翌日。
のだめは鼻歌を歌いながら、署
の覆面車を丁寧に拭いていた。
「プリプリプリリン♪プリごろ太〜♪」
そ
こへ、千秋とシュトレーゼマン、松田、大河内が連れだって出てくる。
のだめは千秋の姿を見るとぱあっと花が咲いたような笑顔を見せ
た。
「こんにちは、千秋管理官!強行犯係の野田恵デス!のだめって呼んでくだサイ!」
「野
田くん、よけいなこと言わなくていいから」
大河内が小さな声で囁く。
「ド
ア開けて」
「え?あ、はい」
のだめは慌てて車の後部座席のドアを開けた。
千
秋は黙ったままそれに乗り込む。
「気を付けていってらっしゃいませ」
「野田くん、くれぐれ
も管理官に失礼のないようにね!」
「行ってきマス!!」
のだめは元気よく言うと、運転席に
乗り込み車を出発させた。
笑顔で手を振りながら見送った3人だが、車の姿が見えなくなるとシュトレーゼマンは心配そうに言った。
「…
あの子で大丈夫なんデスか?」
「…はあ…なんといっても、管理官たっての御指名ですから…」
ど
ことなく不安気な大河内に対して、松田が顎に手を当ててニヤッと笑う。
「ーあの男…。堅物なだけかと思ったら、
意外にムッツリですね」
「いや〜、もしも…もしもデスよ。これが縁であの二人がまとまったら」
シュ
トレーゼマンが嬉しそうに言う。
「管理官のいる警察庁とうちの桃ヶ丘署は深いつながりが出来ますネ!」
「署
長!そうしたら本店にどんどん栄転できますよ!」
ハッハッハとお気楽に笑い合う3人だった。
の
だめは運転しながら、こっそりとバックミラーから千秋の姿を見ていた。
後部座席の千秋は黙々と捜査資料に目を通していた。
…
長い、まつ毛ですネ…。
のだめはうっとりと見とれる。
キキーッ!!。
「ム
キャ!!」
千秋に見とれていたのだめは、横路地から飛び出してきた車とぶつかりそうになった。
慌
てて急ブレーキを踏む。
がくんと二人の体が前のめりになる。
「…」
「ご…
ごめんなさい…」
「…いいから、ちゃんと前見て運転して」
「ハ、ハイ」
改
めてアクセルを踏むのだめ。
そのまましばらく運転していると、千秋が声を掛けてきた。
「病
院まで何分くらい?」
「30分くらいデス!昨日、寝ないで地図研究したんデス!」
「…」
無
言のままの千秋に、のだめは高揚した気分のまま話しかける。
「殺人の動機はなんなんでしょうネ〜。やはり…覚醒
剤がらみでしょうか」
「…」
「管理官が、のだめを指名していただいたんですよネ!。のだめなんでもしますヨ!
研
修の時は、…まあ、成績は…おいといて…事情聴取は先生に誉められてました!」
「おい」
「なんでもやらせてくだ
サイ!必ずこの事件を解決へと導いてみせマス!!」
「捜査はこっちでやる。君は黙って運転してくれ」
「…ハ
イ…」
しょぼんとした表情になるのだめ。
千秋はそのまま、また資料に目を落とし始めたがー
しばらくして、通り過ぎる景色が見慣れないものであることに気づく。
「おい」
「ハイ?」
「…
どこを走っている」
「え〜と、今、○○町を走ってる筈なんデスが」
「…さっき見えた標識は&
times;×町だったぞ」
「ムキャ?」
「…おい、車を止めて地図を見せろ」
キッ
と音を立てて、車を道路脇に止めた。
のだめが差し出した地図に、千秋が後部座席から顔を寄せて見た。
肩越しに感
じる千秋の息づかいに、のだめの心臓がドキッとする。
「○○町へ行くには、ここの信号を右へ曲がらないといけな
いだろう」
地図で指でなぞる千秋にのだめは首を傾げる。
「はう〜。…
よく、わかりません…。管理官、のだめ達は今いったいどこにいるんデスか?」
「ーお前は、本当に地図を見たのかっっ!!」
結
局、病院に着いたのは、それから一時間たってからだった。
むすっと不機嫌そうに歩く千秋の後を、のだめはぱたぱたと後から着いてい
く。
目指す病室の前には、警視庁の捜査員が詰めていた。
「彼女の容態は?」
「医
師の話では、めだった外傷等はないんですが、…ただ死体を見たショックがかなり大きいみたいで…」
「…」
「二、
三日、事情聴取は無理かと思われます」
「待っていられません。他に目撃者はいないんです」
「ーしかし」
抗
議しようとした捜査員を無視して、千秋は病室のドアを開けて入っていった。
のだめも後から着いて行こうとして捜査員から止められた。
「お
い!お前はいい。ここで待ってろ」
のだめは、その捜査員ににこおっと笑うと、その傍らをするっとすり抜けて病室
に入った。
「おい!!」
病
室の中では、三善アパルトマンの管理人アンナが放心したようにベッドに横たわっていた。
千秋が入っていくと、ゆっくりと目を向けた。
の
だめは息を呑んで、成り行きを見守っていた。
「警視庁捜査一課管理官の千秋です。殺された長田さんを一番最初に
発見したのはあなたですね」
「…」
アンナはぼんやりと千秋を見つめる。
心
がここにあらずといったようだ。
「あなたは屋根裏部屋で首を絞められて死んでいる長田さんを見たんですね」
千
秋の言葉に、アンナの目に怯えたような色が浮かぶ。
「その前後にアパルトマンの中で、誰かと会いませんでした
か?何か見た物は」
「…」
「殺される前に、長田さんに何か変わったことは?誰かに恨まれているとか、対人関係で
誰かと揉めている
という話を聞きませんでしたか?」
「…」
「ー答えるんだ」
ア
ンナの目から涙がこぼれ落ちた。
「あのっ!」
思わずのだめは声をかけ
た。
二人が同時にのだめの方を見る。
「あの…そこの鈴蘭の花…とても綺麗に咲いてますよ
ネ」
のだめが指さした机の上には、だれかが生けたのであろう薄青い網籠の花瓶にさされた白い鈴蘭の花が、
重
苦しい空気の中そこだけ別世界のように清涼な雰囲気をかもし出していた。
「ーよけいな口を出すのは慎みたまえ」
千
秋が苦々しげにのだめに言う。ーその時。
「ー綺麗でしょう。鈴蘭の花は、私の一番好きな花なのよ」
ア
ンナが初めて口を開いた。
千秋は思わず目を見張る。
「…鈴蘭の花言葉って、『純潔』とか
『清らかな愛』なのよ。ーナガタも良く言っていたわ。
『アンナは鈴蘭のようだね』って」
「………」
「………」
ー
それは、…はたしてどうなんだろうか…。
『純潔』とか『清らかな愛』とか言う言葉からは至極無縁のような容姿の
アンナを見て、千秋とのだめは無言になる。
「ーあなたと長田さんは恋人同士だったんデスか?」
や
がてポツリとのだめが呟いた。
アンナはふっと笑って言う。
「…違うわ…そんなんじゃない
わ…。ただ、昔から私はあのアパルトマンの管理人をしていて…。その頃から
住んでいたナガタとは古いつき合いなのよ」
「…」
「ほ
ら、これを見て」
アンナは布団の中から手を出して、ずっと握りしめていたであろう写真を二人に見せた。
そ
こには楽しそうに笑う若い男女の姿が写っていた。
男性の方はは、若い頃の長田であろう。面影がどことなく残っている。
隣
には、セクシーなロングヘアの美女が笑っていた。
「若い頃のナガタと私よ」
「………」
「………」
「ー
今と変わらないでしょう」
「………」
「………」
「ーつむじの位置は同じだな」
「ー
首の後ろのホクロも変わってませんヨ」
「見えてないでしょ!!」
アンナは思わず起きあがっ
て、般若のような顔で二人を睨み付ける。
そのままふうっと息を吐くと、またベッドに横になった。
「彼
は若い頃からずっと売れない画家の卵として、それでも楽しそうに生き生きと作品を描いていたわ。
彼独特の世界観をもっていて…とても
素晴らしい壁の絵を描き続けていたの。
今度、初めての個展が開かれることになって、やっと日の目を見るときが来たって喜んでいたの
に…」
アンナは目を閉じた。
「ー知っていることは、全部捜査員に話し
たわ…。私は何も見ていないし、何も知らない」
千
秋は黙ったまま病室から出て、前に立っていた捜査員に指示を出した。
「事情聴取を続けてください。」
そ
のままくるりと背中を向けると歩いて立ち去ろうとする。
捜査員はしばらくきゅっと口を結んで黙っていたが、いきなりその背中に言葉を
投げつけた。
「ーそんなに手柄を立てたいか」
千秋はゆっくりと振り返
る。
「どんなに頑張ったって、お前は出世なんかしないんだよ」
「…」
「父
親のことがある限りな!」
どぼどぼどぼ。
「わっ冷てえっっ!!」
捜
査員がびっくりして前に飛びずさる。
後ろには、薄青い網籠の花瓶を持ったのだめが立っていた。
ぺこりと神妙に頭
を下げる。
「すみまセン…。花瓶の水を代えようとしたら、こぼしちゃって…」
「違うだろ!
今、明らかにお前、意図的にオレのシャツの背中の首もとからどぼどぼと水を注ぎ込んだろう!!」
のだめは怒って
掴みかかってくる捜査員をするりとかわしながら、千秋ににっこり笑いかけた。
「千秋管理官、次の現場に行かなけ
ればいけないんでショ。のだめもお供しマス!」
「…」
二
人は車に乗り込むと、病院を後にした。
「お前は…俺の父親のことを…」
「ハイ?」
「…
いや…なんでもない。それよりも、次はこの住所にある店に向かってくれ」
そういって後部座席からメモをのだめに
渡す。
のだめは、そのメモに書かれている店名を見て、ムキャっと奇声を上げる。
「Prilin…
デスか?」
「覚醒剤が入っていたぬいぐるみの小売店だ。覚醒剤の密売ルートではないかと捜査本部で疑っている…どうした?」
「…
イエ」
車は今度はスムーズに迷わずに道を進むと、とある店の駐車場につけた。
「…
ここは…?」
そこはどうやらアニメショップのようだった。
店内にはいたるところになアニメ
のポスターが貼ってあり、露出度の高い服を着た女の子のアニメキャラクターがポスターの中からにっこり笑っていた。
所狭しと並べられ
たグッズの前には、オタク青年達が品物を一生懸命に吟味している。
「千秋管理官、こっちですヨ」
「…」
と
まどう千秋を、何故か勝手知ったる様子ですいすいとのだめはカウンターまで導いた。
カウンターにいた一人の青年が顔をあげると、のだ
めに笑いかけた。
「やあ、のだめ」
「こんにちは、フランク」
「今日は
何を買いに来たの?新作のカズオのフィギィア入ったよ!」
「……お前は……ここの常連客だったのか…」
「ーえー
と、あの…」
恥ずかしそうに頭の後ろをぽりぽりと掻くのだめを無視して、千秋はスーツの胸ポケットから警察手帳
を出した。
「警察のものだ。少し話を聞きたい」
フランクは驚いたよう
にのだめを見る。
「ーのだめ。…この人は…」
「のだめの恋人の本庁の千秋管理官デス」
ゲ
ハッと頬を染めて千秋に寄り添うのだめ。
「恋人…」
「恋人じゃねえっっ!!」
ぶ
わしいいいいいんっっ!!
千秋は思わず、のだめの頭を後ろから殴った。
のだめは殴られた箇所を手でさすりなが
ら、はう〜と情けない声をあげる。
「ほんの願望だったのに…。そうだったら、いいのにな〜って。」
「勝
手に妄想するんじゃねえっ!この変態!」
そんな二人を見ながら、フランクは何故かほっとしたような表情になっ
た。
「そっか…恋人じゃないんだ…」
「えっ?」
「ーいや、なんでもあ
りません!。それより警察の方がボクにいったい何の用ですか?」
「この写真を見てもらいたい」
そ
う言って、千秋がスッとカウンターの上に滑らせたのは…あの、ごろ太のぬいぐるみだった。
「あっ…これ…」
「ご
ろ太のぬいぐるみですネ。限定版でのだめが買いに来たら、もう売り切れてたっていう奴〜」
「あの時は5個しか入荷できなくってね。す
ぐに売り切れたんだ」
「フランク〜。なんで、のだめに取り置きしておいてくれなかったんデスか!のだめ常連さんなのに!」
「予
約とらないのが、うちの店のモットーだし」
「…とにかく…それを売った人間の中に、こいつはいなかったか?」
千
秋はため息をつきながら、もう一枚写真を取り出した。
写真には強面でガタイのいい男が写っていた。
サングラスを
しているので、素顔はわからない。
「通称『オリバー』だ。覚醒剤の密売人として以前からマークされていた。先
日、成田空港でしたっぱの刑事が
取り逃がして内密に行方を追っているところだ」
「…」
フ
ランクはう〜ん、と眉間にしわを寄せて考え込みながら言う。
そして、不意に思い出したかのようにポンっと両手を打つ。
「ー
思い出したよ。ごろ太のぬいぐるみとともに、きらりんレボリューションのキーホルダーとクロミちゃんの着ぐるみ
を買っていった人だ!
えらくごつい人が買っていくと思ったから、印象に残ってたんだ!」
「ムキャ!クロミちゃんの着ぐるみ…欲しいです」
「そ
の時、どこか現在の居住先やこれからの予定などをこちらに教えたりするようなことはなかったですか」
フランクは
腕を組んでしばらく考え込んでいた。
そして口を開く。
「いや…特別にはないけど…」
の
だめがそんなフランクを見て、とても不思議そうな顔をする。
「何か話をしましたか?」
「い
え、とても無口な人でした。だいたいこの店に来る人って顔を背けてレジに来る人が多くて…のだめは例外だけどね」
「…そうですか…ま
た、何か思い出したことがありましたら、こちらに連絡ください」
千秋はそう言って名刺を出すと、店を出ようとす
る。
すこしでも異様なオタク空間から早く脱出したかったというのもあるが。
後からついてきたのだめは相変わら
ず、首を傾げている。
「…どうした?」
「ーイエ…ただ…フランクは何かを隠しているような
気がするんですよネ。いつもだったら『のだめ、のだめ、聞いて〜』とか
言って、何でも包み隠さないで話してくれているのに…」
「警
察の職務尋問とかになるとだいたいの人間はためらう…。厄介ごとに巻き込まれたくないからだ。ここにも何度か
繰り返し、足を運ばなけ
ればならないだろう…。とりあえず、署に帰るぞ」
「ハイ。ー管理官」
のだめが足を止めた。
千
秋も、つられて立ち止まる。
「ーなんだ」
「…この、プリごろ太のデスクマット、管理官の机
にどうデスか?…仕事で疲れた時にふっと机の上を見ると…
プリリンの笑顔が…。疲れが癒されますヨ」
「いる
かっっ!!そんなもんっ!!」
のだめは、また運
転席に座りハンドルを握っていた。
千秋は後部座席で、携帯電話から本部に連絡をしている。
「ー
そういうことだから、この男が鍵を握っていることは確かだ。検挙にいっそう力をあげてくれ。
ー犯人の侵入経路は判ったか?画廊周辺の
聞き込みは?ーなら、人数増やして、捜査範囲広げてくれ。
そんなことは言われる前にやってくれ!!」
電
話口に向かって怒鳴りつけると、そのまま携帯を切る。
ーそのまま後部座席によりかかると目を閉じる。
「…
くそ…」
ポツリと一言呟くと、そのまま静かになる。
やがて、静かな寝息が聞こえてきた。
「…
管理官…お疲れなんですネ…」
のだめは後ろを振り返り、ふっと微笑む。
「…
おやすみなさ〜い…」
「千秋管理官、着きました
ヨ」
のだめから軽く揺り起こされて、千秋は目が覚める。
もう、かなり時間も遅いのだろう。
外
は真っ暗だった。
目をこすりながら起きあがり、後部座席から出て周囲を見回すと…。
「お
い…ここはどこだ…」
目の前には、見知らぬ古びた建物が建っていた。
元は白かったであろう
壁は茶色くなっており、周辺はろくに手入れもしていないのか草がぼうぼうに生えていた。
のだめはにっこりと笑った。
「あ、
ここはのだめの住んでいるアパートデス」
「…なんでこんなところにいる」
「千秋管理官がかなりお疲れのようだか
ら、夕食をごちそうしてコーヒーでも入れようと思って♪ギャハ」
「ーいらん。俺は捜査が残っているんだ。帰るぞ」
踵
を返して立ち去ろうとする千秋の腕を、のだめは引っ張って必死に止める。
「そんなこと言わずにー!。少しだけ、
少しだけデスからーっ!!」
「うるせえっっ!!こんなところでゆっくりしてられるほど俺は暇じゃねえっ!」
「ー
ごろ太のぬいぐるみありますヨ」
のだめはポツリと言う。
「え?」
「あ
れと一緒ではないですけど、同タイプデス。覚醒剤の運ぶルートの手がかりのヒントになるかもしれまセン」
「…そうなのか」
「そ
うデス、そうデス。ーさあ〜行きましょう!!」
のだめは強引に千秋の背中をぐいぐいと押した。
ド
アがギィィと開く。
中は真っ暗で何も見えない。
「足下散らかってマスから気をつけてくださ
いネ〜」
「ーおい、玄関の電気は…」
「あー、こないだ電球が切れちゃってそのまま取り替えてないんですよネ〜」
「…」
千
秋は靴を脱いで真っ暗な部屋の中に上がる。
なんだか床がざらざらする…ような気がする。
それにあちこちで足に何
か物が当たったり、踏んづけたりして歩きづらいことこの上ない。
そして、つんと鼻につく匂い。……なんだ、この匂いは。
「電
気つけますよ〜」
パチ。
いきなり部屋の電気がつき、眩しさに一瞬千秋は目を細めた。
ー
そして、彼の目に入ったものは。
この狭い部屋にはふさわしくないようなピアノ…しかし、その上はテーブルと化しているらしく、
食
べかけのカップ麺や汚れた皿、封が開いたままのスナック菓子が置いてある。
床一面は、段ボールの山だ。
ー引っ越
ししたばかりなのか?
それでも脱ぎ散らかした洋服や下着などが無造作に突っ込まれているところを見ると、生活している跡がある。
あ
ちこちに散らばっている紙くず、空のペットボトル、いくつもある大きなゴミ袋
…穴が空いているのかゴミ袋から液が床ににじみ出ている
ようで…異臭はここからしているようだ。
千秋は唖然と立ちつくしたまま、声も出ない。
その中を乗り越えるように
して、のだめはすいすいと台所へ向かう。
…こんな状態の部屋を、人に見られても恥ずかしくないのか…?。
のだめ
は冷蔵庫を開けると、ぎゃぼんと奇声をあげる。
「あれ〜。冷蔵庫空っぽデス。千秋管理官、焼きうどんでいいデス
か?賞味期限1ヶ月くらい切れてますケド、大丈夫ですよネ〜」
千秋は答えない。
ぷるぷると
背中が震えているようだ。
「千秋管理官…焼きうどん好きじゃなかったデスか?
ーじゃあ、
こっちの豚肉で野菜いためつくろうかな…肉の色変わってますけど炒めればきっと大丈夫デス」
そういいながら、の
だめは野菜室をごそごそと探る。
「ムキャ!もやしが液状になってる…。人参って、白かったですかネ(カビで
す)。あ〜キャベツもドロドロに…」
「いい加減にしろ!!」
突然、千秋が怒鳴り声をあげ
る。
「ムキャ?」
「これが、年頃の女の…いや、人間の住む部屋か!!」
「管
理官…?」
「ー掃除道具」
「へ?」
「掃除道具、全部出せ!!」
千
秋はそういうと目の前にあるビニール袋に、散らかったゴミを突っ込み始めた。
「えーと、えーと…掃除機は…あ、
お風呂場だ!」
「なんで風呂場に掃除機があるんだよ!!雑巾は!?」
「あ、そこのタオル掛けにかかってマス」
「タ
オル掛けに雑巾をかけてんじゃねえっっ!!」
そういいながら、床のゴミを掴もうとして…何かが転がっていた。
「お
い…これは…印鑑と通帳じゃねえか…」
「あー…良かった!!2週間前から探してたんですヨ!」
「良くねえ!!。
思わず、ゴミとして捨てるところだったじゃねえかっ!!」
千秋は振り返ると、のだめを真剣な目で見て言う。
「…
おい…お前…服を脱げ」
「ームキャ!」
のだめはかーっと耳まで赤くなってうろたえた。
「そ
りゃ…のだめも…初めて会った時から…管理官のこと素敵だなあって思ってましたが…そんな…いきなり…
のだめはそんなつもりで、部屋
に上げた訳じゃ…。ーまだ、早すぎマス!!」
「いったい何の想像してるんだ!ジャケットを脱げって言ってるんだ!そのままじゃ掃除で
きねえだろうが!!」
「…はあ…そういうことなんですネ」
のだめは安堵(?)のため息をつ
くと、着ていたジャケットを脱ぐとそのままソファーに放り投げた。
しぶしぶブラウスの袖をまくって掃除をする体勢を整える。ーと。
「…
おい…それは…?」
「へ?」
のだめは急に強ばった千秋の視線の先に目を向け、それから
あっ…というような表情をする。
ーまくった袖口からのぞいている、のだめの右腕には大きな切り傷があった。
「あー
これは、昔、交通事故にあった時の傷なんデス」
「…」
「お見苦しいもの見せちゃって、すみまセン」
の
だめは何でもないように笑って、ぺこりと頭を下げた。
…交通事故の傷…?。
千秋は、口には出さずに心の中で考え
た。
ー違うだろ?。これは、どうみたって…。
「別に…どうだっていい
けど…」
誰かに切りつけられた傷跡だ。
「ーそんなことより」
千
秋はすっと財布からお札を出してのだめに渡した。
のだめが、へ?という顔をする。
「…今か
らコンビニに走って、キッチンハイター、カビキラー、ガラスマイペット…とにかく思いつく限りの洗剤を買って来い!」
「ムキャ?」
「い
いから行け!」
「は、はいいっ!」
のだめは訳がわからないまま、返事をして玄関に出て靴を
履いた。
そんなのだめの背中に千秋が大声で怒鳴る。
「ゴミ袋とスポンジ、使い捨て手袋とマ
スクも忘れんじゃねえぞっっ!!」
「のだめって呼んでくだサイ!」
「うるせえっ!!」
元
気よく外に飛び出していったのだめを見送りながら、千秋が大きくため息をついた。
続
く。