「おお〜ここが、アフリカンサファリかあ
〜!!」
峰がバスの窓から顔を出し少し肌寒い高原の風がその髪をなびかせた。
のだめもわく
わくした声でそれに続く。
「ふぉぉぉーっ!!大きなゾウの像がありマス!!」
「のだめ、そ
れシャレか」
「違いマス」
ここは大分県宇佐市安心院町にある「九州自然動物公園アフリカン
サファリ」。
広大な安心院高原にある自然動物園で、115万平方メートルの敷地に70種類、1300匹もの動物や鳥達が放し飼いに
なっている。
ジャングルバスが園内を走り草食動物から肉食動物まで大接近して餌をあげながら、動物たちの中を走行し
動
物達の生き生きとした自然の姿を観察することができる。
R☆Sメンバーを乗せたバスはは白い巨大な角がクロスしたようなモニュメント
の横を通り抜け入り口へと入る。
バスから降りた大河内はまず真っ先にある建物に向かった。
「大
河内、どうしたんだ」
「ジャングルバスの予約をとってたんだよ。予約していたら確実に乗れるからね。ほら、あのバスだよ」
大
河内が指さしたのは……ライオンやゾウやトラの形をした派手なバス。
窓ガラスは鉄格子になっており、観光客はそれに乗り込みまるで檻
の中の動物になったような気分を味わいながら
のびのびと放し飼いにされた動物達の間を通ることができるのだ。
「あ
れに乗ると、ライオンやキリンに餌をあげることができるんだよ」
「へえ〜……」
峰は素早く
ダッシュすると一台のバスにバンッと手をついた。
「俺!これがいい!!サイの形をした奴!」
「の
だめはトラがいいデス!」
「え〜、私はクマがいいなあ…」
と言ったのは舞子。
「僕
が乗るんだったらやっぱりこの気品のあるパイソンだよ!」
そうふんぞり返るのは高橋。
大河
内はぷるぷると震える。
「もう!!予約はライオンU世号で決まったから!。後からいろいろ言わないでよ!!」
「……
U世号って……何?」
ジャングルバスの発車時間
まではまだ余裕があるので、とりあえず時間まで解散して自由行動とした。
メンバーはパンフレットを片手にそれぞれ園内に向かって歩き
出す。
のだめは思い切ったように千秋の側にパタパタと走り寄る。
「先輩!。一緒に見に行き
まセンか?」
それに対する千秋の顔は不機嫌そのものといったようなもので。
「嫌
だ。俺はこんなところをうろうろするよりもどこかに座ってゆっくりしていたい」
「はうう〜。そんなこと言わずに……ほら、ビーバーと
かもいますヨ。マングースどこかにいないですかネ」
そう言って絡みついてきたのだめの腕を、千秋はパッと振り
払った。
その手に強い拒絶を感じて、息を呑むのだめ。
勢いにまかせて振り払って見たものの、気まずくなったのか
千秋がとりつくろうようにいる。
「……別に、俺がついて行かなくても……お前には一緒に行動してくれるような奴
がたくさんいるじゃないか。……峰とか、黒木とか」
「峰くん?黒木くん?」
「……菊池とか」
の
だめはしばらく考え込むと、そおっと千秋を下から見上げて言った。
「……もしかして……もしかして……先輩、や
きもちとかやいてたりしマスか?」
「ばっ……」
千秋は痛いところをつかれてうろたえる。
「馬
鹿!そんな訳ねえだろ!。ただお前があまりにも男にベタベタするから目障りなだけだ!!」
「ベタベタ……それは……聞き捨てなりまセ
ン!。のだめがいつベタベタしてたっていうんデスか!!」
「してるじゃねえか!。バスの中で菊池にしなだれかかったり……峰と抱き
合ってたり……黒木といちゃいちゃしてたり……。
お前、慎みとかそういうのがないんじゃねえのか?誰にでもひょいひょいついていくよ
うな尻軽女みたいでみっともねえ!」
「ムキャー!!。尻軽女って……先輩、のだめのことそんな風に見てたんデスか!」
の
だめは千秋のあまりの言葉に憤慨する。怒りで耳まで赤くなる。
「も、もう……もう……、先輩とは絶交デス!口も
聞きまセン!」
「ああ、せいせいする」
のだめはたたたっと走り去ると10mくらい行ったと
ころで振り向いた。
「後で遊んでくれって言っても絶対に遊んであげませんからネ!!」
「誰
がそんなこと言うか!!」
その言葉を聞くとのだめは口をきっと結び今度は振り返ることなくそのまま前方へ走り
去った。
のだめの姿が見えなくなると、千秋ははあっと大きくため息をついた。
清
良はぼーっとしたままあてもなく一人で道を歩いていた。
すぐ横には柵で囲まれた敷地内を山羊や羊がのしのしと歩いている。
そ
の姿がなんだか愛嬌があって可愛らしかったので、もっと良く見てみようと柵に寄りかかった。
ーすると、さっきまでよそを向いていた動
物達が清良の所にわさわさと集まってくる。
「ーきゃっ!何?なんなの?あんた達!!」
「餌
が欲しいんだよ」
後ろから声をかけられて振り向くと、そこには峰がにこにこしながら立っていた。
一
瞬、嬉しそうな表情を浮かべた清良だったが、喧嘩の途中だったことを思い出し、真顔に戻りふんっと横を向く。
峰はそんな清良を可笑し
そうに見つめながらスティック状に切った人参を渡した。
「ほい。あそこで山羊の餌って書いて100円で売って
た。こんなにこいつら期待するような眼差しで見つめてるんだから、ここで餌やらなかったら詐欺だぞ!」
「………」
清
良は憮然とした表情のまま人参を受け取ると、おそるおそる柵の隙間から一匹の山羊にむかって差し出した。
途端に周囲にいた他の動物た
ちがその人参を食べようと清良に殺到する。
「きゃあ!!」
あまりの勢
いに、思わず清良は後ろに尻餅をついてしまった。
「はっはっは!!お前、何やってんだよ〜。そんなに怖がるなよ
〜」
それを見て峰が腹を抱えて笑う。
清良は急に悔しくなって、手をついたところにあった石
を峰に向かって投げつけた。
「いて!!何するんだよ!清良」
「うるさい!!あんたなんかお
化け屋敷で腰が抜けてたくせに!」
「あ……あれは普通の反応だろ?。平然としてるお前の方が変なんだよ!」
「どー
せ、私は変よ!のだめちゃんみたいに可愛くないわよ!!」
「ー清良?」
清良は手に掴む小さ
な石を片っ端から峰に向かって投げつけている。
「男から見たら……生意気だし……、お化け屋敷に入ってもわざと
怖がっている真似なんかできないし……
すぐ怒るし怒鳴るし……焼き餅ばっかりやいてるし……どうせ、私のこと嫌な女だと思ってるんで
しょ……」
清良はそのまま膝を抱えて顔を隠してしまった。
言葉の最後の方は涙声になりかす
れている。
「清良……」
峰はそのまま清良に向かい合うようにして腰を
下ろした。
「そんなこと思ってないぞ」
「どうせ、私は裏軒のおかみさんなんか出来ないわ
よ!麻婆豆腐だって豆腐を混ぜるだけの素がないと作れないし……」
「なんか、お前言ってることが支離滅裂だぞ」
「だっ
て……だって……しょうがないじゃない。私には夢があるんだもの。」
世界に通用するヴァイオリニストになるとい
う夢。
小さい頃からその夢を追いかけてずっとずっと頑張ってきた。
「その夢は……日本じゃ
叶えることが出来ないから……やっぱりウィーンには戻らなくちゃいけないもの……
そうなったら……龍とは離ればなれになって……多分
今よりももっと喧嘩が多くなって……私達……駄目になっちゃうよお……」
も清良はこらえきれないようにしゃくり
あげた。
峰は黙ったまま清良が肩を震わせて泣くのをじっと見つめていた。
そして口を開く。
「ー
お前って……見かけと違ってけっこうよく泣くんだなあ。なんかベソかいてるところばっかり見てるような気がするぞ」
「うるさいわ
ね!」
峰は笑った。
「いいじゃん。……いつもそんな風に泣いたり怒っ
たりしてろよ」
「ーえ?」
意外な言葉に思わず清良は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。
峰
が優しい目で微笑んでいた。
「いつも本気で怒って……泣いて……とりつくろった笑顔じゃないお前の本当の顔を見
せててくれよ。
ー俺は頭悪いし、気も効かないから、そうしてもらわないとお前が何で悩んでるかわかんねえんだ。
いつも言いたいこと、お互いに本音で言い合おう。
……そして気がすむまで思いっきり喧嘩しようぜ」
「龍……」
「きっ
と……そんな風にお互いが正直にぶつかり合うくせをつけとかないと……これから先、遠距離恋愛なんてできっこねえと思う」
「………」
「の
だめのことが気に障ったなら謝る。
ー舞子からは『特別な存在』を作ったら駄目だと言われた。
でも、これだけは譲
れない。
のだめは俺の大事な友達だ。千秋や真澄と同じように」
「………」
「だけどな。清
良」
峰はゆっくりとひとつひとつ言葉を噛みしめるように言った。
「俺
にとって一番特別なのはお前だ。
どんな時でも俺の目にはお前しか映ってないんだよ。
ー多分……あの時、お前
のヴァイオリンに惹かれた時から……ずっと、ずっと……。
そしてこれから先も永遠にずっとだ」
「………」
「俺
たちは大丈夫だ。ー例え地球の端と端にいたってな」
清良は顔をくしゃくしゃに歪めると、膝をついたまま峰の首に
すがりついた。
そんな清良を峰は優しくそっと抱きとめる。
「お、清良。目の前の山羊がまん
まるいウンチを大量にしてるぜ」
「………どうしてこんな時にそういうこと言うかな………」
「千
秋くん!!」
のだめと別れてからぶらぶらと一人歩いていた千秋は急に呼び止められた。
「げっ……
高橋」
そ
こには高橋が千秋に会えた喜びで目を輝かせながら立っていた。
「こんなところで千秋くんに会えるなんて……やっぱり僕たち赤い糸でつながってるん
だね!」
「いや、それはないから」
「まあまあそんなつれないことを言わずに」
そ
のまま高橋は千秋の腕を引っ張り、ある建物にずるずると引きずっていく。
「お、おい……どこに連れていくんだ
よ」
「ここのフォトサロンではライオンの赤ちゃんと一緒に写真を撮ってくれるんだ。僕と千秋くんの旅の記念に……そして愛の証に……
一枚撮ろうよ!」
「いや、俺、そういうの苦手だから……(頼むから勘弁してくれ)」
「千秋くん……」
途
端に高橋は目をうるませる。
「さっきの遊園地でも一緒にアトラクションに乗れずに僕はすごく寂しい思いをしてき
たんだよ……。
……それに、千秋くんはもうすぐフランスに行ってしまうじゃないか……。
二人は離ればなれになる
んだよ!。こんな機会はもう二度とないかもしれないんだよ!!」
そう言うと、高橋はしくしくとその場で泣き始め
た。
そばを行き過ぎる通行人達が、いったい何事かというような目つきでじろじろと二人を見る。
千秋は恥ずかしく
なってきた。
「わかった……わかったから……1枚だけだぞ」
「ありがとうっ!!」
「あ
の……お客様達、お二人で撮られるんですか……?」
カメラマンがためらいながらもおそるおそる問いかける。
普
通、いい年をした男二人がこんなところで一緒にカメラに収まったりしないだろう……。
千秋は恥ずかしさのあまり顔が紅潮し、この場か
ら走って逃げたいような気持ちになった。
「はい!。二人の記念なんです!。ーあ、じゃあ、ライオンは千秋くんが
抱っこしてよ」
千秋は仕方なくベンチに腰を下ろすと、係員からライオンの赤ちゃんを手渡された。
ま
だとても小さいのだろう。
ライオンというよりは大きめの猫みたいな感じで、慣れているのかおとなしく千秋の膝にすぽっと収まった。
茶
色い毛がふさふさして体温が高くあったかくて……すごく可愛い。
ーあいつがここにいたら、すごく喜ぶだろう
な……。
千秋はふとそんなことを思った。
「あ……じゃあ、二人もう
ちょっと中心に寄ってください」
カメラマンからの言葉をチャンスとばかりに、高橋は千秋にすりよった。
途
端に千秋は鳥肌が立つ。
「ーじゃあ、いきますよ。はい、チーズ」
カ
シャっとシャッターが下りる瞬間、いきなり高橋は千秋の頬に口づけた。
生暖かい唇の感触。
「ヒィィィィィィッッッッ!!」
千
秋は思わず悲鳴をあげた。
「千秋く〜〜ん。今の
写真、大きく引き伸ばしてもらえるんだって〜〜♪いる〜〜?」
「ーっっ絶対にいらねえっっっ!!」
そ
の頃、鈴木萌、薫姉妹と黒木は園内にあるショップのぬいぐるみコーナーの前にいた。
「きゃーー!!薫、見て!!
このキリンさんのぬいぐるみすっごく可愛い〜〜!!」
「いやん、萌!!。こっちのしまうまさんもよ〜〜」
「泰則
さん、買って〜!」
「泰則さん、薫にも!」
「……二人とも……その呼び方やめてくれる……?」
「菊
池くんはお土産とか買わないんデスか?」
のだめはショップ内をぶらつきながら、隣を歩いていた菊池に問いかけ
た。
「いや?別に」
「ほら、彼女に買って帰るとか」
「だって、ボク彼
女いないしね。もう別れちゃったし……そうだ、のだめちゃん何か一つ買ってあげようか」
「本当デスか!!」
と
たんに嬉しそうに表情を輝かせるのだめ。
「はう〜〜。どれにしようかな〜。あ!!」
の
だめはすぐ目の前にぶらさがっていたキーホルダーを手に取る。
「見てくだサイ!菊池くん。このキティちゃんかぶ
りものしてマスよ!こっちは『かぼすキティちゃん』でこっちは『しいたけキティちゃん』。
ふぉっ!『関サバキティちゃん』っていう
のもありますよ!!」
「………のだめちゃん、キティちゃんが好きなの?」
「イエ、別に」
あっ
さりというのだめ。
ただ単に珍しかっただけみたいだ。
「ふぉーーーっっ!!これは!!」
店
の一角にあるものを発見したのだめは、すごい勢いで飛びついた。
「こんなものが……こんなものが……ここにある
なんて!!感動デス!!」
それは大分の名産品しいたけをかぶった人形だった。
「何?
のだめちゃん、そんなぶさいくな人形がいいの?」
「………菊池くん。ーこれは、カズオのぬいぐるみですヨ。大分県限定しいたけバー
ジョン。……もしかして……知らないんデスか……?」
「え……?」
自分の失言に気づき、途
端に慌てる菊池。
のだめの背後からゴゴゴゴ…とどす黒い怒りのオーラが立ち上る。
「き〜〜
く〜〜ち〜〜く〜〜ん〜〜!!」
ジャ
ングルバスに乗る時間の少し前にのだめは集合場所である駐車場についた。
菊池から騙されていたことに腹を立てていたのだめはぷんすか
しながらも……そばにいたある親子にふと目を引き寄せられる。
「バスに乗りたいよ〜」
「だっ
て……もう予約がいっぱいだっていうからしょうがないじゃない。今度来たときには絶対に乗せてあげるから……ね」
3、
4歳くらいだろうか。
一人の男の子が泣きながら駄々をこねていて、まだ小さい赤ちゃんを抱いた母親と父親が必死でなだめている。
の
だめは思いついてさきほど買ったポッキーをごそごそと鞄の中から取り出すと、その男の子に差し出した。
「ハイ!
良かったらあげる」
男の子は一瞬きょとんとしたような表情をしていたが、みるみるうちに顔が明るくなっていく。
「お
姉ちゃん、ありがとう!」
「どうも、すみません」
母親がぺこりと頭を下げる。
「ボ
ク、お名前なんて言うんデスか?」
「守だよ」
「ふぉ……どこかでそんな名前の人いましたネ(←注 大河内で
す)。いい名前ですネ!」
「お姉ちゃんは?」
「のだめっていいマス」
「変な名前ーっ!!」
ど
うやら守の機嫌も治ったようだ。
なんとなくウマが合うのか、すぐに二人は仲良くなり追いかけっこを始めた。
「やー
い、やーい。こっちまでおーいでー!!」
「お姉ちゃん、こう見えても足は速いんですヨ〜〜待て〜〜!!」
「きゃーーー!!」
そ
こへ残りのメンバーがぞろぞろとやって来た。
「ー何やってるんだ?のだめは」
峰
が呆れたように言う。
「のだめちゃんって子供に好かれるみたいね」
「多分、同レベルだから
じゃないの?」
ふふふっと笑う舞子と冷たく言い放つ真澄。
そこへ千秋がぶつぶつ言いながら
やってきた。
「……ったく……なんでこんなのにつき合わなきゃいけないんだ……」
守
と遊んでいたのだめがその声に気づき、振り返った。
ほんの一瞬二人の目が合ったが、やはり先ほどの喧嘩のせいだろうかお互いにぷいっ
と目を逸らす。
「そろそろ時間だよ。バスに乗るよ」
大河内がはりきっ
て皆を誘導する。
かなりの人気らしく並んでいた他の乗客達とともに、R☆Sメンバーは次々と乗り込んでいった。
「の
だめ〜〜。早く、行くぞ〜〜」
「ハイ!今行きマス。ーじゃあ、守くん、またね」
峰から呼ば
れにっこり笑って皆と合流しようとしたのだめの手を握ったまま、守は大きくかぶりを振った。
「嫌だ!のだめ、ぼ
くんちの車で一緒に行こうよ」
「え……えっと」
「守、わがままいっちゃ駄目だよ」
「そう
よ。お姉ちゃんはお友達と一緒にあのバスに乗るのよ」
「やだやだやだ!!」
守は駄々をこね
たままのだめの手を放そうとはしない。
このままではまた大泣きしそうだ。
……このままバス
に乗っても……先輩とも顔が合わせづらいデスしね……。
のだめは困ったように子供をなだめている両親にそっと話
しかけた。
「えっと……守くんちの車にあと一人乗るスペースって……ありマスか?」
「あ
れ?恵ちゃんは」
バスが出発をしてから黒木が不思議そうにたずねた。
ああと言ったように峰
が答える。
「なんだか親子連れの車に乗せてもらうんだと。子供がなついてのだめから離れないんだそうだ。ーほ
ら、すぐ後ろの車に乗ってるよ」
「ああ、恵ちゃんってなんだか子供に好かれそうなところあるよね」
「ところで…
この箱って何?」
菊池が指を差した各自の目の前に置かれた箱には、小間切れの肉やみかん、ペレットなどが入って
いた。
それぞれ金属製の火ばさみのような物が置いてある。
「この鉄格子から動物達に餌をや
るんだよ」
「へえ〜面白そう!」
舞子はこういうことが好きなタイプらしく、やる気まんまん
だった。
厳重に閉ざされた入り口檻の扉がバスが近づくとゆっくりと開き、通り過ぎるとまた閉まった。
目
の前には広い草原が広がっており、そこはまるで別世界だった。
「なんだか『ジュラシック・パーク』を思い出す
ね」
菊池が楽しそうに言う。
まずは「クマ・山岳動物セクション」だった。
切
り立った岩山や大きな滝などが作られており、いかにも山岳地帯にやってきたという雰囲気がしてくる。
「あ!鹿が
いた」
「トナカイじゃねえ?」
「放送ではなんとかシープって言ってるわよ」
「うっわ〜岩の
間をぴょんぴょん飛んでる!すっごい身軽!」
「カメラ、カメラ!写真撮らなきゃ!!」
しば
らく行くと、クマ達が道路のすぐそばでゆうゆうと寝そべっていた。
バスの姿を見ると、ゆっくりと立ち上がり大きな巨体をゆらしながら
ゆさゆさと集まってくる。
「え、え、なんで集まってくるの?」
「餌がもらえるってわかって
るみたいだね」
「……じゃあ……この火ばさみで、肉を……」
真澄がおそるおそる肉を火ばさ
みで掴むと震えながら格子の間から外に出した。
待っていたかのように興奮したクマが唸り声をあげ鋭い牙を見せながら食らいつく。
「うっ
はー!!すっげえ勢い」
「おい、大河内、ちょっと指を出してみろよ」
「冗談でもやめてくれよ!!」
大
河内は顔を青ざめさせる。
続いて「ライオンセクション」
同じようにライオン達に豚肉の小間切れのようなものを食
べさせる。
火ばさみから肉片を食いちぎる姿にはやはり百獣の王としての迫力があり、みんな少し怯え気味だ。
運転
手の話では、お腹がいっぱいだと餌をもらいに来ないのだそうだ。
そして「草食物ゾーン」
ここではキリン、ゾウな
どに餌をやることができる。
遠くの方にはシマウマ、鹿、パイソンなど草食動物達がのんびりとした様子で草を食べていた。
ゾ
ウは鼻をにゅっと伸ばして素手で差し出したペレットを上手に掴み口に持っていく。
キリンの餌はどうやらみかんらしい。
長い首を器用にバスの方に折り曲げて異様なほど長いざらざらした舌を伸ばしながら餌
をねだる。
「キリンって……近くで見るとけっこうグロいよね……」
「舌が青くってビロー
ンって伸びて……なんだか気持ち悪い……」
なんだかんだ言って皆それぞれ楽しそうに餌付けに夢中になっていた。
そ
して次の「トラセクション」で事件は起こった。
「い
いなあ…あっちには動物がたくさん集まってきてて…」
バスの後ろを自家用車で走っている車内には守の家族とのだ
めが乗っていた。
守はすぐ前を走っているジャングルバスがどうしてもうらやましいようだ。
隣に座っていたのだめ
は宥めるように言う。
「しょうがないデスよ。あっちでは餌やりができますからネ。動物さん達もわかっているんで
すヨ」
「ーボクも餌やりたい!」
「守!絶対に窓を開けたり外に出たりするんじゃないぞ!」
運
転していた父親がたしなめるように後ろを振り返りながら言った。
「ほら、次は『トラセクション』ですヨ」
し
ばらく行くと、綺麗な縞模様のトラが何匹もジャングルバスに餌をもらいに集まってくるのが見えた。
「あっちには
あんなに集まってるのに、どうしてボクんちの車にはぜんぜん寄って来ないの?」
「あうう、お肉をおいしそうに食べてますネ〜」
「ボ
クもあれしたい!あれしたい!」
とうとう守は泣き出してしまった。
母親は小さい赤ん坊を抱
きながら困ったように言う。
「そんなに泣かないのよ。のだめさん…申し訳ないんだけど、後ろにあるバックから飴
をとってもらえますか?」
「ハイ」
そう言ってのだめが振り向いて座席の後ろにあるバックを
とろうとして守から目を離した瞬間。
守は車のロックをはずしドアを開け、外に飛び出した。
「お
い!後ろの車から子供が出てきたぞ!」
バスに乗っていた乗客の一人が叫んだ。
その声に皆は
後ろに注目した。
「きゃあ!」
「危ない!!」
守
は餌をやろうとポッキーを持ったまま、近くにいた一匹のトラに近づいていった。
「おーい、こっちにも餌があるよ
〜」
トラが近づいてきた無防備な子供に気づく。
喉の奥から恐ろしいうなり声をあげるトラ。
そ
の途端、守は恐怖で足がすくんでしまって動けなくなってしまった。
誰もが…守の両親ですらあまりの出来事に対応できず凍り付いてし
まったその瞬間。
のだめがぱっと車から飛び出した。
凍りついてしまっ
た守をがしっと抱き抱えると、そのまま振り返ることなく車に駆け戻る。
トラが立ち上がる気配が背中越しにびんびん伝わってきた。
の
だめが守を抱き抱えたまま車に飛び込みドアを閉めるのと、トラが獲物に襲いかかろうと飛びかかってきたのが同時だった。
そのまま二本
足で立ち上がりがうぅぅとうなり声をあげながら振り上げた前足をそのまま車体に下ろし窓を引っ掻くトラ。
シートに座ったのだめから
ぎゅうっと抱きしめられた守は一瞬の沈黙の後、火がついたかのように泣き出した。
「本
当に……すみませんでした」
あれからまたいくつかのセクションを抜けたあと、最終地である待合室の方へ戻ってき
た。
先ほどバスの予約をとった建物だ。
迷惑をかけたと係員とのだめに何度も何度も頭を下げる守の両親。
守
はいまだ青ざめた表情のまま、母親の腰にしがみついていた。
「まあ……大事にならなくてよかったですけど…以
前、ぐずる孫を外に出そうとしたお年寄りが猛獣から襲われて死亡するという事故もあったんです。
ちゃんと車にはロックをかけて子供さ
んをよく見ててくださいという放送がありませんでしたか?」
「どうも……すみません」
「のだめがいけないんデ
ス。守くんの隣に座ってたのにちゃんと見てなかったから……。」
「そんな……のだめさんも一歩間違えたら大変なことになっていたかも
しれないのに……本当にありがとうございました…」
なかなか頭をあげようとしない両親に、のだめはとても申し訳
ない気持ちになる。
なんといっても守を外に出してしまって危険な目にあわせてしまったのはすぐ近くにいた自分の責任だというの
に……。
そんな様子を見ていた守が、何かを言いたげに母親のそばを離れのだめの傍らに来る。
手を口に当てて手招
きする守に、そっと耳を寄せるのだめ。
「……あ……り……が……と……」
そ
ういってまだ涙の跡がこびりついた顔でにこおっと笑う守。
のだめは思わずぎゅうっと守を抱きしめた。
「ー
守くん……もう、勝手に外に飛び出していったりしたら駄目デスよ」
「うん」
「約束デス」
「う
ん。ーまた会おうね、のだめ!!」
大きく笑顔で手を振る守と彼の両親は、何度も何度ものだめに頭を下げながら待
合室を出て行った。
それをやはり手を振って見送ったのだめは、ふうとため息をつき振り返ると……かたずをのんで成り行きを見守ってい
たR☆Sがのだめを取り囲む。
「ーのだめ!あんた大丈夫なの?」
「どこもケガとかない?」
「も
う、見ててびっくりしちゃって……」
心配そうに取り囲んだメンバーにのだめはにっこりと笑って見せた。
「全
然、大丈夫デスよ!。あんなのへっちゃらデス!」
いつもどおりののだめに峰もほっとしたようだ。
「ー
まったく……お前も度胸あるよなー。子供を助けるためとはいえ、トラの真ん前に飛び出すなんて……。
トラが襲ってきたらどうするつ
もりだったんだよ」
「それは、もうスーパーデリシャス遊星ゴールデンスペシャルリザーブゴージャスアフターケアーキットのだめキック
で……」
「なんだそのなげー名前はっ!!……っていうかお前のキックは猛獣も倒すんかいっっ!!人間じゃねーよっっ!!」
ハ
ハハッと笑い合うメンバー。
同じように笑っていたのだめの手を、突然千秋が掴んだ。
のだめがびっくりしたように
目を見開く。
「せ……先輩?」
千秋はのだめの手を握ったままそっと上
に持ち上げた。
「………震えてる」
傍目には誰も気づかなかったが、よ
く見ると千秋に掴まれたのだめの手は小刻みに震えていた。
千秋の顔を見た瞬間、のだめの瞳がぐらっと揺らぎみるみるうちに潤んでく
る。
無我夢中だったんデス。
守くんを助けなきゃってそれしか頭になくて。
で
も、守くんを抱えて車に飛びこんでほっとした途端、泣きわめく守くんを抱きしめながら恐怖がおそってきました。
もしかしたらこの優し
い一家の大切な宝物であるこの子が永遠に失われてたかもしれなかったんデス。
もし…車に飛び込むのがあと10秒遅れていたら……。
そ
んなことを考えてると震えが止まらなくなっちゃって……。
のだめの唇が震え、顔がくしゃしゃに歪んだ。
こみあげてきたも
のを無理矢理に押さえようとして喉の奥がグウと変な声になる。。
千秋は掴んだ手をぐっと強く引いて、のだめを抱
き寄せた。
の
だめは顔を千秋の胸にうずめて他の人間に表情を見せないようにして、肩を震わせる。
がちがちと歯をかみならす音が聞こえてくるのは、
必死で号泣しまいと耐えているからだろう。
千秋は息をつきながら、なだめるようにのだめの背中をゆっくりとさすった。
「……
あんまり、無茶するな………心臓が止まるかと思った……。」
のだめは涙を必死でこらえながら途切れ途切れの声を
出す。
「……ご、……めん……なさい……」
千秋はのだめの肩の震えが
止まるまでずっと彼女の背中をさすり続けた。
「えーっ
と、いろいろとございましたが〜〜ここで宿の方に戻りたいと思います!!」
峰はバスに乗り込むと当たり前のよう
にマイクを手に取った。
「おーっっ!!」
ぱちぱちぱち。
先
ほどとはうって変わったような和気あいあいとした雰囲気に包まれる車内。
けれども今日一日の過酷なスケジュールで遊びすぎたため、各
人の疲労はピークに達しているようだ。
高橋と真澄はバスの窓に頭をもたれさせて居眠りをしている。
「な
んだか一日でいろんなところ回っちゃったわよねえ」
「疲れた〜〜」
「お腹空いたよね〜」
「早
く温泉につかってのんびりしたい〜」
「女の子はいいよ。昨日はホテルに泊まったんだろう。僕たちは昨日はフェリー泊だったからなー。
早くゆっくりしたいよ」
のだめは隣に座っている千秋の横顔をそっと見た。
千秋は窓に肘をの
せて暗くなり始めた別府の街を見ている。
なんとなく先ほどの流れの中でバスに乗り込み、気がついた時にはいつのまにか隣同士に座れて
いた。
千秋もあれからずっと黙ったままであり彼の方から話しかけることはなかったが、
今日一日漂っていた重苦し
くのだめを避けるようなとげとげしい空気はいつのまにか消えていた。
のだめは嬉しくなってにこおっと笑う。
千秋
は横からずっと視線を感じていることに気づき、振りむくとのだめが嬉しそうに笑っているので、なんとなく気恥ずかしくなって言う。
「な
んだ……ニタニタして……」
「イエ。なんでもありまセン!!ーそれよりもすみません、先輩のシャツに鼻水つけちゃって」
「鼻
水っ!!お前、鼻水つけたのかーっっ!!」
「思わず出ちゃいまして……」
「千秋!大丈夫だぞ!!」
い
つの間にか近くまで来ていた峰がポンッと千秋の肩を叩いた。
そしてばっと一枚のTシャツを広げる。
「こ
んなこともあろうかと思って、俺がお前の着替えをアフリカンサファリで買ってやったぞ!。
象のリアルなイラストが大きくプリントされ
た特製Tシャツだ!バックにはもちろん『OITA AFRICAN SAFARI』が大文字でプリントされてるぞっっ!!。
これを着
て大分の街を歩けば注目間違いなしだっ!!
あ、後で代金払えよ」
「あーなかなか強烈なインパクトがありマスね」
千
秋はぷるぷると肩を震わせると叫んだ。
「ーーーそんなもん着るかーーーーっっっ!!」
続
く。