『撫
子の君』(後編)〜あか桃さん〜
「それじゃあ、改めて乾杯」
「か
んぱ〜い」
グラスを少し傾けて、チンと鳴らす。
すると彼女は一気に飲んでしまった。
「ぷは〜お
いしいです〜」
「おい、ビールじゃないんだからそんな飲み方しなくても…」でも、のだめちゃんっていけるク
チ?」
「あっ!はい、千秋先輩と一緒に飲むことが多いですから」
「今
日は禁止」
「ぼへ?」
「今日は千秋の話は禁止。せっかくオレが相手を
してあげているのに他の男の話をするか?」
「だって、のだめ千秋先輩の話しかできませんよ?」
「の
だめちゃんの話をきかせてよ。君のこと知りたいから」
こ
れは嘘。変態ちゃんの後ろに見え隠れする千秋を遊ぶため。
すると、オレのセリフにビックリしたのか顔が赤くなっ
て下を俯いた。
「う…はい…」
顔
を見上げた彼女を見てオレはドキッとした。これがあの変態ちゃんなのか?今まであどけない少女だった彼女が急に女の顔に見えた。
オ
レは自分の顔が火照っているのを自覚した。
オレ
達は場所を移して、バルコニーへ行った。火照った顔に涼しい風がちょうどいい。
彼女も眼を閉じて、風を感じてい
るようだ。
それから、彼女はいろいろ話してくれた。実家のこと、ピアノを始めたきっっかけ、留学のきっかけな
ど…
彼女の話は面白く聞いているオレも純粋に楽しかった。コロコロと顔の表情が変わり、感受性豊かな子だと思っ
た。話の節々に千秋の話がでると、慌てて口を閉じ、その無邪気な様子にオレは笑って・・・
女と話していてこんな
気持ちになったことがあるだろうか。
彼女は話の
最中にもワインを飲み、たった2杯でめがトロンとして舌足らずな感じで話している。2杯でこんなになるなんて・・・相当の下戸じゃないか
気
分が良くなったのかべートーベンの“英雄”のフレーズを口ずさんでいた。歩こうとしたとき
足元がふらつき、俺は
慌てて彼女に手を出して体を支えた。
その時に触った彼女の肌はとても柔らかく滑らかでそして暖かくオレは手を離
せなかった。
…もっと知りたい。千秋の彼女だか
らではなく、野田恵という女性を…
「むきゃ…松
田さん?」
「…こっち向いて…」
彼
女と向い合せになりオレは彼女の顎をつまんで上を向かせた。酒のせいで上気した顔、潤んだ瞳、桜色に染まった肌。もう充分にオレは彼女に酔いしれている。
「・・・
まつ毛が目の下についてる。取ってあげるから目を閉じて」
「・・・う・・・ハイ・・・」
彼
女は何が起こってるのかわからずなすがままになっている。
このままキスしてもいいじゃないか…脳裏に千秋の顔が
一瞬でてきたが、彼女の無邪気な笑顔がでてきて打ち消した。
オ
レは彼女の腰に腕をまわし、見上げている彼女の顔に近づいた。
…彼女を知りたい。いや、彼女を欲しい…
あ
と少しというところで、突然彼女はガクンと後ろに倒れた。彼女の顔を覗いてみると…
「な
んだよ・・・こんなタイミングで寝るかフツー」
あ
どけない顔をして気持ちよく寝ている。起こしてやろうとも思ったが、なんだか彼女らしいというか・・・会って1時間も経ってないのに、まさかこんなに本気
になるとは ・・・恐ろしくなった。
「む
ふ〜しんいちく〜ん・・・」
夢の中で待ち焦がれ
た恋人に会っているのか寝ていながらも彼女は微笑んでいた。
よく見ると豪華なネックレスに隠れて赤いハートのル
ビーが。
相当好きなんだな、千秋のこと。それは話のなかでも分かったことだ。
千
秋の名前を出すと、一瞬パッと明るくなるからだ。
悔しいが、オレの片思いか。らしくないな。
寝
ている彼女を抱き抱え、オレはシュトレーゼマンがいるひとだかりに入って行った。その姿を見て驚いたが、ボディーガードに彼女を預け去ろうとすると、シュ
トレーゼマンはこっそりオレに耳打ちをした。
「こ
のことは内緒にしときますよ。のだめちゃんはお酒弱いですからね。飲んだ後のことは覚えてないそうだからね」
そ
れを聞いてほっとしたような残念のような微妙なかんじだった。
次に会った時オレは今の感情を抑えられるか。彼女
が千秋の隣にいてもいつものようにいられるか?
・・・まあ、いいか。その時はその時だ。予定は未定だし。これに
関しては神のみぞ知る・・・
オレは軽い足取りで
会場を出た。
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(お
わり)
撫子の花言葉……無邪気。
ピンクの和名……撫子色。