「待ってくだサイ!先輩!!」
の
だめは前を早足で歩いていた千秋に追いつくとその腕にしがみついた。
途端にその手はあっさりと払われる。
のだめ
は驚いたように目を見開いて千秋を見つめる。
いつもならどんなにのだめが付きまとおうとも、ため息をつきながらも諦めたかのように好
きなようにさせておく千秋だったからだ。
「先輩……何か……怒ってマスか?」
「……別に、
怒ってない」
「でも……なんだか機嫌が悪そうデス……」
「………」
そ
こへまるで示し合わせたかのように菊池、黒木、高橋、萌、薫がやって来た。
「あ、千秋様〜」
「こ
んなところにいらっしゃったの〜」
「千秋くん!!探したよ〜!!」
千秋を見つけて両腕を
取ってまとわりつきはしゃぐ萌と薫、そして高橋。
のだめは、ついその勢いに押されて千秋から退くような形になってしまう。
そ
んなのだめの様子を黒木が心配そうに見つめる。
菊池がその場の雰囲気を知ってか知らずしてか、明るく笑って言った。
「実
はね。せっかくだから皆で観覧車に乗ろうっていう話になって、ここまで来たんだよ。千秋くん達も一緒に乗ろうよ」
ふ
と見上げると、いつの間にか目の前には遊園地には定番の大観覧車があった。
親子連れやカップルなどが、楽しそうに入り口に並んでい
る。
そこへ峰と清良が何かを言い争いながらこちらに向かって歩いて来た。
必死に清良の機嫌を取ろうと躍起になっ
ていた峰が、メンバーがそろってるのに気づき手を振った。
「お〜、みんないたいた。おい、清良。観覧車に一緒に
乗ろうぜ!」
「……のだめちゃんと一緒に乗れば」
「だあっ!!何を怒ってるんだよ、さっきから!」
「………」
「あ
のなあ……のだめはオレのソウルメイトだぜ?ただの友達だよ」
「ただの友達であんな風に抱き合ったりするんだ」
「だ
から……それは、さっきから言ってるだろ?ーああ、もう、面倒くせえな!!」
「ー面倒くさいって何よ!」
真
澄と舞子はそんな二人を見かねてなだめに入る。
「清良……少し落ち着いてよ」
「龍ちゃー
ん、そんなにやけにならないで!」
そこへ、やっと真打ち(笑)大河内登場。
よほど園内を皆
を探して走り回ったのだろう、はあ、はあと息を切らしている。
「はあ、…みんな、迷子になっちゃ駄目じゃない
か…はあ、ちゃんとリーダーである俺についてこないと…」
「……誰がリーダーよ」
舞子がじ
ろりと大河内を冷たい目で睨む。
真澄は慌ててその場をとりなすように皆を誘った。
「と、と
りあえず、全員で観覧車に乗りましょう!!」
入
り口の階段を上り、大観覧車の乗り場の前にそれぞれ並んだ。
「千秋くんはボクと一緒に乗るんだ!」
「私
と密室で二人っきりになりたいですわよね〜千秋様」
「萌!抜け駆けは許さないわよ!」
「あんた達!!いい加減に
しなさいよ!千秋様はこの真澄とゆっくり空の旅を楽しむんだから…ねえ、千秋様」
高橋、萌、薫、真澄の4人は
さっきからずっと、誰が千秋と同じゴンドラに乗るかで争っている。
それなら5人で仲良く乗れば良さそうなものだが、あいにくとゴンド
ラは4人乗りのようだ。
肝心の千秋はといえば、50mという高さがあるこの大観覧車を見上げたまま怯えて顔が青ざめている。
ー
そしてのだめは。
いつもなら真っ先に「先輩一緒に乗りましょう!」とさっさと千秋の手をとってゴンドラに乗りそうなものだが、
先
ほどからの千秋の冷たい態度に困惑したまま近寄れないでいた。
観覧車の係が困ったような顔でこの騒がしい集団におそるおそる口を挟
む。
「あ、あの……結局、どなたが一番最初にお乗りになるのですか…?」
「はい!ボクとあ
の彼です!」
「私と千秋様よ!」
「抜け駆けは許さないっていったでしょ!」
「こうなったら
千秋様に決めていただきましょうよ」
きっと4人の視線が一斉に千秋に集まる。
千秋はたじろ
いで、二、三歩後ずさった。
「お……俺は……」
その時、黒木が動い
た。
集団から離れていたのだめの腕をぐいと掴むと、そのままゴンドラに向かった。
「僕達を
先に乗せてください」
「かしこまりました」
係がちょうどやって来たばかりの赤いゴンドラの
ドアを開けた。
「恵ちゃん、乗ろうよ」
「あ……ハイ」
の
だめは思わぬ展開に訳がわからないといったような顔になっていたが、黒木に促されるままにゴンドラに乗り込んだ。
続けて黒木も乗り込
む。
係が後に続くものがいないかどうかを確かめてからゴンドラのドアを閉めて鍵をかけた。
千秋は呆然としたまま
二人の乗ったゴンドラがゆっくりと動き出すのを見ていた。
そんな千秋の肩を、菊池がポンと叩く。
「千
秋くん、一緒に乗ろう」
「へ?」
菊池は千秋を促すと固まったまま動けない4人を尻目にさっ
さと千秋とともにゴンドラに乗り込んだ。
後に残されたものはしばらくの沈黙の後……。
「ちょ、
ちょっと、どういうこと〜!?」
「菊池くん……まさか……」
「真澄ちゃん達と同じ趣味だったなんて……」
「……
それ、どういう意味よっ!!」
……
あ……?
……あれ?
……あれーーっ!?。
ド
アが閉まり、かすかに揺れながら上空に向かって動き出したゴンドラの中で、初めて黒木ははっと我に返った。
慌てて閉ざされたドアには
りついて窓ガラスから外を見ると……千秋が呆然とした様子でこちらを見ている。
……え……?。
ぼ……
僕は……僕は、なんてことをっ!!
途端に自分のしでかした事を認識して、黒木はさあっと顔色を変えた。
そ
して、おそるおそる振り返ると……。
のだめがきょとんとしたような表情で、不思議そうに黒木を見ている。
「あ……
あの……あの、恵ちゃん……」
「黒木くん……」
のだめがゆっくりと口を開く。
黒
木はその言葉を、まるで死刑判決が下される時のように心臓をばくばくさせながら聞いていた。
「黒木くん……よっ
ぽど、観覧車に乗りたかったんデスね!!」
………は………?。
意
外な言葉に目が点のようになっている黒木に向かって、のだめはうんうんとうなずいてみせた。
「そんなに順番も待
てないくらい、真っ先に乗りたかっただなんて……。冷静な黒木くんにしては意外ですネ」
「あ……あの」
「でも、
確かに観覧車っていいですよネ〜。時々…空に浮かんで高いところから全体を見渡したくなりマス」
「………」
「た
まに……自分の居場所が……わからなくなるから……」
「恵ちゃん……」
彼女の瞳が一瞬曇っ
たように見えたのは……気のせいだろうか。
のだめは黒木の目を見るとにっこりと笑って言った。
「と
りあえず、座りませんか?黒木くん」
「い
やあ、あのゴンドラでは告白大会の真っ最中かな〜?」
菊池が愉快そうに笑いながら言う。
千
秋は一つ前に浮かんでいるゴンドラを背中ごしにちらりと見たが、中に乗っている人間の姿までは確認出来なかった。
ため息をついて正面
に向き直ると、菊池と視線が合った。
「気になる?」
「……別に」
「千
秋くんは、黒木くんの気持ちを知っていたの?」
「……それは……」
本当は知っていた。
あ
のいぶし銀のようなオーボエの音色が艶やかなピンク色に変わった時から。
鈴蘭の花鉢をそっと大切そうに抱えてそ
よ風の中で、頬を染めながらのだめに対する想いを語っていた黒木。
『かわいいし…性格だって素直で明るくてやさ
しくて…服装も清楚で言葉遣いもよくて…可憐な…』
……それについては千秋は突っ込みたいところはたくさんあっ
たが。
かわいい…。
人の好みはそれぞれだろう。まあ、のだめの容姿に対する一般的な見方と
してはかなり上の方であることは認める。
素直で明るくてやさしい…。
違ってはいない。ただ
それにプラスして無神経で図々しいというのが入るだけだ。
服装が清楚…。
いつもワンピース
を着てるのは脱ぎ着がしやすいとかコーディネートが面倒くさいという理由からだ。
しかも何日も同じ服を着てるし臭いし汚いし…黒木く
んはたまにしか会わないから知らないだけではないだろうか。
言葉遣いがいい…。
あ
の敬語は完全に方言かくしだ。田舎者のコンプレックスの現れだな。
たまに(千秋の)部屋から九州の家族に電話してるのを聞いてるとま
るで宇宙人がしゃべっているような感覚になる。
「ぎゃぼー」だの「むきゃー」だの奇声は発するし……。とても成人女性だとは思えな
い。
可憐……。
………………黒木くん……………あの時何か悪いもので
も食べてたんじゃないだろうか……。
黒木ののだめに対する淡い想いは、のだめが無神経にも
千秋への恋の悩み相談を持ちかけたことであっけなく砕け散ってしまった。
その結果、彼はオーボエの音楽コンクールで不本意な成績を残
すことになる。
だけどR☆Sオーケストラのコンサートでは、見事な立ち直りを見せてくれた。
あの時のオーボエの
美しい音色。
もしかして黒木くんはのだめに聴かせたくて吹いているのだろうか…と千秋はその時一瞬だけ思ったことを覚えている。
彼
女への想いを大切に心の奥に残したまま、それを音楽の糧へと変えることで全てをふっきって前へ進もうとしているのではないかと。
のだ
めもあれからいろいろ忙しくて黒木と会うこともなかった筈だが……。
黒木はまだ、のだめへ
の想いが胸に残っているのだろうか。
「黒木くんも真面目で義理固いからね。普段は押さえて
いるだろうけど…一度走り始めたら止まらないんじゃないかな」
「菊池……なんだか面白がってないか?」
「そりゃ
あ、もちろん」
菊池はにっこりと笑った。
「……
で、結局どうするのよ。このメンバーで」
「よし!ちょっと待て!!」
峰は急いで持っていた
紙をびりびりといくつかに破り鉛筆で印をつけた。
皆はあっけに取られて峰を見る。
「くじ引
きをするぞ!○が二つ、△が二つ、□が三つと紙の端に印をつけた。このくじを皆に引いてもらって
同じ印を当てた組は一つのゴンドラに
乗ってもらう」
真澄が人数を数えて、不思議そうに首を傾げる。
「……
あれ?。印の数が人数と合わないわよ」
「残り一つは◎の印をつけた」
峰はニヤリと笑う。
「そ
れを引いた奴は大当たりだ!!」
「だから何で俺
なんだよ〜〜〜っ!!なんだよ、大当たりって〜〜〜っ!!」
大河内は一人叫んでいた。
彼が
座っているのは、この24台あるゴンドラの中で2台だけしかない日本初!のふれこみの足ブラ観覧車だ。
…要するに、普通の小部屋のよ
うになっているゴンドラタイプではなく、
ただのむき出しのベンチにシートベルトと雨避けのパラソルがついているだけのいたってシンプ
ルなものだ。
体全体がむき出しで足元がなく宙ぶらりんになるため、恐ろしいことこのうえない。
上に向かうにつれ
てびゅうびゅうと直接強い風が吹き付けられる。
がくん……がくん……と揺れながら、ゆっくりと他のゴンドラと一緒に50mの高さまで
上りそのまま一周するのだ。
「うっっぎゃあああ〜〜〜〜」
「あ
〜、大河内くん、白目向いてる〜!」
「なんだか可哀想ね」
「だって公平なくじで当たっちゃったからね〜しょうが
ないじゃないわよ」
ゴンドラの窓からすぐ下の足ブラ観覧車を見ながら、自分に当たらなくて良かった……とほっと
胸を撫で下ろす、萌、薫、真澄の三人組。
「千秋様と一緒に乗りたかったけど……たまには女同士っていうのもいい
わよね」
「本当、本当」
「なんだかわくわくしちゃう〜〜♪」
……なん
だか違うような気がする。
「真澄ちゃん、今日、一緒にお風呂に入ろう〜」
「なんだか露天風
呂もあるみたいよ!楽しみ〜〜!」
「でも…最近、真澄ったら毛が濃くって……恥ずかしいわ。家を出る前にはちゃんと処理して来たんだ
けど……」
「気にしない、気にしない!」
……いや、それ以前の問題だから。
「布
団に枕を並べて秘密の恋のぶっちゃけ話しようね〜」
「私は千秋様のこと!」
「私も私も」
「な
んだ〜。皆一緒じゃない。面白くないわ〜」
きゃあきゃあと騒ぐ女の子達。
『あれ、部屋割は
どうだったっけ…』という考えに頭が及ぶものは誰もいなかった。
一
方、こちらのゴンドラは……。
「………」
「………」
ぶ
すっとした表情で、高橋と清良はお互いに視線をそらし外の景色に目をやったまま、さっきからずっと口を開こうとしない。
やがて、沈黙
に耐えかねたのか、高橋が口を開いた。
「まったく……なんでこんな組み合わせになっちゃうんだよ」
「ー
それはこっちの台詞よ」
清良も苦々しげに言う。
この二人は、R☆Sオーケストラの新旧のコ
ンマスではあるが、実をいえば仲が良くない。
そもそも高橋が清良にライバル意識をむき出しにして「この女には負けない」発言をした時
から犬猿の仲であるようだ。
どちらも実力のあるヴァイオリニスト。
迫力があるヴァイオリンを弾く清良に対し、高
い技術を持ち綿密で繊細な美しさを奏でる高橋。
峰の言葉もあって、彼を認めR☆Sオケを任せることで、清良はウィーンに戻る決心がつ
いた訳なのだが。
だけど……。
なんだか気にくわないのよね!こいつ!!。
は
あ。高橋は大げさに肩をすくめため息をついてみせた。
「せっかくの空の旅だっていうのに…なんで千秋くんと一緒
じゃないんだ?なんでこんな女と……」
「失礼ね!!だいたいねえ……わかってるとは思うけど、千秋くんは男よ?」
「完
成された美の前には男も女も関係ないよ」
高橋はふんっと胸を張る。
「そ
して新しい指揮者の松田さんも好きだっ!!僕はフォーマル燕尾服の男性が好きだっ!!」
はあ……と思わず頭をか
かえそうになった清良はふと一つの考えに行き当たる。
「……ちょっと……私がウィーンに戻るからって、龍には絶
対に手を出さないでよね!」
「あのねえ。僕にだって好みってものがあるんだよ。好みってものが。あんなひよこ頭のような奴に誰が手を
出すものか!」
「ひよこ頭って何よ!!」
キィーっとなって飛びかかろうとした清良だった
が、直前でそれを押さえ込みぷいっと横を向いた。
それを見ながら高橋がぼそっと言う。
「そ
んなに惚れてる彼氏がいるくせに、よくウィーンに帰る気になったな」
「あんたには別に関係ないわよ」
「まあ……
ボクもこちらに戻る時には、一つの恋を血の滲むような思いで終わらせたけどね」
「………」
「ピアノ科のアラ
ン……元気かなあ……。ちゃんと僕のことなんて忘れてくれてるといいけど……」
………アラン………?………やっ
ぱり……そっち系の人なのね……。
「まあとりあえず」
清良は高橋に向
き直った。
「コンマスはあなたにゆずったけど、けっして負けを認めた訳じゃないからね!」
「ふ
ん、国内コンクールで2位ごときに終わった奴が何言ってるんだよ」
「……絶対に向こうであなたより大きなタイトル取ってくるから……
約束したんだから……絶対に戻ってくるから……
それまでR☆Sオーケストラ潰しちゃったりしたら許さないわよ!!」
清
良の真剣な眼差しに、さすがの高橋も思うところがあったようだ。
照れくさそうに視線を外し、ぽりぽりと首の後ろを掻きながら言った。
「ー
僕の代で潰れるなんてこと絶対にありえないよ」
「お
お〜〜、上ってる、上ってるぞ〜〜!!舞子!!」
峰は窓に鼻がぺしゃっと潰れるくらい顔を貼り付かせて外の景色
に見入っていた。
他の建物やアトラクションが、ゴンドラが高く上っていくにつれてだんだん小さくなっていく。
人
が豆粒のように見える。
こうやって見ると、雄大な自然に囲まれた田舎にしてはけっこう広い遊園地であることがわかる。
「峰
くんはいつだって楽しそうでいいね〜」
舞子は呆れた顔でいった。
「お
う!。俺はいつだって楽しいぞ?」
「峰くんはそれでいいかもしれないけど……もっと清良のこと考えてあげないと駄目だよ」
「ー
清良のこと…?」
峰は窓から離れ、シートに座り直した。
「……目の前
で彼氏が他の女の子と泣きながら抱き合っていたら誰だってショックを受けるわよ」
「のだめのことか?あいつは特別なんだよ。俺のソウ
ルメイトであってそんな対象じゃない。
清良だってそれはわかってる筈だぞ!」
「だ〜か〜ら」
舞
子は語尾を伸ばし大きなジェスチャーで首を振った。
まったく……どういったらわかってくれるのかなあ、この鈍感男は。
「特
別とかそんな領域を作っちゃ駄目なの!」
「は?」
「恋する女の子はね、いつだって彼氏に自分だけを見て欲しい
の。自分のことだけを考えててほしいの。
それが……たとえ、恋愛感情がまるっきりないってわかってる女の子であっても少しでも彼氏の
心の中に
居場所を作られるっていうのは、すごく嫌なことなのよ」
「……わっかんねえな……」
峰
は眉間にしわを寄せる。
「お前の言うその理屈でいくと、清良が俺に他の女の子と仲良くするなって言ってるみたい
じゃねえか。
清良はそんな心の狭い女じゃねえぞ!」
「峰くん」
舞子は
きっぱりと言った。
「峰くんにとって清良はいつでも自信と行動力にあふれていて、そんな負の感情から一番遠いと
ころにいるように
見えるのかもしれないけど……。
……清良だって、普通の女の子だよ。
好き
な男の子のことになると途端に臆病になって妙におろおろして、つい意地っ張りになってしまうただの女の子だよ」
「………」
「も
うすぐ、清良ウィーンに帰っちゃうでしょう?峰くんと離ればなれになっちゃうでしょう。
だから……すごく不安なんだよ……今、きっ
と……」
「舞子……」
「ちゃんとフォローしてあげなきゃ駄目だよ!!峰くん!!」
そ
ういうと舞子は峰の背中を思いっきり叩いた。
バッシイイイン!!
「いってええっっ!!」
続
く。