「まったく…なんてことをしてくれたんだよ!」
大
河内課長が机の前で声を荒げていた。
その前に一列に並ばされているのは…のだめ…片平係長…ドゥーン…ユンロン…リュカ。
さ
すがもうにコスプレはしておらず、普段の勤務時の服装に戻っている。
「は、はっくしょん!!」
片
平が大きなくしゃみをする。
「…係長、風邪ひいたの?」
「ーいや…長時間…寒い戸外に薄着
でいたものですから…くしゃん!!」
はっはっはとドゥーンが笑う。
「若
いのに情けないノダ」
「ドゥーンさんは暖かそうな腹巻きしてたでしょう!…てゆうか、もう言葉戻してもいいんですよ?」
「そ
れがくせになっちゃって戻らないノダ」
「…なんだかすごくスムーズに使いこなせるようになってますね」
「もう
ばっちりナノダ」
のだめがリュカにこっそり写真を見せる。
「…?。
何、これ…」
「リュカの初☆コスプレ記念写真デス!」
どれどれとユンロンも一緒になって覗
き込む。
写っていたのはキティちゃんの着ぐるみを着せられてぶすっとした顔をしているリュカ。
その横でこれまた
ロボットの着ぐるみを着たユンロンが満開の笑顔でVサインをして写っていた。
「ーっ!!。なんで、そんなもの
撮ってるんだよーっ!」
「いや、少年時代の甘酸っぱい思い出の一ページにデスね」
「そんなのいらないよーっ!!
捨ててよ!!」
「のだめ、ボクに一枚ちょうだい!!」
バンッと大河内は机を叩いて散漫して
いる皆の意識を集中させようとする。
ー全く、この連中には反省の色というものがない!。
「本
部に内緒で単独捜査を行って…参考人と接触を図ろうとするなんて…上層部はもうカンカンだよ!
うちの面目も丸つぶれだしさ…もう…何
やってるのよ…君たち」
頭を押さえて机の上にうずくまる大河内。
「あ
の…」
おそるおそるのだめが声をかける。
「結果的にフランクを確保し
て、オリバーを逮捕できたんだから良かったんじゃないデスか?めでたしめでたしデスよ?」
「ところがそう簡単にはいかないんデスよ、
のだめちゃん」
ゆっくりとやってきたのは…シュトレーゼマン署長。
「み
なさ〜ん。ずいぶん楽しそうなことしていたらしいですよネ〜。どうして私も誘ってくれなかったんデスか?」
「署長!」
「じゃ
あ、署長はタキシード仮面様のコスプレで…」
「タキシード仮面?あの薔薇を投げる奴ですネ(何故知っている)。
…
私ものだめちゃんのメイドさん姿が見たかったのはやまやまなのデスが…」
そしてシュトレーゼマンは真面目な顔つ
きになる。
「本庁の監察官が今回の件で動いてマス。のだめちゃんは情報を入手した時点で上層部に報告すべきだっ
たデスね」
「でも、そんなことしていたら、フランクが…」
「…のだめちゃん。警察というところはそういう世界な
んデス。捜査は全て本庁の定めた捜査逮捕要項にのっとって行いマス。
のだめちゃんのしたことは警察官服務規定違反に該当しマス。ー処
分はまぬがれないと思いますヨ」
のだめはぎゅっと唇を噛みしめる。
「覚
悟はしてマス」
「署長…責任なら、係長である私がとります」
割って入り込む片平。
「係
長。あなたはこれからマイホーム建てなきゃいけないんでしょう?責任は若手を押さえきれなかった私にあるノダ。
どうせ私は定年間際ナ
ノダ。もうどうなったっていいノダ」
片平をかばうドゥーンだが、いい加減にその口調は直した方がよいと思う。
「署
長!ボクも…少しっていうか…かなり(自分の中で)楽しんだので…ボクにも責任があります!」
ユンロン、その前
にお前は買ってきた同人誌を出しっぱなしにしてないで机の中に隠しておいた方が良いと思うが。
リュカが無言のまま肘で大河内をつつ
く。
「……あ?……え……(しぶしぶと)しょ…署長。部下の責任は全て上司である…この大河内がとり…ます…」
「課
長…係長…ドゥーンさん…ユンロン…リュカ…」
のだめは皆の顔を見回した。
「ー
ありがとうございマス…。でも、これはのだめが言い出したことデスからのだめの責任デス」
のだめはまっすぐに
シュトレーゼマンの顔を見据えた。
「処分はのだめが一人でうけマス」
シュ
トレーゼマンはふっと笑った。
「まあ…どっちみちのだめちゃん一人で片がつく問題ではありまセンからね…特別捜
査本部指揮者である千秋管理官の
責任の追及も免れないでしょう」
「!!」
白
い壁に囲まれた無菌室のような小部屋。
机の前にはオリバーが憮然とした表情で座っている。
オリバーの背を見下ろ
しながら松田幸久はゆっくりと歩いていた。
「早く吐いちゃったら楽になると思うけどなあ〜」
松
田はオリバーの真向かいに座り、シュボッと煙草に火を付けてにっこり笑う。
「吸う?」
完
全に松田を無視して松田の方を見向きもしないオリバー。
その様子をじっと見ながら松田はふうーっと白い煙を吐いた。
「ー
君、ゴキブリ好き?」
「………は?」
意外な質問にオリバーの目が点になる。
「俺…
世界中で何が嫌いって…あの生き物ほど嫌いなものないんだよね〜。
ほら、どんなに気をつけていても暗くて湿っていて、食べ物のあると
ころならどこでも出現するでしょ〜。
大きく丸々太っていて、背中が油でぎとぎと光ってて、しゃかしゃかしゃかって忍者のように動きが
早くて…」
「………?」
「もし…この、生き物を口の中に入れたらどうなると思う?」
オ
リバーが顔を上げた。
サングラスをかけているのでその表情は見えないが、額にうっすらと汗をかいている。
「急
に狭い口内にとじこめられたらゴキちゃんもびっくりするよね〜。出口を探そうとしてしゃかしゃかしゃかしゃかと
歯列を、舌の上を、上
顎の下を這い回るだろうね〜。そのうちふとしたひょうしに足が千切れて落として行くかもしれない」
オリバーの顔
が青くなる。
大きな肩が小刻みにガタガタと震えだした。
松田は鞄に入っていた小さな小箱を取り出した。
「ー
おや、こんなところに箱が」
それから箱を耳に当てる。
中には何か生き物が入っているよう
で、しゃかしゃかと箱を内部から引っ掻くような音がする。
「そういえば、朝、台所で見つけたから思わず捕まえ
ちゃったんだよね〜。ほら、俺って優しいから生き物殺せないし」
オリバーの震えがいっそうひどくなる。
「ほ
ら、音を聞いてみてよ。けっこう元気がいいんだぜ〜こいつ」
オリバーは箱を近づけられるとガタッと飛びずさっ
た。
汗はだらだらだ。
「……はいっ!なんでも白状しますっ!!。ーだから…だから…それだ
けは勘弁をっ!!」
取り調べの様子を見ていた本部の二人の捜査員。
一
人が恐ろしいものを見たような顔つきでふうっと汗を拭く。
「やっぱりすごいよな…あの人。落としの松田って呼ば
れているんだぜ」
「なんであんな人が所轄の副署長なんてやってるんだろうな…」
「オ
リバー吐きました」
松田が書類を持って、本部にいる千秋のもとへやってきた。
ガタンっと椅
子から立ち上がる千秋。
「ーそうですか…ありがとうございます」
「クスリの密輸ルートと組
織メンバー割れました。今、保安課にフランクの証言との裏付けとってもらっています」
ほっとしたようにため息を
つく千秋。
「ただ…」
「ただ?」
「ー長田殺しに関してはいっさい否認
の姿勢を崩してはいません。あくまでも自分はやっていないと言い張っています」
「………」
「管理官…凶器もまだ
発見されていませんし…こいつは少し長期戦になりそうですよ」
「………」
千秋は難しい顔で
しばらく考え込み…ふと顔を上げると松田のニヤニヤして何かを言いたそうな目がそこにあった。
「…なんです
か?」
「管理官…、一般人の群衆の前で拳銃を取り出したそうですね。上で問題になってるみたいじゃないですか。
い
つも冷静で規律を重んじるあなたらしくもない」
「…追いつめられた被疑者がナイフを取り出し、捜査員の命が危険に晒されたからです」
「拳
銃を見せることで群衆が恐怖でパニック状態になることくらい、あなたなら想定内だったでしょう」
「………」
「ー
捜査員って…のだめちゃん?」
「は?」
きゅうにのだめの名前を出されて千秋は動揺する。
そ
の表情をみて、これはおもしろいものを見つけたとばかりに松田の目がいたずらっぽく輝く。
「あ、…そう〜。そう
いうことなの。のだめちゃんが刺されるかと思って、つい取り乱しちゃった訳だ」
「ーち、違うっっ!!」
松
田はうんうんとうなずきながら、千秋の肩をポンポンと叩く。
「愛する者の危険に我を忘れる管理官…いやあ、俺も
見たかったなあ〜」
「だから、それはー」
それから松田はそっと千秋の耳元に口を寄せる。
「い
やー。実はこういう情報も入って来てるんですよ。なんでもガンダムのアムロのコスプレをした青年と
メイドのコスプレをしていた可愛い
女の子が、人前で堂々と熱いキスを交わしていたらしいですよ」
「………っっ!」
「お盛んなのもいいですけど、ほ
どほどにして事件の早期解決目指しましょうね〜」
しばらくはこれで楽しく突っ込んで遊べる…とばかりに嬉しそう
に松田は部屋を出て行こうとする。
そこへのだめが息を切らして駆け込んで来た。
「ー管理
官!」
「おや、噂をすればのだめちゃん」
「あれ?副署長、いたんデスか?」
「あのねえ…目
の前にこんなにハンサムな人間がいて視界に入らない訳ないでしょ。…まったくもう…管理官しか目に入ってないんだから」
「ハイ!」
「ー
そこで、即答しない!…まったくもう…俺の方が断然ニヒルでワイルドで大人の男なんだけどなー」
松田は不服そう
にぶつぶつ呟きながら出て行った。
のだめは訳がわからないといったような表情でその後ろ姿を見つめていたが…くるりと千秋の方を向き
直る。
「ー管理官!。今回の潜入捜査のことで、管理官にもお咎めがあるって本当デスか?」
「…
どこからそんな話を」
「シュトレーゼマン署長が話していました」
「…もし、そうだったとしても、お前には関係な
い」
「そんなっ!。あの作戦はのだめが考えついたものですから全部のだめの責任デス!」
冷
たく言い放ち机の書類を片づけにかかろうとする千秋に、のだめがぐぐっと身を乗り出す。
…おい…顔が近すぎるだろう。
「ま
だ懲りてないのか…」
「ハイ?」
「ーいや、なんでもない。それよりも俺の処分についてお前が気に病む必要はな
い。
俺が特別捜査本部指揮者である立場にありながら勝手なことをしたという事実には変わりがない」
「でも、それ
はー」
「それよりも今はやらなければならないことがある。オリバーが長田殺しを否認している。
凶器の特定を急
ぎ、状況証拠をそろえて自白に持っていかなければ…」
「凶器…」
のだめはふと机の片隅の机
の上に置かれた花瓶に気がついた。
誰かが飾ったのであろう。
ピンク色とレモン色のスイトピーと白いかすみ草の花
が優しく咲き誇っていた。
「…管理官…」
「なんだ?」
「ーのだめ、気
がついたことがあるんですけれども…」
二
人が向かったのは三善アパルトマン。
ロード・オブ・ザ・リングの門をくぐり、一番最初のドアをノックする。
「は
い…ああ、あなた達なの」
出迎えたのはこのアパルトマンの管理人アンナだ。
先日無事に退院
をして、今は自宅で療養をしている。
千秋とのだめの二人を椅子に座らせてから、アンナはにっこりと笑う。
病院の
ベッドで無表情に横たわっていた姿はもうどこにも見あたらない。
「待っててね。すぐにお茶を入れるから」
「ど
うぞおかまいなく」
のだめはアンナの部屋の中をぐるりと見渡した。
ふと目が一点に止まる。
部
屋の片隅に置かれている小さな古いピアノ。
その上に置かれていたのは、病室にあった白い鈴蘭の花が生けられた薄青い網籠の花瓶。
の
だめはピアノに近寄り、それをそっと手に取った。
「コーヒーで良かったかしら…。あ…」
ア
ンナはのだめが手にしている花瓶を見て軽く声を上げた。
のだめはまっすぐにアンナを見る。
「………
これが、長田さんの命を奪ったものですネ」
「………」
のだめはゆっくりと網籠から花の入っ
た瓶を抜き取ると、それをひっくり返してみせた。
「これは、エコクラフトという素材で出来ていマス。細い紙ひも
をこよりにし並べて、帯状にしたものなのでけっこう強度がありマス。
最近はこれを使って手芸でバックや籠を作るのがはやっていマス。
…
長田さんは、これを紐として使って自殺されたのではないデスか?」
「………」
「そしてあなたはもう息のない状態
の長田さんを発見した。普通ならそこですぐに警察に通報する筈なのですが、あなたはそうはしなかった。
ーあなたは、シーリングファン
からぶら下がっている長田さんをどうにかして下ろすと、その紐を解いた。
そして何故かは良くわからないけど、その紐で花瓶を編み始め
た。ーまるで、凶器を隠滅して捜査を混乱してしまおうとするばかりに」
のだめはポケットからごそごそと紙くずを
出した。
「ーこれは、長田さんの部屋に散らばっていた紙くずデス。多分その花瓶と同じ素材だと思いマス」
「………」
部
屋には沈黙だけが漂っていた。
誰も口を開く者はいない。
やがて…アンナが…ゆっくりと唇を開いた。
「ー
そうよ……。その紐はナガタの命を奪ったにっくきもの……。ーよくわかったわね」
「友達が籠を作っているのを見たことがありマス」
「そ
う…」
のだめはきっと顔をあげた。
「ーでも、どうしてそんなことした
んデスか?そんなことをしたって長田さんは生き返って来ないのに…」
アンナはゆっくりと窓の方へ近寄った。
日
差しが眩しくて目を細める。
「ナガタは自分の絵を愛していたわ…。彼には才能があった…。一見、普通の人にはわ
からないような才能が
それがオリバーと彼の組織する覚醒剤組織によって踏みにじられた…。
彼にとっては自分の作
品を汚されたと同じくらいショックだったのでしょう…。
私、何度も言ったわ。
『他のことは関係ない。あなたはあ
なたの作品を描けばいいんだ』って…
でも彼は聞かなかった。
『アンナ…。ボクは自分の作品に誇りを持ってい
る…。犯罪の片棒をかつぐなんてことボクの感情が許せない』
…そして、ある日元気を出してもらおうと思って昼食を持って行ったら…彼
はすでに息絶えていたわ…。
何故、そんなことをしたのかは自分でもわからない。
気がついたらナガタの体を床に下
ろして横たえて、その紐で花瓶を編んでたの。
自殺の紐が見つからなければ、殺人事件として取り扱われるかもしれない…。
そ
うしたら、ナガタを苦しめていたオリバーや、その組織のことが捜査の対象上に上がる…そう考えたのね。
だから、預かっててくれってい
われてたプリごろ太のぬいぐるみを目立つところに置いたわ。
全てはあなた達警察に、ナガタの無念を晴らしてもらうために…」
ア
ンナの表情が苦しそうに歪んでいた。
のだめはしばらく黙っていたが……やがて口を開いた。
「ー
ピアノ、弾かれるんですか?」
「ああ…四十の手習いに始めたものだから、ほんの趣味程度だけど…」
「のだめ、弾
いてみてもいいですか?」
「ーどうぞ」
のだめはピアノの鍵盤の前に座り、アンナの方を振り
返る。
「ー何かリクエストがありますか?」
アンナは黙って考えていた
が、やがてゆっくりと微笑んだ。
「ーそうしたら、ショパンの「別れの曲」をお願い。…ナガタも好きだったか
ら…」
「わかりました」
そういってのだめは演奏を始める。
ーあいかわ
らず優しい弾き方だ…と千秋は思う。
技巧とかテクニックとかそんなことじゃない。
こいつの弾くピアノには人の心
の奥底にある何か…傷のようなものを癒してくれる…そんな何かがある。
限りなく優しく、心に響く切ないメロディーが部屋に響き渡っ
た。
アンナは静かに目を閉じた。
その目尻からは涙がつうっと流れ…床にしたたり落ちた。
「ー
警察に一緒に行きます。…全てを話すわ」
桃ヶ丘
署内にある、休憩コーナーの自動販売機の前。
ドゥーンは缶コーヒーを買おうとして、財布に手をかけた。
そこへ、
何者かの手がコインを入れ、コーヒーのボタンをバンッと押す。
ドゥーンが振り返ると、そこにはシュトレーゼマンがにこにこしながら
立っていた。
「安月給取りにコーヒーのサービスデス」
「………」
ドゥー
ンは無言のまま自動販売機の中からコーヒーを取り、口にした。
「こんなところで何をしているエロ署長」
「オ
オッ!ずいぶんな挨拶ですよね。これでも私頑張ってるんですヨ〜。査問委員会にかけられる自分の部下のためにネ」
ドゥー
ンはため息をついて備え付けられたソファーに腰を下ろす。
そんなドゥーンに背中を向けるようにしてシュトレーゼマンはやはり腰を下ろ
した。
「ーのだめはどうなるんだ」
「…あんまり状況は芳しくないですネ。上層部からは懲戒
免職にせよとの声も上がっていマス」
「………」
ドゥーンはコーヒーに口を付ける。
シュ
トレーゼマンはそんなドゥーンを見ながらふっと笑う。
「ーあなたの考えはわかってますヨ。…あの子を手元に置い
ておきたい。ーそうでしょう」
「………」
「あんな風に、元気で活きが良くて…やる気に溢れている子はあなたの好
みですからネ」
「…どうしてわかる」
「そりゃあもう、長年のつき合いですから」
「…好みな
のは、お互い様だろう。あの子は胸がでかいし…あきらかにあんたの好みだと思うが…」
「もちろん!のだめちゃんを胸無しには語れない
デスよね〜。でもそれだけではないですヨ。
あの子には警察官としての大切な何かがある。ーそれはあなたも感じているのではないデス
か?」
「………」
シュトレーゼマンは立ち上がった。
「さ
て…っと。本部が査問委員会を設置するまでに根回しをしとかないとですネ〜。せっかくうちに配属されてきた
優秀な署員を懲戒免職にで
もされたら大変ですから」
「………」
「ーは?今、何ていいました?」
「お出かけデスか〜。
レレレのレ」
「……なんデスか、それ」
「出陣する兵士への激励の言葉だ」
「…
のだめ……どうなっちゃうのかな…」
ユンロンが呟く。
そんなユンロンを横目でじろっと見な
がらリュカが言う。
「ーそれはいいけどさ、ユンロン、何を作ってるんだよ。勤務時間中に」
ユ
ンロンが作っているのはどうやらガンダムのプラモデルのようだ。
ピンセットを巧みに使いながら器用に細部を仕上げていく。
「そ
ういうリュカが持っているのってキティちゃんのぬいぐるみじゃないの?」
リュカは反対に言い返されて顔を赤くす
る。
「ーこ、これは…そこの店を通りかかったときに売ってたから……のだめが好きかと思って……」
「あ
りったけの〜ゆ〜め〜を〜かきあ〜つめ〜♪」
ワンピースの主題歌を鼻歌で歌いながら通りかかっているのは片平係
長だ。
「………」
「………」
ご機嫌で横を通り過
ぎる片平を二人は黙って見る。
「のだめ……ちゃんと無事に帰ってこれるといいけど……」
警
視庁の会議室。
制服姿ののだめと千秋が入ってくる。
机に座って待ちかまえているのは刑事局長のシモンと監察官、
そして数名の警察庁幹部達だ。
のだめと千秋は神妙な面持ちで向かい合わせの椅子に座る。
「ー
では、警視庁捜査一課管理官千秋真一、並びに桃ヶ丘警察署刑事課野田恵巡査部長の査問委員会を開催する」
シモン
がゆっくりと紙に書かれた文章を読み上げる。
「先日発生した画家殺人事件とそれにつながる覚醒剤密輸捜査におい
て、野田巡査部長は、犯人逮捕につながる
有力な情報を入手しながらもそれを上層部に伝達せず、千秋警視は特別捜査本部の指揮者であり
ながら、野田巡査部長と
単独捜査を行い、本庁の定める捜査逮捕要綱を無視した。その際に無許可で千秋警視は群衆の前で拳銃を取り出
し、
いたずらに動揺を煽った。これは、警察官服務規程に違反する行動と思われる」
「………」
「………」
「そ
れでは、質疑を始める」
千秋が口を開いた。まっすぐにシモンを見据えている。
「反
論はありません。全ておっしゃる通りです」
「認めるのかね」
「はい」
「ー野田巡査部長
は?」
「ハイ。認めマス」
シモンと監察官達は千秋達に聞こえないような小声で話し合う。
「局
長」
幹部の一人がシモンに耳打ちする。
「あ…はい」
シ
モンはなにやら考えていたが、やがて正面に向き直る。
「二人の処分が決定した。野田巡査部長は本日をもって懲戒
免職とする」
「え……」
のだめはハンマーで頭を打たれたようにショックを受ける。
「千
秋管理官は、訓告。以上」
「ー!」
それだけを言うと書類をまとめて片づけようとしたシモン
に、千秋が立ち上がって言う。
「待ってください!」
「何かね?」
「ど
ういうことですか!」
「言った通りだ」
「私が訓告だけで、どうして野田くんだけが…」
「………」
「私
にも責任があります。平等に処分してください!」
「ーそうしたつもりだが」
「私が国家公務員のキャリアで、彼女
がノンキャリアだからですか?」
「………」
「一方を切って、もたれ合いで事をうやむやにするような真似だけはや
めてください!」
真剣に怒鳴る千秋をのだめは見つめた。
やがてのだめも口を開く。
「あ
のー」
シモンがのだめの方を見る。
「ー君も不満なのか」
「の
だめ…いえ、私が懲戒免職になれば、他の刑事課の皆にはお咎めはないんですね」
「そうだ」
の
だめは安心したようににっこりと笑った。
「私は皆さんの決定を指示します」
「ーお前っ!何
を………」
「だって、そうでしょう。どこかで誰かが責任を取らなければならないとするならば、のだめが取るのが妥当だと思いマス。
他
の皆に迷惑をかけられまセン」
「しかし…っ」
千秋はシモン達に向き直った。
「報
告書にも書きましたが、この事件が早期解決したのは彼女の行動力と鋭い洞察力があってのことです!。
ーこんな、優秀な刑事を懲戒免職
にするなんて…」
「管理官、もういいですヨ。管理官までとばっちりが来ちゃいますヨ」
「ーよくない!!」
そ
の時、気づかなかったが窓際にあった背中を向けていたソファーがくるりと回転をしてこちらに向き直った。
一人の男がすくっと立つ。
「あ………」
の
だめはその男を見てびっくりして声をあげる。
「こんにちは。べーべちゃん」
そ
の男は、のだめがスーパーで冤罪を晴らしたマスターヨーダだった。
「……警視庁副総監……」
千
秋が呆然としたように呟くのを聞いて、のだめはぼへっと奇声を上げた。
「ー副総監?」
「ベー
ベちゃん。その折は大変お世話になりましたネ」
「は…はあ」
のだめに話しかけている副総
監…シャルル・オクレールとのだめの顔を見比べて千秋はえっという表情をする。
シモンもただならぬ雰囲気を察してかオクレールに向き
直る。
「副総監。今お聞きしたとは思いますが…これにて二人の処分を決定したいと思います」
「待っ
てくだサイ」
オクレールは静かに言った。
「ー確かに二人のしたことは
警察機構としては公に認める訳にはいけません。だが、千秋警視の報告書にもあったとおり、
野田巡査部長の活躍があってのこその事件早
期解決だと思いますヨ」
「し…しかし…それでは規律が…」
「現場の刑事がいてこそ警察が成り立ってるのデス。野
田巡査部長の処分は千秋警視と同じ訓告に留めます」
「………」
「以上で査問委員会を終わらせてくだサイ」
「……
なんだかよくわからないけど……めでたしめでたしじゃないデスか?」
「馬鹿。一応お互いに訓告処分は受けているんだ。調子に乗るな」
副
総監の鶴の一声でのだめは懲戒免職をまぬがれ、査問委員会を後にした二人は本庁の長い階段を下に向かって下りていた。
千秋も厳しい口
調ではあるけれども、ほっとしたのであろう表情がとても優しい。
「ーそれより、お前なんで副総監と知り合いなん
だ?」
「……えーっと、それは秘密デス」
「なんだ、それ」
「女性にはいろいろと秘密があっ
た方が魅力的なんですヨ」
のだめはご機嫌に鼻歌なんぞを口ずさみながら、階段を飛ぶように下りる。
そ
んなのだめを見て千秋はふっと笑う。
「ー本当に、お前ってわかんない奴…。
地図は読めなく
て運転は下手くそだし、部屋は汚いし、人に変な格好させるし、あんなマンガ買ってるような変態オタクだし…」
「むきゃ?」
「ー
でも、人の心に染みいるような優しいピアノ弾くし…」
「………」
「……情が深くて正義感に溢れてる……お前は
きっといい刑事になれるよ」
「管理官…」
のだめは思わず立ち止まって千秋を振り返った。
「俺
なんかよりずっと刑事に向いている」
「………そんなことありませんヨ」
のだめは訴えかける
ような眼差しで必死に千秋の顔を見上げる。
「ーのだめががんばれたのは……きっと管理官がいたから……」
「………」
「……
のだめはきっと……管理官が……のだめは……」
ピリリリリリ。
のだめのポケットから携帯が
鳴る。
ん、もう〜っという顔をしながらのだめは携帯を耳に当てた。
『のだめ?』
「ユ
ンロン?」
『さっきシュトレーゼマン署長から連絡があったんだけど、のだめの処分軽かったんだって〜』
「ハ
イ!」
『みんなでお祝いしようって待ちかまえてるヨ〜。早く帰っておいでヨ!!』
ピッと携
帯電話を切りにこおっと嬉しそうな顔をするのだめに千秋が話しかける。
「ー何だって?」
「あ、
桃ヶ丘署の皆が、処分が軽かった祝杯を上げてくれるそうデス!」
「……祝杯って……お前ら……」
ふ
うっとため息をつきながら千秋はのだめの横を通り過ぎようとする。
「あ、管理官!待ってくだサイ!」
の
だめは必死に千秋を呼び止めた。
そして制服のポケットに手を入れごそごそと何かを探している。
「あ、
あれ?」
出てくるのはキャンディーの包み紙、スーパーのレシート、ティッシュの丸めたゴミ…なかなか目的のもの
は出てこないようだ。
「あれ〜おかしいな?」
「…何だ」
「管理官に、
のだめの携帯番号のメモをさりげなく渡そうと思ってたんですけど……あれ……見つからない〜」
なおも必死でポ
ケットを裏返したりしてメモを探しているのだめに呆れたのか、千秋はくるりと背中を向ける。
そのままカツカツと靴の音を立てながら階
段を下りていく。
「ー俺は、もう仕事があるから行くぞ」
「あ、あ、ちょっと待ってください
よ〜」
だんだんのだめの声が泣きそうになってくる。
「……○○○ー
××××ー○○○○」
千秋
が不意に数字の羅列を口にした。
「……?……何ですか?それ」
「俺の携帯の番号だ」
の
だめの表情がみるみるうちに明るくなる。
花が満開に咲き誇ったような笑顔。
「管理官!もう
一度言ってくだサイ!携帯に入力しますから!!」
「一度しか言わない。自慢の耳で覚えとけ」
「え……ええ
〜〜っ!。だって、今、あまりにも突然だったから……え、えーと…○○○?…ちょ、ちょっと、管理官〜」
のだめ
を無視してどんどん階段を下りていく千秋の後を、のだめは必死に追いかけた。
終
わり。