別府観光港から 全員はタクシーに乗り、大河内の親が経営するという旅館まで向かった。

「ふぉ〜」

の だめが驚きの声を上げる。
そこは別府中心地に位置しながらも、緑地に囲まれ丘陵の上に閑静として建っていた。
小 高い丘陵からは別府湾が一望でき、旅館というより高級ホテルといったところだ。
庭園には趣ある木々が植えられ、灯籠や石塔、苔むした 五輪塔などが点在している。

…どう考えても学生達が気楽に卒業旅行気分でやってくるような旅館ではない。

「ー どうしたの?みんな、入ってよ」

一人そんな雰囲気をものともしないこの旅館の一人息子である大河内守は、あまり にも格式高そうな場所に
入るのをためらっていた皆をうながした。
自動ドアがシャッと空く。
そ のとたんに整列して待っていた数人の仲居達が深く頭を下げる。

「いらっしゃいませ…まあ、守ぼっちゃん」
「た だいま。友達を連れて帰ったよ。電話では話してるけど…母さん、いるかな」
「あいにく女将さんは外出中ですが、お友達の件お話をいた だいております。お部屋を用意しておりますので、こちらに…」

仲居の一人が大河内の荷物を持つとすっと先に立っ て案内する。
他のメンバーも荷物を預かってもらい、それぞれの部屋に行くことになった。







「ふぉぉぉ 〜広い〜!!。」

のだめ達女性陣が案内されたのは、3階の「桜」の間。
障子をからからと開 けるとそこで靴を脱ぐようになっており、奧には広い畳の部屋が二間続きになっていた。
木目調の座卓の上には人数分の座椅子とお茶の用 意がしてあり、地元のお菓子が添えられている。
床の間には趣ある掛け軸がかかっており、綺麗に花が生けられていた。

の だめは引き寄せられるように窓際に行ってみる。
ここはくつろぎのスペースのようで、ソファーとミニテーブルが置かれていた。

そ して…。

「むっきゃあ〜〜!!」

窓の外に広がるのは別府市内と…海。
さ すがに沖縄の海のように青くはないので南国気分は味わえないが、それでも海は海だ。

「ねえ、ねえ、後で海岸を散 歩しにいきましょうヨ」

…とのだめが後ろを振り向くと。
清良達女の子はテーブルの上にガイ ドブックを広げて一生懸命ににらめっこをしている最中だった。

「……何してるんデスか?」
「ど この温泉がいいかちゃんとチェックしとかないと!せっかく来たんだから入って入って入りまくるわよ〜!!」
「あ、萌。ここの温泉、美 人湯っていうのがあるわよ〜♪お肌がつるつるになるんですって!」
「どこかにエステついてないかな〜」
「のだめ ちゃんは温泉には興味ないの?」

清良に言われてのだめはうろたえる。

「あ… いや…その」

温泉というかお風呂全般がすでにどうでもいいタイプだ。






「で もね〜。大河内くんも気が利かないわよね〜」

舞子が意味深に笑って清良を見る。

「私 達は大部屋でもいいんだけど、峰くんと清良は別に一室とってあげないと〜」
「やだ、何を言ってるのよ」

少 し顔が赤くなる清良。

「照れない照れない、オケ内公認の仲なんだから。なんなら、私が大河内くんに頼んであげよ うか?」
「やめてよ…ったら。それよりものだめちゃんは?」

急に話を振られて、のだめが へっ?としたような顔になる。

「のだめちゃんは、千秋くんと一緒の部屋になりたくないの?」
「え 〜〜」
「そんな〜〜」

がっくりくる萌と薫(まだあきらめられてないらしい)。
の だめはう〜んと腕をくんでしばらく考えていたが…思いついたように手をポンっと鳴らした。

「ーそうだ!夜中に なったら皆で夜ばいに行きましょう!!」







そ のころ男性部屋。

「うおぉぉぉーっっ!!やっぱ、和室は落ち着くよな〜!!」

峰 が畳の間に大の字になって寝ころんでいる。
ふと妙な気配を感じて上を見上げると、高橋が押入を開け、せっせと布団を運んで敷いてい る。

「……おい、高橋……何、やってるんだ?布団は仲居さんが後で敷いてくれるんだぜ」
「だっ て、先に場所を確保しておかないと。ボクはもちろん、千秋くんのと・な・り(うふ)」

千秋は背筋がぞっとするの を感じた。

「ーちょっと、あんた!。何を勝手なことをやっているのよ!。あんたが千秋様の隣に寝たら夜中になん の
いたずらをするかわかったもんじゃないわ!!」
「うるさい!このもじゃもじゃ!。そういうお前だって千秋くん の隣を狙っているくせに…」
「う…(図星)。ーだったらジャンケンで決めましょう!!」
「よし!勝負だ!」
「どっ ちも嫌だ!!俺は別の場所で寝る!」

身の危険を感じて叫ぶ千秋に皆の視線が注目する。

「あ れ、じゃあ、のだめちゃんの部屋に行くの?でもあそこも大部屋だったよね」
「…部屋とか取り直したら?」
「… や…いや、そんな訳じゃ…」

菊池と黒木に立て続けに言われて千秋はうろたえた。
そんな千秋 を峰がむっとした表情で睨む。

「駄目だ!!。俺だって清良とラブラブな一夜を明かしたいのを我慢しているんだか らお前もちゃんと集団行動しろ!」
「集団行動って…」
「本当に、峰君って熱いよね〜。ハハハ」

そ の時にがらりと障子が開いて大河内が入って来る。

「みんな〜。バスの用意が出来たから、支度して下に下りて 〜。」






ホ テルの入り口には観光用の大型バスが止まっていた。
もちろん運転手付きである。

「大河内く ん…これで…行くの?」

おそるおそる聞く黒木に対して、大河内は至極当然と言ったような顔で答える。

「う ん。友達と市内観光に行きたいっていったらさ〜なんか親が手配してくれたみたいで」

ハハハっと笑う大河内。
他 のメンバーは集まってこそこそと小さい声で話し合う。

『なに…こいつ。けっこうおぼっちゃまじゃん』
『今 回の旅も、全員宿泊代無料でいいっていってくれてるものね』
『…いいわね…玉の輿』
『やだあ、薫ったら狙ってる んじゃないでしょうね!』
『でもいいの?相手は大河内くんだよ』
『う〜ん…悩むところよねえ〜』

「… 何、ひそひそ話しているの?さあ、乗った、乗った!」

せかされるままに皆が乗り込もうとしていると…。

「…… 亨?」

後ろから女性の声がして菊池亨は振り向いた。
ーそこに立っていたのは、24、5歳く らいのこんな田舎にありえないくらいの美女だった。
胸元の大きく開いた黒のスーツをさらっと着こなしてゆるくウェーブのかかった髪も
たっ た今美容院でセットしてきたかのようにきまっていた。

「ーいずみちゃん、どうしてここへ?」

菊 池が驚いたように言う。
そういえば千秋は彼女の顔になんとなく見覚えがあった。

『練習がん ばって、浮気しないでね』
『ばかだな。ボクにはいずみちゃんだけだよ』

…ああ…菊池の彼女 (のうちの一人)。

「……私……私……亨を追っかけて来たの。
だって、いくら電話しても出 てくれないしメールしたって返ってこないし…
R☆Sオケの人に聞いたらこっちだっていうもんだから…」

い ずみは少し青ざめた表情になっている。

「……少し、時間がもらえないかしら。話したいことがあるの……」






菊 池はしばらくう〜んと考え込むと、いつもの表情を崩さないまま言った。

「ごめんね。今は卒業旅行の真っ最中なん だ。今から観光地めぐりに出発するところだし」
「で……でも」
「それに、彼女も一緒に来ているんだよ。ほら… そっちにも悪いじゃない」
「か……彼女って誰よ!……まさか……ユッコ?」
「違う、違う」

と いいながら、菊池は近くにいたのだめの腕をぐいっと引き寄せる。

「この子がボクの今一番大事な彼女。桃ヶ丘大学 のピアノ科の学生さんで名前は野田恵さん」

そのばにいた全員があっけにとられたまま口をポカンと開ける。
一 番驚いたのはのだめだ。
口をパクパクさせながら、菊池を見上げて必死に何か言おうと試みるが、菊池はそんなのだめの耳元にそっとささ やく。

「ーごめん、ちょっとだけ、話を合わせてくれる?」

菊池の真剣 な眼差しに、のだめも頷くしかできなかった。

「ー嘘!。そんなの嘘よ!!」
「嘘じゃない よ。悪いけど今は帰ってくれるかな?今からバスに乗るところだから。話なら東京で聞くよ」

そういいながら、菊池 はのだめの手を引き先にバスに乗せると、自らもバスに乗り込んだ。

「あれ?みんな乗らないの?」

菊 池が入り口から顔だけをのぞかせて言う。

「お…おう」

はっと気づいた ようにわれに返り、放心したように立っているいずみの横を申し訳なさそうに通り過ぎて、次々とバスに乗り込んで
いくメンバー達。
千 秋はこっそり列から離れようとしたが、峰につかまってしまい首根っこつかまれてバスに乗せられた。

ブルルルル。

バ スが発車する時の排気音とともに車内には小刻みな振動が広がった。
仲居達に手を振って見送られながら、バスは出発する。
千 秋がちらりと振り返ると、まだ呆然と立ちつくしたままのいずみが後部窓から見えてそれからだんだん小さくなっていった。




バ ス内は誰もしゃべることなく静かだった。
その雰囲気を察したのか、菊池が素直に謝る。

「ご めんね、みんな。せっかくの旅行なのにしらけさせちゃって。特にのだめちゃん、いきなり彼女のふりとかしてもらってごめんね」
「あ…… いや……別に、いいデス……」
「別にいいの?」
「あややや、いや、いいとかそういう訳じゃなくて…」

菊 池は隣に座って顔を真っ赤にしてうろたえるのだめをくすくすと笑いながら言う。

「からかうのもいいかげんにしと こうか。さっきから千秋くんがボクのことずっと厳しい目で睨んでるからなあ」
「……別に睨んでない」

ぶ すっとした表情のまま千秋が言う。
千秋は、のだめと菊池が座っている席からさほど離れていない通路を挟んだ後ろの席にいた。

「あ れ…でも、のだめちゃんは千秋くんの彼女でしょう」
「菊池くん…何度も言ってるけどそいつは彼女じゃねえ!!」

千 秋の言葉にのだめがズキッと傷ついたような表情を見せる。
だけど、それも一瞬の間のことで、すぐにいつものようにえへへと笑った。

「そ んな〜。先輩、照れないでくださいヨ!一緒にフランスへ留学する仲じゃないデスか〜」
「留学?」
「ハイ。今年の 9月からパリのコンセルヴァトワールのピアノ科に留学しマス。先輩もパリを活動の拠点にするみたいだし…。
むきゃ♪。ずっと一緒デ ス!!」
「……たまたま行き先が同じになっただけだ」

菊池はのだめの表情の変化をずっと見 ていた。それから千秋の方を振り返り、二人の顔を交互に見比べる。
そしてくすりと笑った。

「よ くわからないけど……とりあえず、のだめちゃんは現在フリーってことだよね」
「もきゃ?」
「それなら遠慮するこ とはないよね。坊主頭は嫌い?」
「え……えと……」

また始まったよ……とバスに乗っていた 全員が頭を抱えて思った。
千秋は眉にしわを寄せる。
そんな様子を知ってか知らずしてか、菊池はにこにこしながら のだめに話し続ける。





「の だめちゃんって何が好きなの?」
「……えっと、……えっと……『プリごろ太』が大好きデス!。」
「あー、『プリ ごろ太』。偶然だね!。ボクも『プリごろ太』が好きなんだよ!」
「本当デスか!」

のだめの 顔がぱあっと明るくなる。

絶対嘘だろ……。周りの人間が心の中で100万回突っ込みを入れる。

「す ごいデス!。のだめ…大学に入ってから『プリごろ太』ファンの友達って初めて会いました!」
「そうなの?」
「だっ て…あれって子供向けのアニメじゃないデスか。大学生になったらそんなの誰も見てなくって…」
「とんでもない!。あれは日本が世界に 誇るアニメの傑作中の傑作だよ!」
「本当にそう思いマスか?」
「もちろん」
「はうう……そ う言ってもらえて嬉しいデス!。菊池くんは何のキャラクターが好きなんデスか?」
「そうだね。ボクはみんな好きだけど……のだめちゃ んは?」
「むう……どれか一人に絞るのはとても難しいのデスが……やっぱりカズオが一番デス!!」
「カズオ、い いよね〜!!」
「ハイ!!」

よく考えたら菊池は話を合わせているだけなのだが、のだめは全 然気づいていないので一見会話はスムーズに進んでいるように見える。
そうこうしているうちにバスは別府中心地を離れて山道を登りだし た。
うっそうとした森林の緑が目に心地良く、澄んだ空気も気持ちいい。

「おい……けっこう 市街から離れて行くんだな。かなり山の中に入っていくぞ」

心配そうに言う峰に大河内が上機嫌で答える。

「平 気平気♪」







勾 配がきついので、座席に座っていても後ろに引っ張られていくような感覚に陥る。
くねくねとした曲がり道が続き、やがてきついカーブに 差し掛かった。

「きゃっ!!」

遠心力でのだめの体勢が崩れ、思わず隣 の菊池に抱きつくような格好になる。

「ご、ごめんなサイ……」

ポッと 顔を赤らめるのだめに菊池がにっこり笑う。

「いいよいいよ。可愛い子から抱きつかれるのは大歓迎」

千 秋の表情がいっそう険しくなる。
前の方の座席に座っている峰と清良は、こっそりと囁き合った。

「ね え、後ろからすごい怒りのオーラが漂って来ない……?」
「ああ…。なんだか暗くどんよりした空気を感じるよなあ……」

そ んな周囲の微妙な雰囲気も気づかないほど、のだめは菊池との会話に熱中していた。
どうやら、オタク仲間を見つけた嬉しさで心が舞い上 がっているようだ。

「……で、ですね。今、のだめが一番欲しいのはカズオのフィギアNo.96腰フリバージョン なんデス!。限定品だったので手に入らなくて……」
「あ、腰フリバージョンなら確かうちにあるよ」
「えっ!本当 デスか!?」
「うん。どうしても欲しくて友達に無理言ってゆずってもらったんだ」
「ほわわわわ……」

感 動で目をキラキラと輝かせるのだめ。

………騙されている……騙されてるよ、完全に………と周りの人間は思ってい た(でも言えない)。

「良かったら、今度うちに見に来る?」
「ハイ!ぜひ行かせてくだサ イ!!」
「おいー」

たまりかねて千秋が声をかけたその時……。
キ キィ。
バスが止まった。
目的地に到着したのだ。
運転席の真後ろに座っていた大河内が後ろを 振り向いてにっこりと笑う。

「ようこそ城島後楽園遊園地へ!!」





続 く。