約 束









ど こまでも続くのどかな田園風景を眺めながらリュカは車を走らせていた。

季節は初夏。
紫の絨 毯を敷き詰めたかのようなラベンダー畑の香りに包まれる。

リュカはその畑の真ん中にぽつんと建っている一軒の小 さな家の前で車を止める。

古い家屋の使い込まれた柱。
年月とともに色が変わった塗り壁には 鮮やかな緑の蔦がはっていて。
その建物の中からはピアノの音が聞こえてくる。

少し音が流れ て来てはすぐに止まる。
また弾きかけてはつっかえてやめる。
その合間合間に子供のくすくすとした笑い声と優し気 な女性の声が聞こえてくる。

勝手しったるドアを開けて中に入ると、奧の部屋にこんな田舎家にはふさわしくないよ うな大きなグランドピアノが見えた。
その前に座って内緒話をしているかのように母親の耳に口を当ててひそひそと話をしている女の子。
母 親は練習を真面目にしない我が子を困ったように諫めながら、でもすごく愛おしげな表情で見つめていて。

コンコン

リュ カはそばの壁を叩いて来訪者がやってきたことを教えた。
できるならばいつまでも眺めていたい光景ではあったけれど。

女 の子の母親似のくりっとした瞳が大きく見開かれて、表情が輝く。

「リュカ!!」

女 の子はそう言うと勢いよくリュカに飛びついた。
長い髪の毛がさらりと揺れる。
そのままリュカにぎゅうっとしがみ ついて離れようとしない。

「琴音、また大きくなったんじゃないか?」
「だってもう6歳だも ん」
「えー、もうそんなになるんだっけ。こないだ来たのはいつだったかなあ」
「4月の誕生日。リュカ、こーんな に両手いっぱいのプレゼント抱えて来てくれたじゃない!」

覚えてないの?といって琴音と呼ばれた女の子は両手を 大きく広げて見せた。
その肩にふわっと手が置かれて琴音は母親を見上げる。

「リュカ、お久 しぶりデスね」
「……のだめ」

リュカは目の前に立って微笑んでいる美しい女性を見た。
自 分より10歳年上な筈だから、もう34歳になっている筈なのに全然そうは見えない。
東洋人だということもあるのかもしれないけれど、 彼女はいつまでたってもバラ色の頬をした10代の女の子のように見える。
ましてや6歳の子供の母親だなんてとうてい思えない。

「今 日はいきなりどうしたんデスか?」
「あ、うーんと、3ヶ月の演奏旅行から帰ってきたばかりなんだ。
 なんだかの だめと琴音の顔が見たくなっちゃって」
「リュカ、今日は泊まって行くでしょう?」

琴音は リュカの手を握ったままキラキラと期待に満ちた眼差しを向ける。

「あー、うーん、どうしようかな」
「良 かったらゆっくりしていってくだサイ!。……あ、でも、客室掃除してないしベッドも前来た時のまんま……」

はう う…と申し訳なさそうに首をすくめるのだめを見てリュカは苦笑する。

「いいよ、最初から期待してないから」

そ う言って部屋の中を見渡す。
相変わらずのだめは掃除が苦手なようだ。
あちこちに洋服が脱ぎ散らかしているし、い つ食べたかわからないような食器がその辺りに転がっている。
床は雑然としていてあちこち埃だらけだ。

「よっ し!!。久しぶりに大掃除でもするかー!!」

シャツの袖をめくるリュカを見て琴音が飛び跳ねる。

「私 も手伝う!!」
「おー、じゃあ、琴音、バケツに水くんでこい。それから雑巾をありったけだぞ」
「はーいっ!!」

威 勢良く外に飛び出していく琴音を見ながら、のだめがリュカをちらりと見た。

「でも…リュカ、長期演奏旅行の後で 疲れてるんじゃないデスか?」
「大丈夫、大丈夫。のだめは座ってピアノでも弾いててよ」

久 しぶりに聞きたいし…と言うとリュカはのだめの肩を抱いてピアノの前に座らせた。
どことなく申し訳なさそうに、でもにっこりと笑って 彼女が弾き始めたのは……ピアノソナタ<清掃>。







台 所をブラシで磨き上げる頃にはもう体中が汗だくだった。
ふう…とため息をついて額をつたう汗をタオルで拭う。
そ れからピカピカに輝くタイルを満足気に眺めた。

……まったく……どうやったらここまで汚せるんだ。
の だめも母親なんだから、そういうところをもうちょっとなんとかしないと…。

そう思いながらもリュカはふと我に返 り、頭にタオルを巻いて長靴を履いた自分の姿を見た。

……考えてみると……すごい格好だな。
世 間で言われている「ピアノの貴公子」リュカ・ボドリーとはとても思えない。
週刊誌のいいネタになりそうだな……。

リュ カは現在24歳である。
コンセルヴァトワール卒業後、プロのピアニストとしてデビューした。
ありとあらゆる有名 なピアノコンクールで入賞し、演奏旅行で世界を駆け回る日々が続いていた。
その優美な旋律と完成された技術が世間の注目を集め、それ とともにその端正なルックスが人気の要因となりいつしか「ピアノの貴公子」と呼ばれていた。

そんな彼がフランス 郊外にある田舎の一軒家にちょくちょく顔を見せていることを知る人物は少ない。

一息つこうと思って居間にある棚 の上に手をのせたら、そこにある写真立てががたっと倒れた。
そこはたくさんの写真立てが飾ってあった。
たいがい はこの家の一人娘である琴音の赤ちゃんの時からの写真だったが、中にはのだめが一人で写っている写真もある。
琴音のおじいちゃんとお ばあちゃんらしき人物と一緒に日本でとったような写真もある。
むすっと澄ました顔をしたリュカの写真もあった。
こ れは……ターニャやフランク、ヤスが写ってるから……去年のクリスマスの時の写真かな?。

そして…リュカはある 写真立てを手に取るとゆっくりと持ち上げた。

琴音が産まれてすぐの頃の写真だろうか。
黒髪 の男性が小さい赤ん坊の琴音を危なっかしい手つきで抱き上げている。
その顔はまるで壊れ物を扱うようにおっかなびっくりで不安気な表 情をしていた。
隣に立っているのだめはそれを見て愉快そうな瞳で…そしてすごく幸せそうに笑っていて。

彼 の名前は千秋真一。

のだめの夫であり琴音の父親だ。

この写真が家族3 人で撮った最初で最後の写真だった。









リュ カのコンセルヴァトワールの学友であり…初恋でもあったのだめ…野田恵が千秋真一と結婚したのは6年前のことだ。

そ の時には千秋真一は若手指揮者として世界にその名を馳せており、音楽界で彼の名前を知らないものはいなかった。
一方の野田恵もプロの ピアニストとして活躍し、個性的で人を惹きつけるその音色は世界中のありとあらゆる場所に響き渡った。

二人はい つしか「ゴールデン・ペア」と呼ばれるようになる。

世界中の有名なオーケストラから出演依頼が殺到した。
ベ ルリンフィルハーモニー管弦楽団。
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団。
ロイヤル・アムステルダム・コンセルトヘ ボウ管弦楽団。
シカゴ交響楽団。
ボストン交響楽団。
人々は皆、この若き天才指揮者と才能溢 れるピアニストのペアを求めた。
私生活でもよきパートナーだという二人はどこへ行っても息のあった最高の演奏をして、聴衆を素晴らし き音楽の世界へ誘った。
その演奏はもはや音楽界の伝説となっていった。
蝋燭の火が消える直前その炎がいっそう燃 えさかるかのように二人は時代を駆け抜けた。


……まるでこうなることがわかっていたかのよ うに。


千秋が不慮の交通事故でこの世を去ったのは、琴音が産まれてまだ1ヶ月めだった。
病 院でも葬式でもリュカはのだめの涙を見ていない。
ただ青白い顔をして現実のことではないかのようにどこか遠くを見ていた。
琴 音は異様な雰囲気を察知したのかのだめ以外の人間が抱っこしようとすると火がついたように泣き出したため、結局のだめがずっと抱っこしていた。
リュ カは腕の中ですやすやと眠る琴音を見ながらポツリとのだめが言った言葉が忘れられない。

「リュカ……」
「…… 何?」
「のだめは……もう……一生分、人を愛してしまいました」
「………」
「だから……」
「………」
「…… だから……」

だから……だから、なんなの?。

もうこれから先、他の人 は愛せないと言うの。

そんな言葉が口元まで出かかっていたが、まだ当時16歳だったリュカにはのだめにかける言 葉が見つからなくて。
ただ、ただ、のだめの傍らで阿呆みたいに突っ立っていることしかできなかった。







「いっ たい何ができるんデスか?」

ひょこっとのだめがキッチンに顔を覗かせる。
考え事をしていた リュカはふっと現実に戻された。

「んーと、トマトのパスタとポトフ、ニース風サラダ」
「ふぉぉぉ…… おいしそうデス!!」
「それにしても、のだめ…冷蔵庫空っぽだったよ。いったい普段はどうやって生活しているの?」
「え えと……お店でお総菜買ってきたり……とか……ご近所さんとかピアノ教室の生徒さんが御飯差し入れたりしてくれて……」

リュ カはそおっと目をそらすのだめに呆れたようにため息をつく。

「ちゃんと料理もしないとダメだよ。琴音は今、成長 期なんだからね。ちゃんと栄養があるもの食べさせないと……」
「ふぁい〜」
「返事はちゃんとする!」
「は い。……リュカ、お父さんみたいデス……」
「よけいなこといってないで、手伝ってよ。ほら、トマトむいて!」

ト マトデスか〜とぶつぶつ言いながらトマトの湯むきにかかるのだめを見ながらリュカは微笑んだ。

「そういえ ば……」

のだめがふと思い出したように言う。

「見ましたヨ。『リュ カ・ボドリー熱愛発覚!!』の記事。」

ガタタタタタン!!。
リュカは手に持っていた鍋を 落っことした。

「の、の、の、のだめ!?」
「今度はイギリスの美人ヴァイオリニストらしい ですネ〜」

のだめは悪戯っぽく笑う。
やっと仕返しができると言わんばかりにしたり顔だ。

「い や、それは、その、あの……」
「琴音も言ってましたヨ。リュカ、今度は長続きするのかな〜って」
「琴音も知って るの!?」

リュカは頭を抱えたくなった。

……ったく……この母娘 は……。

「で?どうなんデスか?」
「……れた」
「は?」
「…… ついこの前……別れた」

ボソっと居心地悪そうに呟くリュカに、のだめは目をぱちくりとさせると呆れたようにため 息をついた。

「またデスか」
「またって……」
「いいかげん、リュカも 24歳なんデスからね。ちゃんと素敵な女性を見つけて身を固めないと!」
「……のだめが……そういうことを言う訳……?」
「は?」

ま たしても小声で呟くリュカにのだめは聞き返した。

「リュカ、今何か言いましたか?」
「…… なんでもない」

リュカは素っ気なく言うとじゃがいもの皮をむき始めた。







千 秋の死後、のだめはピアニストを引退した。
演奏旅行などで家を空けることが多い演奏家としてではなく、母親として琴音のそばにいた い、ということだった。
もちろんその才能を惜しんで考え直すようにと言う声は多かったが、彼女の決意は固かった。
今 はフランス郊外にある片田舎でひっそりとピアノ教室をやっている。
もともと保母さんになりたかったというだけあって教え方もうまいと 評判で地元の子供達からも慕われてなんとかかんとかやっているようだ。

リュカは仕事の合間を縫ってはのだめの家 を訪れるようになった。
のだめもリュカが来るのを歓迎してくれるし、会うたびに大きくなって自分を慕ってくれる琴音の成長も楽しみ だった。

……でも、リュカは気づいていた。

のだめはリュカのことを ずっと「古くからの友人」としてしか見ていないことを。
いや、無意識のうちにそれ以上の感情が介入することを拒否しているのだ。
多 分、リュカが二人の関係を一歩でも進めようとして踏み出したらその途端に彼はここには出入り禁止になるだろう。
のだめは、リュカに ずっとよき友人でいてくれることを望んでいる。

……それがわかっているからこそ、リュカにはどうすることもでき なかった。

多くの女性達とつき合っても長くは続かない理由をリュカは自分でわかっていた。
彼 女達がのだめでないから、ではない。
そんな理由じゃない。
自分が他の女性と交際してればのだめが安心する、ただ それだけの理由でつき合うからどれも長続きしないのだ。


彼女はこの世にいない彼のことだけ をずっと愛し続けている。
彼だけが彼女の全てなのだ。

たぶんこれからも……ずっと……ずっ と。






「そ ういえばこの間、シュトレーゼマンと共演したよ」

火加減を見ながらリュカがふと思い出したかのように言う。

「ふぉ、 ミルヒー元気デスか!?」
「ちょっと年くっちゃったけどね。相変わらずあっちの方はお盛んのようだったよ」
「全 然変わりませんネ〜」

ハハハと笑いながらリュカは急に真面目な顔になる。

「の だめちゃんはまだ復帰の決心はつかないの?……って言ってたよ」
「………」

のだめは何かを 言いかけてやめる。

「事務所はいつでも待っているからって……僕からもぜひ説得してくれって頼まれた」
「………」
「の だめ」
「………」
「琴音はもう6歳になる。……もうそろそろいいんじゃないか」
「リュカ」
「君 はこんなところで埋もれていく人間じゃない、皆が君の帰りを待ってるんだ」
「リュカ、……言わないでくだサイ」

の だめは耳を押さえた。
ぎゅっと目をつぶる。
もうやめろ……リュカの心のどこかで声がする。
だ けどリュカはその声をあえて聞こえないふりをして言葉を続けた。

「のだめ。
 いつまでそう やって自分の殻に閉じこもっているつもりだよ。
 琴音を言い訳にして……。
 ……ずっとずっと逃げてばかり で……。
 ……何も……何も外の世界を見ないようにして……」


僕の気 持ちも。


「違いマス!!……そうじゃありまセン」

の だめは叫んだ。
そのまま俯いてぐっと唇を噛みしめる。
伏せた瞳が涙で潤んでくるのをリュカはじっと眺めながら、 やっぱりのだめは睫毛が長いな…なんてことをこんな時にぼんやり思ったりしていた。


「音楽 の世界が……もう輝いてないんデス」

「………」

「先輩が死んでか ら……あんなに光輝いていた音楽の世界がまるで色を失ってモノクロの世界になってしまったようで……。
 どんな音楽を聴いても、どん な演奏を聴いても、心が動かないんデス……」

「……のだめ」

「リュ カ……のだめの世界は光を失ってしまいました」

「………」

「もう…… たぶん、取り戻すことはないと思いマス……」

「のだめ!!」


リュ カはのだめの両肩を掴んで激しく揺さぶった。



ちくしょう。
ど うしたらいいんだよ。


千秋。


の だめはお前を失うと同時に音楽への情熱も失ってしまった。
お前はのだめの心も一緒に連れていってしまった。


…… なあ、千秋。


お前だってこんなのだめが見たい訳じゃないだろう。

だっ たら助けてくれよ。

もう一度のだめに大舞台でピアノを弾かせてやってくれ。


頼 む。

……頼むから。



「リュ カ……のだめ……」

気がつくとドアの向こう側から琴音が覗いていた。
ただならぬ雰囲気に怯 えた表情をしている。
リュカは慌てて、のだめの肩から手を離して無理矢理微笑んでみせた。

「あ あ、ごめん。お腹空いただろ?御飯にしよう」







「お いしい!!」

琴音がパスタを頬張ったまま、歓声をあげる。

「琴音。食 べ物を口に入れたまましゃべると行儀が悪いデスよ」
「だって、本当においしいんだもん、こんなおいしいの久しぶりに食べたよ!!」
「…… 普段の食生活が知れるよね……」

そう言ってリュカが咎めるような目つきでのだめをちらりと睨むと、のだめは反論 もできずに肩をすくめた。

「あ、でも、のだめの料理だっておいしいんだよ。
 パンにチーズ をのっけた奴とか、御飯に納豆をかけた奴とか」
「……それって、料理って言わないんじゃ……」

は あっと深くため息をつくリュカを見ながら琴音はくすくすと笑う。
そして、急に思いついたように言った。

「あ、 そうだ、リュカ。美人ヴァイオリニストとの恋はどうなったの?」

ブーッ!!
リュカは思わず 飲みかけていたワインを吹き出した。
きったな〜いと琴音が顔をしかめる。

「あ、あの……琴 音、その話は……」
「やっぱり美人ヴァイオリニストって記事に書いているからには美人なんでしょ?ねえ、ねえ」
「い や、いや、そのね……」

わくわくと興味津々な瞳を向ける琴音に、困ったリュカがなんと言ったらいいのか言葉を探 していると、見かねたのだめが助け船を出した。

「琴音、その話……ただの根も葉もない噂なんデスって」
「え 〜そうなの」
「雑誌とかテレビって本当のことも言うけど、そうじゃない時もあるじゃないデスか。
 今回はまった くのデマなんデスって。」
「なあんだ」

琴音はつまらなさそうに言うとギシっと椅子の背もた れに寄りかかった。
それから何故かふふっと笑う。

「でも、よかった。リュカに恋人がいなく て」
「……へ?」
「だって、将来リュカと結婚するのは私だもん」

「え 〜〜〜〜〜!!!」

リュカとのだめが同時に立ち上がった。
驚きのあまり口をパクパクさせた まま言葉も出ない二人を不思議そうに眺めながら琴音は言葉を続ける。

「最初はリュカがのだめと結婚して私のパパ になってくれたらいいな〜って思ったんだけど、のだめはシンイチくん一筋でしょう。
 だったらリュカが私と結婚すれば、ずっと3人で 一緒に暮らせるかなあ…って」
「……真一くんが聞いたら怒り狂いそうな話デスね……」
「いや、でもね……僕と琴 音じゃ年が離れすぎだと思うよ。18歳も離れてるし……。
 琴音が16歳になった時には僕は34歳だ」
「34 歳って今ののだめと同じ年でしょう。リュカはそんなにおじさんにならないと思うよ」
「う〜ん……そう言われればリュカがおじさんにな る姿なんか想像つかないデスね。それにそのくらいの年齢差は世間にざらにありマスしね」
「そこで納得しないでよ!!。のだめ!!」
「ね、 いいでしょう」

琴音はリュカの隣にちょこんと来て可愛らしく彼を見上げた。

「そ うして結婚して、いつか一緒にピアノ・コンサートを開こうよ。
 きっとたくさんの人達が私達の演奏を聴きに遠いところから来てくれる よ。
 シンイチくんとのだめみたいに、リュカと私はゴールデン・ペアって呼ばれるようになるんだよ!!」

琴 音はキラキラとした眼差しをリュカに向けた。
その瞳にリュカは見覚えがあった。

『いつか先 輩と共演してゴールデン・ペアになるのが夢なんデス!!』

そう言ったのは誰だったろう。

リュ カがまだ子供の頃に出会って……ずっと、ずっと、長い間恋い焦がれてきた女性。
手に入れたいと願い続けていた女性。

…… のだめ、だ。
ここにあの時ののだめがいる。

時間を忘れてピアノを夢中になって弾いていた時 のあのキラキラした瞳。
恋人の背中と自らの夢を追いかけて一生懸命になっていた時のあの瞳。
その眩しい輝きがそ こにあった。


のだめ。


…… 君の世界はまだ光を失っていないよ。

だってここにこんなに宝石のように輝いている瞳があるじゃないか。


だ から大丈夫。


いつか。

いつか、きっと光を取り戻 す日がくるよ。



「琴音……」

リュ カはゆっくりと口を開いた。

「ええと……結婚するかどうかっていう約束はしてあげられないけど」
「え 〜、どうして〜」
「先のことはわからないしね。
 もしかしたら、この先、琴音が僕よりもずっとずっと好きになる 男の人が現れるかもしれないし」
「う〜ん」

琴音は形のいい眉をひそめた。

「ゴー ルデン・ペアも……まだちょっとわからないなあ」
「それも?」
「だって誰だってそんなに簡単にピアニストになれ るもんでもないし、本当になりたいんなら琴音はピアノの練習もうちょっと頑張らないと」
「う〜〜」
「リュカ…… 結構、子供の夢を無惨に打ち砕きますネ……」

のだめが呆れたように言う。



そ う。

先のことはわからない。

誰にだってわかりはしないのだ。


だ けど。



「だけど……他の約束ならしてあげられるよ」
「え?」

琴 音は意外そうな顔になった。
リュカは優しく微笑みながら彼女に言った。


「例 え……どんなことになろうとも……何があっても……僕はずっと、のだめと琴音のそばにいるよ。

 ずっとずっと君 たち二人を守り続けるよ」


例え、これから先ものだめは千秋のことをずっと想い続けるのだと わかっていても。

彼女の気持ちがリュカに向く日は一生来ることがないのだと知っていても。


ずっ とそばにいたいと思った。
ささやかなこの居場所を守ってあげたいと思った。


きっ とこの愛しい二人を守り続けたかったであろう……今はもういない彼の代わりに。


「……約束 する?」

琴音はリュカをそっと見上げた。
のだめが優しい目をして笑っているのが見える。


「約 束だ」

リュカは言った。








終 わり。