bitter and sweet 〜時には溶け合うように〜 3


 gibbeuse ascendante

「リュカのピアノ、聴きたいな〜。」
週末、珍しく日中エマは家にいた。いつ もは日が昇っている間は町を歩いて美術館や博物館巡りをしていたのだが、さすがに疲れたらしい。今日は朝も遅くまで眠っていたっけ…。
「い いよ。何がいい?」
今日は両親は買い物に出かけている。二人きりでピアノを弾くのは初めてだ。
「そうね〜、何か ロマンティックな曲がいいな。リュカが今まで弾いていてとってもロマンティックだなって思う曲。」
 ロマンティック…か。
「ん…、 そうだな〜。」

ふと、よぎった映像がある。カフェテリアで待っていた時に弾いていた曲。その待ち人がこっちに来 て…

「リュ カ。素敵です〜。うっとりしちゃいましたよ…。」
っ て幸せそうな顔をしていて…。
 
 ボクはピアノの前に座り、そっと蓋を開けた。そして目を閉じ深い呼吸をして、 鍵盤にそっと指を置いた。


& nbsp;ボクが最後の音まで弾き終わってしばらく余韻に浸っていた後、横にいるエマの方を見た。
エマは目を潤ませながらこっちを見 ていた。
「素敵な曲ね。本当に素敵よ。リュカ。」
素直にその賛辞は心に飛び込んできて、とっても嬉しかった。
「リュ カは本当にピアノが上手なのね。」
「ありがとう。」
 ドキっ。ちょっと惚けているエマは無防備でとってもかわいく見えた。年上の人にかわいいと言う のは失礼なんだけど…。目が潤んで、頬がピンクに染まり、意識がちょっと離れている感じがして…。

  身体の奥が何かが燃え上がるような衝撃を感じる…。

  最近、そうだ。じっとしていられないくらいの衝撃がたまに起こる。これは、いけないような気がした。キケンなような…。
 エマのT シャツから出た白い二の腕や首筋、そして少し開いた唇、睫毛…。鼓動が早くなる。
…なにやっているんだ…。なぞるように視線を移す自 分自身に嫌気が差した。

「あ、 ボク、コーヒーでも淹れるよ。」
「あ、ありがとう。」
夢から醒めたような顔でエマはそう言った。ボクはキッチン へと歩き出した。

 
 明日はまた学校だ…。ボクはベッドの上でぼんやりと思いを巡らした。
ま た、のだめと約束しているんだ。朝、迎えに行くって約束したんだよな…。
 ふっと浮かんだのは、昼間のエマの顔。無防備で、緩んだ… そして、その後から浮かんでくるのは愛しい人の顔。
ピンクの柔らかそうな唇…。

  ふれてみたい…

  ハッと目が覚めた。心臓がバコバコと聞えてきそうなくらい、凄い速さで動いている。
ボクは上掛けを頭までかぶって、ぎゅっと目を閉じ た。

* * *
 
 週明け、気がつくとボクは朝早く家を出ていた。そのまま、のだめの住むアパルトマンに向かっ た。まだ早いけど…、いいよね、待っていれば。

  そんな時、アパルトマンの前でフランクに会った。
「あれ?リュカ。こんな早くにどうしたの。」
フランクは小荷物 を両手に抱えていて門の前に立っていた。
「う、うん、のだめと今日学校に行く約束していて…。早く着いちゃったんだ。」
  あ、そうなんだ。と、言いながらフランクは門の鍵を解除し開けた。風に乗ってピアノの音が聞えてきた。この音色は、のだめの音だ…。
「あ、 のだめ、起きているね。準備が出来るまで僕の部屋に来る?コーヒーでも淹れるよ。」
実家から帰ってきたばかりで、何もないけど…と言 いながら、アパルトマンの中へと案内してくれた。

「あ、 そうだ。」
フランク階段を上る途中に2階の奥の部屋のドアをノックした。
奥のほうから「Qui」とのだめの声が 聞えた。フランクが自分の名前を言うと、ガチャっとドアが開き、ワンピース姿に裸足ののだめが出てきた。
「フランク、お帰りなさい。 ぎゃぼ。リュカもう来ているんですか。」
ボクの姿に驚いたらしい。
「あ、これおみやげ。リュカは準備できるまで 僕の部屋にいるから。都合のいい時間に迎えに来て。」
「な、なるべく早く準備しますね〜。あとは、楽譜とお弁当を入れるだけだから… 今、練習していて…。リュカ、ちょっと待っていてくださいね。」
 のだめはそう言うと、パタパタと忙しそうに部屋の奥へと戻って行っ た。慌てなくていいから、とボクは後姿に言ったけど耳に届いていなさそうだ。フランクは「お先に」と自分の部屋へと昇っていった。

  ドアは中途半端に閉められた為、閉まりきれずに少し開いていた。中を覗こうと思えば覗ける…。
ダメだ…そう思いながらも、視線はどう しても部屋の中へと向かってしまった。

  ベッドが見えた。すぐそこは寝室なんだ…。しかも人の気配がする…。

  パタパタ、のだめは身支度を済ませ、いつもの鍵盤が描かれたバッグを持って寝室へと戻ってきた。


  センパイ、ノダメ、サキイキマスネ。

  のだめは床の上に転がっているTシャツを拾うと、その左側に丸まっている存在に日本語で話しかけた。モゾモゾとそれは動き出し黒髪の男が現れた。裸の上半 身を起し長い腕を伸ばしてシャツを受け取った。まだ、半分まどろみながらそれに首を通した。

  モウイクノ?
 ハイ オニギリ ツクリマシタカラ アトデタベテクダサイネ。

  何やら言葉を交わしながら、のだめはその男の肩に手を置いて身体を密着させた。男はのだめの腰を抱き寄せると右手を下から上へと背中を這わせていった。彼 女は両手で彼の黒髪の頭を抱えると、上を向かせ、彼の唇に口付けた。

  ただ触れるだけのキス…でも、のだめがその男に向ける視線は、今まで見たことのないくらい大人っぽく、色っぽかった。そして、その男も舞台で見た、まった く隙を見せない姿ではなく、甘く緩い空気を醸し出していた。

  ああ、この二人は恋人同士なんだ…。激しいラブシーンを見たわけではないのだが、この二人の日常を覗いてしまった気がする。ごく当たり前に触れ合い、キス をして、一緒に居る事が当たり前で…。
ボクが入る隙間なんて決してないんだ。ボクがこの前描いた情景を思い出すと、とても恥ずかしく なった。
だってその彼女の横には、ボクではなくて…。

  なんで、あんな事望んでしまったんだろう。初めからこうなんだって決まっていたのに…。
ボクは深く後悔した。

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