メ
ロディ
1
「親愛なるリュ
カ!のだめの娘ですよー!!かわいいでしょ!いつか会いにきてね!!のだめより!!」
突然ボクの家に届い
た、日本ののだめからのエアメールの葉書。
写真絵葉書になっていて、大写しの赤ん坊の顔の写真と、大書して印刷された日本語。
(読
めない…。)
最初はいったいなんの葉書かと思ったのだが、辛うじてその下半分の余白
に、なつかしいのだめからの手書きのメッセージがかかれていて。それはちゃんとフランス語なので意味が分かった。
な
んでボクにそんなしあわせな葉書を?!
「これなんて書いてある
の?」
フランスに残っていたヤスに、憮然となりながら葉書を見せた。
ヤスは、自分の所にもそれが届いていて、の
だめのメッセージは殆ど同じ文面だったという。
なんか横着だ。
&
nbsp;[はじめまして、名前は音々香です!9月14日に満1歳になりました!]
「これは日本ではわりとポピュラーな、お披露
目挨拶葉書なんだよ。女の子だったんだね、千秋くんの子。かわいいねえ。名前はネネカだって。」
静
かな笑顔のヤス。
ボクは対照的になにか面白くない。
なんでボクに、のだめと千秋の子供の写真なんか送りつけ
られないといけないんだろう。
それはボクにとってはなんだか3度目の失恋のようなショックがあり、ボクはま
だ、でももうじき20歳になろうというのに、一気に老けこんだ気がした。
「3度目かい。」
ヤ
スが優しいけど苦笑、て感じで見返した。
手には絵葉書を持ったままだ。
2
度目の時は、のだめが千秋と急に結婚したとき。
ある日の月曜にコンヴァトでのだめに会ったら、急に「結婚宣言」
をされたのだ。
その数日前の週に会った時は、確かにひとりののだめだったのに。
ボクが知ら
ないうちに彼女は「メグミ・チアキ」に変わっていた。
でもピアノ活動はこれからもノダメですよ。」
ボクの
ショックは気がつかないのか、のだめはニコニコと報告おわり、と帰っていった。
それからのボクは、意識的にのだめからは遠ざかり、同
期でコンヴァトを卒業してもボクは彼女と会うことはぜず、院に残りピアノの腕を磨く事だけに専念した。
のだめは
プロのソリストとしてすでに何枚かのCDを出し、シュトレーゼマンと半年以上もの世界ツアーに出て、その評判、活躍ぶりは、ボクが聞き耳を立てるまでも無
く響き渡った。
千秋の事は知らないけれど、彼も彼でマルレ以外にも客演客演であちこちで地味に実績を積み重ねていたらしい。
で
もとにかく、彼女らの結婚生活なんてボクとは関係がないものだと思っていた。 ボクはもう、できるだけのだめの事を忘れようと思った。
と
ころがそれから一年半くらいたった頃か、あるとき、急にのだめは日本に帰ると言って、空港から電話してきた。
ぜ
んぜん連絡しあってなかったのに、嬉しかったけどそれは一瞬の事だった。
「のだめが生まれた所にいって、のだめ
は赤ちゃん生むんデス。」
明るい声。変わらない弾む声。
元気でね。気
をつけてね。また会おうね。
そんな普通な会話を短くして、電話を切ったとき、僕は言い知れない脱力感を覚えた。
ボ
クはなにをしてるんだろう。
やっぱり忘れられてないんじゃないか。ナンで今?!空港から?!
なんにも伝える事が
できないまま、彼女はもう、本当に遠くに行っちゃうんだ。
今度こそ本当に失恋したように味わうなんて、僕はなんて未練たらしいんだろ
う。
そうして傷心のまま、ボクはピアノの腕をみがき続けるしかなかった。
日々が過ぎて、ボクはいくつかのコ
ンクールでタイトルを取り、最近あるコンクールの優勝賞品で、はじめてのCDを出していた。
今年はそんな出来事
から、いろいろな企画への出演のオファーがひきりなしになり、ボクの周辺は急に騒がしくなった。
人間関係も劇的に濃密になり、ボクは
二十歳を前にして急激に大人の階段を駆け上がっていくようだった。
2
「あ
あ、あの結婚…三年前か。突然だったねえ…。思い出すよ。」
ヤスのアパルトマンに来たのは久しぶりだ。
コーヒー
を入れてくれたヤスはじっと写真を見つめながら、さらりと次の事を言った。
「あのときボク、千秋くんの事つい、ぶん殴っちゃったんだ
よ。」
「はあ?えっ!殴った?!」
ヤスはふしぎなくらい愉快そうに見えた。
彼らしくもな
く、含みのある苦笑で。
「あはは、リュカのかたき打ちって訳じゃないよ。千秋くん、あのときしばらく行方不明になっていただろ。覚え
てる?」
そう、千秋は何か月か、あの結婚の前頃は不在だったんだ。
のだめは心配そうに気を
落としていたけれど、気丈にピアノを弾きつづけていた。
「どんなに恵ちゃんが泣いたかしれないのに、あんまりひょっこり帰ってきたか
ら、つい思い切り手が出ちゃってねー、ハハハ。」
「え…のだめ、泣いていた事あったの?」
「…
リュカには心配させまいとしてたのかな。結構ひとりの時や、レッスンが終わって気が抜けた時、声を出さずに泣いてた。…なんともせつなかったよ。友人とし
て何もできなかったし…。」
けっこうびっくりしていた。
「ボクには何も見せた事なかったよ…。」
の
だめはいつも笑ってた。
「それはリュカに心配させまいとしてかも。本当に時々だよ。僕らは日本人で長いつきあいだし……何もでき
ないのは変わらなかった。いっそ千秋くん
を忘れさせようと努力しようかと思っていた矢先だったからねえ。よけいに腹がたっちゃって。」「ええええっ!」「はは、こんな写真を見てじゃないと言えな
い、今あかす本音。」
笑うヤスは大人っぽくて、ボクは子供っぽく愕然としていた。
「ヤス!ターニャがいたじゃん
か!なんだよソレ!」
「ふふ…出来心ですんで良かったよ。今思えば。」
あんまり様子が心配で…と彼は懐かしそう
な、今ではすっかり思い出を昇華した、やわらかな微笑みでひとりごちた。
ボクは何も知らなかった。子供としか当
時思われてなかったのだ。
「殴った時にはもう、二人だけで結婚式をあげて来たって言っていて、後の祭りだったけどね。」
「な
んかショック…ヤスはライバルだったのか…。」「すまない。リュカの気持ちはずっと知っていたけど、ぬけがけみたいな悪気じゃなかったんだよ。」
「も
う、いいよ。ボクはほんとに、のだめの足元にもいない存在だったんだな…。」
「リュカ、飲める?」
「も
う!バカにするなよっ。」
「フランスのワインじゃないんだ。日本のサケ。」
「エエェ!甘いのはヤダ。他にないの
かよ!」
「これは強いよ。甘くない。」
「……。」
ヤ
スが飲ませてくれたサケは、ホカホカに熱く沸かしてあり、最初は戸惑った。
「アツカンだっけ。なんだかグリューワインみたいだね。」
「あ
んなにいろいろ調味はしないけどね。あ、これに卵を入れる飲み方もあったな。」
「げえ、卵ぉー?!」
恐る恐る口
に含んで、鼻に抜けるサケの匂いについむせ込む。
「駄目そう?」
「平気さ!」
口にいっぱい
に広がるサケの奇妙な味。
胃に落ちる熱さと苦さ。
飲み干す小さな陶器の器のそこに描かれた、小さな花の絵をぼん
やり見ながら、ため息をついた。
「傷心のリュカのなぐさめになる事かどうか、判らない話だけど…。」
「も
う…なんだっていいよ!」
「恵ちゃんが日本に帰ったの、千秋くん知らなかったって話。」
「はい?」
&
nbsp;…意味がよくわからないんだけど。
演奏旅行に行った事になっていた、とか、ケンカしてたとか?
「ケン
カしてた…とか?」
つい期待をこめて聞いて見る。
ヤスはにやり、と笑った。
「彼の演奏旅行
中にね。携帯を家に置き去りにして、雲隠れしちゃったのさ。」
「なんで?全然知らないそれ!」
「……こんなに可
愛いのにね。千秋くんは最初、子供つくりたがらなかったんだってさ。」
…………。
「なんで?」
「さ
あ。」
いろいろあるんだろ、とヤスはエスニックスマイルのまま、杯をあおった。
「ボ
クは恵ちゃんが日本に帰る前に口止めされた。恵ちゃんは「大丈夫デス!真一くんのお母さんはのだめの味方なんです。とにかく自然に知れるまで黙っててくだ
さい!とっとと生んできます!」ってね。本当に知らぬ存ぜぬで過ごしてやったよ。千秋くんの焦り様はけっこう溜飲がさがる物があったな。」
ボ
クはのだめと連絡取り合わないでいた事をすこし後悔した。
何が、何があったんだろう!
ボクが知らないところで!
「ず
るい!ヤスだけそんな面白いものみてたのかい!」
「いや、ポールとか、マルレ関係者とか、プロダクション関係みんなで、適当に……
リュカ本当に知らなかったのかー。なんだか君はいそがしそうで、連絡とれなかったんだったな。」
「
……そうか……。ボクは本当の失恋をしたと思って、ふさいで勝手に情報カットしてたんだ。
……損した。」
「い
や、本当は人が悪い事だから!ははは!でも良かったんだよ多分。いろいろね!こんな幸せそうな赤ちゃんに育っているんだもの!」
ヤス
がその写真絵葉書をテーブルの中央に置いた。
ボクは改めて写真をみてみた。
そ
れまで、心がシャットダウンしてたのか、はじめて赤ん坊の笑顔が、のだめに似ている事に気がついた。
黒い瞳が、カメラを向いて、無心
な「にかり」とわらった顔に、宝石のように輝いている。
黄色のフリルがいっぱいについた産着を着た赤ん坊は手に何か石のようなものを
握って、万歳している。
「かわいいね……。」
「うん。」
「のだめ、幸せだといいね。」
「う
ん。」
「幸せにさせてないなら、ボクが千秋をぶん殴りにいきたい。」
「そうだな。みんなでそうしよう。」
ヤ
スが空になっていたボクの杯に酒をそそいだ。
湯気がふうっと上がるのをみた。
ボ
クはのだめへの返信に、ボクのCDを送った。
もう一度また関係が結ぶようにと、CDにサインと、密かなキスを込めて。
の
だめが小さな女の子を連れて再びフランスに戻って演奏活動を再開したのは、さらにそれから三年かかった。
FIN