「先輩……大丈夫デスか?」
「………」

披露宴会場となるここ料亭、御桜に着いた時は、千秋はもう半分死人のようにぐったりしていた。
精も根も尽き果てて、もう作り笑顔をする余裕もない。
ただでさえ、千秋自身も昨日はギリギリに帰国してほとんど眠れていなかったのだ。

「写真撮りますね〜。ハイ、ポーズ」

カメラマンが勢揃いした親族一同と新郎新婦で撮る集合写真。
千秋は疲労の色が濃く、にこりともしなかった。
やれやれ、これでやっと解放か……と思った瞬間。

「ちょい待って!!。今、私、目を瞑ってしもうたからもう一回撮って!!」
「私も今の笑顔が気にいらんかったばい!!」

そう言うのは野田家の親族達だ。

「いや……その、主役は新郎新婦なんで……ご親族の方は別に……その」
「今度は、目をばっちし開けとくけん!!」
「ちゃんと合図をわかりやすく言うて〜」

そうしてカメラマンは何度も撮り直しをする羽目になってしまった。

波瀾万丈の披露宴の幕開けである。





第3話





披露宴は、大川市の料亭、御桜で行われた。

畳が敷かれた広い和式の部屋に格調高く60客もの足高膳が置かれているであろうか。
ここで行われるのは、こぢんまりとした二人の披露宴である。
もともと和式を望んでいた辰男の意向もあり、格調高くそれでいて和やかな雰囲気を持つこの料亭が選ばれる。
今回の会場で、事前にのだめには花の装飾が問われた。

「どんな花を使いましょうか?」

と聞かれたのだめは、不意をつかれて

「あ、えっと……春なので桜とか……」

という実にアバウトな答えしかしなかった。
だけれどもよく考えてみると、桜という花は野外で楽しんでこその花なので、室内では不向きに決まっている。

「『桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿』って言いますしネ……桜は切って会場に飾っても駄目ですよね〜」とつぶやくのだめだが、その諺はちょっと的はずれである。
(この言葉の本来の意味は桜を切るとそこから腐って立ち枯れるので切らないほうがよい、一方、梅は切らないと枝が伸びすぎて樹形が悪くなり花が咲かなくなる。人や物の特性によって処置の仕方が違ってくるという意味のことである)

そして、すっかりそのことを忘れていたのだめは、会場についてみて驚くことになる。

入り口に置かれた大きな壺には、本物の桜の枝がこれ以上ないほどに贅沢に生けられていた。
ソメイヨシノのその桜は枝振りもよく伸びやかでどの枝も満開の花を咲かせている。

日本の四季を象徴する花である、桜。

他の花にはない情緒的な美しさと、困難にも負けない強さ、生命力などがそこには感じられた。

のだめは立ち止まったまま付き人に促されるまで、その桜の花に見とれ続けていた。





花嫁・花婿は、披露宴会場となる料亭で金屏風の前でのお出迎えとなる。
そこでは媒酌人である、シュトレーゼマン、美奈子と共に両親の辰男・洋子・征子が新郎新婦の外側に立ち来賓にご臨席のお礼を述べた。
訪れる客は、ほとんどが野田家の親族・及び辰男の仕事先の関係者や友人達である。
彼らは、媒酌人として金屏風の前に並び、にこにこ笑顔で羽織袴を着た外国人のシュトレーゼマンに出迎えられると、一瞬ぎょっとしたような顔をする。
のだめは白無垢にうってかわって桜色に金糸銀糸のはいった色打掛けに着替えてのお迎えとなる。
次々と訪れる来客に、一人一人挨拶をする。
千秋とのだめは、誰が誰やらわからないまま、とりあえず笑顔をつくろい頭を下げる。

そして客が全員、席に着いてからの主役の入場となる。

高砂席に、媒酌人に付き添われた新郎新婦である、千秋とのだめが入場する。

会場までは、媒酌人である美奈子がのだめの手をひいてくれた。
その高砂席の周辺も思いっきり壺に生けた満開の桜の花で彩られている。

司会者が開宴の辞を述べた。
列席への御礼、媒酌人の紹介などを行う。

「本日の御媒酌人様は、新郎千秋真一様の師匠であるフランツ・フォン・シュトレーゼマン様と、二人の母校でもある桃ヶ丘大学理事長の桃平美奈子様です。
 お二人のご結婚のために、大変お忙しい中、媒酌という大役をお引き受け下さっております。
 ここで御挨拶と、新郎新婦の御紹介をお願いいたします。
 それでは、シュトレーゼマン様よろしくお願いします」

そしてシュトレーゼマンが立ち上がった。
会場からどよめきが走る。
なんといっても外国人が媒酌人を務めるということはかつてないことである。
新郎新婦である千秋とのだめ、そして両親である辰男・洋子・征子が立ち上がった。
シュトレーゼマンが堂々と流暢な日本語で語り始めた。

「え〜、ただいまご紹介にあずかりました、フランツ・フォン・シュトレーゼマンでございマス」
千秋、野田ご両家により媒酌の任を賜り一言ご挨拶をさせて頂マス。
本日は若い二人の新しい門出のお祝いに際し、お忙しい中、多数ご出席くださいましてありがとうございマス。
初めに、先程、人吉神社にて新郎、千秋真一くんと新婦、恵さんのご結婚の儀が、厳かにかつ滞りなく行われました事をご報告申し上げマス」

ここまでは真面目に読み上げられた。

だが。

「ここで少しお時間を頂戴しまして、新郎新婦の人となりを簡単にご紹介させて戴きマス。
 新郎・真一君は、御父様である千秋雅之様と御母様である征子様の御長男として生まれました」

千秋雅之の名前が出た瞬間、千秋の眉がぴくりと動くのがわかる。

「御父様の千秋雅之様は、世界的にも有名なピアニストであり、本当に才能のある偉大な音楽家でありマス。
 真一くんの音楽的才能は、まさに御父様の血を受け継がれたのだろうと思いマス」

千秋の表情がだんだん険しくなっていく。
のだめは、心配そうに隣をちらりと見た。

「御母様の征子様も、とても利発で聡明な方デス。
 真一くんの御爺様である誠一郎様の影響をうけ、音楽や芸術の世界に魅せられて、現在では若い芸術家を支援する文化事業をなさっておいでデス。
 さて新郎である真一くんは、フランスのパリでお生まれになり、幼少期をヨーロッパで過ごしマス。
 その後、ご両親の離婚により、日本に帰国されました」


……… ……… ………


オイイイイイッッッ!!。

今、離婚……離婚って言っちゃったよ!!。マエストロォッッッ!!。



会場にいた皆の顔が一気に青ざめる。
共に媒酌人として立っていた美奈子が必死にシュトレーゼマンに目配せを送るが、シュトレーゼマンは気がつかない。
千秋の頬がピクピクと引きつる。

「そして私立中学校から音楽高等学校ヴァイオリン科に進み、桃ヶ丘音楽大学ピアノ科へ入学なさいマス。
 当時から、指揮者になりたいという強い夢を持ち、桃ヶ丘大学で来日していた私の門下に入ることになりマス。
 その後渡仏なさって、プラティニ国際指揮者コンクール1位入賞、パリのルー・マルレ・オーケストラ常任指揮者に就任し、現在もご活躍なさってマス。
 一方、新婦である恵さんは、御父様の辰男様、御母様の洋子様の長女として東京で誕生なさいました。
 そしてご両親の愛情をいっぱいに受けて明るく伸びやかにお育ちになりマス。
 辰男様がご実家の家業である海苔農家を継がれるために10歳の時に福岡県大川市に移ってこられマス。
 福岡の小学校と中学校、音楽高等学校ピアノ科を経て、真一くんと同じく桃ヶ丘音楽大学・ピアノ科に入学なさいマス。
 ここで、二人は運命的な出会いをした訳でございマス」

ジャジャジャジャーンと背後にオーケストラでもいるようなドラマティックなスピーチに酔いしれるシュトレーゼマン。

オイオイ……何をしゃべる気だ、このジジイ……千秋はたらりと冷や汗を流した。
周囲の人間もハラハラしながらシュトレーゼマンを見守る。

「真一くんは、当初、自分に思いを寄せる恵さんがまとわりつくのを快く思ってなかったらしく恵さんに『離れろ!!くっつくな!!』など、繰り返し罵詈雑言を吐いておられました」

離れる……。

繰り返す……。

「けれど、そんな真一くんも恵さんのピアノの才能と共にその存在の重さに気づき、コンクールに落選して故郷に帰った恵さんを自ら迎えに行くという行動に出ました。
 長い月日の中で恵さんは真一くんにとって重要な存在になっており、そこで別れる訳にはいかなかったのでしょう。
 そして、東京に戻った恵さんと共に二人でパリに留学するという、新しいスタートを切った訳でありマス」

帰る……。

別れる……。

戻る……。

切る……。

「そして二人は異国の地にてお互いの気持ちを確かめ合い、真一くんは若き有望な指揮者への道を、恵さんはピアニストとしての道を歩みだしました。
 真一くんは私の弟子でありますが、大変に才能豊かな音楽家であり、そして努力家でもありマス。
 ご自分の性格について、完璧主義者であることを認めており、その熱意は、真一くんが常任指揮者を努める、パリのマルレオーケストラの団員にも伝わっておりマス。
 団員からも『ねちねちしつこくて細かくて、女性に対してもそうだろう』とズバリ本質を指摘されるなど、深く尊敬、愛されておりマス」

……… ……… ………

「また恵さんも自由奔放で誰からも愛される性格でありますが、ちょっとした欠点として、部屋の掃除などが苦手なようデス。
 ピアニストとして御多忙の彼女の部屋は常に汚く異臭がして、脱ぎ散らかした下着があちこちに散らばり鍋のシチューが1年も寝かされて黒くとぐろを巻くほど……。
 真一くんは食事係と洗濯係、掃除係と毎日彼女のために忙しく主婦のように働き、早くも良き夫としての片鱗を見せておりマス」

……… ……… ………

「そんな仕事も私生活の順風満帆の中、二人に転機が訪れマス」

そしてシュトレーゼマンはニヤリと笑う。

「なんと、恵さんに新しい命が宿ったのデス!!」


……いや、そんな余計なことを媒酌人が言わなくてもいいからっっ!!。


「逆算して数えたら、行為そのものは、去年の12月頃ということになり……」

逆算って何……?。
行為ってどういうこと……?。

去年……。

「恵さんは、出産のため一時お仕事を離れられますが、きっと才能ある恵さんのことですからすぐに復帰されることでしょう」

離れる……。

「そして、今日、4(し)月4(し)日、こうしてめでたく二人は晴れの日を迎えることになりました」

4(し)……。

「しかし、なにぶんにも人生経験の浅い二人でございマス。
 どうか、ご列席の皆様方にも若い二人のために今後とも末長くよろしくご指導、おひきたて賜りますようお願い申し上げて、媒酌人の挨拶とさせて戴きマス」

シュトレーゼマンはここで話を終わらせて、一礼すると席に着いた。
しん……と静まりかえる会場内。


……忌み語(笑)の連発じゃないかよ……。


絶対にわざとだ……わざとに決まってる……あのクソジジイ!!。


千秋は額に青筋を立てて隣に平然とした顔で座るシュトレーゼマンを睨み付けた。
そして、彼が媒酌人をするという話を持ちかけられた時に、全力を持って阻止しなかった自分をうらめしく思った。
美奈子も、辰男と洋子、そして征子もあまりの挨拶の内容に目眩がしたのか、引きつった表情でそれぞれの席につく。
隣に座っているのだめに美奈子がそっと囁いた。

「ごめんなさい……でも、前もって確認したんだけど、フランツが書いた挨拶のメモとは全然、内容が別ものだったわ……」
「は、はは……」

さすがののだめも引きつった笑いを浮かべる。

「気にしないでくだサイ。理事長。ミルヒーらしくていいじゃないデスか……」
「えっと……」

司会者も最初はこの場をどう取り繕っていいのかわからなかったようだ。

「新郎真一様の師匠でもあられる、御媒酌人シュトレーゼマン様の挨拶でした……。
 さすが、世界のマエストロ、言うこと一つ一つにエスプリが効いておりますねっっ!!」

どうにかこの場の雰囲気を変えようと明るく司会を続行する、司会者のその姿勢に会場全員が、プロ根性を感じた。







そして主賓が来賓を代表して祝辞を述べることとなった。

「恵さんの御父様の同僚でもあり御友人でもある海苔農家共同組合会長の、鈴木光一様です!!」

司会者の紹介により立ち上がったその男は初老の男であり、長年の日焼けであろうか、やけに色の浅黒い人物だった。
新郎新婦は立ち上がり、拝聴する。
千秋がそっとのだめに囁く。

「……誰だって……?」
「いえ……のだめも、会ったことがない人デス……」

鈴木は緊張しているのか、ハンカチで吹き出る汗を拭いつつ、マイクの前に立った。

「真一くん、恵さんおめでとうございます。
 両家のご親族ならびにご臨席の皆様にも心よりお祝いを申し上げます。
 ただ今ご紹介に預かりました、海苔農家共同組合会長の、鈴木と申します。
 恵さんのお父様である辰男様には常日頃から大変お世話になっており、二人で有明湾の海苔の歴史を変えよう!!といつも酒を酌み交わさせていただいております」

……だから……誰?。

「本日は辰男様から是非にとの要望を承り、この度は祝辞を述べさせていただきます。
 新郎である千秋真一くんは、今日初めてお目にかかりますが、音楽の世界でご活躍をされており、こんな世間知らずの私でもお名前を一度は耳にしたことがあるほどの方でいらっしゃいます。
 辰男様からは、真一くんは酒が強く、明るくはきはきとして快活な、周囲に気配りをかかさない、今の時代には珍しい好青年だという風に承っております」

のだめがそっと囁いた。

「……いったい誰のことを言ってるんですかネ……」
「……黙れ」
 
千秋がぶすっとしたまま答えた。

「また新婦の恵さんについては、小さい頃からその成長を見てきました私としては、まるで自分の娘が嫁ぐように感慨もひとしおです」

今度は千秋が囁いた。

「……向こうはお前のことをよく知ってるみたいだぞ」
「あうう……ダメです、さっぱり思い出せまセン」

のだめが頭を抱えた。

「恵さんは、幼い頃から利発で成績優秀、またスポーツも万能であり、それでいておしとやかでつつましい、まさに日本が誇る大和撫子の女性そのものではないかと思われます」

千秋がまた囁いた。

「……大和撫子が、人の背中に跳び蹴りをするのか……」
「……多分、あのおじさん、他の誰かと勘違いしてるんですヨ……」

鈴木の祝辞は続く。

「新郎の真一くんは、そんな恵さんがさすがに選んだ男性、まさにお似合いのカップルでございます。
 この二人ならきっと幸せな素晴らしい家庭を育んでいかれるものと確信いたしました。
 これからも私と野田家とのお付き合いは続きますが、今後は真一くんも含めて、ぜひ家族ぐるみでお付き合いを願いたい所存です。
 真一くん、恵さん、本日は本当におめでとうございます。
 お二人の末永いお幸せをお祈りいたしまして、私からのお祝いの言葉とさせて戴きます」

こうして挨拶は滞りなく終わった。
パチパチパチと祝福の拍手が会場内に湧き起こる。
司会者もほっとした顔をして言った。

「それではここでケーキカットならぬ鏡開きを行いたいと思います。新郎新婦はご起立願います」

司会者の言葉にえ?と首を傾げるのだめ。

「鏡開きって……あの……」
「なんだ?」
「アレですかね。お正月の鏡餅を割ってお汁粉にして食べる……」
「バカ。アレじゃないのか?祝宴などで酒樽の蓋を木槌で割って開ける奴」

千秋の言うとおりであった。

何名かのスタッフによって2斗の酒樽が運ばれてきた。
鏡と呼ばれる上蓋の部分に紅白のリボンが結ばれた木槌が中央に置かれてある。
スタッフが二人に説明する。

「もうすでに蓋が開いてるのを上に乗せているだけなので、ふたの合わせ目の端を木槌でたたけば、鏡が開きます。
 強く叩きすぎると、開いた鏡が中に入り込んで酒が飛び散ることがありますのでご注意ください」
「は……ハイ」

司会者がマイクを持った。

「では鏡開きの用意が出来たようですので、新郎新婦は共に木槌をお持ちください。
 いいですか、私が『せーの』と言ったら木槌をふるってくださいね。
 その際には列席の方々は『ヨイショ』の掛け声をお願いします!」

のだめは千秋とともに木槌を持ちながらごくりと唾を飲み込んだ。
司会者が一呼吸置いてから、掛け声をかける。

「それでは、新郎新婦、初めての共同作業です!!。せーの!!」
「「ヨイショ!!」」

会場内の声が一つになる。
のだめは力一杯木槌を振り下ろした。

「オイ」

千秋が制止しようとするが間に合わない。


バッシャーーン。


勢いよく振り下ろしすぎて、鏡が樽の中に入って飛び散ってしまい千秋とのだめに勢いよく酒がふりかかってしまった……。
せっかくの婚礼衣装が台無しである。

「力をいれるなと言っただろう!!」
「はうう……つい、掛け声に合わせて力が入っちゃって……」

思わず喧嘩になりそうなところを司会者が割って入る。

「いやあ、二人の門出を祝うに素晴らしいお酒のシャワーでしたね!!。
 二人とも水もしたたるならぬ酒もしたたるいい男!いい女!!でございます。
 新郎新婦が気合い十分に割ったこのお酒は乾杯用に皆様にふるまわれます」

そしてスタッフ達があらかじめ樽から抜いていた酒を瓶に入れ、列席者一人一人の杯についで回った。

「それでは、乾杯の音頭を、真一くんの叔父様である三善竹彦様にお願いしたいと存じます。
 皆様、ご起立願います」

指名された竹彦は、立ち上がるとマイクの位置まで移動した。
その間に全員が起立して、杯に注がれた日本酒を手に取った。

「真一くん、恵さん、ご結婚おめでとうございます。
 お二人のお幸せを祝し、両家の繁栄を祈念いたしまして……乾杯!!」

竹彦の「乾杯」の声に合わせて、全員で一斉に「乾杯」と声を出し、目の高さまで杯を掲げる。

「おい……今度は飲むなよ」

千秋が囁いた。

「うう……わかってマス」

そして杯に口をつけるとその場に置いて、全員が拍手をして二人を祝った。






「……少量だったから、そんなにシミにはならないみたいで良かったデス」
「……ったく……」

そのまま宴会に突入した後は、新郎新婦の所にはビールを持って次々と人がやって来る。

「いや〜おめでとう!!。」
「ムキャ、さぶ兄!!」
「恵ちゃんが、こんな奇麗な花嫁さんになるとはな〜、ま、いっぱい」

そしてビールを注ごうとするさぶ兄にグラスを差しだそうとして、横にいる千秋からジロリと睨まれる。

「あ……あの……のだめは妊婦なんで……お酒は……」
「おお、そうだったばい!!。
 じゃあ、その分は御婿さんに飲んでもらうたい!!」

ゴポゴポゴポ。
千秋のグラスに溢れるばかりに、ビールが注がれる。

「ささ、一気に空けて!!」

千秋はためらったが、言われるがままグラスのビールを一気に飲み干した。

「おお〜さすが辰男が言ってたとおり、酒が強かばい!!じゃあ、もう一杯」
「い、いえ……もう……」
「そうよ、さぶ兄!!」
「次が控えてるんだから早くして!!」

見るとビール瓶を抱えた列席者がこぞって高砂席に押し寄せてきている。
しかものだめがビールを飲めないと皆が知っているので、全て千秋の方に並んでいるのだ。

「あ……あの……」
「近くで見ると、もっといい男ばい……ささ、ぐーっと飲んで」
「あ、はい」

ぐーーーっっ。

「みさ姉!!次は私よ!!。真一さん、恵ちゃんのことをよろしくお願いしますね」
「は、はい」

ぐーーーっっ。

どんどん人が千秋にビールを注ぎに押し寄せてくる。
千秋が次々とビールを飲まざるをえない状況になっているのを、横にいるのだめはハラハラしながら見ていた。

その頃、列席の方でも征子や竹彦がビール瓶を持ってお酌に回っていた。
ほとんどの客は野田家の関係者なので、一人一人に挨拶して回る。

「真一の母でございます。これからもどうかよろしくお願いします……」

そう言ってビールを注いだところ、その相手はちらりと征子の方を見た。

「あんた……離婚して三善の姓に戻ったんじゃろ?。
 なんで真一くんだけ千秋姓のままなんね」
「それは……」

まさかこのような質問をされると思っていなかったので、征子は言葉につまる。

「あれかいね。
 真一くんは、千秋の姓でいた方が、お父さんの七光りで音楽の世界でやっていくのに都合がいいってか?。
 なあ?」
「………」

思わず黙る征子。
そこをぐいっとその男の肩を掴む手があった。

「なんすんね!」
「いやあ〜田中さん、あんた、ちょいと飲みすぎじゃなかと?」

その手の主は辰男であった。
辰男はにこにこと笑ってはいるものの、その肩を掴む手にはぐぐっと力が入ってる。

「別においは酔ってなんかおらんど!」
「まあまあ、そう言わんと、どれ、酒を飲むならおいとゆっくり飲もうばい〜」
「だいたい4(死)月4(死)日に結婚式をあげるような奴がどこにおるか!!」
「なーに言うとんさ、4(幸せ)で4(良かった)ちゅう意味ったい」
「またそげなつまらんダジャレを……」

そう言って辰男が田中という男と酒を酌み交わし出したのを見た征子は、ふうっと溜息をつく。

「征子さん……」

振り返ると洋子が立っていた。

「申し訳なかと……田舎ん人は、詮索好きで無遠慮じゃけん……」

申し訳なさそうに頭を下げる洋子に、征子はにこっと爽やかに笑って言った。

「いいんですよ、慣れてますから」






何人からもビールを注がれ、千秋がだいぶ酔いが回った頃に、のだめの祖父である喜三郎がやってきた。
またしても並々とビールを注がれるが、これを飲み干さない訳にはいかない。
無理矢理ぐっと飲み干すと、喜三郎が何かを言いたげな目で見つめているのに気づいた。

「この度はおめでとう」
「あ……ハイ」

喜三郎はしばらくの間言いづらそうにためらっていたが、やがて言葉を発した。

「時に真一くん……聞いてもよかかね」
「は?」
「……御父様は今日は呼ばんかったとね」
「え……」

喜三郎の言葉に、千秋は絶句した。
それを聞いていたのだめも、はっとした表情になる。

「息子も嫁もなんも言わんけんが……。
 ……恵はおいにとって可愛い孫ったい。
 そん結婚式に新郎の父親が来んっていうのは……死んどるとか言うならともかく……生きておらさるんやけえ……。
 ……どげえ言ったらよかろうか……。
 結婚っちゅうのは……家と家の繋がりの意味もあるやろうもん」
「キサブロー!!」

のだめが、鋭く喜三郎の言葉を制した。
厳しい表情で首を振る。
喜三郎はそれを見ると、寂しそうな目をしながら千秋に軽く会釈をすると、自分の席へ戻っていった。



千秋は……何も言えなかった。






「さあ、盛り上がってきたところでここで祝電を披露したいと思います!!」

司会者が何枚もの紙を片手に読み上げる。

「『ご結婚おめでとうございます。末永いお幸せをお祈りいたします』大川市市長○○○様」
「『華燭の典を祝し、お二人のご多幸とご発展をお祈り申し上げます』衆議院議員○○○様」
「『ご結婚おめでとうございます。お二人の門出を祝し、心からのお祝いを申し上げます』大川市市議会議員○○○様」

次々と読み上げられていくお偉方の祝電であったが、だんだん内容が変わってきた。

「『ご結婚おめでとうございます。やっぱりあれは恋の序曲だったんですね』桃ヶ丘大学ピアノ科谷岡肇様」
「ムキャ、谷岡センセです」
「恋のプレリュード……」

「『ご結婚おめでとうございます。二人のご多幸とご発展を願ってハリセン送らせていただきます』桃ヶ丘大学ピアノ科江藤耕造様」
「……ハリセン付きの電報ですヨ……」
「あれをどうしろって……?」

「『メグミ。結婚おめでとう。福岡に帰ったならまた博多とおりもん買ってきてネ』パリコンセルヴァトワールピアノ科シャルル・オクレール様」
「おおう、ヨーダですヨ」
「あの人……根本的に祝電の意味わかってるのか?」

「『千秋。結婚おめでとう。これからもビシバシ働いてもらいますからね』真一様所属事務所マネージャーエリーゼ様」
「……あれ、先輩。顔が青いですヨ」
「この後、びっちりスケジュールが詰ま込まれてるんだ……」

「『ご結婚おめでとうございます。これから二人は燦々と輝く西の空の太陽を目指し純白なる大きな翼を広げて飛び』音楽評論家佐久間学様」
「文章途切れてませんか?」
「……多分、字数オーバーだ……」

「『千秋くん、ご結婚おめでとうございます。結婚してもいつまでも私の王子様でいてくださいね♪』クラシックライフ編集者河野けえ子様」
「ふうううううううん、王子様デスか〜(皮肉たっぷりに)」
「……なんだよ……」

「『ご結婚おめでとうございます。親友でライバルでもある僕からも心からのお祝いを言わせてもらいます』大河内守様」
「先輩の友達ですか?」
「……いや……知らない(真顔)」

「『心よりお祝い申し上げます。俺より先に結婚したからっていい気になるなよ。独身貴族、最高!』Mフィル正指揮者松田幸久様」
「松田さん……」
「あの人もいいかげん嫁さんもらえばいいのに……」

そして次々と一風変わった祝電が読み上げられていき、ついに最後の一枚になった。

「『親友とソウルメイト!!結婚おめでとう!!東京での披露宴で待ってるぜ!!期待してろよ!!』峰龍太郎様」
「ムキャー峰くんデス。向こうでの披露宴に呼んでるのにわざわざこちらにも祝電くれて……感激ですネ、先輩」
「……何か、嫌な予感がするのは気のせいか……?」

千秋は大きく溜息をついた。





そして辰男と海苔農家組合有志による、迫力ある和太鼓の乱れ打ち演奏(全員が上半身裸のふんどし姿でハチマキを締めた格好だった)や、のだめの叔母による、謡曲「高砂」(「おばさんは絶対にのだめの結婚式にやるって言って聞かなかったんですヨ」とのだめが囁いた)親族や関係者による、長渕剛の「乾杯」、芦屋雁之助「娘よ」などが次々とカラオケで歌われる。
千秋はそっとのだめに囁いた。

「おい……お前、着物きつくないか……大丈夫か?」
「あ、でも……だんだん慣れてきてはいるんですが……実はかつらのせいでさっきから頭が割れそうに痛くて……先輩こそ顔真っ赤ですヨ」
「さっきから何杯ビールを飲まされたと思ってる。……ったく、お前の親族、次から次にビールを注ぎに来やがって……」
「あうう……早く終わらないですかネ……」

二人の体力も精神力も限界にまできた所だった。

「さあ、宴もたけなわではございますが、そろそろお開きの時間がやってまいりました。
 両親への花束贈呈へと参らせていただきます。
 新郎新婦、前へどうぞ」

千秋とのだめは立ち上がった。
そしてスタッフから奇麗な花束をそれぞれ手渡された。
下席に控えていた、辰男と洋子、征子が立ち上がる。
新郎新婦の二人は、花束を抱えたまま部屋の中央を静かにゆっくりと進む。

そして千秋は洋子に花束を手渡した。
のだめは笑顔で征子に花束を手渡した。
その時にのだめがそっと囁く。

「……あちらの方にも花を送っていマス」

その意味がわかった瞬間、征子は笑顔になった。






場所はうってかわって、パリのアパルトマン内。
千秋雅之は、旧友の長田克弘とアンナとともに、久し振りに酒を酌み交わしていた。
「……そういえば、そろそろ真一とのだめの結婚式の頃だなあ……」

長田が感慨深げに言い、アンナが頷く。
雅之はポツリと呟いた。

「……俺には招待状が来なかった……」
「なんだ……お前、拗ねてるのか?」
「結婚式に行きたいなら行きたいって言えば良かったのに」
「いや、別に行きたくない」

きっぱりと言う雅之に、思わずがくっとずっこける長田。

「だったら言うなよ!!」
「だけど、俺に真一から一言あってもいいんじゃないか?……俺の存在自体を忘れてるんじゃないのか、あいつ……」
「相変わらず、自分のしたことは棚にあげてよく言うわ……」

愚痴愚痴と呟く雅之に、長田とアンナは肩をすくめる。
しばらく愚痴った雅之はポツリと呟いた。

「だけど……あれが届いた」

雅之は、そっと部屋の隅の方を見遣った。
そこにはこぢんまりとした可愛らしい花が飾られていた。
雅之がワインと共に持ってきて、その辺りに放って置いた花束を、見かねたアンナが花瓶に生けたものだ。
花束には小さなカードにメッセージが添えられていた。

『千秋雅之様。
 今度、真一さんと結婚することになりました野田恵です。
 これからよろしくお願いします』

「………」
「………」
「……日本は、今、桜が満開だろうな……」






「ここで、新婦恵さんから、ご両親に向けてお手紙がございます」

スタッフから手紙をもらったのだめはその紙を広げた。
早くも辰男の顔は涙でぐしゃぐしゃだ。

「お父さんお母さ」
「待った!!」

辰男は片手を上げてそれを制した。

「……何ね」
「ちょい待ち……心の準備がいるったい……」

そう言うと、辰男は洋子から渡されたハンカチで顔を拭った。
のだめは溜息をつくと、手紙を読み始めた。

「お父さん、お母さん、今まで育ててくれてありがとうございました。
 働き者でいつも汗びっしょりになって一生懸命働いているお父さんの辰男。
 いつもつまらないダジャレばかり言うけど、本当はそんな元気で明るい辰男が大好きです」

ここで辰男が大きくしゃくりあげる。

「裁縫が得意でよくのだめに洋服を作ってくれたお母さんのヨーコ。
 ヨーコの作ってくれたコンサートドレスを着る時は、どんなドレスを着た時よりも素晴らしい演奏ができます」
「………」
「そして、いつも温かく優しく見守ってくれたおじいちゃんの喜三郎、おばあちゃんの静代、弟のよっくん。
 のだめは日本の大学も中退して音楽家になれるかどうかもわからないのにパリに留学したいと言い出して、皆から驚かれたけど、それでも皆、笑って送り出してくれました。
 パリでも辛いことはいつもあったけど、そんな時は皆の顔を思い出すと力が湧いてきて、また頑張ろうって思えました。
 どうにかのだめも、音楽家としてやっていく目処がつきました。
 まだまだこの世界では新人なので実際にはこれからだけど、故郷にいる皆のことを心の支えにしながらしっかりやっていきたいと思います。そして……」

のだめは隣にいる千秋を見上げた。

「今度、結婚することになった真一くんは、とても素晴らしい男性です。
 ……ちょっとばかり俺様で、人間性が悪くて、陰険で、粘着質の完璧主義者で、ムッツリな所もありますが」
「オイ」
「……それでも、のだめのことをとても大事に思ってくれています。
 音楽というものと本気で向き合っていなかったのだめをここまで引っ張って導いてくれました。
 真一くんがいなければ、今ののだめはなかったと思います」
「………」
「けっして愛情を言葉で表現する人ではないし、仕事もお互い忙しいからすれ違いになることも多いと思うけど……」

のだめは顔をあげた。
そしてにっこりと笑顔になった。

「のだめにとって真一くんは……世界中で一番大事で……世界中で一番愛している男性です」
「のだめ……」
「……その真一くんと、これから幸せな家庭を築いていきたいと思います。
 どうか、これからもよろしくお願いいたします」

そしてのだめは、辰男と洋子に向かって深々と頭を下げた。
涙は浮かんでいない、晴れ渡った空のような笑顔だった。
辰男が大きくしゃくりあげた。
そして洋子のハンカチでビーーームと鼻をかんだ。
思いっきり嫌な顔をする洋子。

「……とても、ご両親への思いのこもったお手紙でした。
 では、最後に新郎の挨拶をもってこの宴を締めさせて頂きたいと思います」

司会者の合図とともに、マイクが千秋に渡った。
千秋は会場の方を向く。

「えー、本日は、私達のために……」

千秋はそこで言葉を失った。

さっきから何か変だった。

頭がさっきからすごい勢いでぐるぐる回っている。
そして隣にいるのだめも、辰男も洋子も征子もぐるぐる回っている。
ついに会場がぐるっと一回転して、天井が見えたかと思うと……。

ドッッシイイイイイン!!。

千秋は背中からひっくり返ってしまった。

「真一!!」
「千秋くん、大丈夫ね!!」
「もう……だから飲まし過ぎじゃって言うとろうたもん!!」

周囲の人達の言葉がだんだん遠ざかっていき……やがて千秋の意識は途切れた。