bitter and sweet〜時には溶け合うように〜
pleine
lune
満月の夜。部屋に差し込む青白い光。
心がキリキリと痛い…。
パチッ。突然、目の前が明るくなった。部屋の明かりが
灯されたんだ。
「うわっ。リュカ…いたの?」
エマは暗闇の部屋の中にボクがいた事に驚異の声をあげた。
「ど
うしたの…?」
ボクの顔を見た彼女はそう小さな声で話しかけてきた。
「お帰り。今、何時?」
エ
マは怪訝そうにこちらを伺っていた。
「もう8時よ。ちょっと、お買い物していたら遅くなっちゃって…。」
そうな
んだ。そんな時間になるんだ…。気がつかなかった。
「夕食は食べた?リュカのご両親に頼まれていたの。帰りが遅いからって。」
「う
うん、まだ。」
うちの両親は月に一度、二人で夜出かける。演劇やオペラ、コンサートなど
を鑑賞してレストランで食事を取る。これは昔からの定例で、ボクが小さい時とかはベビーシッターに委ねて出かけていた。今日はそういえばそんな事言ってい
たっけ…。
「じゃあ、食べよう。スープ温めてくるね。」
と、立ち上がったと思ったら、足元のバックパックを持ち
上げて中を探り始めた。そして、小さな白い箱を取り出した。
「はい、リュカ。美術館の帰りにね、素敵なオルゴール屋さんを見つけた
の。そこに寄っていたら遅くなっちゃった。」
手渡された箱を開けると、小さなプラスッチク製のピアノ型のオルゴールが出てきた。
「聴
いてみて。」
ボクはピアノをひっくり返してねじを巻いた。ジーっという音の後にはやさしく金属を弾く音…。
「あ、
これ…。」
「そう。リュカのこの前、弾いてくれたピアノの曲でしょう?私、音楽の事全然知らないけど、あの時の音が忘れられなくて
ね。見つけた時は本当に嬉しかったの。」
静かに響くオルゴールの音色。
「これ、リュカにプレゼント。たくさんお
世話になったから。」
エマは大輪の花のような笑顔を咲かせた。
「…ボクは全然…世話なんてしてないよ。」
く
もったような声で俯きながら言う。エマは不思議そうに顔を覗き込む。
「どうしたの?」
心配そうな声で聞いてき
た。
「ねえ、エマから見たらボクってどういう風に見えるの?」
「どうって…。」
心の中に
燻っていたものが突如火がついたように感じる。
「ただの子供?いきがっている、ただの…。」
「どうしたの?リュ
カ…おかしい…。」
気がつくとボクはエマの腕を掴んでいた。エマは最初驚いたような顔をしていたが、ボクの方を真っ直ぐにみつめると
真顔になって静かに口を開いた。
「子供じゃないよ。」
「…。」
「私は子供だなんて思った事
ないよ。」
ボクはじっと彼女の顔を見た。彼女はボクを見つめ返すとやさしく微笑んだ。
「…リュカがピアノを弾い
てくれた時、ドキドキした。」
「エマ…。」
エマは下を向き目を伏せてから、ゆっくりと顔を上げた。
「本
当に…。」
どっくん。心臓が鳴った。僕の耳にはそう聞えた。
* * *
ボクの目の前にいるのは、頬を染めた女性だった。ボク
をみつめる瞳は、今までとあきらかに違う。
彼女はゆっくりとボクの頬に手を寄せて、両方の頬を包みこんだ。
「一
人の男として。とっても素敵…。」
ボクは彼女から目が離せなくなっていた。眼鏡越しのグリーン瞳に吸い込まれていく錯覚を感じた。
そ
して、ボクはスクリーンで見たような男になって彼女の唇に口付けをした。
…こんな時、知識なんて、役に立たない
と思う。
手順とか、仕組みとか、何でこうなるのかとか、知っている…つもりだったけど、目の前で起こっている事に対して、情けないく
らいに無力だ…
どうしても、直前で戸惑いを覚えている僕に対して、彼女はさりげなくリード
して導いてくれる。
初めてのキス。家族や
友達に対しての親愛のキスではなくて、男と女の探りあうキス。
薄い皮で覆われた敏感な部分で、相手を探っていく。口の中を、触感で
探っていく。体温ややわらかさとか敏感に感じ取る。なんとも不思議な感覚。
身体の奥から湧き上がってくる衝動を身体中に感じる。ま
るで燃え上がる炎の塊が身体中を駆け巡っているようだ。熱い。苦しい。
彼女は眼鏡を外した。ボクはビックリした。眼鏡に隠された彼女の素顔。目鼻 立ちがはっきりとした美しい女性。彼女の瞳はどこまでも澄んでいた。
もっと、もっと、知りたい…
奥の方からあふれ出てくる欲求に段々抵抗ができなくなる。そう、ボクが知りたかった、柔らかい部分の感触。白い肌の行方。
もっと、もっと、教えて…。
次第に露になってくる白い肌。柔らかい感触は角ばってくるボクの身体とは全
然違う感触だ。こんなに違うんだ。そっとラインをさすれば、ビクンっと反応する。だんだん赤みがかってくる肌の色、跳ね上がる曲線に身体の奥の衝撃が一層
強くなる。
そこを唇でもなぞっていく…。彼女の息が激しくなっていく。
彼女の瞳がトロンと伏せ目気味になって
いく。ボクの鼓動もどんどん早くなっていく。
白い柔肌…ボクの脳裏にぼんやりと浮かび上がってくる
ものがある…。
白い首筋、ほんのりと染まった桃色の頬、栗色の髪の毛、そしてピンク色の 唇…。
ぐわんぐわんと耳の中が鳴り響く、ボクの知性は次第に無力になっていく…。感 覚だけがどんどん敏感になっている。
…あの人も触れてみると柔 らかいのかな。
身体中に走り回る衝撃が抑えられない。遠くに何かが浮かび上がる。
…あの人もこんな瞳をする のかな。
遠くの幻想が次第にはっきりと姿を現す。あの後姿、ブラウンの髪を揺らしてボ クの方を振り返る…。
…あのひともこんなふうにだかれるのかな…
「!!」
いけない。だめだ。ボ
クはギュッと目を閉じた。
なんてことだ、ボクは大きな大きな罪を犯してしまった…。
「リュカ。」
声によって我に返った。ボクはそっと目を開けた。エマはボクを真っ直ぐにみ
つめた。
瞳の奥に強いものを感じ目が離せなくなった。そして、彼女はにっこりと微笑んだ。
彼女の手がボクの両方
の頬を包み込む。そして、その手が首筋を通り肩へと下りてくる。それを追うかのように唇が降りてくる。ボクは目を閉じ、それをただ受け止める。
彼女が唇で触れたところから身体の中の炎が外へと噴き出すような気がした。
ボクは知性
を手放して、感覚だけを頼りにして、後は身体の中の衝動に素直に従う事にした…。
* * *
女 の人は身体の中に海を持っているっていう。
広い広い海。
生まれる前の僕は母親の海に抱かれて守られて
生まれてからも母の中の海を求めて抱きしめてもらっていた。
女の人の海の前では、男なんてちっぽけなものだ
結局はいつまでも抱きしめてもらえる場所を探し続けている…。
いつの間にか二人とも眠っていた。シーツの上が汗で湿っぽい。
段々覚醒するに連れて、僕はとんでもない事に気がついた。
「ん、
リュカ?今何時…?」
彼女が目を覚ました。まだ声は気だるそうだった。
「エマ…。僕…。」
エ
マは青ざめている僕を見て、身体をゆっくりと起こした。
「僕、大変な間違えをしちゃったよ。」
エマは何のことだ
か最初はわからなそうだったが、僕のうろたえている姿を見てある事に気がついたみたいだ。
「ああ、そういう事か。それなら大丈夫
よ。」
「え?」
「薬…飲んでいるから。」
「え?」
エマは僕のほうを微
笑むとゆっくりと宥めるように言った。
「ちょっと前まで恋人がいたし…。あ、でも、今は旅行があるから、そのまま続けているだけなの
よ。」
そう、母から特に声を大にして言われていた事だった。「ちゃんと相手の子を大切にしなさい。」と。でも、僕はまったく反するよ
うな行為を行ってしまった。
「もう、帰ってきちゃうかな。着替える?」
時計を見た。まだ12時前…。
「ま
だ、大丈夫だと思う。たぶん、お酒を飲んで帰ってくるから。」
彼女は腕を伸ばして自分のシャツを取った。
「誰と
でもこういう事するわけじゃないのよ。」
彼女は下を向いたまま静かにこう言った。
「友達から『あなたは堅すぎ
る』って言われるくらい慎重なのよ。身体を許しあう関係になる前に、ちゃんと検査してもらうし…。」
「検査?」
「そ
う、だって気にしながらじゃイヤだもの。」
と、彼女は笑った。
「あ、僕。…何かあったら、ちゃんと言って…。」
僕
はうろたえながら言った。そんな僕の姿を見て彼女は笑った。
「ふふふ。でも、何でだろう。」
「え?」
「リュ
カとなら、いいかな〜って思えたのは…。」
彼女は落ちている自分の衣類を拾い上げ、一つ一つ身に纏う。
「お互い
の『そうなりたい』と言う気持ちがたまたま一致したんだろうな…。」
僕の目を見て彼女はそう言った。
僕は彼女に気持ちを込めて少しだけ長いキスをした。