『………』
『……聞いた……?』
『あまりよくは聞こえなかったけど……』
『のだめにアメリカに一緒に行って欲しいとかなんとか……』

「こらーーーっ!!」

急にすさまじい怒気を含んだ怒鳴り声がした。
冷たいドアに耳を張り付かせて集中していた、ドゥーン、リュカ、ユンロン、片平、大河内はその声でびくっと飛び上がってそのまま転倒した。
看護婦が仁王立ちで彼らの前に暗い影を落としている。
ズシン、ズシンと怪獣の足音のような音を立てて、その影が近づいてくる。

「あなた達は……何回言っても……本当に聞かないんだから……」
「いや、その」
「これには訳が」
「ありましてですね」
「問答無用ーーーーっ!!。桃ヶ丘署の方々には永遠に面会謝絶をしてもらいますーーーっ!!」

まるで角が生えた鬼のような顔で追いかけてくる看護婦に、ここが病院であることも忘れて5人は、ひいいいいーーっと叫び声を上げながら、病院の廊下を突っ走って行った。



「………」

のだめが外の騒ぎにあっけにとられて目を瞬かせていると、隣でクックと笑う声がした。
黒木は口に手をあて懸命に押さえようとしているが、笑いが止まらないようだ。

「あのー……黒木くん?」
「ああ、おかしい。やっぱりなあ。ドアの外で聞いてると思ったんだ。最高だねあの人達」
「やっぱりって……あー!!」

のだめは自分がまだ安静中であることも忘れて立ち上がり、びしっと黒木を指差した。

「黒木くん、こうなることわかってましたネ!!」

のだめが睨みつけると、黒木は悪戯っぽく微笑んだ。

「まあね」
「最初から皆がドアの外で聞いてるって確信してたんデショ!!」
「あの人達の行動パターンはわかりやすいからね」
「……もう……黒木くん、アメリカに行ってから性格変わったんじゃないデスか?なんだか意地悪くなったみたいですヨ!!」
「んーどうかな」

黒木は、まだくすくすと笑っている。
その悪びれないしれっとした顔を見て、のだめは頬をぷうっと膨らます。

「だいたい初めからおかしいと思ったんですヨ。
 昨日の返事とか、なんんとか……のだめが全然身に覚えもないことを、突然言い出して……」

何かに気づいたようにのだめの声が途中で止まる。
そっと黒木の顔を見直す。
黒木は笑っていた。
先ほどまでの悪戯っ子のような表情ではなく、優しく見守るようにのだめに微笑みかけていた。
その視線が眩しくて思わず目を逸らすのだめ。

「……突然言い出したって、何を?」

あくまでも優しく問いかけてくる黒木。
のだめは、頬を赤く染めながら小さな声でごにょごにょと呟く。

「何をって……その……。
 のだめに……一緒に、アメリカに来て欲しいとか……どうとか……」

照れ隠しのようにドン!と側にあった机を叩く。
飲みかけのお茶がこぼれそうだ。

「冗談を言うにも、ほどがありマス!!。ああっという間に桃ヶ丘署二の噂になりますよ!!」
「いや、まさにそれを狙ってたんだけどね。いや〜あの調子じゃ1時間もたたないうちに全職員に広がるだろうね、うん。」
「う〜〜〜」

のだめは、怒りと恥ずかしさで顔を真っ赤にしていた。

黒木くんってこんなに意地悪でしたかネ?。
のだめの知っている黒木くんは、いつものだめに優しくしてくれた。
壊れやすい陶器に触るように、そっとそっと、ハンカチで優しく包むように温かく見守る人だった。
本当に優しい、……優しい人だった。

それがどうだろう、この変貌振りは。

アメリカで何があったんですカ!!


「とりあえず、今すぐ、冗談を取り消してきてくだサイ!!。こんなこと千秋管理官の耳にでも入ったら……」
「入ったら?」

からかうような黒木の言葉にまたしても言葉につまるのだめ。

「えと……その……別に……千秋管理官は……困らないかもしれないけど……いや、絶対に困らないですネ。
 うん。
 あの意地が悪い顔でフンとか鼻で笑いそうだし、別に関係ないって思われるかもしれないけど……。
 だけど……その……のだめが困るんですヨ。
 冗談に振り回されるのは!!」
「……冗談じゃなかったら?」
「え?」

のだめは思わず言葉を止める。
黒木は、まだ優しくのだめを見つめているだけだ。

「冗談じゃなくて……本気で、今、そのことをここで言ったら……どうする?」
「え?……」

思いもかけない黒木の言葉に、のだめは黒木から目を逸らせなかった。
黒木はゆっくりと立ち上がると、病室のカーテンをさっと開けた。
その眩しい光が逆光になっていて、黒木の表情が見えなくなってしまった。

「……本当は、2年前に言うつもりだったんだ」

黒木はまるで独り言のように呟いた。

「でも……あの時の僕はあまりにも自分が弱くて力がなくて……何もできない自分のことをよくわかっていた。
 愛する人を一生守ってやれる自信なんてひとかけらもなかった。
 だから、何も言わずに一人でアメリカに渡ったんだ。
 ……要するに、逃げ出したんだよ。
 自分の思いに蓋をして、これが恵ちゃんのために一番いいんだって自分に言い聞かせて……結局は逃げたんだ。
 ……情けない男だよね」

そんなことないデス……とのだめは言いかけてやめた。

「でも、今は違う。
 アメリカで過酷な訓練を受けてきた。
 つらくて、苦しくて、逃げ出そうとするたびに、恵ちゃんの顔が脳裏に浮かんだ。
 日本においてきた君に何もしてあげられなかった自分、その自分にピリオドをうちたいと本気で願った。
 恵ちゃんのおかげで僕は成長できたんだ」
「………」
「だから、今なら自信を持って言える。
 野田 恵さん。
 僕と結婚してくれませんか」

のだめの胸が突然激しく動悸しはじめた。
まっすぐにのだめを見つめる黒木の目から視線を逸らせられない。
思わず周囲がぐにゃりと歪んだような気がした。

「そ……そんなこと急に言われても……」

頭の中が真っ白になって、まともな言葉が出てはこない。

「そんなこと……考えてみたこともないし……」

それは嘘だった。
本当は、そんな光景を何度も何度も夢に見た日々があった。
黒木がアメリカに行くと決まったあの日から。

黒木がいつものように病室に、すずらんの花束を持って現れる。
花を受け取りながらのだめは満開の笑顔でありがとうと言う。
黒木はそんなのだめを見ながら、何か言いたそうにしながらもなかなか言葉に出来ない。
ついに思い切ったように、恵ちゃん、僕と一緒にアメリカに行ってくれないかと言う。
のだめは一瞬驚きながらも、なんのためらいもなく幸せそうに頷く。

そんな姿を繰り返し繰り返しシュミレーションしていた、自分ひとりの勝手な妄想なはずだった。

なのに。

言葉が出ない。

頷くことも首を振ることもできない。
だんだん目の前の黒木がぼやけて滲んで見えてきた。


ポン。


のだめの頭の上にふわっと黒木の掌が乗せられた。


「ごめんね」


頭に乗せられた黒木の掌から、じわっと温かさと黒木の優しい思いが伝わってくる。

「恵ちゃんを困らせる気はないんだ」

そう言った黒木の声はいつものように優しくて、泣きたくなるほど優しくて。

のだめは黒木になんと言っていいのかわからなかった。
この優しい人の手をどうして掴めないのか、自分でも不思議だった。

2人の間で時間は静かに、でも確かに流れていた。

だからこそ……。

「……だけど、このままじゃ僕もふっきれないんだよね」

ふと黒木はのだめの頭に手を載せたまま呟いた。

「彼がここまできて何も行動できない男だったんなら……もう遠慮するつもりはないつもりはないし、そもそもそんな義理もないよね」
「へ?」
「無理やりにでもアメリカに恵ちゃんを連れて行くから」
「は……はい〜???」

そして、黒木は不敵にもにっこりと笑った。

「大丈夫、あちらでもプリごろ太は放映されてるし、コミケも頻繁に開催されてるよ。
 恵ちゃんならすぐに溶け込めるって。」
「やっぱり、黒木くん、性格が変わったデス〜〜〜!!」




彩子は、ドアの前で立ち止まっていた。
何度もノックしようとした。
だけれども、何かが彼女をためらわせた。
ふうっと短いため息をついたまま、そのまま立ち去ろうとしたその時。

ガチャリ。

ドアが開いた。
中から出てきたのは千秋だった。
ここ何日もろくに寝ていないのだろう、清潔好きな彼にしては珍しく頭はボサボサでうっすら不精ヒゲが生えている。
そのくせやつれて頬のこけた顔の眼光だけは鋭くギラギラと光っていた。

……こんな真一、見たことがない。

彩子はそう思った。

「……なんだ、……彩子か……どうした」

彩子は、つんと顔をあげた。
今、こんな状態で弱みを見せる訳にはいけない。

「あの事件の報告書を提出しないといけないのよ。
 ……まあ、私は途中で指揮を下ろされちゃった訳だけど……それでも報告は必要だし。
 書類まとめなきゃいけないしいろいろと話もあるんだけど、時間いいかしら?」
「ああ、今、ちょうどコーヒーでも飲もうと思っていたところだ」

二人は警察署内にある自販機の前に来た。
千秋がお金を入れて、自分のための無糖ブラックコーヒーのボタンを押すと、ガランガランと音をたてて缶が出てきた。
そして彩子のためにお金を入れようとする。
その手が止められた。

「いい、自分で出すから」
「……別にこのくらい……」
「真一にこれ以上、借りを作るつもりはないの。」

きっぱりと言い張る彩子の姿に、千秋は何も言えなかった。
そのまま、そこにあった椅子に向かい合って座り、お互いに無言でコーヒーをすする。
彩子がポツリと切り出した。

「……記者会見……ありがとう」
「………」
「……一歩間違えれば大惨事になっていた事件の被疑者は依然逃走中……警察のずさんな対応が非難をあびて、記者会見で真一が激しく叩かれたって聞いたわ。
 何も釈明せずに……私の代わりになって……」
「別にお前のせいじゃない。被疑者を確保できなかったことは事実だしそれに対して反論する余地はない」
「出世コース……外れちゃったわ」
「いいさ、今更どうなろうと……もうどうでもよくなってきたし」

そう言って熱いコーヒーを飲む千秋は微笑んでいた。
以前の人を寄せ付けもしなかった刺々しさが無くなり、オーラが柔らかくなっていた。
今まで彼を追い詰めていたもの全てから解放され、清々しささえ感じられる。

それを見た彩子の中で何かがキレた。

「あーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」

突然、その場で立ち上がって叫んだ彩子に、千秋は唖然として思わず手の中のコーヒーを落としそうになった。

もう、何、この男、信じられないとぶつぶつと呟いている。

「お、おい彩子、どうしたんだ」
「どうしたも何もないわよ!!まったく!!」
「へ?」
「あなたは私が幼いころから描いてきた生活設計を無茶苦茶にしたのよ!!」
「せ、生活設計って……」
「真一はよく馬鹿な女が嫌いだって言ってたじゃない。
 だから、負けないように賢くなるために、足を引っ張らないように、一生懸命に勉強してきたのよ!!。
  私は勉強が嫌いだったけど、真一がそう言うから、真一に認めてもらうために必死で頑張ってきたのに……。
 いつも一緒にいたいから、そばでずっと支え続けてあげられるような奥さんになりたかったから……。
  ようやく東大卒業して警察庁の出世コースにのってある程度キャリアを積んだところで、私の予定ではそろそろ盛大に式をあげて名実ともに真一の奥さんになる筈だったわ」
「おい……」
「子供は2人産む予定だったの、男の子と女の子。産み分けの方法だって熱心に勉強したわ。男の子を生むには、えーとね」
「な、なんの話をしてるんだよ」
「……それはともかく、もちろん結婚とか出産なんかで退職したりなんかしないわ。
 出世コースから外されるなんてそんなもったいないことしない。
 ベビーシッターに預けながら仕事をバリバリこなして、家の中では良き妻、良き母になれる自信もあったのに」

唖然と立ちすくむ千秋の前で彩子は呟き続ける。

「今回の指揮官を引き受けたのだって、結婚したら最初が肝心っていうでしょう。
 家事とか育児とかを分担するためにも、女性が家庭の舵を握っていた方がいいから、ここら辺で真一よりバシッと決めて有能なところをアピールしようと思ってたのに……
 あーーっ!!もう台無し!!」
「彩子……お前」

皆が血だらけ汗だらけになって捜査をしている時に、そんなこと考えて陣頭指揮をとっていたのか……と言い掛けて千秋は辞めた。
少なくとも、俺に彩子を責める権利はない。
全ての責任は自分にあると思った。
野心は持ちつつも、何もかも流されるままに何事にも抗おうとしないで、ここまでやってきた自分のことを思った。
彩子に期待を持たせ、苦しめ続けたのは自分だ。

そんな千秋の気持ちを見透かしたように、彩子はギッと睨み付けた。

「悪い!?私が全部、悪かったっていうの!?そうならそうで責めればいいじゃない!!」
「………」
「……私が悪かったの?」
「………」
「……私がちょっとだけ悪かったのかな?」
「………」
「……もしかして……私が全部悪かったのかもね……」

言葉を発するたびに、だんだん肩を落とし崩れ落ちるようにその場に座り込む彩子。
最後の方は聞き取れないくらい小さなか細い声で。

「あーあ、私、ばっかみたい」

自分で自分を笑うように膝の間に顔を埋める彩子の側に、千秋も座る。

「……本当はね、気づいてたんだけどね。
 真一はおじいさんの遺言だから私と婚約してくれてるって。
 本気じゃないから、相手なんて誰だっていいんだって。
 別に私が必死で勉強しなくても、警察官僚にならなくてもそんなことどうだっていいって。
 ……わかってたんだけどね」
「………」
「わかってたけど……それでもやらずにはいられなかったの。特にあの子の前では」

千秋は彩子の頭を抱き寄せた。

「……彩子が悪いんじゃない。
 ……お前をそこまで追い詰めたのは俺だ。
 いつでも自分のことしか考えてなくて、お前の不器用な優しさに気づかなかった……いや、気づかないふりをしていた。
 俺が馬鹿だったんだ。
 そのことにようやく気づいた。
 ……今更言っても遅いかもしれないけど……今まで苦しめたこと、ごめん」
「……別に、謝ってほしい訳じゃないわ」
「……でも……ごめん」

ふいに振り返ると彩子は、千秋を覗き込むようにして言った。

「ねえ、あの子のこと好き?」
「へ?」
「のだめって言ってたわね。ちょっと変わった子」

千秋はしばし考えた後、きっぱりと言った。

「好きだ」

彩子が寂しそうに微笑む。

「どんなところが?」
「え?」
「可愛いところとか……一緒にいて心がほっとするとか」
「そんなことあるか!」
「……え?」
「あいつといると、始終トラブルに巻き込まれてばっかりだ!!。
 今回だってそうだし、この前だってそうだ。
 事件に巻き込まれるわ、厄介ごとは押し付けられるわ、心が休まるなんてことなんてある訳がない!!」
「……えーと、真一?」
「おまけに、オタクで変態で、大喰らいで人にたかってばかりいるし!!」
「………」
「おまけに部屋の片付けは全然しないからゴミ部屋になってるし、風呂だって入らないから妙な匂いはするし、変な趣味の本ばっかり持ってるし!!」
「……まったく、そんなにのろけなくってもいいじゃない」
「どこがのろけてるんだ!!」

彩子はくすっと笑うと、自分の頭に乗せられていた千秋の手を振り払うように立ち上がった。

「さ、そろそろ仕事しないと」
「………」
「今までここまで私を引っ張ってきてくれてありがとう。
 でも、これからは自分の力で歩くわ。
 残りの仕事は引き継ぐ。
 あれは、私の仕事だから。
 自ら陣頭指揮をとりながら……怪我人を出し……少なくとも、彼女が重症を負ったのは、私の判断ミスだから……その責任は私にある。
 犯人はいまだ逃走中、手がかりも掴めてないし、振り回され続けた警察へ世間の目は厳しいわ。
 ……でも、途中で逃げ出さないでちゃんと最後までやらなきゃね」
 
彩子は、両手をぐっと握り締め、まっすぐに正面を見据えて言った。

綺麗だな。

彩子はこんなに綺麗な芯のある強い女性だったんだ。

千秋は思った。
過去ばかりとらわれて現実に背をむけていた……情けないのは……俺だ。



その時。



バタバタバタと何人かが走ってくる音がする。
どこかで注意を受けたようだが、「ごめんなさ〜い、緊急事態なんで」というとぼけた声がする。
あの声はどこかで聞いたような……。

「あ、千秋みっけ!!」

はあはあと息を切らせながら千秋を指差したのはユンロンだった。
その後からドゥーン、リュカ、片平、大河内がついてくる。
他のメンバーよりはほんの少しだけ常識をもっている大河内と片平がユンロンを諌める。

「おい、管理官に向かって呼び捨てはないだろう呼び捨ては」
「そうそう、ちゃんと千秋管理官とお呼びしないと」

ふんっとリュカが鼻で笑う。

「こんな奴、呼び捨てで十分だよ。
 お前がこんなところで婚約者とやらといちゃついてるから、黒木って男がのだめをさらって行っちゃうんだ」
「え?……黒木警視」

意外な場所で意外な名前を出されて面食らう千秋。
リュカは、怒りと先ほどまでのマラソンで顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。

「ああ、もうじれったい。
 お前がのだめのところに御見舞いに行ってない間、あいつは毎日来てたんだよ。
 そして、たった今、のだめに一緒にアメリカについてくるように言ってるのを、この耳で聞いたんだ!!」
「ドア越しだけどね」
「それって……立ち聞きなんじゃないのか」
「そんなことどうだっていいだろう!!。
 お前、のだめがアメリカに行っちゃってもいいのか!?。
 のだめは、お前のことが好きなのに!!……ずっとずっと好きなのに!!」
「え……」

激昂しているリュカの目は今にも泣き出しそうで……呆然と立ち尽くす千秋の肩をドゥーンがそっと叩いた。

「千秋管理官。
 ……ワタシはあなたという男は普通の官僚達と違うと思っていた。
 高い地位にありながら、目線はいつもワタシ達と同じ方向を向いていて……真の正義というものを追求し続ける貴方はいつでも尊敬に値する
 ……だが、目の前で鳶にアブラゲをさらわれるような男であるとするならば、ワタシもリュカと同じく貴方を馬鹿と呼ばざるを得ない」
「ドゥーンさん、いいんですか、そんなこと言っちゃって」
「後で署長から叱られますよ」
「ヤカマシイ!!少し黙ってロ!!」

大河内と片平を睨み付けたその眼差しを、ドゥーンは千秋に向けた。
しっかりと千秋を見据えるその瞳は、千秋の中の一部分を激しく揺さぶった。

「何してんのよ」

ふいに後ろから声が聞こえた。
彩子がつんと鼻を上げながら千秋に言い放つ。

「悪いけど、出世街道を外れた男に興味はないの。
 さっさと病院に向かったら?」
「彩子……」
「残りの仕事は私がやるって言ったでしょう」

千秋は彩子を見た。
そして、ドゥーン、リュカ、ユンロン、片平、大河内の顔をぐるっと見渡した。
深々と頭を下げた。

「すみません、後をよろしくお願いいたします!!」

そして千秋はくるっと背を向けると廊下を走り出した。





続く。