怒濤の拍手が鳴り止
まない中、峰と清良は舞台袖に戻って来た。
「りゅうちゃ〜ん!!最高だったわ〜〜〜っ!!。」
真っ
先に真澄が感動のあまり、峰に抱きつく。
興奮で体中が熱くのぼせ上がっており、吹き出した汗がべたあっとはり付く感触に、峰が思わず
真澄を払いのける。
「うわっ!!。真澄ちゃん、あっちい!!。離れろっ!!」
「ひ、ひどい
〜」
「清良〜っ!!よかったよ〜!!」
萌・薫・舞子がタオルを手渡した。
清
良はタオルで汗を拭きながら、満足そうににっこりと笑ってみせた。
三人は意味深な表情で、顔を見合わせると手を口に当ててふっふっふ
と笑う。
「なんか今の演奏ね、二人ともね……」
「すごく……」
「ーエ
ロかった〜〜〜っっ!!」
キャーっと身悶えする3人に、清良はバッと頬を染める。
「そ
ういえばくろきん、リードは出来たのか?」
峰が真澄のもじゃもじゃ頭を掴んで遠くに押しのけながら黒木に聞く。
「う
ん。なんとかできたよ」
黒木は今日、練習の合間を縫ってパチパチとリードを作成していたのだ。
「しっ
かしすげえよなあ。旅行にまでリード作り道具を持ってくるなんて」
「う〜ん、なんだか手元にないと落ち着かなくって」
そ
こへ千秋がやってきて峰の肩をポンと叩く。
「峰、良かったぞ」
「まあな!。……なんだ?お
前も俺を心配してたくちか」
「……少し」
「千秋くん、いろいろ話している暇はないよ。すぐに皆出ないと。次の曲
だ」
高橋が皆を促す。
先
ほどの演奏の興奮も冷めやらぬうちに、舞台袖からメンバーがそれぞれの楽器を手に持って現れる。
わっとまた一段と沸く会場内。
オー
ボエ … 黒木泰則
クラリネット … 鈴木薫
フルート … 鈴木萌 相沢舞子
ピッ
コロ … 大河内守
打楽器 … 奥山真澄
ヴァイオリン … 峰龍太郎 三木清良 高橋紀之
そ
れぞれが定められた位置についた。
黒木がオーボエでAの音を弾く。
それに合わせて他の者が次々とAを弾き、音の
高さを合わせた。
観客達は、その音を聞いてこれから始まる音楽に対する期待に胸が高める。
そしてメンバーは
チューニングを終えた後、中央に据えられたピアノの椅子に座るべき者の登場を待つ。
個性溢れる彼らを束ね、この場にいる演奏者の音楽
を、いや会場内にいる全ての聴衆までもを支配する絶対的な存在。
会場も固唾を呑んで彼の登場を待っていた。
や
がて、『彼』が現れる。
満を期しての登場に会場から一段と大きい拍手が送られる。
メンバー
は全員が起立して千秋を迎える
コンマスである高橋と握手をした時にキャーっと女性の歓声が起こる。
そして各自が
定位置に着席して千秋もピアノの前に腰を下ろした。
左にいる高橋と目で合図を行い、千秋はすっと右手を上げた……。
「ペ
ルシャの市場にて」
この曲は、イギリスの作曲家 アルバート・ケテルビーの代表作である幻想的描写曲である。
東
洋的な異国情緒溢れる雰囲気と、回教寺院のあるにぎやかなペルシャの市場の様子などを表しているこの曲は、学校の共通鑑賞教材としても有名だ。
ペ
ルシャとは現在のイラン・イスラム。
かつて強大であったペルシャ帝国の時代の中近東風な建物も残されているというそんなペルシャの市
場での描写を「間奏曲」という副題で作曲したのだ。
(1)砂漠の遠くの方に小さく見えるラ
クダに乗った隊商の一群が近づいてくる。
大河内のピッコロの独特の音色が最初に流れてく
る。
そのあまりにも有名な主題を聴いた瞬間、会場の聴衆がどっと沸いた。
「あ……この曲
は……」
「ペルシャだ!」
「トキハ〜!!」
くすくすと笑い声も上が
り、ガヤガヤとざわめく観客に舞台の上の演奏者達はとまどった。
『……おい、なんだ、この雰囲気は』
『な、
何?何?なんか変?』
『なんでこの曲、こんなに受けてるのかしら…』
『さっぱりわからない……』
実
はこの曲は地元で有名なデパートに流れる曲であり、テレビのコマーシャルでもよく流れ、大分の人間にとっては非常に身近な曲なのだ。
こ
の大分の会場を沸かせるにはうってつけの曲と言っても過言ではない。
大河内はそれをよく知っているからこそ、こ
の曲を選んだのだともいえる。
ピッコロにかぶさるようにフルートの舞子と萌が音を奏で、低音部のベースは千秋が
ピアノでフォローをしている。
菊池がいれば良かったのだろうが、低音を担当する楽器がないようになってしまった今となっては、千秋が
カバーをするしかないのだ。
そして本人的には大変不本意ではあるのだが、弾き振りをすることとなってしまったのだ。
(2)
やがて彼等の所に大勢の市場の乞食達が集まってきてほどこしを求めて叫ぶ
ピッコロは後ろの方でで奇妙な笛の様な
音をぴぃぴぃと吹き続けている。
大河内はかなり乗っているようだった。
ピッコロが得意だと言ったのはどうやら嘘
ではないらしい。
其れと同時に、弦の演奏が入る。
此処は本当はヴァイオリンとヴィオラだ
が、ヴィオラ担当がいないのでヴァイオリンのみの演奏となっていた。
普段はライバル関係にある清良と高橋、そして一人独奏体勢の峰も
加わって、あまり仲がよいとは言えないヴァイオリントリオが弓を弦に乗せて走らせている。
ヴィオラがいないのに、これほどの深みを出
すというのはさすがと言う他はない。
東洋風な行進曲が頂点に達すると、有名な乞食の大合唱のシーン。
い
よいよ即席男性合唱団の出番だ。
管楽器担当の黒木、大河内を除いた男性陣が低いバスの声で乞食の歌を歌い、ほどこしを求める乞食達の
様子を賑やかに伝える。
最初は「私は乙女だからそんな声出せないっ!!」と嫌がっていた真澄も、観念したのか普段では絶対に出さない
ような低音域で歌っている。
乞食達が隊商に向かって「バクシーシ、バクシーシ、アーーラー
(アッラーの神の名においてお恵みを)」と3回叫ぶ。
Back-sheesh Back-sheesh
Allah Back-sheesh Back-sheesh Allah
Back-sheesh Back-sheesh
Allah
ようするに「金くれ、旦那!!」といったところだろうか。
Empshi
Empshi Empshi
其れに対して、らくだ使いが「エーンプシー、エーンプシー、エーーンプシ(あっち
に行けよ!)」と応え乞食達を追い払いながら隊商が進んで行く。
そうしてもう一度そのやりとりが繰り返される。
Back
-sheesh Back-sheesh Allah Back-sheesh Back-sheesh Allah
Back-sheesh
Back-sheesh Allah
Empshi Empshi Empshi
そ
れを聴いて、ますます盛り上がる会場内。
当然であろう。
R☆Sオケがコンサートで歌を取り入れたことはまだ一度
もないのだ。
有名な旋律を朗々と歌い上げる面々に観客達の間に笑顔が広がった。
歌を歌うと
いえども、それぞれの担当の楽器は演奏しない訳にはいかないので、
千秋はピアノでベースを弾きながら歌い、峰と高橋はヴァイオリンを
それぞれ演奏しながら歌っていた。
歌を取り入れることによってオリエンタルな雰囲気が高まり、はるか遠ペルシャ
の時代までさかのぼったかのような錯覚を与える。
(3)
召使達を伴った王女様が見物にやって来る
やがて物憂げな美しいメロディ一にのってペルシャ
の王女が登場する。
その気品溢れる旋律は高貴で美しいオリエンタルな姫君のイメージを彷彿とさせる。
大勢の召使
いを従え、お忍びで市場にやって来た王女は顔をヴェールで覆っているので、誰も王女だとは気づかない。
本
来ならばチェロのソロ部分であるが菊池不在の今、どうしても弦の音が欲しいという千秋の指示でヴァイオリンに置き換えられていた。
と
はいえ、チェロとヴァイオリンでは音域がどうしても違うので、1オクターブ上を弾くこととなる。
其れだけでは雰
囲気が出ないので千秋はここで内部奏法という方法を取った。
内部奏法とはピアノを鍵盤によってではなく、直接弦
を叩く、弦を押さえてハンマーで叩く……等々で本来のピアノにはない音色を得るための奏法である。
クラッシックでは殆ど使われること
がなく、現代音楽でよく使われる手法だ。
一般には内部の弦をギターのピックなどで直接弾く方法が有名である。
そ
の他にも弦を指で押さえながら鍵盤を弾く方法、松脂を塗ったグラスファイバーもしくは弦楽器の弓を、弦に通して擦弦する方法がある。
こ
れらは全てピアノ一台で様々な音を出すための工夫である。
ただ、これについてはコンサートホール側がピアノが傷
むからという理由で嫌がられる傾向にあり、今回も直接弦を弾いたりするのは会場の許可がおりない可能性があった。
そ
こで千秋の取った方法は右ペダル(ダンパーペダル)を踏んだまま、左手をピアノの本体の中に突っこみ、直接弦を押さえるというものだった。
そ
して、右手はピアノを通常通り弾く。
そうすると本来ここで演奏されるべきハープの音色とまではいかないが、ぽろん、ぽろん、という少
し面白い音が出るのだ。
要するに指でミュートを聴かせている状態だから音は少し小さめにでるものの、これによっ
て普通のピアノの音よりもかなり雰囲気はでる。
独特の音色が演奏に彩りを与える。
途
中からはヴァイオリンだけの独奏となる。
高橋がソロとなり音色を変え、ヴェールで顔を隠した美しい王女がお供を連れゆっくりと優雅に
歩く姿を表現する。
峰と清良はここではおとなしく伴奏にまわっていた。
そ
うしているとついに全体の演奏部に突入する。
オーボエ・ピッコロ・フルート・クラリネット・ドラムの出番だった。
こ
こは真澄の踏ん張りどころである。
というのはドラム1台で、他の打楽器の全ての音を表現しなければならないからだった。
相
当の実力と弾き分けが要求されることとなる。
真澄は額に汗を浮かべながらも、無心に打楽器を叩き続けた。
ピッ
コロの大河内は相変わらず後ろでぴこっぴこっと吹いている。
千秋は此処では、ピアノの低音部で多少のベースを弾く。
あ
る程度落ち着いてくると、一旦曲が収束するような錯覚に囚われる。
(4)
市場の大道芸師が奇術をする
ここではフルートの舞子と萌が活躍する。
軽快なフルートがまる
で飛び跳ねるように音を奏で、賑やかで人がごった返したお祭りを表現する。
ここは管楽器の音が少し欲しい所なの
で、オーボエの黒木がフォローに回る。
千秋はピアノでベースを弾き続ける。
今
回、弾き振りという形をとったのはもちろんメンバーがそろってないという理由があってのことだったが。
それでも千秋の中にはそれを思
いついた時から一つの欲望のようなものがむくむくと沸いて出ていた。
ピアノを弾きながら指揮がどこまで出来るの
か。
ピアノという楽器はそれ自体が独立している。
どんなに強弱をつけ
ようともどんなにテンポを変えようともそれは演奏者の自由だ。
ピアノ演奏者は鍵盤に指が触れた瞬間から思うがままに自分の世界を表現
することができる。
しかし今回は弾き振りだ。
オーケストラとして全体が息のあった演奏しな
ければ意味をなさない。
弾き振りの指揮者は自分が頭の中に思い描いている曲のイメージを腕や手の動きで表現しなければならない。
自
分も演奏しながら他のメンバーにどうしたらうまく伝えることができるのか。
このでこぼこだらけの即席編成の少人
数オーケストラではたしてどこまでできるのか。
それは千秋にとっても初めての挑戦であった。
当
然ながら千秋が弾き振りが初めてなら、他のメンバーもそんな千秋の指揮に合わせるのは初めてだ。
千秋が意図している曲のイメージと全
然違うテンポになってしまったり、全然違うタイミングで始まったり。
弾き振りでは指揮者がやることを全部が全部
やることは出来ない。
当然自分が演奏している部分もあるからだ。
基本的にはそれを聞いてオ
ケが自発的に合わせてくれるという概念なのだが、そううまくはなかなかいかない。
そこでオーケストラの要である
コンマスが重要なポイントとなってくる。
弾き振りの指揮者が振ることが出来ないところで、コンマスはピアニスト
の動きを聞き取り、やりたいことを汲み取り、
それをオケに伝えて全員をまとめていくという大事な役目を任されることになるのだ。
千
秋は今回のコンマスである高橋と入念に打ち合わせをした。
いつもの千秋に強烈な想いをアピールする高橋とそれを拒否する千秋という図
式から抜け出して、お互いに納得がいくまでとことん話し合った。
こんなに真剣に話し合ったのは初めてと言ってもいいくらいだ。
い
くら優秀なコンマスでも、初めて合わせる初めての曲で相手の動きで全部わかるはずはない。
何度も何度も繰り返すうちにお互いの呼吸が
わかるようになる。
そして前もって全ての動きを頭に入れておいてもらえれば後は他の人たちがコンマスに合わせるだけという状態を作り
出すことが出来る。
その性癖はさておき、千秋はコンマスの高橋には絶大な信頼を寄せていた。
(5)
市場のへび使いが笛を吹く
途中から、クラリネットの薫の出番だった。
十
分にクラリネットを活かして特殊なオリエンタルな部分のソロを演奏する薫。
へび使いが集まった人々の前で笛の音
をくゆらせて思うがままにヘビを操る情景が目に浮かんで来るようだ。
可憐な王女は市場の蛇使いなどを物珍しげに
眺めている。
王家の姫君にとっては市場でのざわめき、乞食たちのものごい、陽気な大道芸人、不思議なへび使いなどすべてのものが新鮮
に目に映るのだ。
ここの後ろは本来ならば低音楽器も入っている筈だが、敢えて全て消しさってしまい真澄のドラム
だけがクラリネットに合わせるように響く。
(6)
太守の通過
派手なファンファーレが鳴り響く。
太守(カリフ)の行列が
この場所を通過するのだ。
市場にさっと緊張が走り人々は端により道をあける。
太守はそんな人々には目もくれず、
大勢の付き人を連れてどことともなく去っていった。
今回はトランペットなどの金管楽器が居ないということで、
オーボエの黒木がフォローする。
オーボエで金管楽器役をするということはかなりの技術が要求されるが、そんなプレッシャーをものとも
せずになんなくこなす黒木。
それを聴いて千秋は満足げな表情を浮かべる。
さ
すが黒木だ。
その間、真澄はとてもドラムだけで演奏しているとは思えないほど、打楽器なのに多彩な音を出してい
た。
(7)またもや、乞食達の声がする
も
う一度乞食達の歌が繰り返される。
Back-sheesh Back-sheesh
Allah Back-sheesh Back-sheesh Allah
Back-sheesh Back-sheesh
Allah
Empshi Empshi Empshi
Back-sheesh
Back-sheesh Allah Back-sheesh Back-sheesh Allah
Back-sheesh
Back-sheesh Allah
Empshi Empshi Empshi
こ
の合唱部分のために、男性陣は乞食の扮装をして演奏をしようという案が出たのだが(もちろん発案は峰)千秋の鋭い眼差しで却下されていた。
(8)
王女はこの場所を去る
高橋のヴァイオリンのソロだ。
さすがブッフォン国際ヴァイオリン・コ
ンクールで3位に輝くヴァイオリニストだけのことはある。
彼のヴァイオリンは男性が弾いているとは思えないほどの繊細な美しさがあ
る。
可憐な王女の一行は市場を立ち去って行く。
どことなく寂しそうな王女の横顔は賑やかで
楽しかった市場にまだ未練を残しているようだ……。
伴奏は峰と清良でソロである高橋を引き立てるように低音を奏
でる。
千秋は内部奏法をして演奏に彩りを添えながら、演奏しているメンバーの顔を感慨深げに見回した。
ま
さか。
まさか、もう一度このメンバーで演奏できるとは思わなかった。
あのニューイヤーコン
サートが日本でR☆Sオケと共演できる最後の舞台だと思っていたのだ。
最初はどうしてこんなところまで来て、演
奏をしなければならないのかと不満たらたらではあったが…
演奏をしているうちに千秋はだんだん自分の気持ちが高揚してくるのを感じて
いた。
そう。
楽しいのだ。
とても楽しいのだ。
彼
らと演奏するということが。
初めて共に音楽を演奏した時からその思いは変わらない。
自
信と野心と探求心に溢れたメンバーの若いエネルギー。
それぞれが才能溢れる人材の集合体。
一人一人が個性を生か
し、心を一つにして音楽を演奏する。
次はいったい何が出来る?。
次はいったい何をしよ
う?。
このオーケストラと共にある時、千秋の心はいつもその思いでいっぱいだった。
常
に先へ先へ進んでいく。
進化し続けるオーケストラ。
(9)
隊商の旅立ち。旅はまだまだ続くのだ。
ここで冒頭のテーマに戻る。
けれどもそれは全体の
テーマでもある。
隊商はらくだに荷物を載せ強盗に襲われないように隊列を組んでまた砂漠を越えて別の街へ向かう
のだ。
そして商品を輸送してさまざまな場所で交易をする。
市場での交易を終えた商人達はこの場所を後にする。
打
楽器の音がらくだの蹄の音のように一定のリズムを鳴らす。
シンバルの音が歩くらくだの振動にあわせて鳴る鈴の音のようにしゃんしゃん
と響く。
商人が灼熱の砂漠へ出発する。
隊商は砂を踏みしめるようにして歩き出し、そしてだんだんその姿が見えな
くなっていく。
途中から、クラリネットだけの音になっていって……そして……遠ざかってい
くかのように、だんだんその音色が大人しくなっていく。
(10)
遠ざかっていく王女が見える
王女の登場の時のテーマと同じテーマが流れる。
ヴァ
イオリンが静かに……本当に静かに、もの悲しく鳴り響く。
鉄琴のポロンポロンとした音の代わりにピアノが静かに音色を響かせる。
そ
して更に静かな音楽となって響いていく。
(11)
市場は元の静けさに戻る
隊商も王女も人々もいずこともなく姿を消し、辺りは何事もなかったように静けさに包まれ
る。
普段の日常の市場に戻ったのだ。
クラリネットとオーボエだけの音になっていって……。
そ
してだんだんその音も小さくなっていって……。
音の余韻を残しながらも完全に会場は静寂に包まれる。
そ
してこれで演奏終了かと思われた瞬間、いきなり全楽器が大音量で和音をジャンと鳴らす。
今度こそ本当の終了だっ
た。
千
秋は静けさに包まれながら、演奏を終えて満足気な顔をしているメンバー一人一人の顔を見渡した。
黒
木。
彼は派手な人物ではない。
自分から目立とうとしたり人の上に立とうとするようなタイプ
でもない。
あくまでも真面目で誠実。
日本の武士のように寡黙な人物だ。
し
かし、一度オーケストラに入るとその力強い音色で他のメンバーをぐいぐいと引っ張っていく。
オーボエ協奏曲では
のだめへの失恋とコンクールでの失敗を乗り越え、俺の熱い信頼に答えてくれた。
……彼が本当にのだめへの思いを
ふっきったのかどうかは……少しだけ気になる……。
真澄。
初
めて会った時は、その特異な容姿とパフォーマンスに呆れた。
だがいつまでも彼の「音」は耳に残っていた。
意
外にも彼の真面目な性格が現れ出るような正確なリズム。
熱い情熱がほとばしるようなそのサウンド。
「軽
く」なんて言葉がないと言い切った。
いつでも本気でいつでも真剣に打楽器と向き合う。
R☆S
オケを作る時に、ティンパニーの座は彼しか考えられなかった。
……彼の思いには答えられなかったが(無理)、俺
にとってかけがえのない友人であることには間違いない。
萌と薫。
S
オケ時代からのつき合いは長い。
音楽のことよりも自分達の容姿をいかに美しく保つかに重きをおいているようなところがあって、絶対に
ハードな練習にはついてこれないだろうと思った。
しかし案外負けん気の強いこの双子は、俺からどんなにしごかれてもめげずについて来
た。
R☆Sオケにいれてくれないかと言われて断った時、彼女達は目を潤ませながらも「ぜったいにあきらめない」
と言った。
そしてその言葉の通り、猛練習を重ね着実に実力を上げ、CDを出すまでにいたっていた。
こ
れからは彼女達の魅力が、新星R☆Sオケの観客を集める一つの要因ともなるだろう。
PS……酔っぱらって抱きつ
くのはやめて欲しい。その……胸とか……当たるから……。
舞子。
明
るくて現代的な性格でしっかり者の舞子。
俺から叱られても、全然こたえることがなくいつもコロコロ笑っていた。
か
と思うと、フルートに対する思いは真摯で、演奏に対する態度はいつも真剣だ。
可愛いわりにはけっこう自己主張が
強くって、最後までフルート協奏曲をやろうと俺にねだっていたっけ。
卒業後は外国に留学するらしいが、新たな地
でまた頑張って欲しい。
高橋。
……
いろいろな意味で衝撃的な奴だった。
高い技術。多彩なヴィブラート。繊細で綿密なそのヴァイオリンの響きは聴く
者の心を惹きつける。
峰が彼を新しいコンマスに決めたのは、清良のことを思ってというのもあるだろうが、もちろんそれだけではないだ
ろう。
だが、自己中心的なところとストレートな物言いが、本当にコンマスとしてオケをまとめられるのか?と不安
だったが、それは杞憂だった。
見事にまとめ上げ、ニューイヤーコンサートでの成功は彼の功績が大きかったと言っても過言ではない。
彼
ならば、これからの新星R☆Sオケをまかせても大丈夫だろう。
新指揮者の松田さんともうまくやっていけるみたい
だし(……なんとなく、ホッ)。
大河内。
……
実をいうと、彼のことはあまり知らない。
指揮科だったというが……あまり印象には残ってないし。
そ
れでもいつのまにかSオケの一員となり、R☆Sオケのメンバーともすっかり溶け込んでいる。
とても愛すべき人物なのだろうと思う。
シュ
トレーゼマンに師事しようとして熱烈にアプローチしていたらしいが、同じ指揮の道を目指すものとしてその気持ちはよくわかる。
振るべ
きオーケストラが無くて苦しんでいたのは俺自身も同じだったからだ。
学園祭でのSオケのこいつのステージは、とても生き生きしていて
楽しそうだった。
……「地上の星」を歌うのはは俺の方が上手いと思う。
清
良。
ニナ・ルッツ祭で指揮者代理とコンミスという出会をした。
容姿端麗でたぐいまれない才
能を持っているのに、それを鼻にかけることなくさっぱりとして男前で姉御肌な女性。
人を集める能力にも長けていて、実際彼女の行動力
がなければR☆Sオケは存在しなかったであろう。
そしてコンミスとしてもオケをまとめ上げて俺にとって心から頼れる存在であった。
ー
どうして恋愛感情に発展しなかったの?。
舞子の言葉が頭をよぎる。
ど
うしてかはわからない。
彼女はこんなに美しく、その才能と生命力に満ちあふれているのに。
そ
れでも人生においてお互いに最高の出会いをしたことだけは確かだ。
清良。……………………本当に、峰でいいのか
(笑)。
峰。
最
初に会った時は、「なんだ、こいつ」って思った。
派手な頭をしていて、目立ちたがりなお調子者。
ヴァイオリンも
自分勝手に好きなように弾きまくって一人で突っ走って人と合わせるということができない。
こんな奴をSオケのコンマスにしたジジイの
気持ちがわからなかったが、今だったら理解できる。
こいつがいなければSオケも今のR☆Sオケもなかった。
そ
の底抜けの陽気さと独特の人なつっこさで、ともすれば人間関係の難しいオケのムードを変え盛り上げていく。
峰がいたからこそ、奴が俺
と皆のクッションになってくれたからこそ、俺は2つのオケで指揮者としてやっていけたのかもしれない。
そして峰
がいるからこそ、俺は安心して海外へ旅立つことができる。
奴はR☆Sオケをいつか皆が世界で成功して演奏者として戻ってくるまで、守
り続けてくれるに違いない。
峰。
長文で手紙送ってきても、絶対に返事かかないからな。
オー
ケストラは天才の集合体だと言った人がいる。
一人一人が普通の人間の理解のできない限りなく宇宙人に近い超人の集合体だと。
そ
れぞれが子供の頃から厳しい練習に耐え、持って生まれた才能を生かし楽器の修練を積み重ねて来たものばかりだ。
途中で駄目になる者も
いる。
自分には才能がないと諦めてしまう者もいる
今、ここに残っている者は、本当に音楽愛し自分の才能を信じ、
そしてけっして諦めなかった者だけだ。
そしてオーケストラというものはそういった連中が心をひとつにして、自分達の音楽を作り上げ
る。
全てはそれを聴いてくれる観客を心から感動させるために。
最
高のメンバーだったと思う。
こいつらとつかの間だけでもオーケストラをやれることがやれて本当に幸せだった。
心
から誇りに思う。
千秋は観客の方に振り返ると深々と頭を下げた。
は
あ……はあ……はあ……。
のだめは必死に走っていた。
iichiko
総合文化センターにタクシーで乗り付けたのがつい先ほどだった。
ちょうど別府ー大分道路がラッシュで混み合う時
間帯だったために、大幅に遅れたのだ。
そのまま東側1階エントランスから入ると、運悪くエレベーターはちょうど
使用中だった。
しばらく待っていたがなかなか降りてくる気配がない。
その待ち時間が少しでも惜しくて、耐えきれ
ずに階段の表示の方へ向かい、超人的な体力にまかせて一気に音の泉ホールのある5階まで駆け上がる。
さすがののだめも、5階まで駆け
上がるともうへとへとだ。
「あ……はあ……ちょっと、きついですネ……さすがにもう年なんでショウか……」
会
場の入り口にはほとんど人が残っていなかった。
かろうじて受付に残っていた学生が、息を切らしているのだめを見て不思議そうに首を傾
げながらもパンフレッドを渡す。
のだめは入り口の前まで来ると、ふうっと息を深く吸い込み、ホールの扉を開け
たー。
続
く。
-