bitter and sweet 〜時には溶け合うように〜 2
premi
「リュカ。これあげるよ〜。」
日曜日の昼下がり、教会に集る同級生の悪友がこっそりとボクに紙包みを渡してきた。皺だらけの毛羽立った茶色い包みの中にはポルノ雑誌が入っていた。
最近、ボクの周囲では色めいた話題が立ち上がる。ほとんどは妄想の粋なのだが、性体験を実際経験したと言う話もポツポツ出てきた。
知識としてはちゃんとある。性教育は早いうちにした方が良いと言う両親の考えの下、物心付いた時から「ちゃんとした知識」というものを教え込まれてきた。
でも、知識として分っていても実感がまったく湧かず、どこか別の世界の話としか感じられなかった。
「いいよ。ボクは。それにこれど
こからもって来たの?」
仲間の一人が、父親の部屋の古雑誌のゴミの中から拾ってきたモノらしい。裸の女が笑ってこっちを見ている表紙が目に入る。ボクはその紙袋を友達に差し向け
た。
「どこにしまっていいのか分らないし、第一なんでここに持ってくるのさ〜。」
「別に、ばれたとしても、
お前のじいちゃんなら笑って済みそうじゃない?」
…確かに、がははって笑って「しょうもないな〜お前達。」で済まされそうだけ
ど…。
しばらく問答を繰り返した後、結局皺だらけの紙袋は行き先が決まらず、仕方なくリュカは受け取る事になった。
女の子を抱くって、どういう感じなのだろうか…。
夜、ベッドの上でぼんやりと考えてみた。
ふっと、この前夕暮れに見た華奢な肩を思い出した。今ならボクの手でいとも簡単に包み込む事が出来るかもしれない。あの細長い指もボクのこの手で包み込め るかも…そしてその肩を胸に引き寄せて…。
鼓動が早くなった。身体の中心からじりじりと熱い塊が溶け出すような衝撃を感じた。
背中に回した手は肩を通り背中を渡って…どんな感
じなのだろうか。映画で見たワンシーンのような男と女の瞬間…男はボクで、女は…。
うわああ…。浮かんできそうな妄想を精一杯の力を込めてかき消した。次の瞬間大きな罪悪感で一気に底に沈んだ。
なにやってんだよ…。自分に嫌悪感を感じる。ダメだよ。ダメだ。だって、彼女には…。
起き上がってカバンを開けて、皺だらけで毛羽立った茶色い紙袋を取り出し、思いっきり床に投げつけた。
* * *
「ねえ、エマは恋人いるの?」
勉強が一息つき、母さんが入れてくれた紅茶を二人で飲んでいた。ボクがふっと振った問いかけに、エマは驚いたのかケホケホとむせ返った。
「ケ
ホッ…なんで、突然…リュカ…。」
大した話題ではないはずなのに…必要以上に慌てている年上の女性の姿がおかしくて思わず笑ってし
まった。
「なんでって…聞いてみたかったからだよ。」
彼女は真っ赤になりながら、涙目になるくらいに大笑いし
たボクをかわいい程度に睨んだ。
「そう言う、リュカはどうなのよ…。」
「えっ?」
「ガール
フレンドの一人や二人、いるんでしょう。」
「友達なら、何人かいるけど…。」
「ステディーな彼女は?」
エ
マは興味津々な顔をして、机に肘を付きながらこちらに身を乗り出してきた。
「…いないよ。」
ボクはちょっと目を
逸らしながら言った。
「そうなんだ。都会の男の子って、必ずいそうな気がしたけど…。」
「ええ〜?そんな話聴い
た事ないよ。」
ふふふっと彼女は笑った。そして真顔になって少し上を向いて、口を開いた。
「…つい最近までいた
よ。」
「どんな人?」
「3つ年上の詩をいっぱい教えてくれた人。」
「詩?」
「そ
う、本が好きな人でね…。いろいろな事をたくさん教えてくれたの。」
そう語った彼女は今まで見たこともない表情を浮かべた。大人っぽ
く、女性らしく、遠い愛しいものをみつめるようなそんな感じだ。
「なんで…別れちゃったの?」
彼女は複雑そうな
顔をして、そして微笑んだ。
「なんでなのかしら?運命だったのかな…。」
そう言った彼女の顔は儚げで美しく、思
わず胸が高まるのを感じた。
「リュカは…。」
「えっ?」
突然、呼ばれてドキッとした。
「リュ
カは、女の子を好きになった事ある?」
そして、ゆっくりとボクの顔を見た。
「あるよ。」
ボ
クは、はっきりと答えた。
「ある。…と、言うか、今でも…。」
えっ、と目を丸くして彼女はボクの方をじっと見
る。
「…でも。」
「でも?」
「その人には…ちゃんと恋人がいて…。」
次
第に小さくなってくるボクの声。彼女は少し眉を潜めてそっと囁くように言った。
「そっか…。つらいね。」
コチコ
チと時計の針の音が部屋に響き、ボク達はしばらく黙っていた。
* * *
「イ
タリア?」
「そ、ですよ。お勉強しに行ってます。」
練習の合間のカフェテリアで、ボクとのだめはいつものように
お茶をしていた。ひょんな話から『チアキ』の話になって、ここひと月会っていないという事がわかった。
「いつ、帰ってくるの?」
「た
ぶん、来週くらいですかね。そろそろ、リハが始まりますから。」
たぶん…って。新鋭の駆け出し指揮者とは言え、巷では名が売れ始めて
いる。それでも常に自分を高めていく努力は怠らず…か。ボクだって、才能に甘んじず常に努力をしているつもり…なんだけど、まだ足元にも及ばず…か。
「さ
びしくないの?」
のだめはこっちをキョトンと見て、そして言った。
「もう、慣れっこですよ。それにのだめだって
忙しいんです。」
「頑張らないと…おいていかれます。」
最後は独り言
のような声でそう呟いた。
「そうだね。」
ボクはそっと言った。
「さあ、練習始めますか。」
そ
う言うと、テーブルに広げた楽譜を揃え始めた。
「うん。」
ボクも席を立ち上がった。
練習を終えて学校を出ると、もう日は暮れていて星がポツポツと輝き始めていた。
「今日もたくさん頑張りましたね。」
一
歩前を歩くのだめはそう言うと、身体をうーんと伸ばした。
「そうだ、週末うちに来ない?」
高鳴る胸の鼓動を抑え
るようにして、さりげないように誘った。
「え?」
のだめは立ち止まり、こっちを振り向いた。
「だっ
て、デートの予定とかないんでしょう。…たまには練習じゃなくて遊ぶのもいいんじゃない。」
何言ってるんだろう、ボク…。昨日、エマ
と恋人がどうのこうのって話していたからなのかな?
「そうですね〜。最近、遊んでいないですよね〜。」
のだめは
そう言うと、ちょっと顔を上げて空をながめた。
「でも、今週はターニャが久しぶりにウチに来るんですよ。」
「ター
ニャ?」
「はい、美味しいご飯作ってくれるんですよ〜。むきゃ。」
「あ、そうなんだ。」
落
胆と気恥ずかしさでたまらない気持ちになるのだが、それを悟られないように気をつけながら声を出した。
「あ、リュカも来ます?ター
ニャも喜ぶと思いますよ。」
「え?あ…いいよ。ボクは。」
ボクはちょっとうつむいた。
「あ、
今度はデートしましょうね。最近のちょっと大人のリュカと一緒に歩くのも素敵ですよね〜。」
気がつくとボクの真横にのだめがいて、下
から覗き込むように言った。
目と目が合った時、思わず緊張が走った。
…
別に期待しているわけではない。今の言葉だって、深い意味はないんだから。それくらい、わかる。
でも、真正面に彼女の顔がある。そし
て、ピンク色の柔らかそうな唇が目に入る。いつものちょっと尖らしている唇。
「う、
うん。」
ボクは思わず目を逸らして、そう言った。
まずい、この残像が焼きついてしまった…。その日はそれ以降、
のだめの顔を真正面で見れなくなってしまった。
家
に帰ってからも、その緊張は続いた。
エマの勉強も、身が入らない。エマの顔さえもまともに見れなかった。
夜、ベッドの中で、ゆっくりと思い出す。
そして、茶色い毛羽立った紙袋…。なんか、おかしいよボク。
そんなはず
じゃあ、ないのに。そんなことしたくないのに。
唇、首筋、そして風になびく栗色の髪の毛。耳、うなじ…。
…
触るとどんな感触なんだろうか。
…唇で触れるとどんな感触なんだろうか。
だめだよ。だめ。そんな事…思っちゃいけない。だって、彼女には…。
彼女には…。