『夏
の祈り』
サ
ン・マロ。
三
方を海で囲まれた城壁の街。
去
年のだめはここで初リサイタルをした。
僕
は聴きに行けなかったけど。
で
も今年は、家族でヴァカンスを利用してサン・マロに来ている。
今
年もここでのだめがリサイタルをするって聞いて、僕が両親にお願いして連れて来てもらった。
街
のホテルに宿泊しているけど、僕だけリサイタル前日と当日、のだめの泊まるブノアさんのシャトーに招待されてる。
の
だめがブノアさんに頼んでくれたんだ。
代
わりにリサイタルの後のパーティでなにか演奏しないといけないらしいけど、そんなのお安い御用。
そ
して今日、のだめがサン・マロにやって来る。
待
ち合わせは街の門を入ってすぐの所。
待
ち合わせ時間はもうすぐ。
門
のほうをじっと見ていたら、見覚えのある跳ねた栗色の髪が見えてきた。
「の
だめ!」
手
を挙げれば、のだめがこっちに気が付いた。
「リュ
カ!お待たせデス」
久
しぶりなのでハグしていたら背後に冷たい視線。
で
も無視。
「ふぉ
おお!また背が伸びマシタね」
「う
ん、もうのだめより大きいね」
目
線ひとつ分くらいは、のだめより背が高くなった。
成
長期だしもっと伸びると思う。
「リュ
カ、久しぶりね」
「久
しぶり」
「ター
ニャ、ヤス。久しぶり」
ター
ニャとヤスも、今年も一緒にサン・マロ。
やっ
ぱりリサイタル後のパーティで何曲か披露するらしい。
そ
して・・・。
「や
あ、チアキ」
「・・・
ああ」
当
たり前だけど、チアキも一緒。
せっ
かくのだめとヴァカンスなのに。(ターニャとヤスもいる)
「の
だめ、早速行こうよ!大丈夫でしょ?」
「ハ
イ!行きまショウ!」
チ
アキはこの際気にしない事にして、のだめの手を取る。
だ
けどのだめはそのまま振り返ってチアキを見た。
「先
輩?」
「俺
は・・・運転で疲れたから、そのへんのカフェにいる・・・。戻る時電話して」
「・・・
分かりマシタ。行ってきマスね」
疲
れにしては何故か青い顔のチアキはそう言うと、のだめに上着を一枚渡して僕たちを見送った。
「チ
アキ、そんなに運転疲れたの?」
「ま
あ、そんなとこデス」
の
だめは困ったように笑っただけだった。
僕
としてはチアキがいないほうが楽しいに決まってるから、休憩したいならしたいだけすれば、と思った。
********
ど
こまでも青く澄んだ、きらきらと白い波頭も眩しい透明な海。
穏
やかな波が寄せては返して、潮の香りが鼻をくすぐる。
僕
とヤスは、のだめとターニャが着替えてくるのをビーチで待っていた。
「へ
え、ヤスって結構筋肉質?」
「リュ
カだって。鍛えてる?」
「ま
あね。音楽家だって体力は必要だと思うよ」
「は
は、そうだね」
ヤ
スと話しながら、僕はちょっとドキドキしていた。
そ
れはのだめの水着姿を初めて見るから。
だっ
てワンピース以外ののだめって想像できない。
「お
待たせしマシタ〜」
の
だめの声に緊張しつつも振り返る。
ター
ニャとのだめが並んで立っていた。
ター
ニャは普段はトラ柄とかヒョウ柄が多いのに、水着は意外とシンプルなピンクのビキニ。
隣
のヤスの顔が赤いや。
の
だめは・・・ぶかぶかのパーカーを着ていた。
「の
だめ、水着忘れたの?」
拍
子抜けした僕は、そう聞いてみた。
「ちゃ
んと着てマスよ。でも先輩がビーチでは着てろって。海に入るときに脱ぎマスよ」
あ
あ、さっき渡してたのはこれか。
チ
アキ、隠したいなら一緒に来たらいいのに。
ど
こまでも嫌な奴。
「の
だめ、泳ぎは得意なの?」
「大
得意デスよ!」
「僕
も結構得意だよ。海に入ろうよ」
「そ
の前に日焼け止めを塗りたいんで、ターニャ―――っていないデス」
ター
ニャはヤスともうとっくに波打ち際まで行ってしまっていた。
の
だめは困った顔をした後、すぐにぽんと手を打った。
「リュ
カ、背中に塗ってくだサイ」
「え
えっ?!」
の
だめは僕の前でさっさとチアキのパーカーを脱いでしまった。
そ
して僕の目の前に惜しげもなく水着姿を晒す。
の
だめの肌は透き通るように白くて、手足がすらっと長くて。
い
つもワンピースばかりなのだめにしては意外に大胆な、ホルターネックの濃紺のビキニが良く似合っていた。
小
さなバッグからクリームを取り出すと、のだめは首、腕、お腹、足と順に塗っていく。
細
く長い指が身体をなぞる動きから目が離せない僕は、その様子を黙って見ていた。
「リュ
カ」
の
だめに呼ばれてびくりとする。
「な、
何?」
「背
中、届かないんでお願いしマス」
「う、
うん」
の
だめがくるりと背中を向ける。
白
磁のような、滑らかな背中。
僕
は思わずごくりと喉を鳴らした。
不
自然にならない様に、クリームを手に取りそっと背中に手を当てる。
の
だめの背中はしっとりと温かかった。
「リュ
カ、上手デスね」
「こ
んなのに上手いも下手もないだろ」
の
だめがくすくす笑うのが、何だか子供扱いされたみたいで悔しかった。
だ
から一気にクリームを塗って、のだめの背中から手を離した。
「は
い、おしまい」
「あ
りがとデス」
の
だめは嬉しそうに笑って、泳ぎまショウ、と言うと、僕を波打ち際まで誘った。
そ
の先にはヤスとターニャ。
僕
の顔、赤くなってないかな・・・?
か
らかわれたくないから、僕は必死にポーカーフェイスを装った。
********
チ
アキと再び合流して、ブノアさんのシャトーに向かう。
の
だめから聞いてはいたけど、凄く立派な、歴史あるシャトーだった。
「皆
さん、昨年と同じお部屋をご用意させていただきました」
執
事さんの案内で、順に部屋に通される。
ヤ
ス、ターニャの次に・・・。
「の
だめご夫妻はこちらでしたね」
「も
きゃああ・・・!お姫様ルーム!!」
苦
笑したままチアキがのだめの荷物を持って部屋に入る。
「リュ
カさんはこちらです」
僕
が案内された部屋はとてもすばらしかったけど、のだめとチアキがすぐ側で同じ部屋なんて・・・。
そ
りゃあ多少は予想できたけど・・・シャトーに泊まるの楽しみにしてたのに、見せつけられるだけなんて。
さっ
きまでいたビーチではあんなに楽しい気分でいられたのに。
の
だめはチアキとサロンでピアノの練習。
ヤ
スにターニャと一緒に庭でお茶でもって誘われたけど断って、僕は夕食まで部屋でふて寝することにした。
夕
食はよく分からない、ゼン料理?とかいうやつで。
城
主のブノアさんのモーツァルトの話はちょっと、いや、かなりくどかった。
で
も食後にみんなでワインやコーヒーを飲みながら、ヴァカンス中の事とか、ビーチでの事とかを話すのは楽しかった。
「の
だめったらすごいのよ。競泳選手みたいに泳ぐんだから」
「恵
ちゃん、早かったよね」
「の
だめ、泳ぎは得意デスから!」
チ
アキは黙ってワインを飲みながら、聞くとはなしに聞いているようだ。
そ
うだ。
僕
がのだめに日焼け止めクリームを塗ったって言ったらどんな顔するかな?
「今
日は結構日差しが強かったよね。のだめ、日焼け大丈夫?」
「大
丈夫デスよ。リュカが塗ってくれマシタし」
の
だめは屈託無くそう言い、チアキはワインをむせこんだ。
ふ
ふん、ちょっとはザマーミロ、だ。
そ
してみんなで何杯目かのワインを開けた頃、お開きになってそれぞれ部屋に戻った。
当
然のだめとチアキは同じ部屋。
こ
うだと知っていたなら、街のホテルに泊まったままのほうがよかったかな、とちょっと後悔さえした。
今
更仕方ないけど。
今
日はもう早く寝てしまおう。
僕
はシャワーもそこそこに、着替えてベッドに横になった。
********
「暑
い・・・」
喉
の乾きで目が覚めた。
額
に髪が張り付いていて気持ちが悪い。
コッ
プに水を注いで一気にあおる。
夢
を見ていた。
の
だめの夢だ。
ベッ
ドにうつ伏せに横たわるのだめは、一糸も纏わぬ姿で。
顔
だけ僕のほうに向けて妖艶に微笑んでいた。
そ
の白磁の肌の滑らかさを僕は知っている。
そ
の肌の温もりも知っている。
だ
けど、その肌から匂い立つ女の香りはまだ知らないから。
僕
はその背にそっと唇を寄せようと近付いて・・・。
そ
こで唐突に夢は終わった。
い
けないことをした様な気になって、そんな自分に苦笑する。
や
けにリアルだったのは、きっと昼間のビーチのせいだ。
はぁ。
溜
息を吐いて窓際に寄り、窓を開けてみた。
微
かに潮の香りのするぬるい風が室内に入って来る。
今
何時だろう?
時
計を見ると、僕がベッドに入ってから2時間程しか経っていなかった。
暫
くは眠気も襲って来なさそうだったけど、もう一度横になろうかとベッドに戻りかけて、耳に微かな声が聞こえてきた気がした。
聞
き違いかな?
じっ
とそのままでいたけど何も聞こえてこなかったので、またベッドに戻ろうとして、でもやっぱり声が聞こえてきた。
・・・
のだめ・・・?
小
さい、本当に小さい、こんな所まで聞こえるはずのない遠くの潮騒にまでもかき消されてしまいそうなくらい、微かな声。
・・・はっ・・・ん・・・
・・・・・・くっ・・・・・
・・・あ・・・んん・・・・
時
折ぼそぼそと話し声のようなものも聞こえて。
そ
の声は。
の
だめの、いつもとは違う艶やかな甘い声。
掠
れたチアキの声。
身
体の奥に熱いものがかっと沸き起こってきて、僕は耳を塞いだ。
窓
を閉めて、ベッドに潜り込む。
こ
んな声は聞きたくない。
今
だけは自分の耳の良さが疎ましかった。
だ
けど昼間ののだめと夢の中ののだめが声と共にフラッシュバックしてきて。
涙
が出そうになるほど、胸が苦しくなった。
********
翌
日、リサイタル当日。
の
だめは朝から準備で忙しく顔を合わせたのは朝食の時だけ。
チ
アキものだめに付いているから、二人一緒のところを見なくて済んで僕にはちょうど良かった。
リ
サイタルをする教会で、僕はぼんやり天井を見上げながら椅子に腰掛けている。
昨
夜の事がどうしても耳に残っていて、思い出しては身体が熱を持ってしまって・・・それと同時に感じる喪失感のようなものもあって・・・困惑する。
分
かっていた事だ。
の
だめはチアキが好き。
頭
では分かっていたけど・・・。
ヤ
スがいつの間にか僕の隣に来ていた。
「リュ
カ、どうしたの?朝から様子がいつもと違うようだけど・・・」
「別
に」
「な
らいいけど」
ヤ
スはそれ以上は何も言ってこなかったけど、僕の隣に座った。
「ね
え、ヤスは失恋したことある?」
何
となく聞いてみたくなって聞いてみた。
ヤ
スは少しの沈黙の後。
「あ
るよ」
と
答えてくれた。
「そっ
か、あるんだ・・・」
ヤ
スは真面目そうだから、恋愛とか苦手かと思ってた。
「ど
うしも振り返ってくれない相手を思うのって馬鹿だと思う?」
僕
はのだめが好きだけど。
僕
がどんなに大人になっても、チアキよりいい男になっても、のだめの隣にチアキがいることはこの先ずっと変わらないのかもしれない。
い
や、多分変わらないんだ。
「思
わないよ」
隣
のヤスは遠くを見るような眼差しで、僕にゆっくりと話し始めた。
「想
いが通じ合えたら最高だけど、もしそうじゃなくて、相手に誰か好きな人がいたとしても。その人のこと好きな気持ちは本物だから」
ヤ
スは誰の事を思い出しているんだろう。
と
ても優しい顔をしていた。
「片
思いはさ、苦しいけど悪い事ばかりじゃないよね。いつか、この人を好きで良かった、会えてよかったって思える時がきっと来るよ」
ヤ
スは穏やかな笑顔だ。
ヤ
スは失恋した相手のこと、そう思っているのかな?
好
きでよかった、会えてよかったって。
の
だめが姿を現した。
の
だめの奏でる音色は、跳ねて、飛んで、色彩豊かに溢れ出す。
そ
んなのだめを、舞台からはずっと離れた場所で、チアキが見つめていた。
二
人の間には、どうしても割って入ることができない。
そ
れは分かっていたこと。
の
だめを好きでよかったと。
の
だめに会えてよかったと。
僕
もいつか思う時が来るんだろうか。
で
もきっと。
そ
う思える未来が、そんなに遠くない未来だと。
神
聖な教会で、のだめの音に包まれながら。
そ
の時がのだめと僕にとってどうか幸せであるように、と。
祈
る様な気持ちの中、僕は思った。
End