まなつのよるのゆめものがたり 5
「オケの音を聴いたら、松田さんの言っていた事がわかった気がします。」
「そ
う?」
「で、ここをもっとテンポ上げていただきたいのですが……。」
「ふむふむ…。」
コンチェルトのリハ2日目。
あと残りはゲネプロ1回。
緊張が高まるオケの面々。皆、表情に真剣身が出てきていた。
何度
となく行われる、指揮者とソリストの打ち合わせ。
それを遠くから見ている一人の男…いや乙女がいた。
「…。」
「…
こんにちは〜。」
「あ、清良。」
「真澄ちゃん。久々〜。」
二人は手を握り合って、
再会を喜んだ。
「で、調子はどう?今日はコンチェルトのリハでしょう。」
「ん、まあ、順調って感じか
しら?のだめもオケと音合わせてから、張り切りだしてね…。」
「そうなんだ。あーあ、仕事の都合が付けば、私もやりたかったんだけど
な〜。」
清良は舞台の前を見て、残念そうに言った。
「…でもねえ…。」
真澄のため息交じりに言葉を漏らした。
「何?」
清
良は真澄の方を見た。
真澄の視線の先を辿っていくと…
キラキラと目を輝かせて、松田と打ち合わせをしている
のだめがいる。
「え?」
「…。」
「どうしたのよ?」
清
良は真澄を突付く。
「いや〜、ね。まあ、どうって事ないとは思うんだけど…ちょっとね。」
「え?」
「Sオケの時に千秋様を追いかけていた頃の、のだめちゃんを思い出しますわ。」
「一直
線に見つめていましたものね…。」
いつの間にか横に鈴木姉妹が現われた。
「え…でも、単に打ち合わせでしょ?」
清良は苦笑いしながら3人の顔を見た。
「そうなんだけどね…。変な所が一途なのよね、あの子…。」
そう言って真澄は、大きな
ため息を吐いた。
清良はじっとのだめの方を見た。
「のだめちゃんって…千秋君の前に付き合っていた人とかって、いたの?」
清良は真澄に
聞いた。
「どうかしら?あの子に付いていける人なんて、滅多にいないから…。」
「へ、へえ…。」
清
良はのだめ達の方を再び見た。
「なら…いいんじゃないの?たまには…。」
清良は微笑みながら言った。
「「「え?」」」
3
人、声が揃った。
「だって、ずっと一人だけでしょ?たまにはよそ見したって…。そんな時があっても、いいんじゃないかな
〜。」
「清良…。」
ふふっと清良は笑った。
「そうですわね。千秋様には申し訳ないけど、そんな時が女にはあっても…。」
「のだめ
ちゃん、今、輝いてますし…。」
そんな薫と萌の言葉に、真澄は苦笑いをした。
「…でも、こんな姿を千秋様が知っ
たら、どうなるのかしら?」
ははは、と清良は笑った。
「…にしても、千秋のヤツ、帰国延びてんだろう。来る気あんのかよ。」
峰がブツブツ言
いながら現われた。
「あるでしょ。だって、のだめちゃんのデビューの舞台よ。」
清良はさらっと答えた。
「…
にしてもさ〜。」
峰は不服そうに、ぼやいた。
そして、腕を組んで前をじっと見つめて…。
「…しょーがねーなー…。」
「何するの?」
ザワザワ。ガヤガヤ…。
先頭に立つのは峰。デジタルカメラを持ってオケのメンバーに向っていろいろ指示を出していた。
「記
念写真だよ。千秋に送りつけてやるんだ。おい、菊池。女子とばっかりしゃべってなくて、こっち手伝えよ。」
峰は女性の集団の中に囲ま
れている、坊主頭のチェロリストに向って大きな声をあげた。
「もっと、右に…。そっちはしゃがんで…。鈴木姉妹はもっと前屈みに、こんな感じで(だっちゅーのポー ズ)。」
「千秋様に送るの?」
「きゃ〜。」
黄色い声が上がった。
「よし撮るぞ。こっち見て、せーの…。」
ピロローン。
* * *
「…何それ?」
夜、裏軒のカウンターで、ノートパソコンに向って作業している峰に、清良が話しかけた。
「何っ
て…これをメールに添付してだな…。」
カチッ、カチ…。
清良はそれを見て、呆れたような顔をした。
「…あのね〜。…それじゃあ魂胆見え見えで、さすがに千秋くん引くんじゃない?」
「い
いんだよ、これくらいで。あいつは、ああ見えても、、結構単純だから、乗ってくるって…。」
「えー、そーお?」
カチッ。
マウスをクリックした。
「のだめの晴れ姿…おめーが見ねーで、誰が見んだよ…。」
峰は独り言を呟いて、ニヤッ
と微笑んだ。
「…。」
朝のメールチェックの時間。千秋真一は一通の新着メールを開いていた。
『R☆S 順調に仕上がり中。来ないと、どうなっても知らないからな!峰』
懐かしい面々が揃ったメンバーが集まった画像。
…だが…中心がずれてる…。
…いや、わざとなんだろうな…。
その左側にはピアノがあって、晴れ晴れとした顔で上を見上げている、のだめの横顔。
そ
して、その視線の先には、にこやかに微笑む松田さん。
松田さんは片腕をピアノの上に乗せて、のだめと寄り添うような形で映っていた。
…こんな顔するんだ…。
「…。」
パチッ。画面を閉じた。
別に普通の事だ。指揮者とソリストが入念に話し合うことは、普通にあることだから…。
「だから、どうだって言うんだよ…。」
千秋は呟いた。
「…どうだ。テオ。間に合うのか?」
「何とかなります。よ、ね?
千秋。」
「…。」
マルレの事務所の一角。
シモンは難しい顔をして、机の上を見ていた。
「まあ、千秋の帰国をもう少しずらしてもらえれば、余裕なんですけどね〜。」
「…ふざ
けるな。もう2日も遅らしたんだ、今日中に仕上げろ。」
「え?」
「死ぬ気でやれ!」
千秋の凄みのある声に、テオは目を丸くした。
「なんだ?何かまずいのか?」
シモンも驚いた顔をして、テオの顔を見た。
* * *
「完璧だ。最高…。」
いよいよ公演を明日に控えたゲネプロ終了時、松田さんはそう言って、指揮台の上で握りこぶしを握った。
わ〜っとその場で拍手が上がった。
指揮台から降りてきた彼は、横で見ていたのだめの方に向って歩いていった。
「お疲れ様でした。」
のだめはそう言って頭を下げた。
「お疲れ。
この盛り上がった気持ちのまま、明日に繋げていきたいね〜。」
ご機嫌で松田さんは、そう言った。
「明日は、よろ
しくね。いつも通りで大丈夫だから。」
「はい。よろしくお願いします。」
そう言って微笑むと、松田さんも笑って
返してくれた。
そして、じゃあ、と手を上げて部屋を出て行った。
「松田さん、楽しそうだな〜。」
峰くんが後姿を見送りながら言っ
た。
「…そ、ですね。」
のだめは頷いた。
「Mフィルじゃあ、いろいろ大変らしいよな〜。何だかんだ言って、苦労してんだよな、あの人も。」
「そ
なんですか…。」
「ここだと、自由度が高いからな〜。生き生きしてるよ。やりたい事ができるって前にも言ってたし…。」
---君
とだったら、やりたい音楽が実現できそうで…
「…ん、なんだ、のだめ。突然笑い出して…。」
「楽しみですね。
明日。」
そう言うと、峰くんはちょっと驚いた顔をした。
「さすがだな〜お前って…。初めての舞台なのに、緊張感
とかないのかよ。」
そう言って、のだめの顔をまじまじと見た。
だって、本当に楽しみなんですよ。
夢の舞台がいよいよ開演するんですから…。
* * *
「…ったく…、結局ギリギリじゃねーか。」
千秋はトランクを広げて、バサバサと荷物を入れ始めた。
いよいよ…か…。
何となく…落ち着かない…。
RRRR…
突然の電話。着信表示は…
ピッ。
急いで電話に出た。
「先輩、のだめです。」
珍しい…のだめからの電話。
思わず言葉に詰まった。
「…何?」
「もう準備できましたか?」
「ああ、今してる。」
肩
と耳で電話機を挟みながら、手は忙しなく動かしていた。
「どうだ?仕上がりは。」
「はい、バッチシです。」
「…すげー自
信…。」
「当たり前ですヨ。」
フフ…思わず笑ってしまった。
「楽しみです。明日が。」
「…余裕だな。」
「そですか?」
「あ
あ。初めてとは思えない発言だ。」
すうっ…息を吸う音が聞こえた。
「ずっと、憧れていたんです。」
「ん?」
「いつも先輩の背中越し
でしか見れなかったから…。」
「…。」
「やっと手が届きそうなんですよ。」
本当に嬉しそうな気持ちが、電話機越しに伝わって
くる…。
「そっか…。」
「はい。」
「頑張れよ。」
「はい。」
「ちゃんと…見るから。」
「…はい。」
目を閉じると、舞台の映像が浮かんだ。
割れんばかりの拍手…。
そ
して、後ろを振り返ると懐かしい面々の笑顔。
そうだ、全てはここから始って…
…そして、今度はこいつが、そこから…
「じゃあ、準備があるから…。また明日な。」
「はい。では、また明日。」
そ
う言って、電話を切り、スピードを上げて身支度を整えた。
カチャ…。
峰の送りつけた映像を開く。
「楽しみ…か。」
千秋はそう呟いた。
* * *
ポンっ。
携帯電話を机の上に置いた。
ピアノの上には明日着る衣装を掛けてある。
ヨーコが気合を入れた自信作。
窓の外には光り輝く月。
そう言えば、明日は満月なんですよね。
------R☆S
がお送りする、真夏の夜の宴。
&
nbsp; 夢の世界へといざなう舞台
満月の夜開演!!----
ポスターの背景には怪しげな満月の描写。
とにかく、明日は楽しもう。
たった一夜限りの夢なんだから。
舞台の上では自分の気持ちに正直になって、向き合って…。
心臓の鼓動はずっと早まる一方なんだけど…でも、心地いい。
窓からは湿った風が流れ込み、汗ばんだ肌を包み込んでいた。
目を瞑って、それを感じて
みる。ゆらりゆらりと漂うような気分で…。
* * *
----コンサート当日
PM3:00 成田
何とか無事に着いた…。
千秋は荷物を受け取るとすぐに実家に送りつけた。
腕時計を見る。この分なら問題なく着くよな…。
特急の乗り場に向いながら、携帯電話を取り出した。
「あ、佐久間さん。…はい、今、着きました。今からそちらに向います。はい…。」
* * *
「これで完成。」
「のだめちゃん、かわいいわ。」
薫
ちゃんと萌ちゃんが鏡越しに微笑んでくれた。
「あ、ありがとうございます。」
みんなと一緒に化粧をしていたのですが、危なげだか
らって手伝ってもらいました。
コンコン。
「はい?」
「記念撮影だって。準備できた?」
「はーい。今、行きます。」
本番が近づくにつれて、慌しくなりましたね。
そわそわしてきました…。
「のだめちゃん、行こう。」
「はーい。」
のだめは立ち上がって、みんなの所へ向った。
* * *
「大勢入ってるね。」
ホールの人ごみを見て、佐久間は感心したよ
うに言った。
「松田さんも久しぶりですし、いろいろな意味で注目の公演ですしね。」
人の流れに沿いながら、二人
歩いていた。
「でも、ビックリしたよ。千秋くんの彼女が今回のソリストなんて…。」
「…そ、そうで
すか?」
思わず声が、裏返ってしまった。
「楽しみだね。どんな演奏をするんだろう。」
佐久
間はそう言って、プログラムを開いた。
はあ…
何だか俺の方が緊張してきた…。
「まきちゃん、こっち。」
「ごめ〜ん。遅くなって。」
「久
しぶり〜。」
後ろの方でキャーと声をあげる女性の集団がいた。
「ああ、もう緊張してきたよ。」
「なんで、まきちゃんが緊張するのよ。」
「だっ
て、のだめが出るんでしょう。松田さんの指揮でピアコンだなんて…。」
のだめ?あ、そう言えば…。大学時代、あいつの周りにいた子達か…。
「出世したよね〜。」
「本当に。」
「頑張ったんだね〜。」
わいのわいのと賑々しく彼女達は会場へ向っていった。
「あ、義兄(にい)さん。」
え?この声…
俺は振り返った。
「お久しぶりです。」
「あ…。」
のだめの弟。スーツ姿で、大きな
荷物を持って立っていた。
「来てたんだ。」
「あ、はい。かあ…母と一緒に…。」
そう言っ
て、彼は人懐っこい笑顔を見せていた。
「千秋さんも来てくれたんですね。」
「え、まあ。やっぱり…。」
俺
は思わず頬を赤らめた。
「あ、母ちゃん、こっちこっち。」
彼はそう言って、手を伸ばして
手招きをした。
「どこんいっとた?」
「ごめん、道、迷っとって…。」
のだめの母
(ヨーコ)登場。思わず真っ直ぐに目が合った。
「あ〜。」
「ご無沙汰してます。」
俺は頭を下げた。
ぎゃ
〜。騒がしい声が響いた…。
「千秋くん。元気にしとった?」
「ええ…はい。お陰さまで…。」
両
手を掴まれてギュッと握られた。
「母ちゃん、もう席に着いとった方がよかじゃなかと?」
のだめ弟(よっくん)は携帯電
話の時計を確認して、のだめ母(ヨーコ)のスーツを引っ張った。
「えーもお?」
彼女は不満そうな声をあげた。
「そんじゃ千秋くん、今度ウチにもこんさあ…。」
そう言って、握った手を力いっぱい振
られた。
「では、義兄さんまた…。」
「じゃあね、千秋くん。」
二人は手を
振りながら会場に入っていった。
佐久間さんはあっけに取られて立っていた。
「…今日のソリストの家族です。」
「そ、
そうなんだ…。でも、ちゃんと見に来てくれたんだね。」
そう言って笑った。
日本でもこいつの活躍を待っている人がたくさんいるんだ。
がんばらないとな…。
「さあ、僕達も入ろうか。」
「そうですね。」
開演までもう少しだ。