「2人が時間内に着いたら起爆装置の解体コードの色を教えてくれる約束だったよね」

黒木が用心深くゆっくりと言う。

『うん、そうだったんだけど、ここでクイズを出しますね』
「クイズ?」
『ある人が旅行をしていたら、7人の奥さんがいる男性に会いました。奥さんはそれぞれ袋を7つ持ってました。7つの袋にはそれぞれ7匹の猫が入ってました。7匹の猫には7匹の仔猫がいました。仔猫…親猫…袋…奥さんです。旅行していた数は?』
「ちょっと待って。聞き取れなかったからもう一度言ってくれる?」
『駄目です。10秒後にまた電話しますからその時に答えを言ってくださいね』

そこで電話が切れた。

リュカが手元のパソコンでキーボードを打ち素早く計算した。

「7人の奥さんに、7つの袋に、7匹の親猫に、7匹の仔猫……7×7×7×7で……2401です」
「待て!」

千秋がインカムのマイクに向かって叫んだ。

「それはひっかけだ!。その人物は7人の奥さんがいる男に会った…というだけだ!!」
「……どういうことデスか?」

のだめは不思議そうな顔をして千秋を見上げた。

「旅行していたのはただ一人……その人物だけだ」

会議室の電話が鳴り、黒木は受話器を手に取った。

『黒木さん。答えは?』
「……答えは1……そうだよね?」

受話器の向こう側から機械的な声がハハハと笑った。

『さすがにこんな簡単なひっかけにはかかりませんね』
「なぞなぞをするなんてのは、ルール違反じゃないかな。さっきの約束とは違うと思うけど」
『勘違いしないでくださいね。あなた達は私の手の中で踊らされているんですよ。……まあ、いいでしょう。正解したからには答えを教えます。その起爆装置の解体コードの色は……』

のだめはごくりと唾を飲んだ。

『赤です』
「千秋管理官、赤だ!」
「こちらにも聞こえている!すぐに解体処理にかかる」

千秋は起爆装置のパネルを開けると赤いコードを手に取った。
タイマーは10秒を切っている。
千秋は大きく呼吸をすると、赤いコードを今度は迷いもなくニッパーで断ち切った。
タイマーの数字が3で止まる。
またしてもぎりぎりのところだった。

「解体……終了」

会議室にいた全員が千秋の言葉を聞いて、ほっと肩の力を抜く。
彩子はぐっと唇を噛みしめた。

「こんな状態がいつまで続くっていうの……。まるで子供の遊びじゃないの!!。犯人の割り出しはどうなってるのよ!?」
「千秋管理官の担当した過去のデータを検索しましたが、現時点で該当者いません。引き続き作業続行します」

黒木は、電話に向き直ると受話器に全神経を集中させた。

「メリーさん、2人は解体に成功したよ」
『そうみたいですね。おめでとう』

相変わらず、感情の感じられない無機質な声だった。

「ねえ。2人は君の言われた場所に行って爆弾を解体した。そしてなぞなぞにも答えた。ここで一つルールを決めないかい」
『ルール?』
「一つ解体に成功したら僕の質問に一つ答えてくれる?」
『答えられることなら』
「君は今、どこにいるの?」
『その質問にはNOです』
「じゃあ、質問を変えるね。君は千秋管理官をひどく憎んでいる。街中を走り回らせてくたくたにしたいほど」
『………』
「どうしてかな。何か理由があるの?」
『……彼には直接関係がありません。どちらかというと彼に関係するある人物に対して恨みを持っています』
「彼のお父様の千秋雅之氏のことね!?」

黒木の静止も間に合わず彩子が割って入ってきた。

『……一つ答えました。後でまた電話します』

そこで通話が途切れた。ツーツーツーという音だけがむなしく響く。
黒木はため息をついて彩子に向かった。

「多賀谷管理官……途中で割り込むのはやめていただけませんか」
「何よ!。私が悪いって言うの!!」

キッと睨み付ける彩子との間にジャンが割って入った。

「まあまあ、そんなにキリキリしないで……でも、かなりのことがわかりましたね。犯人の怨恨の対象はどうやら千秋管理官本人ではないらしい。。
 千秋管理官、聞いているかい」
「……ああ」

千秋は答えた。

「君の父親である千秋雅之氏の事件に検索の対象を移すよ。いいね」
「……わかった」







千秋は沈痛な面持ちになると、その場に座り込んだ。
のだめはそんな千秋を心配そうな顔で見つめる。

「管理官……大丈夫デスか?」
「……ああ……そうだな……そこの自動販売機でコーヒーを買ってきてくれないか」
「わかりました……ぎゃぼん!!」
「どうした?」
「すみません……その……のだめ、今、お金を持ってなくて」

千秋はふーっとため息をつきながら財布をのだめに投げた。

「これを使え」
「すみまセン……」

ムキャー、のだめのお財布よりお札がたくさん入ってる!!と相変わらず奇声を上げながら自動販売機に駆け寄るのだめを、千秋は少しだけ和んだ目つきで見遣った。
自動販売機でどれにしようかと悩んでるのだめ。

「管理官〜、コーヒーはブラックがいいデスか?、カフェオレがいいデスか・」
「ブラック」
「了解デス!!」

コーヒーの缶を2本買い、満面の笑みで走ってくるのだめ。
何かにつまづいてこける。
あっと千秋が手を出しそうになるも、のだめはすぐに立ち上がってすりむいたのを気にもせず立ち上がった。
少し涙目になっている。
だけど、それでも嬉しそうに楽しそうに駆け寄ってくる。
まるで子犬のようだ。
そのままこちらにやってくる。


……この気持ちは何だ。


のだめという人間を可愛いと思う、いとおしいと思う、この気持ちは……。


「ハイ、管理官」

のだめがブラックコーヒーを千秋に手渡した。
千秋はふと我に帰るような気持ちでそれを受け取る。

「あ……ああ、ありがとう」


2人で並んで座りコーヒーを飲む。
千秋はのだめが、もぞもぞと何か言いたげにもどかしそうに動いているのに気づいた。

「あの……」

のだめが思い切ったように口を開いた。

「なんだ?」
「今、マイクのスイッチって入ってますか?」
「いや?今はオフにしているが……どうかしたか?」

……のだめはずっとずっと疑問に思っていたことを口にした。

「管理官……一つ聞いてもいいデスか……?」
「……なんだ」
「あの……その……多賀谷管理官って……」
「………」
「……本当に、千秋管理官の婚約者なんデスか……?」

のだめはそう言い切ると、ふうとため息をつき、肩の力を抜いた。
どうやらよほど勇気のいる質問だったらしい。
千秋は何かを言いかけて…止めた。
そしてこう言った。

「……そうだ」

「………」

「俺のじいさんが、昔、警視総監だった頃に副総監を務めたのが多賀谷のじいさんだ」
「………」
「2人はたいそううまがあったらしい……よく、昔話を聞かされた……」
「………」
「そんなところにきて、お互い、同じ年頃の孫が生まれた。ちょうど男の子と女の子だった。何かの話のおりに冗談半分に2人を結婚させようということになった」
「………」

小さい頃のイメージが浮かんだ。
お互いの祖父に手を引かれた幼い千秋と彩子がいる。
祖父が優しい顔でこう言った。

『真一。大きくなったら彩子ちゃんをお嫁さんにもらうか?』

「小さかった俺は、じいさんが大好きだったから……それでいいと答えた」
「………」
「……成長してからも、別に、結婚する相手なんて誰でも同じだと思ってたし……適当に釣り合いが取れて、俺の出世の邪魔をしない女性なら別に誰だって……良かった」
「………」
「彩子のことは昔から知っていて、幼馴染みみたいなものだし……あいつも、俺も同じ道に進んで……そのまま結婚することになるんならそれならそれでもいいかって……そう思ってた」
「………」
「だけど……」
「………」
「だけど、今は………」
「………」
「そういえば、お前」
「え?」

千秋はいきなり顔をのだめの方に向けた。
のだめは目をぱちぱちと瞬きさせながらきょとんとした顔で千秋を見つめる。

「……その……お前、黒木警視となんだか……その……知り合い……みたいだな」
「あ……」
「別に、お前の過去を詮索するつもりはない……けど」
「………」
「……少し……その……気になるのは確かだ……」
「………」

のだめは、しばらく迷うように目を彷徨わせた。
……そして、決心したように口を開く。

「実はー」

突然インカムの無線から声が流れた。

「犯人、再接触してきました!!」




全員の間にまた緊張が走った。
黒木は落ち着いた表情で受話器を耳に当てる。

「やあ、メリーさん、こんにちは」
『次の指令を出しますね。今度は○○地区にあるアニメショップ「Prilin」に爆弾を仕掛けています。あの2人に解体に向かわせてください。15分後に爆発します』
「○○地区……ちょっと待って。それは遠すぎるよ。15分ではとても着かない!」
『警察車両は使わないでください。もちろん別の警察関係者が店に入ったらすぐに爆発させます。では15分後に』

ツーツーツー。
電話が途切れた。

「くそ!!」

ジャンは机をダンっと叩いた。

「あの地区へは、普通に行っても30分かかるんだぞ。犯人像……まだ出ないのか!!逆探、どうなってる!!」
「範囲が広すぎるよね……」

リュカが呟いた。

「単独の犯行ではありえないかも……。ひょっとすると犯人が指示を出している間に、他の人間が現地を見張って報告をしてる可能性も捨てきれないよ」

そして彼自身は椅子にふんぞり返って座っているのかもしれない。
彼自身は盗難品の携帯を次々と使い、監視カメラを見ながらショーを楽しんでいるのだ。
2人を爆弾の近くまでおびき寄せて解体させ、彼らの肉体と精神力が限界ギリギリの所まで追いつめられて苦しんでいるのをほくそ笑みながら見ているのだろうか。

「クリーニング完了しました!。男です!。情報流します」

オペレーターがジャンに報告するとリュカが無線に向かった。

「全捜査員へ。最新のプロファイリング。マルタイの性別は男性、20代と思われます。社会との接触が極端に少なく、自己顕示とのギャップによる強いストレスを抱え、過度の破壊衝動あり。
 集団テロの可能性もあり。現場周辺の不審者を当たってください。以上!」
「犯人の肉声と千秋雅之氏の関係者の過去の声紋データベース、照合して!」

彩子が叫んだ。

「現時点で該当者いません。引き続き作業続行します」
「待って。警察の全データに検索の範囲を広げた方がいいな」

黒木が指示を出した。

「一回くらいいたずら電話かなんかしてきてるかもしれないから、全力で頼むよ。……千秋管理官!」
「ああ、今、指定場所へ向かってるよ!」

のだめはちょうど目の前を通りかかったタクシーの前に飛び出して静止した。そして警察手帳を見せながら捜査の協力を依頼している。
運転手は不審そうな顔をしながらも渋々タクシーを明け渡した。

「千秋管理官、この車、貸してくれるそうデス!。乗って下サイ!!」

千秋が助手席に乗り込むと同時に運転席に座ったのだめはアクセルを踏んだ。

「全速力で突っ走りマス!!」





がくん。

急発進の強い力で千秋は助手席のシートに体を押しつけられた。
ギュルルル……。エンジンが嫌な音を立てながら車がすごいスピードで交差点を横切った。
もちろん信号無視だ。

「おい……」

千秋が見かねて声をかけるとのだめが叫んだ。

「しゃべると舌を噛みますヨ!!」
「方向が違うぞ。○○地区に向かうには右の通りから旋回するのが一番早い……」
「間違ってまセン」

のだめはそう言うと、ぺろっと唇をなめてアクセルを踏む足に更に力を込めた。

「近道デス」

目の前の交差点では渋滞で二台のトラックが数珠つなぎにど真ん中で立ち往生していた。

「ぶつかるぞ!!」

千秋が叫ぶのも無視して、のだめはハンドルを真っ直ぐに向けたままアクセルを踏み込んだ。
ほんの少しだけが空いた二台のトラックの隙間を車が突っ切った時、金属がこすれ合うものすごい音とともに火花が散った。
のだめが向かっている先はどうやら公園のようだった。

「おい……」

のだめの意図を察した千秋は顔を青ざめた。

「公園を抜けマス!!」

車は進入禁止の札を踏み敷いて、縁石を乗り越え芝生に突っ込んだ。
目の前を歩いているカップルが自分達のすぐ側をすり抜ける暴走する車に目を丸くしている。
千秋の顔は引きつっていた。

「お前……もし、誰か人でも引いたら……」

大問題だぞ……と言いかけた途端、がたんと車体が跳ねる。
のだめが花壇に乗り上げて横切ったのだ。綺麗な花が無惨にタイヤで踏みつぶされる。
夜ということもあり人通りが少ないことが唯一の救いだった。
ベンチに横たわっていたほろ酔い加減のサラリーマンがひいいっと声をあげながら、逃げ出して茂みに飛び込んだ。

「管理官……公園を抜けますヨ……しっかりつかまっていて」
「おまっ……そこ段が……っ!!」

車の進む先は、公園の周りを囲んでいる石壁によって道路との間には落差が出来ていた。
しかしのだめは躊躇することなく、いやよりいっそうアクセルを踏む足に力をいれた。
車が宙に飛び出した。

「うわああああああっっっ!!」

千秋は思わず悲鳴を上げた。
車は大きく壁からジャンプすると一度大きくバウンドしてから、道路に着地した。
車体がひっくり返らなかったのが奇跡だ……。

「ね、近道だったでしょう♪」

当の運転手であるのだめは全く気にもとめない様子で、どことなく鼻歌まじりだ。
千秋は疲れ切った様子でずるずると背中からシートにもたれかかった。





続く。