その頃捜査本部は、突然の銃声と千秋の叫び声に、けっしてあってはならなかったもっとも最悪な事態と判断された。
捜査員一同が一瞬息を詰めて驚愕し、その後どっとどよめいた。
会議室は不安や様々な思いで騒然とし、そして新たな情報が混乱して行き交い収拾のつかない状態となってしまった。

「のだめは!?」

リュカが顔の色を失い、ごくりと息を飲み込みながら言う。
まるで誰かに否定してもらいたいみたいだ。
しかし集まった桃ヶ丘署のメンバー、ドゥーン、片平、ユンロン、シュトレーゼマン、松田、大河内の顔も強ばっている。
誰も何も言葉を発しない。
その中で一人彩子はいらいらと机をペンで叩きながら指示を出していた。

「全く……何をやっているのよ。これじゃあコンサートホールがパニックになって私の責任問題になるじゃない!!」
「……多賀谷くん、冷静に」

ジャンが静かに声をかける。

「今はそんなことを言っている場合ではないんだ。まず状況を確認してそれから的確な指示を…」
「うるさいわよ!!」
「……多賀谷くん」
「黙ってて!!。捜査を立て直すわ!!。まず検問よ、検問!!所轄は何をやってるの!?みんなが勝手なことばっかりするからこんなことに!!」

ドゥーンが彩子の前に立った。
その行動は静かだが顔は激しい怒りで歪んでいた。

「……もう、お前の命令なんか聞かん……」
「下がりなさい」

年老いてなお現役を誇るドゥーンの剣幕に圧倒されながらも、彩子は強気な姿勢を崩そうとしなかった。

「私達、したっぱは、あなた達が大理石の階段を昇ってる間、地べたはいずり回ってるんだ。……文句も言わず、命令通りに……」
「下がれって言ってるのが聞こえないの!?」

それを聞いたドゥーンはひどく悲しげな表情になった。

「頼むから……」
「………」
「……頼むから、もうこれ以上……うちの若いもんを傷つけないでくれ……」







その頃、のだめは通報されてやってきた救急車の担架に乗せられて救急車内に載せられていった。
もうすでに意識はなかった。

「乗りますか?」

と救急隊員に聞かれた千秋だったが、黙って首を振った。
コートは真っ赤に鮮血で染まっている。
そして救急車がサイレンをあげて走り去るのを見届けてから、千秋はぐっと握り拳を作るとタクシーを止めようと道路に向かった。




その頃、捜査本部では彩子の金切り声だけが響いていた。

「所轄はここから出て行きなさい!!」

かっとなって彩子に詰め寄ろうとした大河内を、片平が両手で止めた。
シュトレーゼマンが静かに口を開く。

「……多賀谷管理官、ワタシの部下はどうなりましタか?」

彩子はきっとなってシュトレーゼマンを睨み付けた。

「何で知る必要があるっていうの?使えなくなったら補充すればいいじゃない!!そのための所轄でしょう!?」

そして彼女をずっとカメラに写していたカメラマンのカメラを両手でぐっと下に下げた。

「撮るのやめなさい!ジャン補佐官、こいつらみんなクビにしてください!!」
「……多賀谷くん」
「みんな、命令を聞きなさい!!。服務規程違反で飛ばされたいの!!……待って……待ってよ……今、捜査を立て直すから!」

その時。

会議室のドアが開いて千秋が静かに入ってきた。
その血塗られた真っ赤なコートにその場にいた全員が言葉を失った。
捜査員や職員の皆も息を呑み、しんと静まりかえる捜査本部。

千秋はゆっくりと彩子に向かって歩いていった。
捜査員達が声もなく静かに歩いてくる千秋のために次々と脇に避け、道を開けている。
縛られたように動けなくなった彩子は、やがて絞り出すようにして声を出した。

「……真一」

千秋は彩子の方を見ようともせずにただその側を通り抜けた。

「真一……何やってるの?貴方も下がって……捜査は私が立て直すから!!」

彩子はマイクを取り命令を発した。

「全捜査員、聞きなさい!広域警戒警備の第二波を発令します!。検問を強化して……」

ぷつりとマイクのスイッチが切られた。
その手はジャンのものだった。
ジャンは静かに彩子に語りかけた。

「……本庁に帰ろう」
「それは私が決めます!」
「……私の命令だ……」
「………」
「君はもうこの事件を解決することはできない……ただいたずらに現場を混乱させ、捜査員の気持ちを踏みにじるだけだ……」
「………」

彩子は言葉を失った。
誰か味方を探そうと部屋中を見渡すも、誰も彩子と目を合わせようとしなかった。
それでいて、見えない非難の矢が全員から突き刺さるのを感じる。
彩子の首ががくっとうなだれた。
その顔は悔しさで涙がにじんでいる。
ぽた…ぽた…と机に数滴が落ちた。
そして……部屋の中央をゆっくりと出口に歩き始めた。

ジャンは目の前に来た千秋の顔を真剣な表情で見つめると……言った。

「……千秋管理官」
「………」
「本部を頼みます」
「………」

そう言い残すとジャンも彩子の後を追うように部屋を重い足どりで出て行った。





部屋の中には千秋と捜査員、桃ヶ丘署の面々だけが残った。

「のだめは……?」

リュカが掠れた声で千秋を見ながら言う。

「……今、救急病院に運ばれている。……意識不明の重傷だ」
「……そんなのだめを放って来たっていうの!?のだめはあんたのためにー」
「捜査を立て直す」

リュカの言葉を遮るようにして千秋は中央に向かった。
そしてぐるりと捜査本部を見渡すと重々しく、口を開いた。

「被疑者は後3つ爆弾を仕掛けていると言った。……後、30分しか時間がない。
 被疑者は野田巡査部長の立ち寄る場所に次々と爆弾を仕掛けている。
 多分、残りの3つも同様だろう」
「………」
「野田巡査部長が立ち寄りそうな場所は、同僚である君たちの方が詳しい。君たちの協力が必要だ」
「………」
「頼む……。捜査員でなくてもいい。桃ヶ丘の職員……事務員……階級や役職は忘れてくれ」

それを黙って聞いていた片平がすくっと立ち上がった。

「僕たちが行きつけている居酒屋『うつぼ八』に行ってみます!あそこならひょっとして……」

ユンロンも紺色のコートをふわっと着直した。

「のだめとボクがよく行く同人誌ショップがあるヨ。あそこも怪しいと思う……」

リュカはぐっと唇を噛みしめていたが、キッと顔を上げた。
その顔には涙はなかった。

「……のだめはよく、近所の公園で昼寝してた。だから……」

「よく行くマクドナルドが……」
「近所のレンタルショップにもよく行っているのを見かけます」
「もしかしたらあそこのゲームセンターかも……」

あちらこちらから声が上がる。
捜査員だけでなく、桃ヶ丘署の捜査員、職員、事務員などがそれぞれ思いつく場所を口にする。
千秋はそんな彼らの顔を見回した。

「よし……。解体マニュアルを受けた捜査員。彼らにに付き添って行ってくれ!!」

捜査員達と所轄の職員。
……普段なら決して接触することのなかった相手同士が手を組み対になって、次々と出発する。

「……それにしても」

黒木が口を開いた。その顔は苦渋に歪んでいる。

「……解体コードが……もう、瀬川くんが接触してこない限りは、残りの解体コードの色がわからない……。例え起爆装置を見つけ出したとしても……解体の仕様が……」
「……それについては、のだめが何か言ってたんだ……
「え?」
「メリーさんの羊がどうとか……」
「メリーさんの羊……」
「よくわからないんだが……あれは起爆装置の解体のヒントを指しているんじゃないかと思う……」

千秋の言葉にオペレーター達が一斉にパソコンのディスプレイに向かい検索を始める。
キーワードは『メリーさんの羊』
そこへ先ほどから何も言わず静かに立っていたままだったドゥーンがいきなり口を開いた。
ドゥーンは静かに歌い出す。

「……メーリーさんのひつじ、メーメーひつじ……」
「………」
「だろ?」
「……はい、だけどそれが……」

何かと言いかけた千秋の言葉を遮るようにドゥーンは次の言葉を続けた。

「……これを音階で歌うとどうなると思う?」
「……?」
「ミーレドーレ、ミミミ」
「………!!」

千秋が呆然としたまま立ち上がった。
何かに気づいたのだ。

「黒木警視……今までの解体してきた起爆装置のコードの色の順番を教えてくれ!!」
「え?」

黒木はとまどいながらもメモしていた紙を見ながら千秋に伝える。

「最初の裏軒での起爆装置の解体コードの色は、緑……次の地下鉄駅のゴミ箱にあったものは赤……次に「Plilin」にあったものは茶色……そしてコンサートホールに仕掛けられていた起爆装置は赤だ」
「それだよ!!」

千秋は興奮を隠せない口調で言う。

「ミ……は緑。レ……はレッドの赤。ド……は土、つまり茶色だ!!」
「!!」

黒木もそこへ来て千秋の意図を感じ取ったようだ。

「今までの色をその音階に例え、つなげると ミーレドレ……になる。メリーさんの羊の出だしだ」
「……っていうことは!!」
「残り3つはそれに続くミ、ミ、ミ……つまり、全部緑だ!!。」

千秋は無線のマイクに向き直ると叫んだ。

「全捜査員に告ぐ!!起爆装置を発見次第、緑色のコードを切断せよ!!。繰り返す。コードの色は……」



その頃、のだめ達桃ヶ丘署行きつけの居酒屋「うつぼ八」では片平が店内の客を非難させ、捜索にかかっていた。

いつもここで皆で飲んでいたじゃないか。
のだめとユンロンは、枝豆を取り合って食べていて……。
最後は必ずのだめとリュカはチョコレートパフェ、ユンロンは杏仁豆腐、ドゥーンは抹茶アイスをいつも奢らされて……。
そして、仕事の愚痴を言い合い、署長達の悪口を言い、のだめの恋愛相談をしてきたのだ。
失いたくない……そんな日々を。
ええと、いつもの席はどこだった?。
のだめは、店の置くの窓際の座敷席が好きだった……。
そして片平は、よく座る指定席のテーブルの裏から起爆装置を発見した。

「あった!あったぞ!!」



ユンロンは同人誌ショップのコーナーで、のだめの好きなBLコーナーを順番に注意深く見ていく。
絶対……絶対にボクの刑事のカンから言って間違いない……。
のだめの好みの同人誌は熟知している……。
美形が好みで……適度にエロで……ちょっとSMっ気がありそうな……。
その中でユンロンの目を引いたものがあった。
「恋に溺れる」といういかにもさもありなんという表紙。
……どことなく、松田副署長と千秋管理官に似ているのは気のせいだろうか……。
いや、間違いない。
そしてユンロンはその本に貼り付けてあった起爆装置を発見した。

「これだヨ!!」



リュカはその頃、いつも2人で休憩しに行く公園をひた走りに走っていた。
……のだめ、……のだめ、……のだめ。
涙がこぼれそうになるのをぐっと堪える。
今はそんな事態じゃないのだ。
そしていつものだめが、天気のいい日には芝生の芝がつくのも気にせずに幸せそうに寝っ転がるいつもの木の下にたどり着いた。
ここでいつもいろんなことを語り合っていた。
のだめの年齢に似つかわしくない幼さと不思議な思考回路で語られる話がとてもとても愛しくて、何時間でもサボっては大河内課長に怒られてたっけ……。
リュカはふと足を止めた。
その木の下に何か紙袋のようなものが置かれている。
リュカは注意深く、茶色い紙袋を開けた……。
すると、残り5分を切ったタイマーの表示が記された起爆装置が入っていた。

「見つけた!!」

それぞれ3人に付き添っていた、爆発物処理の訓練プログラムを受けた捜査員が慎重にパネルの蓋を開ける。
そして緑色のコードを手に取った。

「コード切断します!!」

片平は両手を組んで額に当てた。
一瞬、脳裏に可愛い妻と子供の笑顔がよぎった。
ユンロンは、捜査員に起爆装置を渡すと、本棚の隅に素早く隠れた(この辺りがユンロンらしいといえばユンロンらしい)。
……リュカは深く息を吸い込むと、十字を切り目を深く閉じる。

………そして………。




その頃、捜査本部では残された全員が固唾を呑んで報告を待っていた。
時計の秒針を刻む音だけがカチ……カチ……と部屋に響き渡る。
そこへ。

『起爆装置、タイマー停止を確認!!』
『解体成功です!!』
『こちらもです!!』

ほぼ同時に起爆装置が発見された3箇所から無線がつながった。
それと同時にその場にいた人間、全員がワッと喜びの歓声が上げる。
そして全ての捜査員に対して惜しみない賞賛の拍手を送った。
千秋はホッと安堵の表情を浮かべて机に腕をついた。
その目の前に手がすっと差し伸べられる。
……顔を上げると黒木が満面の笑顔を浮かべて、千秋に握手を求めていた。
千秋も表情を和らげ、笑顔になるとその手をがっしりと強く握った。
ドゥーンが呟く。

「結局……桃ヶ丘署全員がのだめのストーカーだってことだよネ……」















続く。