元 黒王子と黒王子と白い若王子の話




ピンポーン。

ガ チャ。


「…何?」

「…いいワインが入ったからと 思って…。」

「…。」




こ のアパルトマンでは度々見かける光景ではあるのだが、今回はちょっと違うみたいだ。
部屋に招き入れる黒髪の男は明らかにバツの悪そう な顔をしていた。部屋に入りこむブロンドの若者は、何かを探るような疑いの眼差しで辺りを見回していた。

「…ま ずいの?」

「いや…別に…。」


ふふん、誰かいる んだ…。

その若者、リュカ・ボドリーは思った。
先を行く、この家の主の千秋真一は少し躊躇 いながらリビングへ繋がる扉を開いた。



「ん?お客さん?」
赤 いソファーに座るのは…

松田幸久。その男であった。





「… なんだよ、今は若いツバメが同居なのかよ…。」
ボソリと松田は日本語で呟いた。
「変な事言わないで下さい。向か いの住人です」
千秋は日本語で返した。

松田はバサリと音を立てて、その場を立ち上がった。
「初 めまして。日本のMフィル正指揮者の松田幸久です。よろしく。」
そう言って右手をリュカに差し出した。

「初 めまして。リュカ・ボドリーです…。」
リュカは戸惑いながらも、自分の手を差し出し握手を交わした。

「有 名なの…?」
リュカは千秋の耳元でポソリと尋ねた
松田の眉がピクッと反応した。
「まあ…日 本で若手No.1だ…。」
千秋は小さく答えた。

「ふーん。」
リュカは 松田を横目で眺めた。


「(コホン)…それにしても、若いね。学生?君もどうせ音楽やってる んだろう。」
松田は口元は笑みを浮かべながらも、目は厳しかった。
「一応、これでもプロ活動しています。ピアノ をやってます。」
「ふーん、ピアニスト…。」
松田はそう呟きながら、リュカを上から下まで眺めた。





テー ブルにはワイングラスが3つ。
最初は穏やかに、和やかに始った。
天気の話から始って、世間話や他愛のない話…。

し かし、ワインが2本空いた時点から怪しくなってきた。

酒量が増えるにつれ、松田の自慢話…いや、彼のありがたい 話が会話の大半を占めるようになった。
最初は大人しく聞いていたリュカだったのだが、表情は徐々に険しくなっていた。
そ れをすぐさま察知した千秋は、これから起りうる出来事を思い浮かべ、大きなため息を吐いた。


「で も、日本の指揮者がなんでパリにいるんですか?仕事は大丈夫なんですか?」
最初に仕掛けたのはリュカの方からだった。

「あ あ、そうね〜。僕、R管に呼ばれていて、近々振るものだから…。まあ、僕にとってはホームみたいな所だからね。誘われたら断れなくって。君も聴いたことあ るんじゃない?」

リュカはじっと松田を見た。
「最近のパリのオケはどこも似たり寄ったりで すからね。殆ど聴いてないですね。」
しらっと彼はそう答えた。

松田は口は笑ってながらも、 目の奥から闘志の炎が見え隠れしている。
千秋は冷や汗が流れるのを感じた。


カ ラン…テーブルの上には空の瓶が増えていく…。


「そうなんだ(苦笑)。でも、決め付けは良 くないんじゃないの?まあ、それも、若さゆえの思い込みってヤツなんだろうケド…。」
「僕も忙しいですからね。」

シ… ン。一瞬、妙な静寂が訪れた。


「(クソガキが…)忙しいね〜…千秋にも言ってるんだけど… 順調だからって、余り調子こいて粋がっていると、痛い目に遭うから気を付けた方がいいと思うよ。今までは神童だのどうのって、もてはやされてきたと思うけ ど…。」

そして、彼の目が怪しく光った。

「よく言うでしょ、昔天才、 20歳(ハタチ)過ぎたらただの人ってね…。」


表面上はポーカーフェイスを保っていたリュ カだったが、あからさまに不機嫌な顔をになった。

「ご忠告ありがとうございます。」
リュカ は硬い笑みを浮かべた。

バチバチ…空中に火花が飛び散るのが見えそうな空気が漂った。


「僕 は千秋に日頃言ってるんですが、身体も感性も内臓脂肪を溜め込まないように気をつけないと、松田さんくらいの年になると、メタボリックの危険性が出てきま すよね〜。」

グッ…松田は自分の腹の部分を見た。

「…昔の栄光に執着 して、時代に置いていかれるのは嫌ですからね〜。」
リュカは松田を斜めに見て、ニヤッと笑った。

「ふ ふ…ご忠告、ありがとう。」
松田は引きつりながらも笑顔を見せ、深呼吸をした。


「… まあ、自分に自身があるのは結構だけど…昔から順調に勝ち進んできたヤツほど、上手くいかなくなると早いからね〜。世間なんてそんなものさ。もっと謙虚さ を学んだ方がいいと思うな…。」
震える声に怒りのピークを感じる。

千秋はヤバイと思いつつ も言葉が出ずに、ただ見ているだけである。



「…そう言う、あなたこそ 若手ナンバーワンとか言われて、いい気になってるんじゃないですか。あちらこちらに出向いては、いい顔をして…。」
ゴクッ、ワイング ラスを傾けていた松田の喉が鳴った。

「…チャンスなんてそう簡単に手に入る物じゃないんだよ。自分から掴みに行 かなくてどーする…。」
千秋は松田の唸るような声に驚いた。

「なんだか、ギラギラしている 感じ…。」
リュカはボソッと呟く。

ブチッ。何かが切れた音が…聞こえた気がした。

「あ たりめーだろう。何のために今までやってきてると思ってんだよ。どんな思いで何年も耐えてきたと思ってんだ。それに執着しないでどうすんだよ。」
松 田は吐き捨てるように言うと、手酌で自分のグラスにワインを注いだ。

リュカは驚いた顔で唖然としていた。
そ して、ふっと表情の力を抜いた。

「…僕だって、苦労なしできた訳じゃない…。神童を続けるのだって大変なんだか ら…。」
頬を染めながら俯き加減でリュカはそう言うと、グラスの中の液体を一気に飲み干した。

松 田は目を丸くした。
そして、微笑んだ。

「まあな…苦労せずにつかめる栄光なんて、ありやし ないもんな。」

リュカは顔を上げ松田を見た。
目が合うと、少し照れくさそうな顔をした。

千 秋はやれやれと、安堵のため息を吐き、新しいワインの瓶の栓を抜いた。




「そ れにしても…のだめの家出中に誰か連れ込んできたと思ったら、男だったんでビックリしたよ。」
リュカはグラスを千秋にさし出しなが ら、そう言った。
「は?」
「だって、今なら好き放題できるじゃない。いよいよ我慢できなくなったのかな〜って 思って…。」
リュカは平然とそう言って、注がれたワインを一口飲んだ。


「… のだめって…ああ、あの時の…まだ付き合ってるんだ。」
松田は驚いた顔をして千秋を見た。
「まだって…。」
千 秋は呆れたような顔をして、松田のグラスにワインを注いだ。


「へえ、長いね〜。その間ひと り?」
「…いいじゃないですか、そんな事は…。」
千秋は迷惑そうに応える。


「ま あ、僕はその彼女と俺は一線を越えた関係でもあるしね…。」
「え?!」
カチャン、リュカはグラスを落としそうに なった。

「誤解を招く発言はやめてください…。」
千秋は赤くなりながら、松田に向って言っ た。

「まあ、ちょっとした…裸の付き合いって言うか…。」
松田は調子に乗ってしゃべり続け た。
「…(赤面)どういう事なの?」
リュカは千秋に向って聞いた。

「だ から…誤解を招くような…(怒)。」



ワインはあっという間に空となっ た。


「それだけ長く付き合えるって事は、彼女によっぽどの魅力があるのか、それとも…千秋 が普通じゃ満足できない変態マニアなのか…。」
松田は惚けたような顔で上を向きながら呟いた。

そ の言葉にリュカは反応した。
「…それだけ長いと…変態…?」(←今でもずっと特別な存在である人)

「ど ういう意味ですか…。」
千秋はため息を吐いて、テーブルの空の瓶を片付けに立ち上がった。
「…変態…マニ ア…。」
リュカはそう呟きながら、バタンと床に寝そべった。

「ん?リュカどうしたの、顔色 悪いぞ…。」
松田は赤い顔でリュカに向って言った。
「…へんたい…ブツブツ。」
そのまま、 目を閉じてうつらうつらと眠りに就いた。



「どうしたの?こいつ…。」
千 秋に向って聞いてくる松田を見て、苦々しく微笑みを浮かべた。
「…いや、強烈な出会いがあって、疲れたんだと思います…。」

「は あ?」
松田は不思議そうな顔をしながら、新しいワインに手を掛けた。