お と な
大人のバイエル
「先輩〜・・・・・のだめ、あの映画がいいです〜」
チケット売り場から振り返ると、映画館の看板の前で手を振っているのだめが見えた。
なんでこんなことになってんだ。
千秋はまだ現実を受け入れられずにいた。
このところ音楽のことで色々と煮詰っていたから、たまには気分転換に映画でも。
人並みの気遣いがあるのかと感心したのがそもそもの間違いだ。
つい一緒に来てみれば、結局映画代を奢らされる始末だ。
お前の気分転換かよっ。
と、心の中でツッコミながらも、それでも連れてきてしまった自分に最大の責任があるような気がした。
なんだかんだと言っても、断りきれない自分がいけないんだろうと思う。
「ああ?あっちってなんだよ、アニメのほうがよかったのか?」
春休みや夏休みなどではないので、そういったアニメものは今はシーズンオフだと思っていたのだが。
何かやっていただろうか、と思いながらのだめに近づいた。
「いえ、ほらっ、あれデス」
そう言って彼女は、映画館前にある看板を指差した。
人妻○○の怪しい昼下がり?
「ポルノじゃねーかっっ!ってーか、あんな看板、指すな!!」
「ぎゃぼーっっ!!」
人目など気にせず、思いっきりはたき飛ばしてやった。
「暴力反対デス」
と涙目になりながらも、真剣に言っているから変態は侮れない。
「ふざけんなっ」
一言で一蹴しても彼女にめげた雰囲気はない。
「のだめ、外国の難しいお話より、わかり易い日本の映画のほうがぁー」
「ポルノのどこが、わかりやすい日本映画なんだっっ」
「だって楽しそうですよ・・・・・」
何が楽しくて俺はこいつとポルノを見なきゃならないんだ。
ああ・・・・眩暈が、してきた。
「おまえ、だって普通な映画って・・・・・」と言いかけて。
そうだ、俺達普通じゃなかった。
しかも俺、今何て言いかけた?
普通、恋人同士で見る映画・・・・とか考えたろ。
まだ引き返せる・・・・・ここで認めるなっっ。
自分の考えに血の気がひく思いを味わいながら、千秋は心中で頭を振った。
「もう、券買ったんだからいいんだよっ」
そう言いながら映画館を促せば、しぶしぶのだめは後ろを付いて来た。
っていうか。
手に握っている券を見て、こっそりと吐息をついた。
うっかりラブロマンスモノ買っちまったじゃねーか。
最近変態慣れして時々こいつが変態なのを忘れてる俺様ってどうなんだ。
そんな事を思いながら館内に入れば、いつの間にか後ろにいた筈ののだめの姿がない。
「のだめ?」
「先輩、遅いです」
気が付くとのだめは売店前にいた。
ちょうどその手にポップコーンを受け取るところで。
「あっ!ちょっと待て。お前、金がないからって俺に映画代奢らせといて、それは何だっ」
「むっきゃーっ、先輩!のだめがお金がないこと心配してくれるんですね〜」
「違うっ、人の話を聞けっ」
「大丈夫です、食費はあるんですよ」
「はっ!?ポップコーンのどこが食費かっ」
「いいんです、コレがのだめの今日のお昼ご飯デス」
そう言ってさっさと館内に入っていく。
くっそ、変態のくせに、なんで口で叶わないんだ。
「さ、先輩行きますよ〜」
しかも仕切られてるってどーなんだ。
千秋は肩を落としながらのだめの後を追って、劇場内に入った。
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なんか、イマイチだな。
上映が始まって三十分もたてば、その作品が面白いかどうかなど判断がつく。
展開ものらりくらりだし、在り来りのキャラ設定の王道ストーリーだ。
ラストが容易に想像出来る上に、展開が遅いときてはたまらない。
結構宣伝なんかの画面はよかったのに、こんなもんかよ。
やっぱラブストーリーなんか見るもんじゃねーな。
眠くなりそうだって。
と、思った時。
不意にのだめが体を寄せてきた。
え゛
有り得ない。
や、有り得ないだろっ!?
寄りかかるのだめのはこちら側に体を預けて、その重みはどんどん増すばかり。
不覚にも心拍数があがる。
くそっ、のだめ相手に何ドキドキしてんだ。
次の瞬間っ、ゴトン!と、のだめの頭が千秋の膝に落ちてきた。
「っ・・・は?」
見れば完全に爆睡状態で、千秋の膝の上に仰向けになったのだめの顔があった。
こいつーっっっ、寝てる!!!!!
ポップコーン食い終わった途端、爆睡かよっ。
どこのおやじだっ、お前はっっ。
しかも、お前。
普通寄りかかるならわかるけど、完全に俺の膝の上に頭を置きやがって。
膝枕状態じゃねーかっっ。
普通、逆だっ、逆っっ。
まてまてまてっ、そうじゃねーだろ。
恋人でもないのに、逆も何もないっ!
くっそー、なんでこんなことになってんだ。
とはいえ、まだ上映時間内だ、怒ってたたき起こす訳にもいかない。
一人で色々と考えれば、なんだかどっと疲れがきた。
膝の上を見れば。
スクリーンの明かりで時々見える彼女の顔は、幸せそうに口を開いたまま眠っている。
完全に熟睡してやがる!!
口なんて半開きじゃねーかっっ。
気を許してるっていうか、お前緩みすぎだろーっっ。
くっそー、鼻と口塞いで、窒息させてやろうか。
塞ぐ・・・・・。
そう、思いかけて、思考が止まった。
いつも、キスもままならない。
奇声をあげるわ、逃げるわ。
最初のキスの時なんて、突き飛ばされた。
そう言えばちゃんとキスしたことなんか、ない。
今なら。
塞いで、しまおうか・・・・・唇で。
幸いここは暗い。
自分達より後ろにも人はいないし、両サイドには誰もいない。
まだ触れるだけの口付けしかしたことがない。
薄く半開きの唇に、そっと舌を差し入れて。
眠っている間に深い口付けを施してしまおうか・・・。
そっと、顔を寄せる。
暗がりの中、スクリーンから漏れる光で時々照らされる彼女の唇から覗く舌。
このまま口付けて、絡め取ってしまおうか・・・。
彼女の吐息を感じるまでに顔を寄せた時。
パッとスクリーンから光りがさした。
何か、冷たい。
ふと、そう思って自分の膝の上を見れば、ズボンに水で濡れたようなシミが見えた。
あれ・・・なんだ?
飲み物なんて持ち込んでないし、何が・・・・・・。
水のシミを視線で辿っていけば。
思考が、ピタリと止まった。
彼女の大きく開いた口元から、それは今もだらだらと、止まることを知らず流れ落ちていた。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!」
映画館内どころか、その近辺一体に響くような絶叫が響き渡った。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
「先輩〜・・・・・駄目じゃないですか・・・・」
映画の帰り道、何故か俺はのだめに説教される羽目になっていた。
「〜〜〜〜〜っ」
くそぉ、何も言い返せない。
「映画館では静かにしないといけないって、子供の頃ならいませんでした?」
「・・・・・・・・・・」
「あんなに大声で騒いで・・・・・・のだめ、恥ずかしかったですヨ」
夫婦じゃなかったら許せない所でした、ぎゃはっと笑う彼女に何一つ言い返せない。
「〜〜〜〜〜っ」
くそぉ、なまじ下心があったから、何も言い返せねーっ。
っていうか、恋人でもないのに、なんでキスなんかしようとしたんだ俺っ。
そもそも、そこから間違ってたんだ。
そう思えば大きな吐息が出た。
変態の森の入口は、すぐそこのようです。
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サイト1周年の記念なので初々しい二人で(笑)
まだ二人ははじまったばかり、という意味で「バイエル」です・爆
次のステップにたどり着けるのはいつでしょうね。