩だけデ ス・・・」
 
腕の中ののだめは、小さい声だけどはっき りと言った。
断られる事は分かってたけど、少しは悩ん でくれたっていいじゃないか。
 
「それでもいいよ。今、返事が欲しい訳 じゃないから」
 
腕を緩めてのだめを開放すると、のだめは 困ったように笑った。
その左手をそっと取り、その甲にゆっくり 思いを込めてキスをした。
 
唇を奪うのは簡単だけど、やっぱりのだめ に嫌われたくなかったから。
 
のだめの隣にいるのは、今は僕なんだ。
のだめの隣にいないチアキになんて、絶対 負けない。
 
「諦めないよ」
 
頬を真っ赤に染めるのだめに構わず、僕は その場を後にした。
 
 
 
 
 
********
 
 
 
 
 
「「「ブラヴォー!」」」
 
 
鳴り止まない大歓声と拍手。
隣でのだめが涙を流している。
 
パリで久しぶりに開かれた、シンイチ・チ アキが指揮するオケのコンサートはそれはそれはすばらしいもので。
のだめを放っておいて、それだけの結果が なければ納得できないと思っていた僕も、悔しいけど認めるしかなかった。
 
あれから何度かのだめには会っていた。
僕もとりあえずこれまでと変わらない態度 で接していたから、のだめもそうしてくれて。
特に気まずい雰囲気にはなっていなかっ た。
 
のだめなりに気を遣ってくれているのかも しれない。
今日のコンサートにも一緒に来てる訳だ し。
 
「のだめ、楽屋に行くよね?」
「ハイ」
「僕もいいかな?」
「もちろんデスよ」
 
僕の思惑を知らないのだめは、涙を拭きな がら席を立った。
 
楽屋をノックすると短い返事。
扉を開いたチアキはのだめを見て、こんな 顔するのかというくらいの甘い顔をしたかと思ったら、僕に気が付いて眉間にシワが寄った。
 
「真一くん、素敵デシタ!」
 
チアキに飛び付いて、頬を染めながら花の ような笑顔ののだめに満足そうな顔をして、僕には冷たい視線を投げてよこす。
やっぱり嫌な奴だ。
 
「とりあえず、よかったよ」
「どうも」
 
見つめあって暫し無言。
のだめの腰を抱きながら、僕を牽制してい る。
 
小さく溜息を吐く。
僕の負け、なんだよな、結局。
 
でもやられっぱなしじゃ癪だから、反撃し ておかないと。
別に来たくもない楽屋まで来たのはそのた めだし。
 
「のだめ」
 
呼んで腕を取り、チアキから引き離す。
耳元に口を寄せ、でもチアキに聞こえるよ うに僕は言った。
 
「この間の返事、やっぱり次に会う時に聞 かせてね」
 
そして頬にキスをして楽屋を出る。
のだめの困ったような赤い顔と、チアキの 眉間に深い深いシワが刻まれるのを横目で確認して、ちょっと満足した。
 
だってチアキはずるいから。
 
アンコールの曲は、聴いた事のない曲で。
その甘い旋律は、まるで愛の告白のよう で。
ああ、この曲はきっと、チアキがのだめの ために作曲したものだ、と瞬時に分かった。
 
言葉で伝えられないチアキの愛の告白は、 のだめが幸せならいいかなって思えるくらい、僕も聴き入ってしまった。
 
こんなに近くに僕がいるのに、のだめは心 からの笑顔はくれない。
 
いつだって、のだめを悲しませるのも、そ して笑わせるのもチアキだけ。
本当にのだめの近くにいるのは、たとえ離 れていてもチアキだけ。
 
二人の間には、僕にはどうにもできない絆 が確かにある。
 
分かっていたけど、やっぱり悔しい。
 
ああもう、本当に本当に不本意だけど、負 けを認める事にするよ。
ただし、今回だけだからね。
いつか絶対に奪ってやるんだ。
 
ああ、そうだ、チアキ。
僕がせっせと誘っていたおかげで、のだめ に「虫除け」効果があったってこと、後でちゃんと感謝してよね!
 
 
 
End
 
 
 
 
 
 
 
 
どうでもいいオマケ
 
〜目と目で会話中〜
 
「とりあえず、よかったよ」
「どうも」
『のだめを離したら?』
『別にいいだろ。それより何でお前がのだ めと一緒なんだよ?』
『ふふん、のだめが誘ってくれたんだよ』
『生意気なガキだな』
『そっちこそ、オ・ジ・サ・ン!』
『何だと!』
『悔しかったら若くなってみろよ』
『〜〜〜!!!』
『それにさぁ、愛の告白くらい、直接言え ば?』
『〜〜〜!!!』
のだめがチアキを不思議そうに見上げる。
とたんにチアキの顔が緩んで、のだめも微 笑む。
『あー、なんか馬鹿らしいや』
 
―――なんて、ね?
 
 
 
********
 
スミマセン、スミマセン、スミマセン!
先に謝っておきます。
 
何だかんだ言っても、リュカは最終的には のだめの幸せを望んでくれるんじゃないかな、と勝手に思ってます。