ブーケトスが終わり、パラパラとゲスト達が自分の席にそれぞれ戻っていった。
そして最後に千秋とのだめがメインテーブルに戻った頃をみはらかって、会場の照明が暗くなる。
「皆様、正面にご注目ください」
司会者の言葉を合図に、パッと正面のステージにライトが当たる。
さきほどまでは何もなく開かれていたその空間に、いつの間にかオペラカーテンがひかれている。
どうやら皆がガーデンに出てブーケトスをしている間に、会場設置を行ったらしい。
何も聞かされていない千秋とのだめは戸惑う。
「……何か聞いてるか?」
「イエ……何も。でも、もしかして皆で生演奏でもしてくれるのかもしれませんネ」
わくわくと期待に満ちたのだめの声は、司会者の言葉によって驚きに変わる。
「本日は、新郎新婦のご友人が、お二人の馴れ初め劇を演じてくださると言うことです!!。
しかもR☆Sオーケストラと友人ピアニスト達の生演奏つきです!!。
どうぞ、会場の皆様、2人の恋の行方をごらんください!!。
……… ……… ………
「「えええええええーーーーーーーーーーっっ!!」」
千秋とのだめは仰天して顔を見合わせた。
桜 第8話
おいおい……いったい何が始まるんだ……。
千秋は不吉な予感がした。
そして自分の嫌な予感はかなりの確率で的中することを知っている。
そこへ、突然ピアノの音が会場に流れ出した。
どうやら背後のカーテンの向こうで誰かがピアノを弾いているらしい。
ベートーベン ピアノソナタ第14番 ハ短調 「月光」 Op.27-2 第3楽章。
この音は……ユンロンだろうか。
どことなくいらだつような弾き方は、あの頃の千秋を彷彿とさせる。
左の舞台袖から、一人の男が出て来た。
微妙な髪型。
微妙な白シャツにベルトと靴。
微妙なツータックの黒ズボン。
微妙な顔とスタイル。
どうやら誰かを意識しているようなのだが、何もかもが微妙なこの男……そう、大河内守は、つかつかと舞台中央に歩み寄り、ふっと
格好つけて髪をかき上げた。
千秋は首を傾げて呟く。
「……あれは……誰だ?」
「ええと、どこかで見たような……」
のだめは目を細めてじっくりとその男を観察すると、ポンと手を叩いた。
「あーー、先輩、あれ、あれ、あの人ですヨ」
「……なんとなく見覚えがあるな」
「ほらほら、学園祭前夜祭でSオケの指揮をした……」
「そうそう、指揮科にいた……」
「………」
「………」
「「誰だっけ……?」」
続いて舞台袖からマキとレイナの姿が現れる。
「わー、見て見て!!千秋様よ!!」
メインテーブルでズルッとこける千秋。
「なんてったって、俺様千秋様♪」
「ピアノ科カリスマ教師江藤先生のお気に入りで、ピアノすっごくうまいのよーっっ!!」
大河内を指さしながら、きゃあきゃあと黄色い声をあげるマキとレイナ。
「な……」
千秋は、口をパクパクと動かすものの、あまりのショックに言葉が出てこない。
のだめが追い打ちをかけるようにボソッと呟く。
「どうやらあの人、千秋先輩役らしいですネ」
新郎新婦から名前すらも忘れ去られた、もちろん招待などされていないこの男、大河内守。
千秋をライバル視し続けて10余年、彼の積年の思いがついに報われる日がやって来たのだ。
大河内は、ふんっと鼻で笑った。
「へたくそ!へたくそ!どへたくそ!!俺様以外のこの大学の奴らみーんなへたくそだ!!」
そして「月光」が怒りを解くかのように消えていき、それに重なるように新たなピアノが現れた。
ベートーベン ピアノソナタ第8番 ハ短調 「悲愴」 Op.13 第2楽章
この音はRui……だろうか。
いつもと少し違う。
Ruiらしからぬ荒っぽさで、自由奔放に跳ねる音色が会場に駆け回る。
どうやら、昔ののだめ風に、Ruiがアレンジしているらしい。
大河内はピアノの音に耳をすませて、立ち止まる。
「『悲愴』?……デタラメじゃないか。これじゃまるで『悲惨』だ……いや、違う、すごく上手い……誰だ?こいつ」
そのピアノの人物を確かめようと足を踏み出した瞬間、大河内の手を掴む手があった。
「真一、聞いたわよ!!。江藤先生の授業に逆らって、クビになったんですって!!」
メインテーブルの千秋の口が阿呆のようにぽかんと開けられる。
「彩子……」
大河内の手を掴んでいるのは彩子だった。
ゲスト席から2人の子供からの「ママ、頑張って〜」という声援に、にっこり笑って舞台から手をふる彩子。
彩子……お前までいったい何をやってるんだよ……。
頭を抱えこんでしまう千秋。
「ちゃんと江藤先生に謝って許してもらいなさいよ」
「俺はピアニストになりたいんじゃない、指揮者になりたいんだ」
「じゃあ指揮科に転向したら」
「……俺の先生はヴィエラ先生だけだから、余計なこと教わりたくない」
「だったら留学すればいいじゃない!」
彩子は、まるで母親のようなシャキシャキとした口調で、大河内を叱りとばす。
……昔、千秋に接していた時の……そのままに。
千秋が腐っている時は、文句をいいながらもさんざん愚痴につき合ってくれていた(つき合わされることもあったが)。
一見プライドが高く傲慢に見えて……でも実はとても情が深い女性だということを千秋は知っている。
彩子は溜息をつくとこう言った。
「飛行機にも乗れない、船にも乗れないなんて、何それ?バッカみたい」
「お前に……お前に、俺のこの気持ちがわかるかあああっっ!!」
大河内は、握り拳に、思いきり力を込めて、熱く叫んだ。
力の入った熱演で、キラリと光る汗が眩しい。
だが、あまりにも気合いが入り過ぎたのか、口から唾が飛び散り、彩子は顔をしかめて思わず後ろへ一歩下がった。
「……負け犬なんか大嫌い。さようなら真一」
そして、つかつかとヒールの音を響かせながら、あっけなく舞台を退場していく彩子。
残された大河内はずるずるとその場に座り込む。
「ちくしょう……どいつもこいつも……」
どうやらそのまま寝てしまったようだ。
そこへ。
「フーン、フーン、ネコのフン〜」
妙な鼻歌を歌いながら舞台袖から1人の人物が現れる。
ボブカットでチェックのワンピースを着ているやたらにデカイ女だ。
……いや、違う……。
「あれって……」
「……もしかして……」
「峰くん……デスか……?」
「………」
その人物は栗色のカツラを被り、ワンピースを着て女装した峰龍太郎であった。
それがわかった途端、会場からドッと笑い声が起こる。
峰はもともとのルックスが悪くないので女装しても見られないことはないが、どう考えてもごつい。
それでも心持ち内股歩きで、女性らしさを表現しているようだ。
「あれ……誰のつもりですかネ」
「……どう考えても、お前だろう……」
「ええええっっ!!」
のだめがすっとんきょうな声を出している間に、峰は、座り込んでいる大河内に気づいたようだ。
「ムキャ……のだめの部屋の前に寝ている人……誰でしょう?」
そうして座り込むとふうっと耳に息を吹き込む。
「ぐわっっ!!」
大河内が飛び上がり耳を押さえる。
「何すんだよっっ!!耳の中がぞわぞわして変な気持ちになるじゃないかっっ!!。耳は僕の性感帯なんだよっ!!」
「やかましいっっ!!。誰もお前の性感帯なんかに興味ないわーーーーっっ!!」
峰は大河内をぶん殴っておとなしくさせると、目を閉じてピアノを弾くように手を動かした。
そこへ再度流れ出すピアノ「悲愴」。
大河内はその音に目がさめたように立ち上がる。
「これは……お前が弾いてるのか?」
「うっきゅきゅ〜。昨日のこと覚えてますか?千秋セ・ン・パ・イ」
峰は、人差し指をたてて口元に寄せて、体をくねらせる。
大河内は、悪寒でぞわっとしながら首を横に振った。
「俺は知らんっっ!!何も覚えてないっっ!!」
それから大河内は改めて、周囲を見渡す。
「なんだこのごみためのような部屋は!!掃除機を出せ!!」
「あ、掃除機はベッドの上にありマス♪」
「なんでベッドの上に掃除機があるんだよっっ!!くそっっ奇麗好きの俺にはこの部屋は我慢できない!!。全部掃除してやるっっ!
!……これはなんだ」
「たぶんクリームシチューです♪」
「クリームシチューは黒いのかっっ!!とぐろを巻くのかっ!!」
「はいっ1年も放置しておくと!!」
「このイクラはなんだっ!!」
「ごはんにオレンジ色のカビが生えたらイクラになるんデス!!」
「このキノコはなんだ!!」
「洗濯物をためていたらいつの間にか生えました!!」
「これは!!」
「原形を留めてないので、正体不明物体です!!」
会場内からくすくすと笑い声が漏れる。
のだめが恥ずかしそうに顔を真っ赤にして、手で覆った。
「あうう……清楚で奇麗な花嫁さんのイメージ台無しデス……」
「……そんなこと言っても……全部、事実だからなあ……俺にもフォローできないぞ……」
暗転。
美しいピアノの音と大河内の声だけが響き渡る。
「ゴミの部屋の中で美しく響くピアノソナタ……。これがオレと野田恵の出会いだった」
スポットライトが当たる。
中央には、いつの間にか、大河内と峰の他に、谷岡が立っていた。
「谷岡先生まで……巻き込んでんじゃねーよ……」
テーブルにうっ伏すようにして千秋が絶望的に呻く。
「じゃあ、千秋くんと野田くんとで、ピアノ2台の連弾レッスンやってみようか」
「なんで、オレがこんなヤツと!!」
「いやあ、君たちの連弾かなり面白そうだと思ってね。曲はモーツァルトの『2台のピアノのためのソナタ』ニ長調」
「……しょうがない、やるぞ!ゴミ女」
「『のだめ』って呼んでくだサイ!!」
そして2人は並ぶと手をすっと同時にあげた。
そこへ流れる2台のピアノの音……この音は、フランクとターニャだろうか。
すぐにターニャの手が間違ったキーを鳴らす。
「たった2小節で間違えるなーーーーーっっっ!!」
「ぴぎゃーーーーーっっ!!」
ぶわっしいいいいんっっ!!。
大河内がさきほどの仕返しといわんばかりに、峰の頭を容赦なくぶっ叩く。
思わず演技を忘れてキッとにらみ返す峰。
2人でしばらく睨み合ったかと思うと、同時にふんっと顔をそらした。
しばらくの沈黙の後、大河内はふうっと息を吐いた。
「のだめ……お前の好きな様に……自由に弾いていいから。お前には絶対に特別な才能がある……」
「先輩……」
そしてもう一度鳴り始める2台のピアノ。
今度は完璧なユニゾンだ。
ターニャが、いつもの濃さを抑え極力シンプルにピアノ2を弾き、フランクの安定したピアノ1が支える。
2人の息がぴったりあった素晴らしい演奏が流れた。
谷岡が拍手を送る。
「よかったねえ、千秋くん。なんか壁越えたみたいで」
峰がきゅんとした乙女の眼差しで、目をしぱしぱさせながら大河内を見つめた。
「先輩の背中、飛びつきたくてドキドキします♪……これってフォーリンラブですか?」
「違うっっっ!!断じて違うっっっっ!!頼むから演技でも絶対に飛びつくなよっっ!!」
大河内の表情はマジだった。
「それからの俺は、のだめにまとわりつかれるようになった」
「千秋せんぱーい!!」
峰が大河内の腕にすがりつく。
「一緒に帰りましょう。どうせ家が隣同士なんデスから。あ、今日の晩ご飯は何デスか?。のだめ、今日は鍋が食べたいデス♪」
「うるさい!!。なんで俺様がお前に毎晩メシを食べさせなければいけないんだ!!」
「あ、裏軒でディナーっていうのもいいですネ。あそこの麻婆は天下一品ですから!!」
「どうでもいいから、ひっつくな!!」
「だってのだめは先輩の妻デスから」
「妻じゃねーーーっ!!」
大河内が、峰を思いきり突き飛ばす。
手加減なく突き飛ばされ、床の上をゴロゴロと派手に転がる峰に会場がどっと沸いた。
「別に……俺の役は黒木くんでもいいし、菊地でもいいじゃないか……この際、百歩譲って松田さんでも……」
大河内が自分を演じていることに納得がいかず、いつまでも未練がましくぶつぶつと呟いている千秋だった。
追い打ちをかけるようにのだめが言う。
「でも……なんとなく、あの人、先輩に似てますヨ」
「どこがっっ!!」
「俺様で偉そうで人間性がなさそうでカズオなところがそっくりデス」
「………お前、俺のことをそんな風に見てたのか……」
どことなくメインテーブルの2人の関係もぎくしゃくと怪しくなりつつも、劇はどんどん進んでいく。
金髪の男がヴァイオリンを持って舞台に出て来た。
突然現れたイケメンの男性に、ゲスト席の女性達からきゃあっと黄色い声があがる。
その男はエレキヴァイオリンをギュイインと掻き鳴らすと言った。
「……俺は峰龍太郎だ。……やっぱ、音楽はロックだぜ……」
のだめ役の峰が、だああっと走ってきてその男にチョップをくらわす。
『だあーーーーっっ!!どうしてそんなにテンション低いんだよっっ!!さごじょーっっ!!』
どうやらその男はメガネを外した木村で、劇においては峰龍太郎役を任せられたようだ。
ご丁寧にも金髪のカツラまでつけている。
『せっかく俺の役をやらせてやってるんだから、もっとこう、熱く皆のハートに響くように演じてくれよ!!』
『……なんで僕がお前の役をしなきゃいけない訳?』
『一応、菊地やくろきんに頼んではみたんだけど、さくっと一瞬で断わられたからだ!!』
キッパリと言う峰。
木村は、溜息をつくと峰に向かって言った。
「のだめ……今度の俺の試験の伴奏やってくれないか?裏軒の中華食べ放題にするから……」
「うきゅーーーっっ!!やりマス!!裏軒の中華は最高ですーーーーっっ!!裏軒、皆様の裏軒をどうぞよろしくお願いしマスっっ!
!」
さりげなく店の宣伝も忘れない峰だった。
しかし、次の瞬間、ふらっと揺らいだかと思うとバタリと床に倒れる峰。
「どうした、のだめ?」
「はあ……先輩をお色気で射止めようと思って……はあ……冬なのに夏服でいたから風邪引いちゃって……」
「ああ、どうしたらいいんだ。このままじゃ俺の試験が……」
木村が無表情なまま、台詞を棒読みする。
こんなことやってらんねえよという感じがありありである。
「仕方がない……峰。お前のピアノは俺が弾く!!」
そこへ、すっとタイミングよく現れる大河内。
「……千秋……そんな、一度も合わせてないのに……お前って結構いい奴なんだな……」
「ハハハ、よせよ……照れるじゃないか。俺とお前の仲だろ?。……俺達は親友じゃないか!!」
それを聞いていた千秋は頭がズキズキと痛むのを感じた。
「俺……あんなこと言ったことねえぞ……」
「峰くん……かなり台本、脚色してますネ……」
大河内がピアノを弾くかのように手をあげ、木村がヴァイオリンを構えた。
流れ出すのはベートーベン ヴァイオリンソナタ第5番 ヘ長調 「春」。
一度ヴァイオリンを手にした木村は違った。
先ほどまでの低いテンションが嘘のように、演奏に集中する。
峰のように熱くヴァイオリンを掻き鳴らす。
確実にサポートする伴奏はリュカ。
「光る青春の喜びと稲妻デスーーーーーーっっ!!」。
峰が感極まって叫んだ。
暗転。
いきなりゲスト席にスポットライトが当たる。
ライトの中心にいたシュトレーゼマンが、いきなり立ち上がり、そのままつかつかと舞台に上がったので、会場がどよめいた。
どうやら前もって打ち合わせをしていたらしい。
シュトレーゼマンは中央に立つと、すっと右手を上げる。
「宣誓!わたくしは、Sオケを脱退し、Aオケに専念することを誓いマス!!」
その言葉に驚く大河内。
「そんな……Sオケは巨匠が来日して、桃ヶ丘大学の学生で作った『シュトレーゼマン特別編成オーケストラ』でしょう……」
大河内がおそるおそる言う。
「あの……なにか俺に恨みでも……」
「当然、恨んでマス」
シュトレーゼマンは大河内に冷たい視線を送った。
「昨日、クラブ『One more kiss』に突然現れて……店の女の子を独り占めして、私のハーレムを土足で踏みにじった千秋……許せま
セン!!復讐します!!」
「復讐って……俺は巨匠の弟子でしょう……」
「とにかく!!私はAオケ、千秋はSオケ……定期公演で勝負です!!せいぜいがんばることですネ」
ハハハと笑いながら舞台を去っていくシュトレーゼマンであった。
がくっと膝をつく大河内。
「そんな……こんな寄せ集めのオーケストラでAオケに勝つ演奏なんてできる訳がない!!」
「でも、私はこのオケやりたいです!!」
そう言って大河内を励ますように走り寄ってきたのは桜だ。
桜は夫の岩井一志を振り向いて言った。
「ね、カーくん♪」
「せっかくここまで練習してきたんだから……やろうよ」
Sオケがきっかけとなって、結婚したコントラバスの夫婦2人が舞台に現れている。
真澄もすかさずやってきて叫ぶ。
「千秋様を裏切るヤツは私が許さないわーーーーっっ!!」
そこでどっと現れる、懐かしいSオケのメンバー達。
もちろんクラシック界の叶姉妹、フルートの木村萌、鈴木薫がいる。
ダーティペアのクラリネットの玉木圭司とオーボエの橋本洋平。
故郷の千葉に帰ってパン屋をついだチェロの由貴。
卒業と同時に結婚したヴィオラの静香。
大の千秋ファンで、目にいつもハートマークを浮かべて、千秋から怒られていたチェロの美帆。
合コンでミルヒーのセクハラにあっていたヴィオラの美香。
いつも鼻をつまらせていたホルンの金井。
その他にも、懐かしい顔ぶれのSオケメンバーがたくさん集まって来た。
彼らは、萌や薫のように音楽の道をいまだ続けている者もいれば、それが叶わずに別の職種に進んだ者もいて。
その懐かしい顔ぶれが今日この日のために終結し、まるで同窓会のように盛り上がった。
「みんなわかってくれたかーーーーーーーっっ!!」
テンションが低い木村じゃ駄目だと思ったのか、峰がのだめの扮装を解いて、SオケTシャツで現れた。
そして片手を大きく挙げて、おもいきり叫ぶ。
「皆で打倒Aオケ!!巨匠撃破!!だーーーーーーっっっ!!」
それにつらなるようにSオケの全員が一斉に叫ぶ。
「ジーク・ジオン!!」
「ジーク・ジオン!!」
「Sオケ万歳ーーーーーーーーーっっっ!!」
のだめが思わず感動で目を潤ませた。
「わざわざ……みんな……」
涙声だった。
「のだめ達の結婚式のために……あんなにたくさんの人達が集まってくれて……」
「………」
千秋も感慨無量で、言葉はなかった。
「そうして定期公演でSオケの初めてのコンサートが行われる」
後ろのオペラカーテンがするすると上がっていく。
そこにはいつのまに用意されたのだろう、雛壇と何客もの椅子が設置されていて、Sオケのメンバーが楽器を抱えて次々と座っていく
。
全員が懐かしいSオケTシャツを着ている。
……定期公演のために皆でそろえたあの思い出のTシャツだ。
ここでは峰が、コンマスの位置に着く。
大河内と目を合わせると、こくりと頷いた。
大河内が指揮棒を振り上げる。
曲はあの定期公演の時と同じ「ベートーヴェン交響曲第3番<英雄>」
ベートーヴェンの最も重要な作品のひとつである、英雄的で雄大な交響曲が流れ出す。
そしてあの場面……峰が大河内に向かってニヤっと笑いウィンクする。
それに答えるように大河内が腕を上げる。
ヴァイオリンパートがヴァイオリンを高く掲げ、ロックのティストを入れたジミヘン弾きのパフォーマンスをした。
最高のパフォーマンスにわあああっと会場がどよめいた。
千秋はそれを見ながら当時を振り返る。
最初はなんで巨匠があいつらを選んだんだろうと思っていた。
くせが強すぎて、お世辞にも上手いと言えなくて、落ちこぼれの寄せ集めだと言われたメンバー。
……音楽に対する気持ちなら誰にも負けないのに、それぞれが素晴らしい個性を持っていたのに、今まで誰もそれに気づかなかった。
完璧を目指すあまり、その大切な個性を潰そうとしていた、思い上がったあの頃の自分。
それが間違っていたことに気づかせてくれたのは、のだめだ。
例え、普通の人には落ちこぼれの集まりのようにしか見えなくても、磨けばそれはキラキラと輝く宝石のようになる個性の集団なのだ
ということに千秋は気づいた。
純粋で、計算のない、生き生きとしたエネルギー溢れる、フレッシュな演奏を奏でる、素晴らしいオーケストラ。
確かに、Sオケは、正統な評価を受けられないオーケストラだったのかもしれない。
ただの色ものとしてしか評価されなかったのかもしれない。
でもこのメンバーは、自分に大切なことを教えてくれた。
誰しも音楽が好きだからといって、皆が皆、その道に進める訳ではない。
選ばれるのは一握りの人間だけだ。
だからといってその夢を追いかけた時間が、けっして無駄だった訳ではない。
プロになることだけが全てではない。
共に悩み、苦しみ、1つのものを作り上げるというその素晴らしさ、オーケストラの原点といえるべきものを、千秋はこのSオケから
教わった。
千秋は手を叩いていた。
のだめも、真っ赤な目をしながら手を叩く。
やがて、拍手の波が会場中に広がり、演奏を終えたSオケのメンバーが恥ずかしそうに、でもすごく嬉しそうに笑った。
暗転。
次に照明が当たると、またカーテンが下ろされ大河内が舞台に一人で立っていた。
「俺は、学園祭でシュトレーゼマン指揮のもと、ラフマニノフ ピアノ協奏曲第二番を演奏することになった」
佐久間とけえこが現れる。
「千秋真一ってただの学生でしょう?本当に上手いの?」
「でも、シュトレーゼマンの指揮で弟子がピアノ演奏なんて……面白そうでしょ」
「ルックスいいのは認めるけど、これで演奏がつまらなかったら帰るよ。僕は『クラシックライフ』の記事書くので忙しいんだよ」
語りあう佐久間とけえこに、呆然とする新郎新婦。
「……何してるんだ?あの人達は……こんなところまでやってきて……」
「ええと、この結婚式は取材、お断りでしたよネ……」
演奏が始まる。
ゆっくりと静かに和音を、ピアニッシモからクレシェンド連打し続ける。
そして始まる管弦楽の第一主題。
音が溶け合うように美しい旋律を掻き鳴らすピアノの第二主題。
この高い技術で堅実にしかも色彩豊かに歌い上げるのはリュカのピアノだろう。
佐久間がふうっと息を吐いて目を閉じた。
そして高らかに、ポエムを朗読する。
「ああ……千尋の谷底の深い谷間まで照らすようなピアノの序奏。
僕はその光を覗き込み次の瞬間、岩壁から谷底へ突き落とされた。
オーケストラは霞がかかった谷間に細い糸のように這い。
湧き上がる泉のようにほとばしり。
ピアノの音と絡み合いうねりながら百筋の脈をなして僕を黄金の夢の世界へと連れ去った……。
なんていう音楽、なんていう演奏……まるで彼はイカロスのように大空に翼を広げー」
「はいはいはいそこまでね」
けえこに引きずられるようにして佐久間強制退場。
「相変わらずマイワールドに突入してますネ〜佐久間さん」
「お願いだから……頼むからやめてくれないか……」
その間にも音がデクレッシェンドで小さくなっていって……。
またしてものだめに扮装した峰が舞台袖から現れた瞬間、音楽が止まった。
「先輩!!お願い、のだめにも弾かせて……」
「のだめ……」
「先輩みたいに弾きたいんです……あんな風に……」
悲痛な表情で大河内に訴えかける峰。
大河内は溜息をつくと言った。
「じゃあ、やってみろ。……ピアノ2台で……俺がオーケストラの部分を弾くから、お前は普通にピアノを弾け」
そして始まる2台のピアノでのラフマニノフ。
バーーーンッ!!
最初のピアニッシモをいきなりフォルテッシモで弾いているのは多分Ruiだ。
尋常では考えられない早すぎるテンポに、音を増やし意識的に作曲している。
もはや、別の曲のようだ。
Ruiだからこそできる、のだめ風のアレンジを加えた超絶技巧だろう。
それを、リュカの伴奏部が怯むことなくしっかりとサポートする。
かなりメチャクチャな演奏の筈なのに、2人とも息がぴったりあっていて……。
その演奏はゲストの人達の心に響いた。
「千秋くん」
突然音楽が止まり、いつのまにか清良が大河内の側に来ていた。
「千秋くん……あのね……ぶっっっ!!」
「どうしたっ。清良!!」
大河内の真剣な眼差しを正面から受け止めた清良は、突然吹き出した。
慌てて口を押さえて止めようとするが、大河内の瞳がキラキラと眩しすぎて直視できない。
清良は隣にいた峰に向かって小声で言った。
『やっぱり無理っっ!!私にはできないわよっこんなこと!!』
『何言ってるんだ、清良!!お前ならできるっ!!俺はそう信じている!!頑張れ、清良っっ!!』
峰の期待に答えるべく、清良は懸命に演技を続けようと試みる。
「千秋……くん……あの、その……私といっしょに……いっしょに……」
清良の肩がぴくぴくと震える。
「清良さん、頑張って!!」
「………」
メインテーブルから声援を送るのだめに対し、千秋は心から清良に同情した。
「わ……わ……わ……私と一緒に、オーケストラ作らない?」
「ああ!!もちろんやるとも!!」
そう言って大河内は熱い瞳でこくりと頷くと、清良の手を固く握りしめた。
ぶーーーーっっっ!!と堪えきれず笑い出す清良。
その時大河内の顔が「いてっ!!」と歪む。
峰が足を思いきり踏んづけたのだ。
『どさくさに紛れて清良に触るなっっ!!そんな演出なかっただろうがっ!!』
『いや……つい……役にはまって……』
そこへ、R☆Sオケのメンバーがやって来た。
こちらもオールキャストだ。
菊地や舞子、黒木なども苦笑いをしながらも、劇に参加している。
「千秋くん……一緒にやろう、チェロ協奏曲」
「何言ってるの!!フルート!!フルート協奏曲よ」
「ホルン協奏曲だろう!!」
「ヴィオラ協奏曲……ヒンデミットの」
「知らねーよっっ!!」
コホンと清良が咳払いをすると、大きく息を吸った。
「ここは丸くヴァイオリン協奏曲でしょう!!」
「おっしゃあっっ!!俺がソリストで!!」
思いがけない方向から聞こえてきたその言葉に、全員が、えっと峰を見る。
『……あんた、今はのだめちゃんの役でしょう……?』
『あ、つい……素で』
『私にこんな恥ずかしい劇をやらせておきながら……』
「離婚よーーーーーーーーっっ!!」
バシッッ!!
清良に殴り飛ばされた峰は舞台の端までぶっ飛んだ。
その首根っこを捕まえた男がいた。
ハリセンを持った江藤だ。
「野田恵……お前の3年間埋もれ続けたピアノの才能を俺が昇華させてみせる!!」
「え……あ、でも……のだめの先生は谷岡先生で……」
「担当が変わった」
「えーーーーーっっ!!」
抵抗する峰をずるずると江藤が引きずっていった。
「まあ、とりあえず『マラドーナコンクール』にでも挑戦してもらおうかな」
「あ……その、千秋先輩、皆、助けてーーーーっっっ!!」
大河内とR☆Sオケのメンバーは、ハハハと笑って手を振っていた。
「薄情者ーーーーーーーっっ!!」
「R☆Sオーケストラは……未来に光り溢れる才能ある学生達の集まりだった。
一年限りで終わるオーケストラであることはわかっていたが……それでも、俺は、俺ができる最高の演奏をこのメンバーで作り上げ
たかった」
舞台の上の大河内はスポットライトを受けて、汗を輝かせながら一心不乱に語る。
「R☆Sオケを成功させた俺は、指揮者になる夢を叶えるため、飛行機恐怖症を克服しヨーロッパに留学することになった。
だが、どうしても気になっていた存在があった。
それが、マラドーナコンクールに出場したのだめだった」
峰が舞台の中央で手を挙げる。
ペトルーシュカ ストラヴィンスキー。
第1楽章のピアノの曲が流れ出す。
多彩な音をオーケストラのように奏でるのはRuiだ。
「あいつ……コンクールへの合宿中に熱を出して寝込んでて、この一曲は間に合わんかったから弾くなとあれほど言ったのに……」
江藤がポツリと呟く。
峰の手が止まる。
それと同時にRuiの手も止まって……しばらくの沈黙の後、紡ぎ出されたメロディは……
NHK「今日の料理」をどことなく彷彿させるアレンジした曲。
旋律が混乱して、完全にペトルーシュカから離れ、独自の作曲をしているのがわかる。
大河内はゆっくりと言った。
「のだめのコンクールの結果は……駄目だった。……いくらいい演奏をしても曲を変えて弾くことは許されない……」
とぼとぼと肩を落として歩く峰の後を、大河内が追いかける。
「のだめ……俺と一緒にヨーロッパに行かないか。ピアノを続けるなら海外に行くべきだ」
「どうしてそこまでして勉強しなきゃいけないんですか!!コンクールに出たのは……ただの金目当てだったんデス」
顔を伏せ、表情を隠したまま、悲痛に言う峰。
「そーゆーの、もうたくさんなんですよ!!」
「のだめ……」
「自由に楽しくピアノを弾いて、何が悪いんですか!!」
大河内は溜息をついた。
「わかった……もう、いい」
大河内は、くるりと峰に背中を向けるとゆっくりと歩き出した。
「コンクールのお前……すごく……いい演奏だった」
そのまま一度も振り返ることなく舞台から消える大河内。
峰は悔しさで涙を滲ませた。
「それでも……駄目だったじゃないですか……」
暗転。
カーテンが引かれ、またしてもオーケストラが現れる。
今度はSオケではなくて、R☆Sオケのメンバーだ。
初期の顔ぶれもいれば、新しい顔も見えて……現在のR☆Sオーケストラがここに集結する。
「ベートーヴェンの交響曲第7番……俺がはじめて指揮した曲……巨匠に駄目出しされた曲だ」
大河内はそう言うと指揮台にあがり、タクトを振り上げた。
「日本での……学生生活最後の曲」
ベートーヴェンの交響曲中でも最もリズミカルな作品で、最もバランス感覚に優れた作品が始まる。
明るく、軽快なリズムが会場を包む。
楽しくて楽しくて、たまらないといった音楽。
低弦のうねるような響きの中から徐々にリズムが広がっていく様子は否応がなしに興奮させられてしまう力に満ちている。
いまにも踊り出してしまいそうだ。
千秋はこの曲を聴く度に、あの日の感動を思い出す。
自分には絶対に訪れることがないだろうと思っていた未来をこの手で掴んだ、まさにその時の演奏。
日本での……学生生活最後の曲。
全てはこの曲から始まったのだ。
最後の一音まで。
全員の力をそそいで。
今できる最高の演奏を。
またこのオーケストラに戻ってこれるように。
あの時の千秋には、その曲を演奏することしか考えていなかった。
共に過ごしてきた仲間達とともに、素晴らしい演奏をすることしか頭になかった。
自分に残された最後の演奏を終わらせるに没頭していた。
あえて余計なことを考えないようにしていた。
その演奏を一番聴かせたかった人物のことが頭をよぎったのは、全てが終わった後のことだった。
自分の運命を変えてくれた人……。
自分が運命を変えなければいけない人……。
無我夢中でタクシーに乗り込んでいた。
舞台に赤いライトが付く。
どうやら夕焼けを表しているようだ。
舞台の中央には峰が立っていた。
大河内は、舞台の端から峰の後ろ姿を眺める。
「コンクールに失敗したのだめはピアノをやめて……大学からも逃げて……故郷の福岡県大川市に戻った……。
俺は……俺は……無我夢中で追いかけた」
峰はそしてゆっくりと歩きながら携帯電話を耳に当てる。
後ろにいる大河内の携帯電話の着信音が鳴る。
「のだめか?」
「のだめデス。
先輩……のだめも留学することにしました。
江藤先生が国際コンクル用に作っておいたのだめの書類を、願書にしてフランスのコンセルヴァトワールに送ってくれたんデス。
のだめも……ピアノ頑張りマス。
……いつか千秋先輩と同じ舞台で立てるように……。
千秋先輩が指揮でのだめがピアノでコンチェルトをして……いつかゴールデンペアになって、世界中で演奏を……。
楽しいことがいっぱい……」
大河内が走り出し、タックルする勢いで峰を抱きしめた。
そのままぎゅうっと腕に力を込める。
おおうっっっと会場から声が漏れる。
「そういうことは……試験に受かってから言え」
「千秋先輩……」
峰が言葉をつまらせる。
大河内は峰をしっかりと抱きしめ続けた。
その舞台を見ていたのだめは、赤く染まった頬を手で押さえた。
「ふおお……実際に他人にやられるとなかなか恥ずかしいものですネ……」
その瞬間。
がしいっっ!!。
突然のだめは、隣から肩をがしっと鷲掴みにされた。
横を振り向くと、千秋が鬼のような形相でのだめを睨んでいる。
「おい……どうして、あの時のことを峰達が知っている……?」
のだめは、たらりと冷や汗を流しながらえーと、と言った。
「えー……っと……なんかもしかしたら、話したような気がしマス……真澄ちゃんか誰かに……チャットでつい(ボソ)」
「話すんじゃねえっっ!!そういうことは!!」
「なんばしよっとかーーーーーっっ!!そげんかとこでーーーーっっ!!」
辰男が親族席から大声で叫んで、どっと笑いが巻き起こった。
そして舞台はヨーロッパに移った。
大河内が舞台の中央で語る。
「のだめとともに、フランスに留学した俺だった。
だけど、そこでも試練が待っていた。
俺は指揮者コンクールや、シュトレーゼマンについての世界一周演奏旅行で、のだめに構ってやる暇がなかった。
のだめにとっては誰1人知り合いがいない、慣れない土地。慣れないフランス語。慣れないレッスン。
……俺が演奏旅行から帰ってきた時、のだめは、すっかり自分のピアノに自信をなくしてしいた……」
がっくりと項垂れる峰。
「先輩……のだめはもう駄目デス……世界はすごく広くて……のだめは所詮井の中の蛙だったんですヨ」
「……そんなに言うなら、弾いてみろよ……俺の前で」
大河内が、無理矢理峰にピアノを弾かせようとする。
リスト「超絶技巧練習曲」が流れ出す。
弾いているのはRui。
あせってもがいて苦しんでいた、壁にぶつかって乗り越えられずにいたあの時ののだめのように、苦痛をにじませた演奏が痛々しい…
…。
その時のことを思うと、胸が痛くなる千秋だったが、ふとあることに気づく。
待てよ……もしかして、この場面って……。
千秋の背中を嫌な冷や汗が伝わり落ちた。
「もうやめろよ!!のだめ!!」
それでも止めない峰の演奏を、無理矢理止めるかのように大河内が唇をふさぐ。
峰の目が驚きで見開かれる。
うおおおおおおおおおおっっっっ!!
会場が一瞬息を呑み、次の瞬間には爆笑の渦が巻き起こった。
パチパチパチと拍手さえも起こる。
「パパ、どうしてママじゃない男の人とキスしてるの?」
さくらがきょとんとしたような表情で龍見を見上げる。
清良が劇に出ている間は、龍見がさくらを膝に抱いているのだ。
「うーん、なんていったらいいのかねえ」
龍見も、なんといって説明したらいいのかわからずにいるようだ。
「いやあ、とにかく2人で、体張って頑張って演技してるんだよ……さくら」
清良がきっとカーテンの奧で、苦々しい顔をしているだろうというのが想像できた。
その頃、メインテーブルの新郎新婦である2人は、あまりの恥ずかしさに身悶えていた。
「あうう……お願いだから勘弁してくだサイ……」
「いっそ、殺してくれた方がましだ……」
千秋は頭を掻きむしりながら、ふと不安にかられてのだめの方を向いた。
「……お前……これ以上、何もしゃべってないよな……」
「い、イイエ」
のだめは目をぷいっと逸らす。
「嘘をつけ!!ちゃんと俺の目を見ろ!!」
「あうう〜言ってません〜真澄ちゃんとのチャットで、千秋先輩のおかげでのだめは服を着る暇もないなんてそんなこと……」
「お前……」
千秋が怒りのあまり首に手をかけようとした途端、また曲が変わった。
シベリウス交響曲第2番。
シベリウスのの交響曲中、最もポピュラーな作品の印象的な歌が、カーテンの後から流れる。
演奏しているのはR☆Sオーケストラなのだろう。
「指揮者コンクールで優勝した俺は……パリでデビューコンサートを行った」
舞台中央に立つ大河内の元に、峰が走り寄った。
「……デビュー……おめでとうございマス……」
「のだめ……」
「サイン、くだサイ」
大河内は溜息をつきながらのだめの持っていた色紙にサインをした。
そして。
大河内がいきなり峰を抱きしめた。
「のだめ……」
「……先輩」
「俺は、自分の気持ちにようやく気づいたよ……」
「………」
「……俺はお前が好きだ!!。お前ほど最高の女性はいない!!。お前無しの人生なんてもう俺には考えられない!!」
「先輩……のだめもデス……」
「のだめ……愛してる……」
ここで流れるガーシュイン ラプソディ・イン・ブルー。
アメリカの作曲家ジョージ・ガーシュウィンが作曲したピアノ独奏と管弦楽のための音楽作品。
ヨーロッパのクラシック音楽とアメリカのジャズを融合させたシンフォニックジャズが賑やかに楽しげに最後を飾る。
のだめはそ〜っと逃げだそうと立ち上がろうとした。
その腕をがしっと千秋が掴む。
おそるおそる千秋の方を見ると、背後からは怒りのどす黒いオーラが立ち上っていた。
「……そんな台詞……俺は一言も言ってないぞ……」
「あ……えっと……それはその……そうだったらいいのにな〜ていうようなのだめの希望も含めて……なんて♪」
「勝手に捏造するなーーーーーーーーっっっ!!」
そして最後に漫才コンビのように舞台の中央に整列する峰と大河内。
オペラカーテンも開かれて、後に待機していたR☆Sオーケストラと、ピアニスト達、そしていつの間にか指揮をしていたらしい松田
が笑顔で立って礼をする。
峰と大河内が、最後の締めくくりの言葉を言う。
「以上で、真一くんと恵さんの馴れ初め劇を終了したいと思います」
「本日は、本当におめでとうございました」
「お二人とも、末永くお幸せに」
深々と頭を下げる漫才コンビに、会場内から爆笑と拍手の嵐が巻き起こった。
だが、そこで終わりではなかった。
ぷしゅ〜と恥ずかしさのあまり、憔悴しきって死んだようにテーブルに伏せる千秋とのだめに、舞台から峰が呼びかけた。
「えー、ここで、本日の新郎新婦でもあり、指揮者である新郎の真一くんと新婦の恵さんを交えて、曲を演奏したいと思います。
2人とも、どうぞこちらへ来て下さい」
え?……というように顔を見合わせる2人。
「2人とも早く来い!!」
マイクを持った峰と、周囲のスタッフから促されるように千秋とのだめは椅子から立ち上がり、前へと進んだ。
憮然としながらやってきた千秋に、峰が汗を浮かべて笑いながら言う。
「どうだった、今のパーフェクトな劇!!。
俺と真澄ちゃんが脚本演出担当したんだぜっ!!。
俺、すごい名演だっただろう!!。この日のために皆にもかなり練習してもらったんだ〜」
「……覚えてろよ、峰」
峰を目で殺すかのように睨み付ける千秋の肩を、大河内がポンと叩いた。
「まあ、お前の役をやるなんて、俺のプライドがゆるさなかったけど……どうしてもって峰から頼まれて、仕方なくね」
「………」
千秋には、もう言うべき言葉がみつからない。
これで当分からかうネタには困らないというようにニヤニヤと笑う松田から、無言で指揮棒を受け取った。
のだめはピアノの側にいる、ターニャ、ユンロン、フランク、Rui、リュカを真っ赤な顔で見つめる。
「もう皆、何やってるんですか〜すっごく恥ずかしかったですヨ〜」
「リュウから、ヤスを通して話が来たときはびっくりしたけど、面白そうだから引き受けちゃったのよね、みんな♪」
「いや本当に、面白かったヨ」
「のだめと千秋ってそういういきさつがあったんだ〜初めて知ったな」
「やっぱりなんていうの?運命で結ばれた2人って感じよね」
「……千秋って今も昔もひどい奴!!」
「あうう〜」
真っ赤にのぼせ上がったまま、ウェディングドレスの裾をスタッフにまとめてもらいながらピアノに座るのだめ。
その間に峰ものだめの扮装を解き、大河内も所定の位置につく。
「……それで……いったい何の曲をやるんだよ」
千秋の問いに、峰ははっきりとした言葉で言った。
「ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調」