「いらっしゃいませ……あれ?のだめ?」
アニメショップ「Prilin」のカウンターから出迎えたのは、ここの従業員であるフランクだった。
のだめはここの店の常連なのだ。
「警察だ」
「フランク、ちょっと捜し物デス」
突然入ってきたのだめと……ええと、もう一人のイケメンは確か警視庁のお偉いさんじゃなかったっけ……とフランクがそんなことをぼんやりと思っていたら、2人はドサドサと店の中を引き探し始めた。
棚に並べられていたフィギアを払い落とし、同人誌をばさばさと床に落としていく。
ぬいぐるみは片っ端からひっくり返して引っ張ったり押したりしている。
2人とも真剣な表情で店内の破壊活動をしており、まったくもって容赦というものがない。
「ちょっと、ちょっと……2人とも何やってるの!お店がメチャメチャになっちゃうよ!!」
フランクが悲鳴を上げた瞬間。
「あ!!」
のだめが叫んだ。千秋はのだめの側に駆け寄った。
のだめは一つのぬいぐるみを抱えたまま真剣な表情で動かずにいる。
「どうした!!見つかったのか!?」
「……これ……これ……このごろ太のぬいぐるみ」
「起爆装置か!!」
「これは……これは……」
千秋がごくっと唾を飲む。
「……のだめがずっと欲しかった奴デス!!」
ばっしいいいいいいんっっっ!!。
千秋はのだめの頭を思いっきり叩いた。
「そんなもの探してる場合じゃねえっっ!!」
「あうう……痛いデス……これ、経費で落ちませんかネ〜」
「落ちるか!!」
管理官は冷たいデス、鬼デス悪魔デスなどと不謹慎なことをぶつぶつ呟きながら、名残惜しそうに手に持ったぬいぐるみの感触を確かめているのだめだったが……。
「管理官……これ!!」
「………」
千秋は無言のままのだめの手からぬいぐるみを受け取ると、手にした小型ナイフで一気にぬいぐるみを引き裂いた。
中から現れて来たのは……起爆装置!。
「千秋だ。起爆装置を発見した。……爆発まであと5分弱」
千秋の報告にどよめき立つ捜査本部。
それを待っていたかのように、捜査本部に鳴り響く電話。
千秋はその音をインカムで聞きながら、言いようもない違和感に襲われていた。
なんだ……何かを見落としている気がする……。
……すごく……すごく、重要なことな筈なのに……。
その思考は黒木が受話器を取ることで中断された。
『黒木さん?2人は起爆装置を見つけたようですね』
「うん、だから約束通り解体コードを教えてくれるかな」
『その前に問題ですよ』
「ちくしょう!!」
千秋は拳を壁に叩きつけた。
「こんなことやってる場合じゃないっていうのに……」
『その店の片隅に目盛りのない5リットル入りの容器1つと3リットル入りの容器1つがありますよね』
千秋は店内をぐるりと見回した。
するとトイレのドアの前に、透明な容器が二つ置いてある。
「これか!!」
「あれ……こんなものうちに置いてあったっけ」
フランクが首を傾げる。
『その容器2つのみを使って、4リットルの水を量って起爆装置の近くにある秤の上に置いてください。ちょうどぴったり4リットルだったら解体コードの色を教えますよ。
ああ、それからその問題はその2人だけにやらせてください。他の方がアドバイスしようとしたらただちに爆発させますよ』
千秋は起爆装置と、その近くに置いてある秤を見つめた。
タイマーは5分を切っている。
「えと……えと……」
のだめはトイレに入るとホースを持って3リットルの容器に水を入れ始めた。
それが一杯になると5リットルの容器に移し替える。
「これで3リットルの水がここにある訳ですよネ」
「ああ、そうだ。それで?」
「後はこの3リットルの容器の1/3だけ水を入れればあと1リットルになりますヨ。そしてそれを足せば4リットルデス!!」
「あのなあ……」
千秋は頭を抱えた。
「そんな目分量じゃ駄目だ。ちょうど4リットルでなきゃならないんだろ!」
「はうう……」
「正確にやらなければ意味がないんだ」
「……のだめ、数学、苦手なんデス……」
リュカの天才的頭脳は瞬時に答えを導き出していた。
「黒木警視!。答えは……」
「駄目だ!!」
黒木はぴしゃりと言う。
「あの2人以外の人間が答えを導いたらただちに爆発させると言っている……。こちらの無線は傍受されている可能性がある」
「でも!!」
「大丈夫……2人に任せるんだ……」
落ち着け……千秋は自分にそう言い聞かせると大きく深呼吸した。そして頭をまっさらにして集中する。
「あうう……フランク、どこかに1リットル入りのペットボトルないデスかね」
「この2つの容器しか使ったら駄目だっていっただろう、お前聞いてなかったのか!」
「ええと、ええと……じゃあ、今度はこの5リットルの容器を一杯にして……3リットルの容器に移しマス。そうするとこの容器の中には2リットル残りますよネ」
「ああ」
「じゃあ、あと3リットルの容器の2/3だけ水を入れて……」
「だから目分量じゃ駄目だって言ってるだろう!!」
「ぎゃぼん……」
後2分だ。千秋は額に嫌な脂汗が浮かんでくるのを感じた。
「じゃあ、もう一回やり直して……」
「待て」
水を捨てようとしたのだめを千秋が静止した。
「その2リットルの水を3リットルの容器に移すんだ」
「は、ハイ」
「そうしてもう一度5リットルの容器を水で一杯にする。そしてこの2リットルの水が入っている3リットルの容器が一杯になるまで水を移したら……」
「そうか!1リットルの水がなくなって、5リットルの容器には4リットルの水しか残りませんネ!!」
のだめは5リットルの容器から3リットルの容器に水を移し始めた。
「こぼすなよ……絶対にこぼすなよ」
のだめは慎重に水を移し替えた。
残った水の入った容器を千秋は受け取ると、すぐに秤の上に置いた。
秤の目盛りはちょうどぴったり4キロを指した。
「やった!!」
「やりましたネ、管理官!!」
2人は手を取り合って喜んだ。
思わず笑顔を見せた千秋だったが、はっと気づくとのだめと繋いでいた手をぱっと離して顔を背ける。
そして気恥ずかしさを隠すかのようにフランクに向かって強い口調で言う。
「この店内の防犯ビデオカメラをチェックさせてくれ」
「あ……はい、わかりました……」
「怪しい客は来なかったか……例えばサングラスや帽子で素顔を隠したり、こそこそ人目を避けるような仕草をしたりとか、不自然な様子だったりした客は」
「いや、ここに来る客は、そんなんばっかりだし」
訳がわからないフランクはぽかんとした表情で答える。
そんな千秋とフランクの会話をのだめは寂しそうに見つめていた。
『どうやら時間内に答えを導き出したようですね』
「ああ、だからコードの色を教えてくれないか」
『いいでしょう……ルールですからね。コードの色は茶色です』
「茶色です!千秋管理官!!」
千秋は言われるまでもなく、起爆装置のパネルを開くと茶色のコードを掴み迷いもなく断ち切った。
タイマーが残り7秒でストップする。
ふう……と大きくため息をついた。
キリキリと心臓の辺りが締め付けられる。
今日は、これまでに何度、こんなふうに生死の境目まで追いつめられたことだろう。
のだめではないが、事件解決後には長期休暇が取れるだろうかなどという考えが頭をよぎるも。
……本当に、この事件は解決できるのだろうか……。
「……無事解体した」
捜査本部にも安堵の息がこぼれる。
黒木は受話器に向き直った。
「メリーさん、起爆装置は無事に解体したよ。だから約束どおり、また何か一つヒントをくれないかな」
『そうですね……じゃあ』
受話器の向こう側の声は新たなヒントを告げた。
『2年前です』
「2年前……」
黒木は押し黙った。彼が日本を発ったのもちょうど2年前であった……。
「2年前の事件を全てリンクさせて!」
オペレーターチームが一斉にパソコンにキーワードを入力した。
『じゃあ、新たな指令を出しますね』
「ちょっと待ってくれる?2人は限界ぎりぎりまで疲れているんだ。少し休ませる余裕をくれない?」
『大丈夫です。今度はそこからすぐ近くですよ。○○シンフォニーホールへ向かってください』
「○○シンフォニーホールって……」
黒木が言葉に詰まる。
『今度の場所は広いですからね。時間は30分あげます。ゆっくり2人で考えながら起爆装置を探してください。念のため繰り返しますが、2人以外の誰も捜索することを禁じます。
……ちょうど、今、コンサート中ですから人は多いですが、避難させようとしてもすぐに爆発させます。じゃあ、後で』
プツっと電話が切れた。
黒木は呆然としたように受話器を手から落としたまま呟いていた。
「2年前……○○シンフォニーホール……」
その頃千秋もインカムから流れてくる犯人の要求を聞いていた。
「今度は厄介だな……○○シンフォニーホールでは、確か今日、新東響フィルがクラシックコンサートをしている筈だ。あそこは5000席があり満席状態だ。
もしコンサートホールを爆発されたら……大変な惨事になるぞ……」
千秋はぐっと拳を握りしめるとのだめの方を振り返った。
「行くぞ!のだめ。時間がない!!。……のだめ?」
そこで千秋は初めてのだめの異変に気が付いた。
のだめは色素が薄い白い肌から更に血の気が引いたような顔をしていた。そして床に座り込んだまま目線が彷徨いどこか遠くを見ている。
よく見ると、体中がぶるぶると小刻みに震えていた。
「のだめ……どうした、のだめ!!」
千秋がのだめの肩に手をかけて揺さぶっても何の反応もない。
「のだめ!!」
千秋が強い声をあげると、のだめの体がびくっと震えた。
そして、目の焦点がだんだん合ってきて……顔を千秋の方にゆっくりと向けるとおびえた表情を見せる。
「どうしたんだ、のだめ」
「……○○シンフォニーホールって……いいましたよネ……」
「そうだが……それがどうしたんだ?」
「……○○シンフォニーホールは……2年前……のだめがコンサート終了後に刺された場所デス……」
千秋は言葉を失った。
そして頭の中で今までもやもやしていた霧のようなものが一気に晴れるような感覚を覚えていた。
桃ヶ丘署管轄の公園……のだめの行きつけの中華料理店……のだめが毎日乗り降りする地下鉄の駅……そして、のだめがこよなく愛するアニメショップのごろ太の人形……。
……途切れていた回線が一気につながったようだった。
千秋はインカムのマイクに向かって叫んだ。
「捜査本部!!。狙いは俺じゃない!!野田巡査部長だ!!」
続く。