歌う大捜査線





晴 れ渡る青空。
空き地の中にポツンと建っている7階建ての真新しいビルの前にのだめはいた。
入り口には「警視庁  桃ヶ丘警察署」のプレートがある。

「…ここが…桃ヶ丘警察署デスか…」

の だめはドキドキと目を輝かせながら、ビルを見上げた。

「ここから、のだめの刑事としての大いなる第一歩が始まる んデスね…」

のだめはフンッと鼻を鳴らして気合いを入れ、入り口へ向かった。
階段を上り、 刑事課と表示された部屋に入る。

何故か部屋の中からヴァイオリンの音が聞こえてきた。…クラッシックでもかけて いるのだろうか。
たくさんの机が縦に並び、強盗犯係、盗犯係などたくさんの係に分けられていた。
窓際に、刑事課 長のデスクがある。
どうやら、皆、出払っているようだ。
強盗犯係と書かれたプレートのあるデスクには、一人の初 老の男が座っているだけだった。

その男…仕事中だというのに、何故かヴァイオリンを弾いている。

「あ の…」

のだめは目を瞑って自分の世界に入っている男に声をかける。
男はのだめの声に気づき もしない。

「あのー!」

少し大きい声を出してみた。
そ れでも全然駄目だった。

「うわあーっっっ!!」

男の耳元で思いっきり 叫ぶ。
男はびっくりしてヴァイオリンを放り投げて飛びずさった。

「ーなんだ!君は!」
「今 日から強行犯係に配属されたのだめ…野田恵デス!」

のだめはにっこり笑って頭を下げる。

「よ ろしくお願いしマス!」
「なんだ…びっくりした…。話は聞いてるよ。私は強行犯係のカイ・ドゥーンだ。ヨロシコ」
「ヨ ロシコ…?ーああ、よろしくですネ。あの…他の人達は」
「皆、現場に出払っている。君の机はここだ」

そ う言ってドゥーンは、隣のデスクを指さす。

「ありがとうございマス。…ドゥーンさん、ヴァイオリンお上手なんで すネ」
「ふん…ただ一つの趣味だからな」

その時、スピーカーから110番受理台係官の声が 聞こえた。

『警視庁から各局、各方面。○○区○○4丁目、三善アパルトマンで倒れて死んでいる男性が発見された 模様』

「ふぉ…!。殺人事件です!ドゥーンさん、現場ここから近いですよ!」
「面倒くさい な」
「刑事がそんなこと言ってて、どうするんデスか!」






ロー ド・オブ・ザ・リングのような門をくぐり、のだめとドゥーンはアパルトマン内へと入った。
入り口にはすでにたくさんのパトカーが到着 しており、機動捜査隊と鑑識が集まって大騒ぎになっていた。
のだめは『桃ヶ丘署』の腕章を腕に着け、気合いまんまんで張られたロープ をくぐる。

「ふぉ!なんだか本当の刑事さんみたいデス!ーみなさん、ご苦労様デス!」

の だめは集まって話をしている機動の捜査員に向かって手をあげてにっこり挨拶をする。
捜査員は顔をあげると、若く可愛い女の子がロープ 内に入ってきているのに驚く。

「ちょ、ちょ、ちょっと…君。部外者は立ち入り禁止!」
「ム キャ!のだめ部外者じゃありませんよ、桃ヶ丘署の野田恵です!みなさん、よろしくお願いします!」
「桃ヶ丘署…?。…あのねえ…お嬢 ちゃん。所轄はこっちに来たら駄目なの!」
「え〜、なんで通せんぼするんですか〜!」

二人 で押し問答をしているとドゥーンがやって来てのだめの腕をぐいっと掴む。

「すみません、うちの新人です。まだ右 も左もわからないもので…」
「ドゥーンさんとこの?ちゃんと新人教育してもらわなくっちゃ困るよ!こっちは忙しいんだから!」
「は い」

深々と頭を下げるドゥーンにのだめは口を尖らせてどこか不満気だ。

「ー なんで、のだめ達あっちに行ったらいけないんデスか?」
「事件の初動捜査はあいつら機捜の仕切りなんだ。私達所轄署の刑事は見てれば いい」
「…え〜見てるだけデスか…だって、あっちに行ったらきっと楽しそうな物いっぱいありますヨ〜。
血だらけ の死体とか、床に飛び散った血しぶきとか、血の付いたヴィーナスの置物とか!」
「…それは楽しいのか…(ヴィーナスの置物ってなん だ?)」

その時、警官の一人が大声で叫ぶ。

「警視庁の捜査一課が到着 しました」

捜査員達が、仕事の手を止め直立不動になる。

「いよいよ本 店のお出ましだ」
「…本店?」
「先頭にいるのが、警視庁捜査一課管理官の千秋真一だ」
「管 理官…」

黒いスーツを着た男達が階段を多勢で上ってくる。
その先頭に立っているのは、黒い コートを着た背の高い若い男性だ。
ハッと目をひくような整った顔立ちをしていて、そのりりしい姿に思わずのだめは見とれてしまった。

「現 場は?」

千秋は近くにいた捜査員に尋ねる。低く響くような声もいい。

「こ のアパルトマンの屋根裏です」
「鑑識は?」
「足跡はあがったようです」
「遺体は?」
「ま だ動かしてません。こちらです」

捜査員の一人が、前に立って案内する。
のだめは悪戯っぽい 顔つきになると、ロープの下をするりとくぐり抜けて後をついていく。

「ーのだめ、ちょっと見に行ってきマ〜 ス!」
「お、おい!ちょっと待て」






屋 根裏部屋に入った千秋は、むせかえるような油絵の具の匂いに少しうっとくる。
部屋一面に油絵のキャンパスが所狭しと置かれてあった。
そ の中央にうつ伏せになって倒れている男の姿がある。
千秋は白い手袋をはめて、遺体のあちこちに触り自ら確認をする。

「… 首に絞められたような跡があるな」

千秋は隣に控えている男に話しかける。
彼は千秋の部下 で、捜査一課長の高橋紀之だ。
高橋は千秋に熱い視線を送りながら、捜査員の報告を受ける。

「た だ今のところ死因は絞殺であるとの鑑識の結果が出ています」
「遺留品の確認を急いで。機捜はアパルトマンの住人からの聞き込みを開始 しろ」
「はい!」

強面の機捜の面々が、千秋の言葉に素直に従ってそれぞれの持ち場に散って いく。

「ふぉ〜。ここが現場デスか〜」

殺人現場に似つかわしくないの んびりと気が抜けたような声がして、千秋は振り向いた。
部屋の入り口に、ボブカットの若い女の子が立っていた。

「な んだ?お前は。ここは部外者立ち入り禁止だぞ」

高橋が怪訝そうな顔で言う。

「初 めまして!桃ヶ丘署に今度配属された、野田恵といいマス!。よろしくお願いしマス」
「あ〜。桃ヶ丘署だ〜?。所轄なんか呼んでない ぞ」

すごく見下したように言う高橋を無視して、のだめは千秋の前に駆け寄った。

「千 秋管理官…ですか?」
「ーそうだが」
「…はうん…コート姿がとても素敵です…。捜査する姿をぜひ見学させて下さ い!」
「ー高橋」
「はい」
「つまみ出せ」
「はい」
「… え…?ーちょ、ちょっと待ってくだサイ!」

高橋はのだめの腕をがしっとひっつかみ、ずるずると部屋の外へ引き ずって行こうとした。
のだめは必死に抵抗をしながら、部屋の片隅に無造作に置いてあるものに気づく。

「あ! ごろ太のぬいぐるみだ!!」
「おい!」

高橋の手をすり抜けると、のだめは置いてあったごろ 太のぬいぐるみを抱き上げる。

「すごいデスね〜。これ、限定版で数が少なくってなかなか手に入らないんですヨ 〜」
「遺留品に勝手に触るな!」

掴みかかる高橋をすっとかわしながら、のだめが眉をよせ た。

「…でも…なんだか、これ変ですネ〜。ごろ太のぬいぐるみはこんなにお腹はふくらんでない筈ですヨ〜。
ー まるで何か入ってるみたいな…」
「ーおい」

のだめの言葉に反応して千秋が声をかける。

「そ れを貸せ」
「…は、ハイ」

千秋はのだめの手から、ごろ太のぬいぐるみを受け取りその感触を 指で確かめると、いきなりそばにあったナイフで
ぬいぐるみのお腹を裂いた。
ー中から出てきたのは、透明なビニー ル袋に入った白い粉状の物。

「管理官、…これは…」
「ーすぐに鑑識に回せ」
「は い!」






そ れからすぐにのだめはドゥーンに引き渡されて、さんざんにお説教をくらうことになる。
そのまま捜査の成り行きを脇から見守って、桃ヶ 丘署に帰り着いたのはもう夕方だ。
階段を重い足取りで上りながら、のだめは不満げな顔でぶつくさと文句を言う。

「ー なんで、のだめ達何もさせてもらえないんデスか?だってうちの管轄で起きた事件なんデスよ?」
「何もできないんだよ、俺たち所轄署 は」
「…」

そのままのだめ達は刑事課の部屋に入る。
昼間とはうってか わって、室内は行き来する刑事達で溢れていた。

「ドゥーンさん、お帰りなさい」

に こやかに出迎えるのは、強行犯係長の片平元だ。
温厚で誠実そうな人柄だが…苦労が多いのか、若そうなのにやけに額が広い。

「ボ クも現場に行った方が良かったですか?」

机の隅の方からかけてきた声の方に、目をやって…のだめは驚く。

「ふぉ…!。 なんで、子供がこんなところにいるんデスか?」

子供と呼ばれた少年はムッとしたように言い返す。

「ー 子供じゃない!れっきとしたここの刑事だよ!」
「ふぉ…」
「リュカ・ボドリー警部補は頭脳明晰でね。頼んでここ の特別捜査員として来てもらってるんだ。
ーそれに彼のお父さんは警視庁の第一方面部長でもあるし」

そ う言いながら、話しかけて来たのはゴルフバックを抱えて部屋に入ってきた男だった。

「課長!ゴルフ、どうでし た?」
「それがさ〜今日はベストスコアの連続でさ〜署長から誉められちゃった!。…えーと、今日付けで配属の野田恵さんだよね」
「ハ イ」
「初めまして、刑事課長の大河内守です。こちらは片平元係長とリュカ・ボドリー警部補。
カイ・ドゥーン巡査 長とは今まで一緒だったんだよね」
「あの…えっと…他の方は出張か何かデスか?」
「強行犯係はこれだけだよ。だ からわざわざ新卒の君が補充で来たんじゃないの」
「はあ…」

呆然とするのだめを無視して、 大河内はドゥーンに話かける。

「死体は?」
「司法解剖」
「…じゃ、特 別捜査本部になるか。署長と打ち合わせて来ないとな。他に何かある?」
「すみません、今日は早く帰らせてください。ワイフのバース デーなもんで」

そう言ったのは片平だ。

「ああ、いいよ。今日は他に仕 事ないし。ーじゃあ、解散!」

大河内の声とともに、リュカは本を抱えて図書室の方へ消えた。
片 平は軽く鼻歌を歌いながら、荷物をまとめて帰る準備をしている。
カイ・ドゥーンも「公園の浮浪者の喧嘩の後始末に行ってきます」と 言って部屋を出て行った。
のだめは、急に誰もいなくなったので、キョロキョロと辺りを見回し、とまどいつつも大河内に言った。

「課 長!のだめは何の捜査をすればいいんデスか!」
「死体検分の結果出るまで俺たちに仕事はないんだよ。ー帰って寝なさい」
「で も、でも、何か捜査することないんデスか?」
「…捜査したいの?」
「ハイ!やる気マンマンデス!」
「… 困ったな…」

大河内は後ろ頭に手をやると、まいったようにポリポリと頭を掻いた。
ーふと、 その横を盗犯係のユンロンが通りかかる。

「ちょっと!ユンロン」

大河 内から声をかけられてユンロンは振り向いた。

「何ですか?大河内課長」
「どこに行くの?」
「近 所のスーパーで万引きがあったと通報がありました」
「あ、じゃあさ」

大河内はのだめを指さ す。

「この子、うちの新人なんだけど一緒に連れて行ってあげてくれない?」
「え 〜〜〜っ!!」

ユンロンとのだめは同時に露骨に嫌そうな顔をした。

「何 で、ボクが…」
「頼むよ〜ユンロン。現場見学ってことでさ〜」
「のだめは強行犯係ですヨ。それにあの事件でない と管理官に会えない…」
「は?管理官?いいからいいから行ってきなさい。万引きも立派な事件だよ」
「はあ…」

仕 方なく、しぶしぶとのだめはユンロンについて行くことにした。






スー パーに着くと、店員の店内に響く怒鳴り声が二人を出迎えた。

「やったんならやったって、素直にいいなさい!」
「ボ クはやってませんヨ」
「嘘、おっしゃい!」

眼鏡をかけた美女で、この道10年のベテランの スーパー商品陳列係エリーゼが目をつり上げて怒っている。
そのそばで静かに自分の無実を訴えているのは、小柄な体格のおじさんだ。
ど こかスターウォーズのマスターヨーダを思わせる。

「だって、あなたの鞄のなかにまだお金を払ってないプリキュア ふりかけが入ってたのよ?」
「だから、それはボクじゃありませんって」
「ーすいません、遅くなって。桃ヶ丘署刑 事課盗犯係のユンロンです」

ユンロンがエリーゼに警察手帳を見せる。
エリーゼはキンキンに 目をつり上げて金切り声で怒鳴った。

「何よ!来るの遅いじゃないの!」
「…すみません」
「ー あのね、簡単に説明するとこのおじさんが、まだレジを通ってないふりかけをこの口の広い鞄の中に入れたまま、
スーパーを出て行こうと してたのよ。ーこの、泥棒!」
「だから、ボクは知りませんって。だいたいこんなふりかけくらい、欲しかったら自分で買いますヨ」

マ スターヨーダはどうしても自分の無実を主張したいようだ。

「万引きする人は、皆そういうのよ!家計が苦しいとか じゃなくて、どうでもいいようなものばかり盗んでストレス発散
してるのよ!」
「はいはい、とりあえず調書とりま すからあちらに行きましょうネ」

ユンロンは二人の肩に手をおくと、落ち着かせるようにポンポンと叩く。

「ー じゃあ、向こうに事務室があるから…」

うながされて歩きだそうとしたヨーダの目が一瞬、のだめの目とあった。
深 い、澄んだような眼差し。

「待ってくだサイ」

のだめは3人を引き止め る。

「この人、万引きなんかしてないですヨ」
「はあ?」

エ リーゼが訝しそうな目つきで言う。

「何言ってるの、あんた」
「この人嘘を行ってまセン」

「実 際問題、この人の鞄の中にプリキュアふりかけが入ってるのよ」
「棚からポロッと落ちて入ったんじゃないデスか?」

「ー そんな安定の悪い陳列の仕方はしてませんっっ!」
「だいたい、こんなおじさんがプリキュアに興味がある訳がないじゃないデスか」

「こ んな人間は盗むものはなんだっていいのよ!」
「野田さん…ここは人目があるから…あちらで…ネ」

ユ ンロンから再度うながされ、のだめは野次馬で集まって来ている人達を静かに見回す。
そのなかで、大きいくまのぬいぐるみを抱えた小さ な女の子が何かを言いたそうにおどおどとしているのが見えた。
のだめはゆっくりと女の子に向かって歩いていく。
女 の子はのだめが近づいてくるのがわかると、びくっと体を震わせた。
のだめはすとんと女の子の前に腰を下ろすと、くまのぬいぐるみの頭 を撫でながら女の子に向かって、にっこり笑った。

「ー可愛いくまさんですネ。お名前はなんていうんですか?」

女 の子は消え入りそうな声で言う。

「…わたしのなまえ?この子のなまえ?」
「両方デス」
「ー わたしはまい、5歳です。この子は、はあとりぼんちゃん」
「まいちゃんと、はあとりぼんちゃん!とても可愛い名前ですネ〜」

の だめはぬいぐるみの頭を撫で続けながら、何気ない口調で言った。

「まいちゃん〜。さっきからあのおじさんの方見 て一生懸命何か言いたそうにしてるけど、どうかしたんデスか?」
「………たの」

女の子は俯 いてぼそぼそと小さい声で呟いた。

「は?」
「…わたしが…あのおじちゃんのかばんにふりか け…いれちゃったの…。ママが買ってくれないっていうから…」
「何…何言ってるの!真衣!」

す ぐ傍らに立っていた真衣の母親がびっくりして声をあげる。
無言のまますっと手を上げてのだめは母親を制すると、ゆっくりと真衣に語り かける。

「ふうん…それでまいちゃん、おじさんがいっぱい怒られてるの見て、可哀想になっちゃったんでしょう」
「う ん…」
「じゃあ、おじさんに謝ってこられマスか?」
「うん!」

真衣は 元気よく返事をすると、ぱたぱたとヨーダのところに走って行って、頭を下げた。

「おじさんっ!ごめんなさ い!!」

母親も急いで後からついていって、娘と一緒に深々と頭を下げる。

「ー どうも、すみませんでした」

エリーゼとユンロンは顔を見合わせる。

「… こんな場合、どうなるんですか…?」
「えっと…よくわからないけど…とりあえず、調書をとりますから全員奧の部屋に…」

マ スターヨーダは振り向いてのだめの方を見た。
そして軽く片目でウィンクをした。






「… 君、変わってるネ」

ずずっと担々麺の汁を汗だくになって飲みながら、ユンロンは言った。
二 人はスーパーで調書を取った後、小腹が空いたこともあり近くの中華料理店『裏軒』で夕食をとることにした。
のだめは麻婆丼をれんげで 口に運んでいる最中だったが、思わず手を止めて首を傾げた。

「変わってるって…何がデスか?」
「被 疑者の言うことを信じるなんて…警察なんて疑ってナンボの商売だヨ」
「そうデスかね?なんだってまず人を信じることから始めない と。ーそれに…のだめ、なんとなくわかるんですヨ」
「わかるって何が?」
「その人が嘘を言ってるのかどうかって ことが」
「ふうん…。ーちょっと!君!」

ユンロンは円卓の皿の上に伸ばされたのだめの手に ストップをかける。

「餃子食べすぎだヨ!半分こっていったらちょうどこの線からこっちでショ!」
「ム キャ!そういうユンロンこそのだめの大好きなえびシュウマイ一個多く食べてますヨ!」
「あ!また春巻き取った!。代金は少し多めに 払ってもらうからネ!」
「え〜、これはのだめの歓迎会じゃなかったんデスか〜?」
「誰も歓迎してないヨ!!」






そ の次の日
のだめは出勤してくるとドゥーンが、長い白い紙の前でう〜んとうなっていた。
傍らには墨の入った硯と筆 が置いてある。

「ドゥーンさん。おはようございマス。…何してるんデスか?」
「昨日の殺人 事件の特別捜査本部ができる。その戒名を描くんだ」
「ーああ、何とか殺人事件って奴ですネ(ドゥーンさんは外国人なのに毛筆が得意な んでしょうカ?)」
「それだけは所轄の仕事だ。今、向こうで決めてるよ」

その頃会議室で は、フランツ・フォン・シュトレーゼマン桜ヶ丘署長と、松田幸久副署長と、大河内課長が
顔をつきあわせて真剣な顔つきで話し合いをし ていた。

「戒名なんですが、アパルトマン男性殺人事件特別捜査本部でどうでしょう」

大 河内が切り出すと、シュトレーゼマンはう〜んと考え込みながら言う。

「なんだか面白みがないですネ…。その男性 に何か特徴はないんデスか?」
「今までの情報では、どうやら絵を描いて生計を立てていたらしいとの報告があります」
「ほ う!画家デスか!!なんだか格好いいですネ!」
「そうですね。なら、アパルトマン画家殺人事件特別捜査本部」
「画 家かあ…。そしたらヌードとか描いた絵がごろごろ部屋の中に転がってるんじゃない?」

そう言ったのは松田幸久。
目 の前につがれたお茶を飲もうとして「あっちい!」と舌を火傷したらしく、可愛らしくふうふうと吹いて冷ましている。

「ヌー ド!!…はうん…いいですネ。そういえば、今度大河内くんの所に入った新人の女の子、胸が大きかったよネ!」

シュ トレーゼマンが目をキラキラさせながら言う。

「は…いや…まあ、それなりに…」
「いいよね 〜。巨乳刑事!。顔も可愛い?」

いやらしそうに目を細めて聞くのは松田。
一見この二人の会 話はただのエロオヤジのセクハラ対談でしかないように思われる。

「顔も…まあ、それなりには…」
「可 愛いに決まってるでショ。なんていったって私も面接に立ち会ったんだから」
「ああ、それで、この署の女の子達は結構顔がイケてる訳 だ。署長の趣味ですか?」
「やはり砂漠のように乾ききった職場には、オアシスのような存在がないといけませんからネ」
「大 賛成です」
「あの…戒名の方は…」

ともすれば脱線しそうになる会話を、元に戻そうと大河内 がおそるおそる切り出す。

「ああ、そうでしたネ」
「忘れてました」
「じゃ あ、ヌードっていれたらどうですカ?色気も出るし」
「署長、さすがにヌードはまずいでしょう。ヌードは。裸体画ってことにしましょう よ」
「そうですね。なら、アパルトマン裸体画家殺人事件特別捜査本部」
「首絞められて殺されたって?ならそれも 入れなきゃ」
「そうですね。なら、アパルトマン裸体画家絞殺事件特別捜査本部」
「…なんとなく、インパクトに欠 けますよネ〜」
「そうですね。なら、アパルトマン裸体画家絞殺凶悪殺人事件特別捜査本部」
「あのアパルトマン、 目の前に私立桜ヶ丘女子短大があるんですよね」

そう言ったのは松田。

「桜ヶ 丘女短!?あそこの学生とお茶したことがありますヨ」
「署長〜。大丈夫ですか?。もしかして援助交際とかじゃないでしょうね〜」
「失 礼な!。ちゃんと街でナンパしたんですヨ」
「本当ですか〜?オレならわかりますけど」
「そんなことを言って…松 田くん、署内の人気アンケートで警視庁の千秋管理官に大差をつけられて負けたのは知ってますヨ」
「うっ…あの男、妙に婦警達に人気が あるんですよねー。なんかむかつく」
「今度の特捜で確実に来ますヨ」
「うわ、本当ですか!ー来たら嫌がらせして やろうっと」
「あの…それで戒名の方は…」

またしても話を軌道に戻すのは大河内の役目だ。

「あ あ、そうでしたネ」
「忘れてました」
「じゃあ、私立桜ヶ丘女子短大前って文字を入れようか。そうしたら場所もわ かりやすいし」
「そうですね。なら私立桜ヶ丘女子短大前アパルトマン裸体画家絞殺凶悪殺人事件特別捜査本部。
ー それならどうでしょう!」

大河内が立ち上がり、シュトレーゼマンに同意を求める。

「い いんじゃないですか?インパクトもあるし」
「署長!これに決めましょう!!」

二人はシュト レーゼマンの返答をじっと待つ。
シュトレーゼマンは顎に手を当てて、う〜んとしばらく考え込んでいたが…。

「… でも、長いネ」





『殺人事件 特別捜査本部』と筆でかかれた白い紙が、大会議室の入り口に貼られた。
貼っているのは婦警のマキとレイナだ。

「さ つじんじけんとくべつそうさほんぶ」

マキはゆっくりと読み上げる。

「… なんか地味〜」
「インパクトないもんね」






一 階のロビーには特別捜査本部の受付が作られて、のだめとリュカはその任を受けて机の前に立っていた。
ぞくぞくと入ってくる警視庁や署 外の捜査員が受付に名刺を置いていく。

「ご苦労さまです。7階の会議室です」
「…どうして のだめ達が受付やらないといけないんデスか?」

のだめは不満そうに口を尖らせた。

「決 まりなんだよ」
「え〜なんだか、結婚式の受付みたいで刺激的じゃないデス」
「結婚式ではこんな強面のごついおじ さんばっかり来ないよ。ーご苦労様です」

リュカは新しくやって来た捜査員から名刺を押し戴くようにして受け取る と、のだめにも同じことをするように目で促した。
のだめはすうっと息を吸うとにこやかに受付を始めた。

「い らっしゃいませ!私は桃ヶ丘署に配属された野田恵と申しマス!どうかよろしくお願い致しマス」
「別にそんな大声を出さなくったっ て…」






大 会議室ではたくさんの机が並び、百人近い捜査員が座っていた。
正面壇上にシュトレーゼマン署長、松田副署長、大河内課長が並んで座っ ている。
最後に入ってきたのだめは空いている席を見つけて、一番前に座った。
壇上の大河内がのだめを見つけて、 しっしっと手を振り「向こうへ行け」と合図をした。
のだめには何がなにやらわからない。

「野 田さん、こっち」
「えっ?」

リュカはのだめの手を引っ張ると後ろの方に連れて行った。

「席 順とかあったんデスか」
「ないよ。学校じゃないんだし」
「だったら前にすわりましょうヨ。管理官の顔がすぐ間近 に見られますよ!」
「はあ?所轄ははじっこだって決まってるの!」

見ると、一番後ろのは じっこにドゥーンと片平が小さくなって座っていた。
その横にリュカとのだめは腰を下ろす。
ーその時、入り口から 千秋管理官と高橋が入ってくる。
そして二人は壇上の真ん中に座った。
のだめは思わず「はぅん…」と呟き、リュカ から変な目で見られた。
松田がマイクを取って話し始める。

「では、捜査会議を始めます。初 めに、この特捜の本部長になっていただく警視庁捜査一課課長から
挨拶をお願いします」

高橋 がマイクをとり、立ち上がった。

「すでに各方面に連絡した通り、昨日の午後三善アパルトマン屋根裏部屋で死体が 発見された。
他殺と思われる。被害者は、長田克弘40歳。捜査に全力を上げてほしい」

「あ のしゃべってる人の隣の人、千秋管理官って言うんですよネ」

のだめはリュカにこっそり囁いた。

「ー ああ、真ん中の人でしょう。実際はあの人が捜査の指揮をとるんだよ」
「ふぉ…かっこいいですネ。お近づきになりたい…」

リュ カはなんだか面白くないような顔をする。

「ふうん…、あんなのがタイプなんだ。でも無理だよ。あの人達は官僚だ から下っ端の僕らとは口も聞かないと思うけど」
「ぎゃぽん…」

そんな無駄話をしている間に も千秋がマイクを取る。

「では、最初に、被害者の検死、解剖の結果報告」

警 視庁の捜査員二人が立ち上がる。

「司法解剖の結果、顔面に鬱血、首に絞殺の跡があり、被害者は何者かに首を絞め られ、窒息したと思われます」
「死亡推定時刻は、昨日午前未明。以上」
「被害者の足取りは?」
「被 害者は一昨日夕方、近所のスーパーに買い物にいっている姿をアパルトマンの住民に目撃されています。その後
部屋に戻りいつもは朝まで 絵を描く習慣であるということですが、証言者がいないため、足取りは不明です」
「第一発見者について判ったことは」
「第 一発見者は三善アパルトマンの管理人、アンナです。彼女は若い頃から被害者の長田とは知り合いだということです。
昼食を作りすぎたた め、お裾分けしようと部屋に入ったところ長田の死体を発見。近くの交番に通報後、ショックを受けて
病院に運ばれました」
「他 に目撃者は」
「現在聞き込み中です。今のところ何も情報は上がっていません」
「室内で発見された粉については」
「鑑 識の結果、覚醒剤だということがわかりました」

ざわつく室内。

「静か に」

千秋は落ち着いた口調でその場を鎮めた。

「なんらかの形で覚醒剤 が事件にかかわっている可能性もある。
この件は本庁の薬物対策課の方とも合同で捜査していくことになると思う。ーでは、待機!」





「の だめ達、何の担当ですかネ。小学校のクラス替えの時みたいにドキドキしますネ」

のだめは階段を下りながら、嬉し そうに言う。

「ボク達、所轄だからあまり期待しない方がいいと思うけどなー」
「むっ。リュ カ、やる気があるんデスか?」
「ボクは捜査より、昇進試験に専念しろって父親に言われてるから」

そ の時、高橋捜査一課長がリュカの後を追ってやって来た。
ちらりとのだめに目をやるが、そのまま無視をしてリュカに話しかける。

「リュ カさん、以前お父様にお世話になった高橋です」
「あ、どうも」
「お父様によろしくお伝えください」

高 橋は軽くリュカに一礼すると、くるりと背を向け去っていった。

「へ〜。リュカ、すごいんですネ」
「ま あね」
「お父様が」

リュカは思わずムッとしてのだめに言い返す。

「父 さんは関係ないよ!…ボクは…ボクの実力で…必ず上にたどり着いてみせるから…」
「はあ…」




ドゥー ンは書類をまとめて、刑事課に帰ろうとしてドアを出た所で、ばったりシュトレーゼマンに会う。

「…」
「…」

そ のまま無言で見つめ合う二人。
先に口を開いたのはドゥーンの方だ。

「ーやあ、エロ署長。久 しぶりだネ」
「何デスか、万年平刑事。もうとっくに定年退職したのかと思ってましたヨ」

お 互いに不機嫌に口をへの字にきゅっと結ぶ。

「そういえば聞くところによると、ミーナ(警視庁総監)に100回目 のプロポーズをして見事に振られたんだって?」
「ふん。遠くから見ることしかできない臆病者の誰かさんとは違いますヨ」
「単 に当たっては粉々に砕け散ってるだけじゃないか」

「…」
「…」

し ばらくの沈黙の後。

「バーカバーカ!この桃ヶ丘署の恥さらし!」
「この馬面!お前のかー ちゃん、でーべーそ!!」
「接待、接待とか言ってて、クラブ通いばっかりしてるのをオレが知らないとでも思ってるのか!」
「う るさいデス。あなたは馬車馬のように黙々とただ働いてればいいんデス!」
「スケベジジイ!」
「甲斐性なし!」

お 互いの立場を忘れて掴みかかり子供の喧嘩を始める二人を見て、周囲で見ていた刑事ははあっとため息をつく。

「お い…また始まったぞ…」
「本当に仲が悪いな…この二人」





刑 事課に入ってきたのだめを両手を広げた一人の男が出迎えた。

「やあ。野田さん…だったっけ」
「あ、 ハイ」

なれなれしく話しかける男を目の前に、のだめは不思議そうな表情を浮かべる。

「副 署長の松田幸久です。ー面接の時にはちょうど用事があって、同席できなかったんだ」
「そうなんデスか!。野田恵と言いマス。どうかよ ろしくお願いいたしマス」

ぺこりと丁寧に頭を下げるのだめを、松田は真剣な顔で見つめる。
視 線は胸元だ。

「ふむ、ふむ。なるほど」
「ーは?」
「いや、なんでもな いよ。ーそれより、野田さん、今日の夜は空いてる?」

松田はのだめの肩にするっと手を回すと、そっと耳元で囁い た。

「君の歓迎会、まだだったよね。オレがこの署でうまくやっていく秘訣をマンツーマンでゆっくり教えてあげる よ…」
「はあ…」

その時、大河内がパンパンと手を叩きながら部屋に入ってきた。

「皆、 注目してください!捜査の割り振りが決まりました!」
「ちっ…」

松田が舌打ちをしてのだめ から離れる。
のだめは、露骨に嫌そうな顔をして、先ほどまで松田の手が置いてあった肩を丹念に払った。

「ドゥー ンさんと片平さんは、本店の捜査員と組んで、聞き込みの道案内お願いします」
「やりかけの仕事済ませたいんですけどネ」

そ こへ同じく部屋へ戻ってきたドゥーンが答える。
何故か服がボロボロだ。

「頼みますよ。この 辺の道知らないって言うんで。
リュカさんは本部の連絡要員です。空いている時間で、勉強頑張ってね」
「はい」
「課 長は?」
「本店の刑事部長が明日こっち来るついでにこの辺見たいっていうから、ちょっと観光案内」
「何だそ りゃ」

思わず顔をしかめるドゥーンに対して、大河内は胸をはって答える。

「ボ クが接待しなくて誰が接待するんですか」
「課長!のだめは、のだめは!!」

ぱたぱたと尻尾 を振る子犬のように大河内に駆け寄るのだめ。
はっはっと舌を出して息を切らしているかのようだ。

「よ かったね。仕事あるよ。しかも御指名だ」
「ふぉ…なんデスか?事情聴取デスか!」
「いや」

大 河内はにっこり笑う。

「千秋管理官の車の運転手」





続 く。