捜査本部のある会議室では、千秋が捜 査資料に目を通していた。

「犯行現場の写真を見せてください」

警視庁 の捜査員が写真を数枚持ってくる。
千秋は1枚1枚丹念に写真に目を通していたが…その表情が険しくなる。

「死 体周りがないですけど」
「ーああ、すみません」

先ほどの捜査員が、写真を面倒くさそうに 持ってきて、千秋の机に放った。

「ー俺に写真を見せたくないのか?」
「忘れただけですよ。 以後気をつけます。ー捜査官もいろいろとお忙しいみたいですから、手が回らないんじゃないかと思って。
女性刑事とちゃらちゃら遊んで いて、大事な証人を取り逃がすくらいですからね」

捜査員は慇懃無礼に礼を一つすると、離れていった。

「………」

千 秋は無言でコーヒーに口をつけた。
すっかり冷めてしまったそのコーヒーの苦い味が口の中に広がる。
千秋はガタン と椅子を鳴らして立ち上がった。




「お゛ばよ゛ う゛ござい゛ま゛ず…」

刑事課では片平が出勤してきた。
すごいだみ声に、周囲の人間が思わ ず注目する。

「………どうしたの?係長。声がガラガラだよ」

声をかけ てきた大河内に片平は何故か目をそらす。

「あ…その、なんだか、風邪をひいたみたいで…」
「そ う、気をつけてよ。特捜設置中なんだからーあれ?」

大河内の目にうつったのは…眠そうに大あくびをしているリュ カの姿。

「リュカくん?なんだか寝不足みたいだね?勉強のし過ぎ?」
「…あ、…えっと、… はあ」
「ほどほどにがんばってね〜」

そこへ電話で話していた防犯係係長が、大河内に向かっ て言う。

「課長!。ユンロンが夜中からの腹痛で休むと連絡がありました!」
「え〜〜〜」

大 河内は顔をしかめると自分の椅子にドカッと大きな音をたてて腰を下ろす。

「皆、何やってるのよ〜。しっかりして よ、今、一番大事な時期なんだから…」

そこへのだめと、ドゥーンが出勤してくる。
いつもと 変わらずに何もかもがどうでもよさげなスタンスは崩さないドゥーンと、ふらふらと亡霊のようにうろついて
ホタルのようになってしまっ ているのだめ。

「ちょ…ちょっと、野田くん…どうしたの?」
「………おはようございマ ス………」

のだめは椅子に座るなり、ぐったりと机にうっ伏した。

「ちょっ と!皆どうしちゃったのよ!!。うちの本店へのアピールポイントは、早い!生きがいい!24時間いつでも対応できます!
ってなことな んだから、こんなに皆で弱ってたら仕事なくなっちゃうよ…」

そこへ。
刑事課のドアがバタン とあいて黒いコートが舞い上がる。
千秋がやって来たのだ。
大急ぎで直立不動の姿勢をとる大河内。

「ち、 千秋管理官、おはようございます!」
「ーおはようございます」

千秋の目とのだめの目が一瞬 合った。それもつかの間、のだめはきゅっと唇を噛みしめるとぷいと顔を横にそらす。
千秋は軽くため息をつきながら言う。

「現 場に行きたいんですけど、誰か車を出してください」
「は、はい、ただ今。おまかせください!うちの課には生きのいい運転手がそろって おります!」

そう言いながら、片手を広げて刑事課内をアピールする大河内。しかし。
片平は カラオケの歌いすぎで喉が痛いのか、机の上で喉スプレーをしゅっしゅっと振りかけている。
リュカは昨晩夜更かししたため、机の上で睡 眠中…。
ドゥーンは仕事中だというのに、何故かヴァイオリンの手入れをしている。
のだめはというと…強ばった表 情のまま、床に目を落としたままだ。

「………」
「あ…あれ?ーいや、いつもはこんなことな いんですけどね!」

あせった大河内は片平を呼ぶ。

「片平くん!管理官 の運転手してよ!」
「…すみません、私は共済組合からの連絡を待ってるんです」

『一戸建て に住むなら今、応援しますキャンペーン』と書かれたパンフレットを見せる。

「マイホーム作れるチャンスなんで す!」
「………リュカくんは、運転できないし…。ドゥーンさん、行ってよ!」
「スポーツ店のシューズ強盗で呼ば れてるんで、今から行かなきゃいけないんだよネ」
「じゃあ、なんでそんなことやってるの!」
「朝の日課だヨ」

は あ…と深くため息をついて、大河内はのだめの方を振り返った。

「…じゃあ…野田くん、行ってくれる?」






エ ンジン音を響かせながら、車が発進した。
運転をしているのはのだめ。
千秋は相変わらず、後部座席で資料を読んで いる。
二人とも全くしゃべらなくて沈黙の時間が続き、そのせいか今までのところ車はスムーズに目的地へ走っている。
こ の間と違う、重苦しい雰囲気に千秋は少し眉をひそめた。

「おい…」

の だめは前を見て運転しながら答えない。
千秋は、軽くため息をつく。

「……無視か……」
「… 別に……そんなんじゃありまセン」

のだめがポツリと言った。

「ー何か 怒ってるんだろう?。…まあ、別にどうだっていいけど」
「どうだってよくなんかありまセン!!」

の だめは急ブレーキを踏んだ。
がくんと前のめりになり、文句を言おうと口を開きかけた千秋を、のだめはキッと睨み付けた。

「ど うして、Prilin の強制捜査をするって連絡がうちの署になかったんデスか?」
「必要ない」
「ーだって…特 捜本部設置場所ですヨ。…もし、事前にわかっていたら…」
「わかっていたらなんだ」
「………」
「店 主のフランクを自ら説得して事情聴取に協力させるとかそういうことか」
「それは…」

言葉を 失うのだめに対して、千秋はあくまでも冷静だ。

「…前日に聞き込みに来ていたのに店主を取り逃がしたのは俺の失 態だ。多分本庁の上部でもかなり問題になっているだろう。
この穴はどこかで埋めなければならない」
「………」
「こ んなところでお前と話している無駄な時間なんてない。車を発進させろ」
「………」




キッ と音をさせて車は殺害現場であった、三善アパルトマン前に止まった。
例のロード・オブ・ザ・リングの門をくぐり、千秋はアパルトマン 内へと入った。
のだめはしばしためらったが、後からついていくことに決めたようだ。
捜査初日のような捜査員の数 はおらず、何人かが形ばかりの警固として現場についているだけだった。
捜査員が千秋の姿を見るとさっと敬礼する。

「ー 何か見つかったか?」
「いえ、まだ」
「…そうか」

現場である屋根裏部 屋にロープをくぐって入る。
千秋は相変わらず油絵の具臭い部屋をぐるりと見渡すと、部屋の入り口の所でもじもじしているのだめに気づ く。

「何してるんだ。入ってこい」
「えっ…」
「いつもなら、何も言わ なくても入ってくるだろう。うきゃーとかムキャーとか言いながら」

馬鹿にしたような千秋の言い方に、のだめは少 し頬を膨らませる。
それでも、意を決したように部屋内に入る。
死体があった後には、チョークで線がひかれてい た。

「…ずいぶん…片づきましたネ」
「ああ。鑑識にかなり回したからな」

の だめはしゃがみ込んで床に触る。

「ーでも、結構汚れてますね。あちこちにゴミが落ちてるし。あまり掃除をしない 人だったんですかネ」
「…彼もお前にだけは言われたくないと思うぞ」
「ムキャー!!それはどういう意味ですか」

む きになって怒るのだめを見て、千秋は彼にしては珍しく軽く笑ったがすぐに表情を引き締めた。

「犯人がオリバーで あるのは間違いない。何度かこの部屋に入るのをアパルトマンの住人も目撃している。
しかし…まだ肝心なことがまるでわかっていない。 当日どうやって彼がこの部屋に侵入しどうやって殺害したのか。
凶器もまだ見つかっていない。被疑者であるオリバーと、事情を知ってい ると見られるフランクを検挙してきて、
事情聴取するしかない」
「管理官…」

の だめがぽかんと口を開け意外そうな顔をする。

「…どうして…そんな捜査上の重要なこと、のだめに話してるんデス か?」
「だって、お前話さないと拗ねるだろ?」
「ー別に…拗ねてなんか…」
「冗談だよ。ー なんかお前、カンが良さそうだからさ…何かわかるんじゃないかと思って」

千秋は置いてあった椅子にすとんと座る と頭をくしゃっとかかき回した。

「…捜査…行き詰まっているんデスか」
「ああ、お手上げ だ」
「…なんだか…変な感じデス…。ーこんなに素直な管理官って…」
「気持ち悪いか?」
「イ エ、…すごく可愛いデス」

のだめの言葉に千秋の肩がずるっと落ちる。

「妙 なことばっかり言ってねえで、少しは現場検証しろっ!…まあ、あらかた本部に持っていった後だから何も残っちゃいないが…」

の だめは目を細めるとゆっくりと部屋の中を歩き始めた。
家具自体はシンプルだった。
シングルベットに白いシーツが ひかれ、中央には食事をするためのテーブルに椅子が二脚置かれている。
窓際には作業をするための机がおかれて絵の具がこびりついてい た。
部屋をしきるためのカーテンがある。ーどうやら、大事な絵はここに飾ってあったようだ。
ふと天井を見上げ る。
古びたシーリングファンが電気も入れられていないので回ることもなく、そこにあった。

「管 理官、あそこを見たいんですけど」
「なんだーああ、シーリングファンか。多分捜査員が調べた筈だぞ」
「でも、の だめも見てみたいんデス。ぜひお願いしマス」
「?。お願いします?」
「肩車してくだサイ!」
「は あっ!?」

千秋は目を大きく見開く。

「おいっ!!ーなんで、俺がそん なコト…」
「椅子に上がったくらいじゃ届かないんですヨ。事件を解決するためデス。協力してくだサイ」

千 秋は口を開いて何かを言いかけたが、しぶしぶ目的の真下に行くと、しゃがみ込んでのだめに背中を向けた。

「ーほ ら」
「ムキャ。ありがとうございマス。では、ちょっと失礼して…あ、管理官、じろじろ見ないでくださいね。
のだ めミニスカートですから」
「見るかっ!!」

のだめは千秋の頭につかまって体を支えながらよ いしょっと千秋の肩に乗った。
のだめの素肌の太股の柔らかく吸い付くような感触が、千秋の頬や首に当たる。
お い…こいつかなりスカートたくし上げてないか…今、ここで人が入って来たらどうするんだよ。
なんだか千秋は落ち着かない気持ちにな る。

「…そら、立ち上がるぞ。落ちるなよ」
「ハイ!どうぞ!」

千 秋はゆっくりと立ち上がる。
千秋の高い身長のせいか、のだめの視界はぐんと高くなる。

「は う〜。なんだか遊園地の乗り物に乗っているみたいで楽しいですねえ♪」
「遊んでねえで、ちゃんと目的のものを見ろ!!」
「は 〜い」

のだめはシーリングファンに近寄ると、丹念にその周辺を調べた。

「こ れがあると、なんだか南国風って感じがするんデスよね〜。実際は回っていてもそんなに涼しいとか感じないんですけどネ。
喫茶店とかに よくあるじゃないですか。装飾だけの奴」
「ぐだぐだしゃべってねえでちゃんと調べてるのか!こっちは重てえんだよ!」
「ム キャ!」

口を尖らせたのだめは、あるものに気づく。

「管理官…この ファンをつり下げているワイヤーに何かこすれたような跡がありますヨ」

一見わからないような小さな跡だ。

「あ あ、それはアンナにも確認したそうだ。長田は完成した絵を確認するために、紐でそこにキャンパスをぶら下げて遠くから
眺めることが あったそうだ」
「そうデスか…」
「納得したら、下りろ」

ところがのだ めは調子にのってぎゅうっと千秋の頭を抱え込む。
太股もさらに強くからみつき…刺激的なことこの上ない。

「は うん…管理官の頭に抱きつけてのだめ幸せデス〜」
「いい加減にしろっ!変態っ!!。ぶん投げるぞ!」
「はう〜す いまセン…」





「これで一 応、全部確認したな」
「…お役に立てなくてすみまセン」

のだめは申し訳なさそうに言うと、 しばらく考え込みぽんっと手を叩いた。

「そうだ!アパルトマンの他の部屋の人に聞き込みしましょうヨ」
「は あ!?そんなのは他の捜査員が既にやっている」
「人づてで聞くのと、実際に本人から話を聞くのは大違いですヨ。管理官でないとわから ない何かがあるかもしれない
じゃないデスか!」

そう言いながら、のだめは千秋の手を引っ張 り、階段を下りある一室のドアの前で止まる。
ピンポーンとチャイムを押す。

「お…おい」
「い いからいいから」

出てきたのは、ヒョウ柄の派手な服を着た若い女性だった。
金髪で色も白 く、化粧も少し濃いめだ。

「はい?どなた?」
「警察です。先日殺害された長田さんのことで 少しお話伺いたいのですが…」
「え〜。もう何度も話したわよ〜」

その女性は、見るからにう んざりしたような表情になる。
よほどしつこく聞かれたのだろう。

「そんなこと言わずに…少 しだけでも…」
「だいたいあなた達警察はねー」

女性は文句をいいかけて、のだめの後ろにい る千秋の存在に気づく。
ぱあっと表情が変わる。

「うわ…いい男!。ーさあさあ、こんなとこ ろで立ち話もなんですから部屋に入って下さい!」

急に愛想が良くなり、とまどう二人を部屋に招き入れテーブルに つかせる。
部屋の真ん中にはピアノが置いてあった。

「コーヒーと紅茶どちらがいいですか 〜♪」
「いえ…私達は捜査中ですので、そんなおかまいなく」
「のだめ、コーヒーがいいデス!」
「お 前…」

ちゃっかりと自分の要求は主張するのだめに千秋は頭がくらくらしてきた。
「管理 官…」
「ーなんだよ」
「実は、結構押しに弱いタイプじゃないデスか?強引に誘われると断れないとか」
「う るせえ!!」
「おまちどうさま〜」

白地に花の模様のコーヒーカップにコーヒーを入れて女性 がやって来た。
挽きたてのコーヒーの良い香りが二人の鼻をくすぐる。

「私はターニャ19歳 よ。ロシアが出身で、今コンセルヴァトワールのピアノ科に留学しているの。特技は料理とオシャレよ。
好きな男性のタイプは、クールな ナイスガイ。ーそう、あ・な・たみたいな…」

テーブルの端から千秋に熱い視線を送るターニャの視界を遮るように のだめがにゅっと顔を出す。

「誰もそんなこと聞いてませんヨ!捜査に来たんデスから!」
「う るさいわねえ!余計な口はさまないでよ!…ねえ…良かったらお名前を教えていただけませんか?」
「ーああ、失礼しました。私は警視庁 捜査一課管理官の千秋です。こちらは…」
「桃ヶ丘署の野田恵、のだめデス」
「ーあんたのことなんて聞いてないわ よ!…え?…のだめ?」

ターニャはのだめの名前を聞くと、何故か考え込むような表情になった。
そ していきなり大声をあげる。

「NODAME!」
「へ?」
「あなた、ピ アニストのNODAMEでしょう!。どこかで見たことのある顔だと思ってたのよ!」

千秋は驚いてのだめの顔を見 る。
ターニャの言葉を聞いたのだめの顔は白く血の気がひいていた。
膝に置かれた手が小刻みに震えている。

「ピ アノ界に新風を巻き起こしたシンデレラ…数々の有名なコンクールで次々と優勝!一躍時の人になってたのに、
急に引退宣言しちゃって… それきりマスコミにはいっさい顔を出さないし」
「………」
「ねえ、NODAMEなんでしょう?」
「… あの…」

のだめの声が震えている。
千秋が助け船を出そうと口を開きかけた瞬間。
ピ リリリリリリ。
ターニャの携帯電話がなった。

「アロー。うん、私。…うん…うん。ーえ〜! 今から〜!!ちょっと今、来客中なんだけど…う〜ん、わかった」

ターニャは電話を切ると、二人に向き直った。

「ご めんなさい!友達から電話があって楽譜を持ってきてもらいたいって言ってるのよ」
「あ、じゃあ私達はこの辺で…」
「す ぐにダッシュで行って来ますから、ここでお茶でも飲んでいてください!」

そういうとターニャは返事も聞かずに楽 譜をひっつかむとドアの向こうへと消えていった。





部 屋に残された二人の間に沈黙が漂う。

「…帰るか」
「……でも、鍵、開けっ放しですヨ」
「外 に警官がうろうろしてるんだ。別に何も何かある筈もない」
「はあ…」

のだめは緊張の糸が切 れたみたいに、肩で大きくふうーっと息をした。
千秋はそんなのだめを見ながら、しばらくためらった後で口を開く。

「ー お前…ピアニストだったのか?」

のだめはゆっくりと千秋に顔を向けると、えへへと困ったような顔で笑った。

「ハ イ」
「ーそれが、なんでまた刑事なんかに…」
「………」
「……別に言いたくなければ言わな くてもいいけど…」

のだめは天井を見上げてしばらくそのままじっとしていたが、やがて意を決したかのように右の 腕のそでをまくった。
以前に千秋が見たとおり、そこには今もなお生々しい傷跡が残っていた。

「…… これのせいなんデス」
「……」
「神経をやられちゃって…ピアノを弾けるのは弾けるんですが、もうあの世界でやっ ていくことは出来なくなっちゃって…」
「……」

のだめはテーブルに頬杖をつくと、どこか遠 くをみているような表情をした。

「ちょっとした…事故…だったんデスけど…ピアノが思うように弾けなくなったっ ていうのが当時ののだめにはすごくショックで…
しばらく立ち直れなかったんデス」
「……」
「本 当に寝たきりの状態になっちゃって…何も考えられなくて何も出来なくて…」
「……」
「ーそんな時、事故の担当 だった刑事さんがすごく優しい人で…のだめのこと心配して何度も何度も訪ねてきてくれて…。
刑事って職業って、すごいなあ素晴らしい なあって思ったんデス」
「……」
「ー実際なってみると理想と現実は違いましたけどネ!」

の だめは屈託無く笑った。
千秋もつられてふっと微笑む。
ーそれから、ふと思いついたかのように部屋に置かれている ピアノを見やった。

「…良かったら…でいいんだけど…ピアノ弾いてくれないか?」
「ム キャ?」

のだめがびっくりしたような顔つきになる。
千秋は微妙にのだめと視線を合わせない ように顔を逸らせながら言う。

「ー俺も…小さい頃は指揮者を目指していたんだ。音楽の世界に入りたくて」
「……」
「… 周囲の状況は、それを俺に許さなかったけど…」
「……」
「簡単な奴でいい。ーお前のピアノが聞きたい」

の だめはしばらく千秋の顔を見つめていたが、やがてふわっと笑った。
ターニャのピアノの前に座り、鍵盤に手を添える。

「わ かりました!何がいいデスかね〜。じゃあ、ショパンで」

部屋の中に美しい音色が響き渡った。
の だめは口を尖らせて曲の世界に入り込んでいるようだ。
飛んで…、はねて…、ーカプリチオーソカンタービレ(気ままに気まぐれに歌うよ うに)。
千秋は目を閉じてじっとその旋律に聴き入る。

「あっ」

と 言って、のだめが顔をしかめると演奏をやめた。
どうやら指がつってつっかえたようだ。
千秋の方を振り向いて、す ごく申し訳なさそうな顔をした。

「…すみまセン」
「ーいいよ。…すごく…いい演奏だ。優し くて温かい…」

ーまるでお前みたいだ。
そう言いかけて、千秋は止めた。




結 局、アパルトマンの住人から有力な情報は得られなかった。
のだめの運転する車で、本部のある桃ヶ丘署に帰っていく二人。
話 す言葉もなく、車内には沈黙だけが漂っていた。

ピリリリリ。

いきなり のだめの携帯が鳴る。

「ちょっとすみまセン」

車を路肩に横付けして停 めると、のだめは携帯に出た。

「もしもし」
『………』
「…あのー、も しもし?」
『………のだめ?』
「ーフランク!?」

のだめはびっくりし て叫ぶと、はっとした顔で後部座席の千秋を見る。
千秋は鋭い目つきでのだめを見ていた。
のだめは小さくうなずく と再度、携帯を耳に当てる。

『ーのだめ…どうしたの?…今、大丈夫?』
「フランク…どうし て、のだめの携帯の番号がわかったんデスか?」
『…ごめん…。店の会員登録をしてもらう時に書いてもらった奴をこっそり控えてたん だ…』
「…フランク…いったいどうして…何があったんデスか?」

電話ごしに聞くフランクの 声は震えていた。

『ボク…何も知らなかったんだ…まさかクスリの密売の片棒を担がされていたなんて…。
ー こんなことになるなんて思ってもみなかったんだ…』
「フランク…」
『ーのだめ…どうしよう…ボク、ー殺され る!』

のだめは受話器をぎゅっと握りしめた。

「落ち着いてくだサ イ!。落ち着いて…今、どこにいるんデスか?」
『ーのだめ。…明日、○○○でアニメ・フェスティバルがあるの知ってるよね』
「あ、 ハイ。のだめも風邪ひいたことにして仕事休んで(オイ)行こうと思ってましタ」
『…ボクもそこに行くから…そこで会ってくれる?』
「フ ランク、でもー」
『ーお願い。…のだめだけで来て…。警察は連れてこないでー』
「フランク!」

ガ チャン。
ツーツーツー。

電話が切れた。

のだめは 呆然としたまま、切れてしまった携帯をじっと見つめていた。

「ーおい」

千 秋の声にのだめはゆっくりと振り返る。

「ー何だった」






の だめから話を聞き終わると千秋は携帯を手に取った。

「ムキャ…何してるんデスか?」
「決 まってるだろう。本部に連絡をとる。明日のアニメフェスティバルを緊急に包囲する」
「待ってください!」

の だめは助手席に手をかけて後部座席にいる千秋に訴えかけた。

「ーそんなことしたら…大勢の警察官の厳重な警備を 見たら…フランクは絶対に現れまセン!」
「何を言ってるんだ!。こうしている間にも、貴重な証言者の命が危険に晒されているかもしれ ないんだぞ!」
「そ…それは…」

のだめは口ごもった。
しばらく俯いて 何かを考えていたが…やがて、顔を上げるといたずらっぽい目つきで笑った。

「ーのだめに考えがありマス」





続 く。