歌う大捜査線
そ
の日、警視庁での会議室では、警察の幹部たちが静まりかえった雰囲気の中、席に着いていた。
会議室の正面には巨大なモニターがあり、
その前に警視庁刑事部捜査一課管理官である千秋真一が立っていた。
「……こちらをごらんください」
幹
部達が注目する大型モニターには警視庁のデータが表示されている。
と、画面の中央を遮るように挑発的なテロップが映し出された。
『爆
弾予告です。いたずらじゃありません。午後4時に○○区の○○公園で行います』
「……何かのいたずらじゃないの
かね」
「警視庁に犯行を匂わせるメッセージはよく書き込まれるだろう。○日に○県の小学生を殺害します…とか」
「そ
れに警察もマスコミも振り回されているが、だいたいは注目を浴びたいとかいういたずらが殆どだ」
「……これは、いたずらのレベルでは
ありません」
険しい顔でそう告げる千秋。
「徹底的にガードされている
筈の……警視庁のサーバーの中枢に直接アクセスをしてきています」
「なんだって……?」
ど
よめく警察幹部たち。
「この表示が出たのがつい先ほどです。……念のため、爆発物処理班を向かわせました
が……」
ここは○○区○○公園。
暖かい気候に誘
われてか、多くの母子がこの公園に集まっていた。
そこへ、突然現れる何台もの装甲車両。
中からどやどやと現れる
爆発物処理班達に、公園内は一時、騒然となった。
「下がって……下がってください!」
「中
央の広い場所に行ってください!」
怯えた表情を見せ母親達は自分の子供を抱き抱え、警官の誘導する方向へ向かっ
た。
そこへ、鳴り始める携帯の着信音。
1コール……2コール……3コール……。
そ
の瞬間、公園の隅にあったゴミ箱が爆発し、中に入っていたゴミが飛び散った。
驚いて悲鳴をあげる母親達と、泣き叫ぶ子供達によって公
園内はパニックに陥っていた。
爆発物処理班は注意深く燃えさかるゴミ箱に近づいていく。
「……
こちら、○○区○○公園。ゴミ箱が爆発しました。1600(イチロクゼロゼロ)時。繰り返します。こちら……」
報
告を受けた会議室は一時騒然となった。
「……なんだ?」
「どういうことだ!!」
「落
ち着いてください」
千秋が冷静なしかし固い表情のまま場を沈める。
「現
在の所、幸いにも死傷者が出なかったようです。……ただ、第二、第三の爆発予告が来る場合も……第一種テロの可能性も捨て切れません」
「……
なんてことだ」
「至急、捜査本部を設置しなければならない!」
「○○公園はどこの管轄だ?」
千
秋はふうとため息を一つつくと、こう告げた。
「………桃ヶ丘署です」
「は
うう……」
ここは桃ヶ丘署刑事課である。
強行班係巡査部長の野田恵…通称のだめは、机に顎
をのっけると憂鬱そうにため息をついた。
「事件がないデス……」
そこ
へ同じく強行班係の特別捜査員であるリュカが声をかけた。
「何いってんの!のだめ!!。今は恐喝事件や暴行事件
でみんな手一杯なんだから、シャキッとしてよっ!!」
確かにこの桃ヶ丘署ではいつも何かしら事件が起こってい
る。
片平元係長は、婦女暴行事件(実際にはただ単にカップルが痴話喧嘩でもめた末に男が一発殴っただけ)の取り調べにかかりっきりだ
し。
盗犯係のユンロンもスリグループの検挙に借り出されていた。
まだ未成年でありながらその天才的頭脳を見込ま
れて特別捜査員となっているリュカの机にも書類が山積みになっている。
「……違いマス。……そんな小さな事件
じゃないんデス」
「はあ?」
「……もっと、こう……ドッカーンと大きな事件が起こらないと桃ヶ丘署に捜査本部が
設置されまセン」
「……へ?」
「捜査本部が設置されないと……千秋管理官にも会えないんデス……」
そ
う呟くとまた一つため息をついたのだめにリュカは肩をすくめた。
そうなのだ。
こののだめという巡査部長の片思い
の相手は、なんといってもエリート中のエリート、キャリア組とよばれる警視庁刑事部捜査一課管理官である千秋真一なのだ。
リュカにし
てみればそんな雲の上のような相手を想って、のだめの仕事に対する意欲が落ちるのは面白くない。
「コラ!」
コ
ツンとカイ・ドゥーン刑事がのだめの頭をこづいた。
彼はもう定年間際のベテラン刑事だ。
「めっ
たなことを口にするもんじゃない。……捜査本部が置かれる事件といったら……殺人事件などの大きな事件なんだぞ」
「……あ」
そ
れに気づいたのだめも、神妙な顔つきになった。
「ハイ……すみまセン……」
「みなさーん、
注目してくだサーイ」
そこへシュトレーゼマン署長が突然現れてパンパンと手を叩きながら皆に注意を呼びかけた。
署
の経費で夜な夜なクラブ「One more kiss」に通うと言われているエロ署長だ。
「うちの管轄内で爆弾
事件が発生して、特別捜査本部が設置されることになりましたーっ」
「え!?」
「本店の皆さんがいらっしゃるんデ
ス。くれぐれも粗相のないように、礼儀正しく笑顔でお迎えしてくだサイ!!」
急にのだめの瞳がキラキラと輝い
た。
「ぎゃぽ!!千秋管理官に会えるんですネ!!」
全然懲りてないの
だめを見てドゥーンとリュカは大きなため息をついた。
そ
の頃、警視庁では事件の捜査本部について話し合いが行われていた。
「補佐官、捜査本部は誰が仕切るんですか?」
と
聞いたのは捜査一課長の高橋紀之だ。
彼は千秋管理官のことを尊敬し愛して愛して愛しまくっている。
……つまりは
そういう人種の人間ということだ(笑)。
ジャン・ドナデュウ補佐官は高橋に向かってこう言った。
「多
賀谷くんにやらせる」
「!!」
高橋は驚いて後ろにいた千秋の方を振り返る。
千
秋は無言のままだ。
そこへ、ヒールの音も高らかにやって来たのは……多賀谷彩子捜査一課管理官だ。
「千
秋管理官……彼女のサポートを頼みます。彼女には上も期待してますからね。……まんざら知らない仲じゃないんだしね……」
「………」
「真
一。どうかよろしくね」
にっこり微笑んで千秋に手を差し出す彩子。
だが千秋はその手を受け
ようとはしなかった。
広報の腕章をつけたビデオカメラマンがそんな2人をカメラに納めていた。
そ
の頃桃ヶ丘署では大騒ぎだった。
大会議室では署内中の電話、ファックス、パソコン、ビデオモニター、コーヒーセットなどが運び込まれ
た。
机や椅子がきちっと並べられ、捜査本部が作られていく。
婦警のマキは婦警達にてきぱき
と指示を出していた。
「机は横3列で。電話は横に2列でお願いしまーす!!」
コ
ピー機を押しながら婦警達が「1号機はいりまーす」「2号機入りまーす」と次々に入ってくる。
机に並べられるパソコン。
コー
ヒーセットが隅の方に準備される。
応接室では同じく婦警のレイナがお茶とお菓子の準備をしていた。
「捜
査会議の後、宴会になるからグラスと氷も用意してだって!」
署内にある道場には、署員によって次々に布団が運び
込まれている。
大河内刑事課課長は、手に持った紙を見ながら次々と署員達に指示していった。
「お
泊まりになる本店捜査員は80名。縦に10組、横に8組で置いてください。布団と布団の間は30センチ……」
そ
の頃、刑事課の打ち合わせ室ではシュトレーゼマン署長と松田幸久副署長が何やら深刻な顔をして話しこんでいた。
「……
だから、やはり今回の件はこの場所に拠点を置くのが重要だと思われます。それだけはいくら署長の命令でも譲ることはできません!!」
「……
松田くん……君はまだ若いデス……事の本質をわかってまセン……」
「………」
「そんな表面だけの事柄に惑わされ
ていたら目的を達することはできませんヨ……」
「……しかし、署長!!統計的にも例の場所が最適だという確固たるデータが出ておりま
す!!」
「問題は中身デス。それについては私は許可を出すことができまセン」
「………」
……
そういうとシュトレーゼマンは一枚のちらしを手に取った。
そこには「皆様のご来店をお待ちしておりま〜す♪」との露出度の高い服を着
た若い女性達の写真が載っていた。
「やはり、本店の接待の場所は、この行きつけのクラブ
『One More Kiss』にしましょう!!」
「え〜こっちのクラブ「セレナーデ」は美人でナイスバディな子が多いって人気があ
るのになあ〜」
「いや、本店のお偉いさん達はけっこう『One More Kiss』のファンが多いんですヨ〜」
………
なんの話し合いをしているのだろうか、こいつらは。
の
だめは千秋との感動の再会をわくわくしながら待っていた。
以前の事件(アパルトマン絞殺事件)以来、ずっと会っていなかったのだ。
千
秋に携帯の電話番号をちゃっかり教えてもらうには教えてもらっていたのだが……書いたメモ用紙をどこかに紛失してしまった。
あちらか
らも何も連絡もなく、かといって警視庁に私用の電話をかける訳にもいかず……のだめは一人悶々と過ごしていたのだ。
「本
庁の捜査一課の方々がお着きになりました!」
その声にがばっと顔をあげるのだめ。
ちょうど
千秋が刑事課に入って来た。
千秋の姿を確認した瞬間、のだめは歓迎の挨拶として飛びつこうと構えたが、その後ろから女性がやってくる
のに気づいた。
若くて、きりっとした顔立ちの見た目にはちょっときつめの美人といったところであろうか。
ふ
お……捜査一課の人ですかネ。
初めて見るその女性の姿を珍しく思いながら見ていると、その女性が急に顔をのだめ
に向け、視線が合った。
「真一、彼女が野田恵さんね」
「………」
の
だめは目をぱちくりとさせた。
彼女が自分のことを知っていたのにも驚いたが、それよりも何よりも……衝撃を与えたのが。
……
シンイチ?。
……今、この人、千秋管理官のことをシンイチって呼びましたよネ……。
そ
の女性はのだめの前で立ち止まるとにっこりと美しい笑顔で微笑んだ。
「はじめまして、野田恵さん。捜査一課の多
賀谷彩子といいます。今度、こちらで捜査本部を取り仕切るようになったからよろしくね。
あ、そうそう、真一がいつもお世話になって
いるみたいね。婚約者として礼を言っておくわ」
「……こ、ん、や、く、しゃ……」
のだめは
驚きを隠そうともせずに千秋の方を振り返る。
千秋は、特に否定することもなく、無表情のままでなんの感情もそこには読みとれなかっ
た。
呆然としたまま突っ立っているのだめを残したまま、彩子と千秋は連れだって刑事課を出て行った。
「……
うっうっうっ……千秋管理官に婚約者がいたなんて……」
机にうっ伏しておうおうと泣いているのだめ。
そ
の机の上には涙が水たまりのように広がっていた。
「多賀谷管理官か……」
「大河内課長知っ
てるんですか?」
と聞いたのは片平係長。
「いや、こないだ広報誌に出
てたんだよ。初の女性管理官」
「そういえば女性は初めてですよね」
「それにしても、あのムッツリ浮気男……婚約
者がいたなんて!許せないヨ!!」
ダン!!と机を叩くのは盗犯係のユンロン巡査部長。
「……
のだめに気のあるようなそぶりを見せときながら……って……あれ?。……別にのだめと千秋管理官……つき合ってる訳じゃあなかったよネ……」
「そ
うそう、のだめの勝手な早とちりだよ」
ため息をつきながら資料の本をパタンと閉じたのはリュカ。
「ま
あ、これで思い知ったでしょう。身分違いだって」
「はううっっ……」
「何、いつまでもぐだぐだ言ってるん
だ!!。捜査本部始まるぞ!!」
そういうとドゥーンは動こうともしないのだめをズルズルと引きずって大会議室へ
と急いだ。
特別捜査本部と
なった大会議室に、千秋、彩子、ジャンが入ってきた。
しん…と静まりかえった会議室で迎えるのはシュトレーゼマン署長、松田副署長、
大河内課長だ。
「……幹部の皆さんは今回多いんですネ」
「ただの爆発事件なのにね」
会
議室には、本庁の捜査員精鋭数十名が着席したまま、指示を待っていた。
所轄である桃ヶ丘署のメンバーと近隣所轄署の捜査員は、後ろの
方に座っている。
のだめも涙で真っ赤になった目で一番後ろの隅の席に座った。
ジャン補佐官が起立した。
「第
一回目の捜査会議を行う。今回の特別合同捜査本部の本部長を紹介する。多賀谷彩子管理官だ」
彩子は椅子から立ち
上がるとにっこりと不敵な笑みを浮かべた。
「多賀谷です。よろしく」
の
だめはそれをぼーっと見ながら呟いた。
「………管理官なんですネ……あの人」
片
平が隣に座っているユンロンをつついた。
「おい、見ろよ、あの広報のカメラマン達」
「彼
女、相当、注目されてますネ」
ジャンはカメラマンに向かって
「取材は
ここまでだ」
というと、報道陣達を退出させた。
「千秋管理官、会議を
進めてください」
彩子が千秋に向かって話しかけると、千秋は憮然としたままマイクに向かった。
「で
は、始めます。爆発事件があったのは、本日午後4時。現在の地点でわかっていることについて報告を」
本庁の捜査
員が報告するために立ち上がった。
正面のスクリーンには現場で燃えさかるゴミ箱や残骸の写真などが次々と映し出される。
「現
場は○○区○○公園」
「爆発物は携帯電話のアラームと連動した起爆装置であると報告を受けてます。爆弾自体はごく普通のタイプのよう
です」
「いまだに被疑者はわかっておりません」
「公園内には複数の親子連れがいたものの、幸いにも死傷者0で
す」
「犯人は警視庁のデータ中枢にアクセスして爆発予告を残しております」
「発信源をただ今調査中です」
「現
状データの条件でプロファイリングをかけた結果、第二、第三の爆弾予告をする可能性があると見ています」
「……他には?」
誰
も報告をしようとしない。
「……つまり、次の犯人との接触を待機するのみか……」
千
秋は軽くため息をついた。
「では、捜査に全力を上げてください。捜査の割り振りを決めますから全員待機」
彩
子はマイクを手に取った。
「捜査員は全員、爆発物処理班のレクチャーを受けてください。公安部は公園の付近から
不審者がいなかったかどうか聞き込みをしてください。
アクセスの発信源の解析、急いでください。プロファイリングチームは犯人像割
り出しを。
それから、後ろの所轄。聞こえてる?。
朝まで管内の警戒警備をしなさい。街に出て、ネットカフェ
利用者、携帯所持者などの不審者捜索をしてください。以上」
千秋は何かを言いかけたが…そのまま黙り込んだ。
捜
査員達はそれぞれの役割のために部屋を出て行った。
ドゥーンはため息をつきながら言った。
「所
轄は寝るなって言うことか」
「携帯所持者って……今時携帯持ってない人なんていないよネ」とユンロン。
「ああい
う言い方しなくてもいいよね」とリュカ。
「あんなに美人でもキャリアはキャリアだね〜」と席を立ちながら言うのは片平係長。
休
憩室の椅子に座りながらのだめは頭をうなだれた。
「……何もわかってないのに……誰をつかまえればいいって言う
んでしょうか……」
そこへコツコツと靴の音がした。
ふと顔を上げると、そこには千秋管理官
が目の前に立っていた。
「ち、……千秋管理官……」
「……久しぶりだな」
千
秋は自動販売機で缶コーヒーを買うとのだめの隣にすとんと座った。
とたんに緊張して身体を固くするのだめ。
「あ……
あの……」
「……すまない」
「……え?」
「所轄にああいう物言いをして……」
「あ
あ……」
今度の本部長ですか……と言いかけて、のだめは口ごもった。
「上
が彼女を抜擢した。警察官僚に男女の差がないことを広報するためにな」
「あ、……ハイ」
違
う。
聞きたいのはそういうことじゃなくて。
……彼女は本当に千秋管理
官の「コンヤクシャ」なんデスか?。
のだめが決心して、千秋に問いただそうと口を開きかけた瞬間、廊下をバタバ
タと走ってくる足音があった。
「千秋管理官!犯人と名乗る人物が接触してきました!」
やっ
てきたのは本庁の捜査員だった。
「今すぐ行く!」
「………」
千
秋は立ち上がり、大会議室の方向へと走り出した。
……のだめの方を一度も振り返ることはなかった。
続
く