「う……頭いてー」

ソファーの上に足を放り投げて寝ころび呻く男、千秋真一である。
昨日は大川の披露宴で、酒を飲まされすぎてぶっ倒れて、意識のないそのまま飛行機に乗せられて、ここ東京にやって来たという訳で
ある。
頭が二日酔いで割れるようにズキズキ痛む。

「なあ……」

千秋は隣でバタバタと忙しく動き回っていた征子に声をかけた。

「結婚式とか披露宴とか、一度すれば十分じゃないか……今からキャンセル」
「出来ません」

キッパリという征子。

……あ、やっぱりそうですよね……と項垂れる千秋。

「あんたは直前まで用がないんだから、そこで寝てなさい。大丈夫、ナイトウェディングなんだから休む時間たっぷりあるわよ〜」
「……のだめは」
「のだめちゃんは忙しいわよ〜ドレスのフィッテングでしょう、疲れをとるためのリラクゼーションやブライダルエステ。夜までに肌
を完璧にしておかなきゃ!!」
「………」
「……あー、私も忙しい、忙しい」

そう言うと征子はバタンと戸を閉めて出て行った。

「なんで母さんが忙しいんだよ……」

千秋は、それを見遣って溜息をついてから、また目を閉じた。
確かにここは、誰にも邪魔されずにゆっくり寝ていられそうだ。

ここは、東京にあるゲストハウス、マリーガーデンのブライズルームである。
ゲストハウスウェディングとは、大邸宅を貸し切りにして我が家にゲストを招いて行うパーティの形式のプライベートなウェディング
スタイルのことである。
大きく白い壁の塀と美しく華麗な鉄格子の凱旋門をくぐると、そこは外国の街のように異国情緒の溢れた空間が広がっていた。

まるでお伽話の世界に入ってしまったかのような錯覚を覚える。

あたたかみのある白を基調とした清楚なイメージの白亜の大邸宅。
青空の下、光溢れる緑豊かな広いプライベートガーデンには、春の色鮮やかな花がここぞとばかりに咲き誇っていた。
そしてその庭の真ん中に佇んでいたのは荘厳なロマネスク調の独立型チャペルであった。





第4話





夕闇とともに時間が近づくにつれて、本日の招待客が続々と集まりつつあった。
彼らは、受付を終わらせると、エントラスロビーでウェルカムドリンクを楽しんだ。
豪華なロビーでは華やかなシャンデリアが人々を照らす。
そこではいろいろな飲み物がふるまわれたが、中には春という季節からか「桜茶」などもあった。
八重桜の塩漬けをグラスに入れお湯を注ぐと、ふわっとピンクの桜の花が広がり、心地良い芳香が漂う。
身も心も暖まるこのお茶は特に女性客に大人気だった。

「おーーーーっっ!!」

峰は大きく手を振った。

「沙悟浄ーーーっっ!!」
「サル!!」

そして、やってきた木村に駆け寄ると二人で腕を絡ませた。

「ガンダーラ!!」
「愛の国!!」

そしてゲラゲラゲラと大きな声で笑い合う二人を周囲の人が不思議そうに見つめる。
それを見た清良ははあっと溜息をつく。

「何やってるのよ……あんた達は……」
「ぱぱ?」
「あ、大丈夫よ。パパ、ちょっと変にハイになってるだけだから」

ベージュのホルターネックドレスに黒のベロアボレロを羽織った清良は小さな女の子の手を引いていた。
少女は髪を可愛く2つに結びピンクのドレスと、それに合わせたピンクのリボンをしている。

「わあ〜、さくらちゃん?もうこんなに大きくなったの!?」

そう話しかけるのは、相変わらずセクシーな黒のドレスに身をまとった萌。
バストを奇麗に見せるふんわりドレープのカシュクールがエレガントさを際だたせている。
現在は結婚して、木村萌となっている。

「さくらちゃん、いくつになったの?」

にっこり笑う萌に対し、少し恥ずかしそうに清良のオーガンジー重ねのスカートに隠れながら、こっそり指三本出す。

「さくら、ちゃーんとお口で言いなさい」
「……みっちゅ……」
「そっか〜3つか〜」
「誰に似たのか、人見知りして困るのよ」
「あははは!。どう考えても峰くん似じゃないわよね〜。清良が世界中に演奏に行ってる間はどうしてるの?」
「パパとじいじと頑張ってお留守番してるもんね、さくら」
「うん!」

さくらはにこおっと笑った。
そこへ、懐かしい顔が現れた。

「よ、お久しぶり〜」
「皆、元気してた?」

そう言いながら腕を組んでやって来たのは菊地と舞子だ。

「舞子……」

清良はそっと声をひそめ舞子を手招きして、耳に囁いた。

「こないだのメールでは菊地くんの浮気が原因で別れたんじゃなかったっけ」
「あ、あれから土下座して謝ってくるから元に戻ったの」

舞子はけろっとした顔で言った。
清良は溜息をつく。
この二人は会うたびに「つき合ってる」だの「別れた」だの繰り返しなのだ。
そんな清良に菊地が笑顔で話しかける。

「清良、元気だっ……」
「だーーーーーーーーーーっっっ!!。菊地!!。清良に触るなっっ!!」

離れた場所からダッシュして菊地と清良の前に立ちはだかる峰。

「……別に触ってないけど……」
「いーや、お前なら人妻になっても清良に平気で手を出しそうだ!!」

菊地はかまわずにしゃがみこんで、さくらの頭を撫でる。

「さくらちゃん大きくなったね〜」
「ぐあああああっっっ!!触るな!!菊地!!。さくらが妊娠するーーーーっっ!!」
「するかっ!ボケっ!!」

清良は峰の頬に強烈なストレートを繰り出した。






そして薫、真澄、高橋など、R☆Sメンバーが次々とやって来る。
そろいもそろってブルーな顔だ。

「千秋様が結婚なさるなんて……」
「しかも、相手があのひょっとこ娘……」
「千秋くん、どうして僕を選ばなかったんだーーーっっ!!」

最後に叫んだ高橋に、薫がツッコミを入れる。

「でも、高橋くん、今はコントラバスの佐保くんとつき合ってるんじゃなかったっけ」
「それはそれ、これはこれ」
「あっそ……」

きっぱりと言い切る高橋に肩をすくめる薫。
真澄はふんっと鼻で笑った。

「ふん。貴方の千秋様への愛はその程度だったのね。私なんて千秋様に操を守り続けてはや10年……」
「真澄ちゃん……いいかげんその操は捨てた方が……」
「そういう薫だっていまだフリーじゃない。萌は木村くんと結婚したのに」

真澄から痛いところをつかれてあせる薫。

「私は、今、いい男を選りすぐってる最中なの!!。千秋様以上に素敵で、千秋様以上に才能のある人じゃないと、嫌なの!!」

それを聞いた萌は、妹である薫の肩をポンと叩いてこう言った。

「そんなこと言ってるからずっと独身なのよ」
「萌〜〜〜」
「私みたいに適当なところで妥協しないと……」
「ふうん……僕って妥協だったんだ……」

背後からぬうっと現れた無表情の木村を見て、萌は脂汗をにじませる。

「あら、やだ!!智仁さん聞いてらしたの?いや〜ん、あ、あれ黒木くんじゃない?」

この場を取り繕おうと周囲を見渡した萌は、ちょうどエントランスから入ってくる黒木と外国人の集団を見つけた。

「あ、本当だ」
「おーーーーいっっ!!くろきん!!」

黒木は金髪の女性を連れていた。
Aラインシルエットでホルターネックで胸元や裾からのぞくレースが豪華な金色のワンピースだったが、何故か紫色の豹柄のショール
を羽織っていた。



び……微妙……。



その場にいた全員が固まった。
しばらく後、菊地が呪文が解けたように黒木に向かって声をかける。

「やあ……黒木くん、久し振り。……こちらの女性は?」
「あ、あの……その……ぼ、ぼ、僕のパー……パー……」
「パー?」
「いや……友達の……ターニャ」

どうやらパートナーと言いたかったらしいが、どうしても言葉が出てこない黒木だった。

「よろしく。ターニャ!!とても素敵なドレスだね♪よく似合っているよ」

最上級の笑顔で挨拶をする菊地に「そんな訳ねーだろっっっ!!」とその場にいた全員が心の中でツッコミを入れた。
舞子が菊地の足を、笑顔でぎゅううっと踏む。

「いった……」

思わず顔をしかめた菊地に峰が言った。

「おい!菊地!!ターニャにも手を出すなよ。ターニャはくろきんの彼女なんだから!」
「え?そうなの?黒木くん」
「う、うん……」
「ターニャ、久し振りだな!!」

ターニャに手を差し出す峰だったが、ターニャの目は峰を見ていなかった。
何かに取り憑かれたようなうつろな表情で、何か呪文のように呟いている。

「……絶対にブーケ、とってやる……ブーケとってやる……ブーケとってやる……」

その鬼気迫る表情に一歩退きながら峰は言った。

「……どうかしたのか?ターニャ」
「いや……きっと、長旅で疲れたんだよ……」

そっと目を背ける黒木。
黒木とターニャはお互いにパートナーとなって同棲して5年になるが、なかなかタイミングが悪く、結婚までは至っていないのだ。
その時、黒木の背後からフランクとユンロンが顔を出した。

「リュウ!!」
「久し振り!!」
「おおおーーーーっっ!!フランクにユンロン、ボンジュールだぜ!!」

抱き合って再会を喜ぶ3人。

「ここはやっぱり再会を祝して皆で乾杯したいところだな!!」

峰はきょろきょろと辺りを見回す。
そしてバー形式になっているウェルカムドリンクコーナーに皆を誘導した。
カナッペやクッキーなどの軽食も置いてある。
マンゴージュースやオレンジジュース、グァバジュースなどの多種多様なソフトドリンクに加えて、ビールやワイン、奇麗な色のカク
テルなどが自由に頼めるようになっているようだ。

「おおーーーっっ!!ウェルカムドリンクにアルコールあるじゃん!!。さすが金持ち!!」
「ワイン、ワイン♪」
「馬鹿だな〜日本じゃ、ビールで乾杯するんだぜ」
「アサヒ?」
「そうそう、ビールはやっぱりアサヒだ!!。通だな〜って……お前、誰?」

そこには見知らぬ外国人がにこにこ笑って立っていた。
黒木が慌てて紹介する。

「あ、彼はポール。マルレオケのパソン奏者だよ」
「皆さん、コニチワ、ポール・デュボワデス。今日は寿司を食べに来ましタ!!」

たどたどしい日本語におおう〜!!と、どよめく集団。

「やっぱ日本に来たら寿司だよな!!」
「あと焼き鳥と刺身も……」
「イカ大好き」
「天ぷらなんかもお勧めだよ」
「ラーメンは?」
「それ、中国ーーーーっっ!!」

違う言語でわいわいと騒ぐ男達を見ながら、女性陣は小声で囁きあった。

「今日って……確か……フレンチメニュー……だったわよね」
「いや、のだめちゃんのことだから、もしかして意外性をついたりして……」
「あの、ひょっとこ娘がそこまで気がまわる訳ないじゃない!!」
「あ!!」

さくらが何かを見つけて駆け寄った。

「ねずみだ!!」

ウェルカムボードの前には、新郎新婦らしく白いウェディングドレスとタキシードを着た一組のぬいぐるみがちょこんと座り、ゲスト
を迎えていた。
さくらは嬉しそうにぎゅううっと花嫁衣装のぬいぐるみを抱きしめる。
そのぬいぐるみは、確かにねずみに似てはいるが、ねずみにしては色が茶色くて……。

「これ……」
「ウェルカムベア……っていうか、ウェルカムマングース……?」
「あまり聞いたことないわよね……」
「っていうか、どこで手に入れたのよ、こんなの」
「いやでもカズオやごろ太のぬいぐるみよりはまだマシかも……」

それは多分、のだめが唯一、この結婚式のために用意したであろう、ウェルカムアニマルであった。

「まあ、いいや、とりあえず、乾杯乾杯!!」

皆がそれぞれに飲み物のグラスを持った時、横から声がした。

「乾杯だったら、俺も混ぜてくんない?」
「「「松田さん!!」」」

そこには、黒いタキシードにブラックタイを着けて、いつも以上に格好つけている松田が立っていた。
すぐさま腕にかじりつく高橋。
松田は手に白い液体が入ったグラスを持っている。

「……松田さん……それ、何ですか?」

木村が指さしたその先に気づくと、松田は涼しげな顔で言った。

「ん?これ、ミルク」
「み……ミルクですか……」

呆然となる一同。

「あれ?知らないの?。酒飲む前には、悪酔いしないために、牛乳飲んで胃に牛乳バリア作っとくって常識じゃん♪」
「牛乳バリア……」

もちろん皆、知ってはいたが、悲しいかなオヤジ臭がする台詞であった。

「さー、今日は、思う存分飲み放題だ!!。飲むぞ、お前ら!!」
「じゃあ……旧友との再会と千秋とのだめの結婚式を祝って……」
「乾杯!!」

カチーンカチーンとグラス同士が触れ合う音が建物に響き渡った。






「おい……あれ見ろよ。世界のマエストロだぜ……」

やはり音楽業界に通じた人間が多い本日のゲストの中、シュトレーゼマンはここでも注目の的だ。
先日からの疲れをものともせず、本日も上機嫌もまま、どこかに好みの女性がいないかとウォッチング。
まさに絶好調!!。
むかうところ敵なし!!。
シュトレーゼマン強い!!。
シュトレーゼマン傍若無人!!。
独走態勢だーーーーーっっ!!。
そんなシュトレーゼマンの足がピタリと止まった。

目の前でカクテルを飲んでいる外国人女性の後ろ姿。
けっして若くはないがそれ相応の年にしかだせない熟した色気が、奇麗にアップされた髪のうなじから感じられる。

これはチャンスである。

幸いにも美奈子は、先ほど化粧直しをするからとパウダールームに行っているところだ。
シュトレーゼマンは、コホンと咳払いをしてその女性に声をかけた。

「あの……もし良かったら」
「……え?」

振り向いたその女性の顔を見て、シュトレーゼマンは声を止めた。
老いを感じさせない美しく整った顔、ハリのある肌……どことなく美奈子に似ている。
好みだ。

……だけど、その顔には見覚えがあった。

「マエストロ……」

どうやら女性もシュトレーゼマンのことを知っているようだった。
誰だっただろう。
どこかで出会ったことがあるのか。
パリか?ロンドンか?ミラノか?ニューヨークか?。
シュトレーゼマンは今までの世界各国での女性とのアバンチュール記憶に一斉に検索をかける。

その時、背後から重く不機嫌な声が聞こえた。

「……私の妻に何か用ですか?」

振り向くとそこに立ってシュトレーゼマンを睨み付けていた男は。

「セバスチャーノ・ヴィエラ……」

シュトレーゼマンと並ぶ世界のマエストロ、セバスチャーノ・ヴィエラである。
そういえば、この美しい女性……どこかで見たことがあると思ったら、以前パーティでさんざんアプローチをかけたことがあるヴィエ
ラの妻だった。
シュトレーゼマンは、不機嫌さを露わにしてヴィエラに言った。

「お久しぶりですネ……まさか、あなたまでこの結婚式に来ているとは思いませんでしたヨ」
「当たり前でしょう。私はシンイチの師匠ですからね」

その言葉にシュトレーゼマンがぴくりと反応した。

「……何、言ってんデスか。チアキの師匠は私デス」
「いーえ、シンイチは私の弟子です。彼が子供の頃に師弟の契りを結びました」
「……現在では私の唯一の弟子として知れ渡り、うちの事務所で活躍中デスが、それが何か?」
「一番最初に幼い彼の才能を見抜いたのは私です。
 今だってシンイチは、忙しいスケジュールの合間を縫ってイタリアのオペラ座に来て私の元で勉強してますしね」



……… ……… ………



「なに言ってんデスか!!チアキに一から十まで音楽を教えたのはこのワタシですヨ!!」
「私はモーツァルトがスカトロ好きだったことまで教えましたから!!」
「いたいけな少年にいったい何を教えてるんデスか!!」
「飲み屋のねーちゃん達との遊び方しか教えてない貴方に何も言われたくないですね!!」
「奇麗な奥さんがいるからっていい気になってんじゃないデスよ!!」
「さては、ロンドンで私がおもちゃを先に買ったのを根に持ってますね!!」
「当たり前デス!!。あれは孫のチェルシーに買ってあげる約束してたんですヨ!!」
「何言ってるんですか!!。あなたずっーーーと寂しい独身のままでしょう!!」

お互いに怒鳴りあいながら、ハアハアと息を切らす二人。
世界のマエストロ同士の言い争いに、周りには知らず知らずのうちに人だかりが出来ていた。

「こうなったら……」
「どちらがシンイチの本当の師匠か……」

お互いに睨み合い、同時に叫んだ。

「「はっきり本人に聞いてみましょう!!」」








そんなことがあるとは露知らず。

花嫁控え室に現れた黒のフロックコート姿の千秋は、息を呑んだ。

そこには白いウェディングドレスに身を包んだのだめがいた。

クラシックなエンパイアラインのドレス。
「エンパイア」とはナポレオン帝政時代に流行った直線的なラインのことであり、ギリシャ神話の女神のようなピュアで神秘的な女性
らしさが印象的なドレスだ。
バストのすぐ下で切り替えがあり裾に向かってゆるやかに広がるスカートが、マタニティドレスにピッタリのシルエットでお腹に負担
がかからない。
胸元が両方の肩が出るほど大きく開いているオフショルダーとなっており、背中も深く開いている。
デコルテが露出され、強調されたそのドレスは、のだめのその美しい白い肌と豊満な胸の谷間をより際だたせて上品で可愛らしく、そ
してセクシーだ。
腰から流れる華美な装飾がないロングトレーンは床を覆い尽くすほどに広がっていた。
しっとりとした光沢のある上質のシルクタフタの生地でできている、極めてシンプルで上品なそのドレスだが、よく見るとスワロフス
キービーズが胸元や裾に施されており、ビーズが光をうけて時折キラリと華やかに光る。
ロンググローブを着けたその手には、白いカサブランカがメインでアクセントとして桜の枝を大胆に使っている流れる滝のようなライ
ンのキャスケードブーケがあった。
髪をまとめ上げて、オーストラリアンクリスタルとパールの清楚なミニティアラとチュールレースの長いベールを着けている。
合わせたようなデザインのネックレスとイヤリングも可憐な花嫁姿をより引き立てている。

目を閉じて何かを思うのだめのその姿はどこか厳粛で神聖なものがあり、千秋は声をかけるのをためらった。

ふと、誰かが来た気配に気づいたのか、のだめは目を開けた。
そして振り返り、千秋を見て笑う。

「先輩ー」
「……奇麗だ」
「え?」

思わぬ言葉に、のだめは目を大きく見開く。

「すごく……奇麗だ」

たちまちのだめの露わになった白い肌に朱が走る。

「ど、ど、ど、ど、ど、どうしたんですか!!先輩!!。何か悪い物でも食べたんデスか!?それとも昨日の酔いがまだ残って……」

「……別に……一生にいっぺんくらい、そういう事を言ってもいいだろう」

そう言いながらそっぽを向く、千秋の耳もまた真っ赤で。
のだめはふっと笑ってすっと千秋に手を出した。

「……一生に一度だけ……なんデスか?……真一くん……」
「………」

千秋が、一歩、また一歩と近づいた。

のだめの頬に手を触れて……そっと、顔を近づけようとした瞬間。

コンコン。
ドアがノックされた。

「真一〜、のだめさん、入るわよ!!」

ドアを開き部屋に入ってきたのは……。

「彩子さん!!」
「……何?その微妙な距離は」

千秋は、のだめから最も遠く離れた壁に貼り付くようにして立っていた。
彩子はニヤリと意味深な笑顔を浮かべる。

「ごっめんなさ〜い、いいところ邪魔しちゃったみたいね〜」
「べ、別になんでもない!!」
「申し訳ないなとは思うけど、打ち合わせしとかなきゃいけないでしょ?。ほら、これがうちの子供達よ」

すると後ろから男の子と女の子が出て来た。
男の子は7歳くらいで、少し茶がかかった髪で、ハーフ特有のしっかりした顔立ちであり、黒のボーイズ半ズボンスーツを着て薄い赤
のシャツにネクタイを締めて子供ながらにいっぱしの紳士だった。
女の子は1つ下だと言っていたから6歳くらいだろうか、薄いピンクのドレスのスカートをパニエでふわっと広がらせており、腰に並
んだフラワーと背中の大きなリボンがとても可愛らしい。
くるっと少し天然のかかった長いウェーブの髪を下ろしフラワーティアラを着けているその姿は、まるで天使のようで。
今日は、学生時代から二人と親交があり、多賀谷楽器の社長名代として出席する多賀谷彩子の子供達に、リングボーイとフラワーガー
ルの役をお願いしたのだ。

「ムッキャーーーーーーーーーッッ!!」

のだめは子供達に駆け寄った。

「貴方達が、今日のリングボーイとフラワーガールデスか!!」
「そんな大役、この子達に出来るかしら……。」
「大丈夫!!。全然オッケーデス!!」

男の子が、のだめの側まで近寄ってきて、じっと見つめる。
のだめはその大きな茶色い純粋な瞳に吸い込まれそうになりながら、子供の目線に会わせてかがんだ。

「はうん、可愛い男の子ですネ〜。のだめもこんな子供が欲しいデス……」

そう言ってのだめが頭を撫でようとした瞬間、男の子が口を開いた。

「でっけーっっ!!」
「へ?」

男の子はいきなり、目の前にあったのだめの豊満な胸をムギュっと鷲掴みにした。


……… ……… ………


呆然として、言葉も出ないまま硬直したのだめ。
それに反して、千秋の行動は素早かった。

「てめえ!!人の物に触るんじゃねえ!!」

鬼のような形相で、すかさず男の子を手をのだめの胸からひっぺがす千秋。
彩子ママはホホホと微笑ましく、そんな自分の子供の無邪気な行為(?)を見ているだけだった。
そんな呑気な彩子に向かって千秋が怒鳴りつける。

「彩子!!。お前、自分の子供にどんなしつけしてるんだ!!」
「せ……先輩、子供のすることですから……そんなに怒らなくても……」

マジ切れモードに突入した千秋を、必死で宥めようとするのだめ。
彩子は大きく溜息をついた。

「はあ……全く、真一は相変わらず人間が小さいわね……」
「な……」

涼しげな顔でそんな台詞をいけしゃあしゃあと言う彩子に、千秋は口をパクパクさせたまま言葉が出てこない。

「大丈夫?のだめさん。こんな器の小さい男と結婚して……」
「そうですね……確かに先輩の心は猫の額くらい狭いですが、そこはおおらかな海のような広い心を持ったのだめがカバーです!!」

「本人を目の前に悪口を言ってるんじゃねえっっ!!」

怒鳴りつける千秋。
そこへ、ガチャリとドアが開いた。

「失礼します」

入ってきた男は、長身でスレンダーな外国人だ。
茶色のくせ毛が印象的で彫りが深くまるで俳優のような端麗な容姿で、高級ブランドスーツをさらりと着こなしていた。
年は一回りは上のようだが、その年齢相応の独特の色気があり、物腰もスマートで落ち着いており、まさに「イイ男」であった。

「パパ!!」

2人の子供が嬉しそうに男に飛びつく。
どうやら子供達の父親のようだ。
彩子がそんな家族を幸せそうな表情で見つめ、自分の夫を紹介する。

「彼は私の夫で、アントニオよ。アントニオ、こちらが今日の主役で私の友人の、千秋真一さんと野田恵さん」
「アントニオです。どうぞ、よろしくお願い致します」
「こちらこそ……」

求められた握手の手はとても大きく暖かかった。
お互いに挨拶を交わし合い、リハーサルのために会場に向かう途中、のだめは千秋にこっそり囁いた。

「彩子さんの旦那様、素敵ですね〜」
「仕事関係で知り合ったらしい……なかなか切れる男だと有名だ」
「ふおお……先輩よりかっこよくて、先輩より優しくて、先輩より仕事の出来そうな大人の男性ですね〜」
「オイ」
「……彩子さん、幸せオーラが出てますネ」

のだめの言葉に千秋は前を歩きながら、アントニオと楽しそうに話している彩子を見た。
その表情はとても穏やかで満ち足りていて、あの頃の彩子とは違い……とても幸せそうだった。

「あんな家族に、のだめ達もなりたいですネ……」

のだめがふふっと無邪気に笑う。

「………」

式の時間は刻一刻と迫っていた。