『想いの行く末』
 
 
 

長く想い続けると、気持ちは風化すると思う?
僕は、そうは思 わない。
返って来なくても、深さはずっと変わらない。
むしろ昨日より今日、今日より明日の方が……深く重く、 なっていく物だと思ってる。
 
 
 
彼女と出会ってから、丸五年が過ぎた。
初めての印象は、「面白い口をするお姉さ ん」
それはすぐに、形を変えていった。
彼女の奏でる音にも、彼女自身にも、強烈に惹かれていた。
い つしかそれは憧れだけでなく、恋に変わる。
 
笑顔を見るだけで、嬉しかった。
声を聴くだけで、嬉しかった。
同 じ時間を共有できるだけで……幼い僕は、幸せだったんだ。
 
 
 
コンセルヴァトワールを卒業して、会える機会は少なくなった。
たまの機会があると すれば、仲間同士で行くコンサート。
僕の最大のライバルである男が指揮するオーケストラってとこが、腹立つけど。
彼 の音楽だけは認めてやる。
でも彼女の恋人だなんて、認めてなかった。
僕の隣では、指揮台に釘付けな彼女。
瞳 をキラキラさせて、ヨダレでも垂らしそうな勢いで。
何年経っても変わらない、その姿。
悔しい気持ちは……僕だっ て、変わらない。
 
僕の知っているのだめは、最初から千秋が好きで…
千秋しか見ていなかった。
 
でも僕だって、のだめが好きで…のだめしか見てないんだよ?
 
 
 
子供扱いされていたのは、年齢差のせいだ。
大人になったら、のだめに釣り合う男に なってるはず。
ずっと、そう思っていた。
 
だんだんお互い忙しくなっていて、のだめと会う時間も取れなくなって。
今伝えない と、いけないような気がして…
18歳の誕生日の今日、決心したんだ。
気持ちを……愛してるって、告げる決心を。
 
 
 

『のだめ、これから会えるかな?』
『いいデスよ』
『話 したい事、あるんだ』
『のだめもありマス!』
 

電話で約束を取り付けて、待ち合わせ。
コンヴァト時代によく 寄っていた公園で。
時間まで待ちきれなくて、早すぎるくらいに着いてしまった。
待たされるのは本当は好きじゃな いけど、のだめを待つ時間は楽しいから。
ベンチに座って、跳ねた頭が見えるだろう方向を見つめていた。
 

「リュカー!」
 

公園中に響くんじゃないかと思うくらいの大声で、僕を呼ぶのだめ。
昔 と全く変わらない様子で走ってきて、満面の笑みをくれる。
 

「お待たせしました!」
「いいよ。それより大丈夫?」
「ふぇ… 走りすぎデスかね……」
「ちょっと休みなよ」
 

息を切らせて、必死に走って僕に会いに来てくれたみたいで、嬉しい。
買っ ておいたココアを差し出して、並んで座った。
少し肌寒いけど、日差しは暖かい。
じっとしてるとぽかぽかで、時間 がゆっくり流れているようだった。
 

「久し振りだね」
「そデスね〜昨日までウィーンに行ってたか ら、タイミング良かったデスよ」
「だから今日にしたんだ」
「知ってたんデスか?」
 

のだめの演奏活動は、ほとんど把握してるんだよ?
今回の ウィーンが…悔しいけど千秋とのコンチェルトだったのも、知ってる。
 

「演奏は楽しかった?」
「ハイ!すごい気持ちよかったデス」
「そっ か…良かったね」
「ソロも好きだけど、コンチェルトも大好きデス!」
 

音楽の話をするのだめは、輝いてる。
心からピアノを弾くのが 楽しいって、僕にも伝わってくる。
その横顔はすごく綺麗で……思わず見惚れてしまった。
 

「リュカ?そういえばお話って何デスか?」
「え…うん。のだ めもあるって言ってたよね。ウィーンの話?」
「それもそうなんデスけど、もっとすっごいのがあるんデス!!」
「何? 今度はシュトレーゼマンと共演とか?」
「それよりすごいデスよ〜」
「勿体つけないで教えてよ」
 

そこで、のだめの顔を見て……嫌な予感が走った。
頬を薔薇色 に染めて、口元を緩ませて。
赤く色付くその唇から発せられる言葉が、何故かわかってしまったんだ。
聞きたくない と思った時には、もう…遅かった。
 

「のだめ、結婚するんデス!」
 

突然目の前が、真っ暗というか真っ白というか…色が無くなった気がした。
僕 が返事をできないのも構わず、のだめは話し続けている。
 

「昨日プロポズされたんデス!ウィーンの公演が終わった後で」
「待 たせてごめんとか、普段じゃ言わないような事言ってくれて」
「録音してれば聞かせてあげたかったデスよ〜」
 

大好きなのだめの声が、遠くに聞こえる。
何で…よりによって 誕生日に、こんな話を聞かなきゃいけないんだ?
しかも昨日?
僕が気持ちを伝えようとした、正に同じ日に?
ま ともに話しもしたことない千秋だけど……
今日ほど憎らしいと思った事は、ない。
 

「どうしました?」
「のだめ…っ、僕は……!」
「… リュカ?」
 

よっぽど、言ってやろうかと思った。
僕はのだめが好きだと、 愛してると。
千秋なんかよりも、僕と結婚してくれと。
口を付いて出そうなドロドロした言葉……
そ れは、ぶちまけられる事は、なかった。
 

「…おめでとう」
「むきゃ〜っ、ありがとデス!」
 

のだめが、幸せそうだから。
この笑顔を、曇らせたくないか ら。
千秋から奪ってやろうかと思っていたのに、行動どころか伝える事すら出来なかった。

「結婚式には招待しマスね」
「……うん」
 

ここで“行きたくない”と言えるのは、もっと子供だった僕。
“喜 んで行かせてもらうよ”と言えないのは、まだまだ大人じゃない僕。
 
 
 
出会った頃には、彼女の特別は決まっていた。
大人になれば、僕を見てくれると思い 込んでいたけど…
彼女が彼を選んだのは、年齢でも出会った早さでもなかったんだ。
それに気付くまで、丸5年以上 掛かったなんて。
ここまで大きくなってしまった彼女への想いは、どうすればいいんだろう?
 

手を振って帰って行くのだめの後姿を見送る。
少し向こう側に は、きっと黒髪の男が待っているんだろう。
だからのだめはあんなにも、綻んだ笑顔だったんだ。
 

風が、急に冷たく感じる。
記念すべき18歳の誕生日に、盛大 に振られる体験なんて滅多にないよね。
 
ピピピピピ……
 
携帯から、メールの着信音。
見るのも億劫だけど、取り出して良かったと…後から 思った。
ディスプレイには、シンプルに一言だけ。
 
『誕生日おめでとうございます。のだめ』
「……覚えてたんだ」
 

直接言ってくれればいいのに、とも思うけど。
大好きだった、 愛していた彼女からの祝いの言葉は、素直に嬉しかった。
同時に湧き上がる、二度と手に入らないという悔しさ。
僕 には、このメールくらいがお似合いなのかもしれない。
 
ぽつりと、膝に雫が落ちる。
今日だけは、子供に戻って泣いてもいいかな…
明 日から、大人になるから。
次にのだめに会った時は、笑って祝福できるように。
 
 
 
今日は……想いを風化させる、始まりの日。
 
 
 
END